死んだ母は今何処にいる?

Q&A等と偉そうな物かいてしまいましたが、決して私は教える立場などと生意気なことは思っていません。しかし、仏教と言うと皆さんが難しいという感覚を持っている方が多いので、その誤解を解くと言う意味でこのページは設けました。したがって、に対して「私的には・・・」と言うという程度で受け取っていただきたいと思います。

Q・[お尋ねしたいこと]Delete
はじめまして。
深川といいます。お尋ねしたいことがあります。よろしいでしょうか。
先日、母親が亡くなりました。母親の姿が思い出され、今頃、どこにいるんだろうか、と考えています。素人で概念が分からず、「輪廻転生」の言葉だけは聞いたことがあるのですが、意味などを教えてください。

A・[死の概念・輪廻転生]Delete
ともかくは衷心よりお悔やみ申し上げます。
死は生に対する言葉で、科学の分野では「生あるものは必ず死に帰する」ことは皆判っていることですよね。しかし私たちは生の終わりである死に臨んでもまだその先のことが気になります。だから「何処にいるんだろう」等と考え、宗教者にその解決を求める。しかし、それに答える宗教者も又証明出来る答えは持っていないと言うことも判っていながら、若しかしたら何か自分のこの「どうにもならない事」の解決をしてくれるのではないか?!
ということは、どうにもならないことを悩んでいる人が如何に安心を得るかということの解決を宗教(者)に求めてきたのではないでしょうか?

即ち、死はどうにもならないことは分かっていても、体がそう分別できない!・
そこで生きている自分の世界に死者を生者と同じ次元で考えてみたい!・
それには普段葬式にかかわっている坊さんに聞いてみようと言うことなんでしょうが、
「どうにもならない事をどうにかしよう」 というこの自分の心の存在を問いただす作業が宗教の聞法(もんぼう)というわけですね。このことには坊さんもお手伝いできると思いますよ。

いまひとつ「輪廻転生」
この言葉も生きているものが如何によく生きるかと悩んだ末に辿り着いた世界だと思います。形而上の世界とといいます。これも人文科学の分野です。
しかし何故そのような形而上の世界を建てなければならなかったかと言う人間の根底にある煩悩を捜し求めてゆくのが宗教の世界ですね。

私的には、「あなたのお母さんはあなたの中にいます」何故か?・植物は種を残します。動物は子孫を残して死にます。あなたは今現にお母さんのいのちを生きているわけでしょう? そのいのちを大切に生きることが今大切なことと思います。

以上理解されたかどうかと思いますが、かく言う私自身が、知識の世界から解決を求めようと、無い脳みそを働かせていることにお気づきでしょう
これが人間の分別と言うもので 「どうにもならない世界」です。そういう自分の姿にあきれ返って「ただ念仏」する以外に無い私です。その私の心のはたらきが 「輪廻転生」 の世界です。これを救済してくれるものは仏の世界しかない!・その為には「礼拝(南無)」から始まるわけです。

仏と言う実体があるのか無いのか?、偶像崇拝は無意味なのか? の議論もありましょうが、今日のところは私は仏教徒として、釈尊の教説を信じる以外に無い・実体云々はまたページを改めましょう。


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