心筋梗塞なっちゃった・


2月・今度は心筋梗塞、危なかった(汗;) 父が心臓が弱かったので、
ある程度歳がきたら何か来るだろうと、 日頃から思って警戒していた。

 
之がよかった! かかりつけの医者が 「気管支炎だけど血圧も高く血流も
悪くなっているから、血をさらさらにする薬を飲みなさい」 といわれ薬を貰いましたが、
その診断と、投与された薬について私的には少し疑問があったので少し不安が走った。
 
そこでその帰りに近くの循環器科に飛び込みで行って受診した。
この医者・「元のデータが無いから」 と、時間をかけて3・4回検査していた。
やはり心電図に異常を見ていたらしい。
やがて、「之は大変だすぐここから救急車で日大病院に行きなさい。」 
「家に帰らずここからすぐですよ!」 と念を押されたが、
こちらは 「どうせ入院させられるなら着替えぐらいもってゆこう」 と思い、
10分ぐらい歩いて帰り、少し部屋を片付けてからタクシーで出かけた。 
 
しかし之が素人の浅ましさ・・・タクシーのなかで気になる仕事の相手に電話しながら・・・
・・・・ だんだん胸が苦しくなる・脂汗をかいてくる・・・タクシーの運転手さんに悪いから我慢した。
日大病院の救急受付に着いたとき 「遅いではないか!・何をやってた?・」 と怒られた。
紹介してくれたクリニックからは「すぐに行く」 と言う連絡が行っていたのだろうから、
チームは待ち構えていたわけです。
 
ほんとに申し訳ないことしてしまった。 そのチームの担当医数人、真剣に、
しかし患者の不安を取り除くべく時として励ましつつ、難しいことをつぶやきながら執刀してが、
私的には、「父も39年間心臓の薬を飲みながら、酒もタバコもやめて89年間生きたのだから、
自分もまさかこんなことで死ぬことはない」 という確信があって、案外気楽に手術を受けていた。
ところが手術の最後に 「本当に危なかったんだよ」 と打ち明けてくれた。冷や汗をかいた。
 
彼らのファインプレーで助かりました。手術室が空いてなくて、救急受付室で手術しました。
病室も空いてなく、ナースステーションの道具室みたいなところで2・3日過ごしました。
8日間入院して今はすっかり元気です。
気管支炎と思っていたのは、心臓には神経が無いから、
心臓そのものが痛くなることは無く、その周りのどこかに症状が出るのだそうです。
今になって冷や汗物です。やっぱり人の言うことは聞いておくもんです。
 
ああタバコが懐かしいよー。
でも、もう駄目だ!・之まで調子の悪かったところも
ある程度良くなった気がするし、生活のリズムもを作り直す必要がある!
今度の入院は全く不安が無く、ベッドに寝たきりというのだけが不満でしたが、
長男だけは自分でも瀕死の重傷を負って入院した経験があるからか、
かなり不安があったようで、 度々、孫を連れて来てくれ、いろいろ気を使っていました。
やはり、人の親になれば人間変わってくるものですね。
 
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