戦後70年経って、埋もれていた戦跡遺構が研究者・地元の努力で明らかになりました。長崎市外海の山中で発見された、旧日本海軍のレーダー施設です。地下の探信室はそのまま残っているそうです▲1889年(明治22年)佐世保に海軍鎮守府が置かれ、古くは日清・日露戦争の軍事拠点となり、長崎県は、その後のアジア進出・第二次大戦に主要な役割を果たすことになります。長崎は三菱を中心にした軍需工業都市でした。大村にはアジア最大の戦闘機制作工場や特別攻撃隊基地が置かれました。長崎・佐世保は要塞地帯都市で、離島や西彼半島等にも多くの砲台が築かれていました▲県下には「ニイタカヤマノボレ」の真珠湾攻撃命令が打電されたといわれる巨大無線塔(佐世保市・針尾)、教師と子供達が作ったという防空壕の教室(同・宮地区)、海軍工廠の建物跡・工場を疎開させた壕・魚雷発射試験場・震洋や咬竜など特攻訓練をした魚雷艇訓練所跡(川棚)等、多くの戦跡遺構があります▲遺構の中には、きちんとした保存がなされていないものも少なくありませんが、どれもが戦争の記憶を今に伝え、平和を訴える貴重な遺産です。また、どの町も村も戦争の傷跡があります。住んでいる街の遺構を訪ねてみませんか。
軍艦島上陸クルーズは、連日、満員の大盛況です。この軍艦島(端島)をはじめ、製鉄・鉄鋼・造船・石炭等の施設「明治日本の近代化産業革命遺産」が世界文化遺産に登録される見通しです▲これらの中に「強制徴用された施設」が含まれていることを理由に、韓国や中国政府が登録に反対しています。日本政府は、対象は明治近代化の時代であり、植民地支配と無関係と言います。しかし、それだけの主張では、被害者(国)の理解と賛同を得ることはできないでしょう▲軍艦島も強制連行された朝鮮人や中国人を労働させていた施設の一つです。連行されてきた彼らはこの島を監獄島と呼び、現在、上陸した観光客が最初に必ず通る門を、地獄門と名付けていました。「正座した膝に重い石を乗せるような懲罰・拷問もあった。脱走して溺死するものもあった」と、当時、島で暮らした方が語っています▲そうした不幸な歴史があっても、現在の軍艦島はガイドの目からも魅力に満ちています。草創期、不幸な戦争の時代、戦後の復興と黄金期、衰退から閉山に至る迄、日本のエネルギー、産業を支えてきた島です。なにより人々の確かな営みがあった島です。負の歴史も明確に表示して、世界文化遺産として後世に残したいものです。
「小さく産んで大きく育てる」は、元々は子育ての極意とされ、事業も最初は小さく始めて堅実に大きくするのが良い等の比喩として使われます▲塩崎厚生労働相が、経団連の残業代ゼロ対象者拡大要求に対して「小さく産んで大きく・・・」と語り、労働者が怒りの声をあげています。まずは法案を成立させれば、あとで対象を拡大しますとのあけすけな言いようです▲「小さく産んで・・・」を政治家が口にしたのは今回が最初ではありません。消費税について、89年4月、3%で導入の時、当時、自民党政調会長だった故渡辺美智雄氏が語っています▲消費税は導入後も、民商・全商連をはじめ、国民の粘り強い反対運動で、容易に、すくすくではありませんでしたが、税率は5%、8%と引き上げられ、さらに10%が狙われています。「小さく産み大きく育てる」は国民を欺く自民党政治の常套手段です▲PKO法に始まる自衛隊の海外派兵も、次々と制約が取り払われ、ついには、集団的自衛権行使の閣議決定、アメリカが世界で行うどんな戦争にも、いつでも、どこでも、自衛隊を支援・参加させる「戦争法」の国会提出にまでになりました。今、声をあげなければ9条破壊の巨大モンスターに育ってしまいます。
朝鮮通信使(外交使節団)として室町時代に幾度も来日した李芸(イ・イェ)は、韓国政府が「韓国外交を輝かせた人物」に選び、その銅像が先頃ソウルに建立されました。「通信」は単なる情報伝達ではなく信頼と真実を持って交わるを、意味しました▲鎖国体制の江戸時代、朝鮮通信使は異国文化に接する貴重な機会で、宿舎には日本の学者・文人が詰めかけ、書画や詩文の交換等、文化の交流も活発でした▲日本側を代表する外交官に、対馬藩の雨森芳州がいます。芳州は、相手国の風俗・習慣を理解し違いを尊重する。偏見や蔑視を抱かない。また、力で相手を屈服させる行為を戒め、欺かず、争わず、真実をもって交わる誠信を説いています▲現代の日本。参院で自民党の三原じゅん子議員が「八紘一宇」を日本建国以来の価値観と述べ、世界にこの理念での経済・税の仕組みを呼びかけることを求めました▲八紘一宇は、神武天皇の詔とされ「国(世界)を一つの家とする」の意味で、家長は天皇です。そして「八紘一宇」は、なにより侵略戦争のスローガンでした。ここには日本こそがアジアの盟主という傲岸さがあります。彼女は金八先生からいったい何を学んだのやら▲芳州の思想は今こそ、国際社会に求められているのではないでしょうか。
フィリピン中部シブヤン海の底に沈められた戦艦武蔵の船体写真や映像が公開され、改めて同艦に大きな関心が寄せられています。武蔵コーナーのある三菱史料館の見学者も増えているとか▲武蔵は、大和の姉妹艦で、共に旧帝国海軍の時代を見誤った大艦巨砲主義が生んだ世界最大の戦艦です。三菱長崎造船所で建造され、舵・スクリューの取付けは佐世保海軍工廠(SSKの前身)で作業されました▲三菱史料館には武蔵の他、同造船所建造の軍艦の数々(戦後の自衛隊の艦船を含めて)が誇らしく展示され、軍需産業の戦争観・歴史観がよくわかります▲武蔵建造は軍の最高機密でした。船台を棕櫚縄で覆い、米・英の領事館前には目隠し倉庫を建て、警察や軍が市民を厳しく監視しました。造船所を見下ろす位置にあるグラバー邸から、外国人に知友が多い倉場富三郎を立ち退かせています▲武蔵建造に携わる者は全て、特高警察が思想・宗教・家族・友人等の徹底調査を行い、秘密を漏らせば、どんな処置も受けるという宣誓書を提出させました。安倍暴走内閣が成立させた戦争できる国への準備、「特定秘密保護法」が重なります▲武蔵への関心が、再び戦争の悲劇を繰り返さぬ決意になるよう、歴史の真実を語り継ぎたいものです。
(文中の三菱史料館は、かつての木型場で、赤煉瓦づくりのこの建物は世界文化遺産構成資産に登録されました)
「星の流れに」は1947年発売の戦後歌謡の大ヒット曲です。戦後の荒廃と混乱が続き、国民は食に飢えていた時代です。パンパンと蔑すまれた街娼の悲しみを菊池章子が唄いました。元になったのは東京日日新聞に掲載された「顛落(てんらく)するまで」と題した投書です▼お国の為、兵隊さんの為と従軍看護婦になり大陸に渡りました。敗戦、国民を守ってくれる筈の軍隊は真っ先に逃げてしまいました。苦労の末、やっと帰国すれば、家は焼け、家族は行方知れず。相談する人もなく、寝るところもなく、お腹をすかせて・・・▼記事を読んだ清水みのるが、怒りに震えて一晩で作詞し、利根一郎が、これまた一晩で作曲したと伝えられています。戦争は国民、とりわけ弱者に過酷な犠牲を強いています▼先日、自民・公明両党が集団的自衛権行使の為の法案骨格に合意しました。自衛隊が、地球規模で米軍を支援する。いつでも、どこでも、どんな戦争にもでていける。まさに9条破壊の「戦争立法」です▼日本を「戦争する国」にするわけにはいきません。「星の流れに」の歌詞は3番迄あり、最後のフレーズは全て「こんな女に誰がした」です。「こんな国に誰がした」と嘆かないために、今、声をあげたいものです「憲法9条守れ」と。
今年は「戦後70年」。節目の年です。私的には、この3月に古稀の節目を迎えました。70年の歳月は決して短くはないけれど、過ぎてみれば、束の間のようにも思えます。ともあれ、今年は「戦後の節目」にこだわりたい▼遡って、戦後50年には、全商連の全国活動者会議(全活)を長崎で開催しました。上演された「平和への旅」や婦人部の踊りは、参加者に今も強い印象を残しています。この年、政府は村山談話を発表し「植民地支配・侵略戦争への痛切な反省と心からのお詫び」を表明しました▼戦後40年には、沖縄開催の「全活」で沖縄の思いと、「ぬちど、たから」(命こそ宝)を学びました。今、辺野古の米軍新基地建設反対の「オール沖縄」の熱い闘いが続いています▼この年、ドイツのワイツゼッカー大統領(当時)が「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目となる」と述べた名演説を残しています。先の大戦は、日本の自存・自衛の為であったといって憚らない人々、慰安婦問題から目を逸らさせようとする人たちに、しっかり味わってもらいたい言葉です▼「自衛隊の海外派兵や、日本を戦争する国へ向かわせる改憲への執念をあらわにして暴走する安倍総理が、今夏に発表する予定の「戦後70年談話」が気にかかります。
民商・全商連は、1960年代、刑事事件まででっち上げ活動家を逮捕する等、税務当局の大々的な弾圧攻撃を「嵐は強い木を育てる」と組織拡大で跳ね返してきました▼この弾圧の背景には、政府が意図した「徴税体制と税務署の権限の飛躍的強化」という国税通則法制定の肝心な部分を骨抜きにさせた運動の先頭に、民商・全商連がたっていたことがあります。▼昨年、倉敷民商の3人の事務局員が、税理士法違反・法人税法違反(脱税ほう助)の罪名で不当に逮捕され、現在、裁判が闘われています。禰屋町子さんは今も身柄を拘束されたままです。脱税ほう助は、明白な冤罪です。彼女の1日も早い釈放を願わずにはいられません▼申告納税制度は、納税者の基本権です。民商・全商連は「自主記帳・自主計算・自主申告」を推進しています。倉敷民商への弾圧は、そのことへの攻撃であり、税理士法違反の言いがかりは断じて許せません▼3人は怯むことなく権利を守る闘いを続けています。裁判闘争の支援とともに、春の運動での大きな前進が彼らへなによりの励ましであり、民商弾圧を打ち破る確かな力となるでしょう。