今年の新語・流行語大賞の年間大賞は、「爆買い」と「トリプルスリー」でした。「爆買い」とは裏腹に国内の個人消費はますます弱く、歳暮商戦も苦戦の模様です。外貨頼みではなく国民の消費購買力を高める政策こそ必要でしょう▲大賞は、その年の言葉から、世相を軽妙に映し、多くの人々の話題に上った新語・流行語を選び、関わった人を表彰するもの。今年、ノミネートされた50語の内、半数近くは知らない言葉でしたから、自分は相当に世間に疎いのでしょうか▲それでも知っている方には「I am not ABE」「戦争法案」「駆け付け警護」「自民党感じわるいよねえ」「早く質問しろよ」等、15もの安倍政治に関わる言葉がありました▲この中から、トップテンには「SEALDs」や「アベ政治を許さない」が選ばれ、国民の闘いと展望が反映されています。ちなみに、昨年の年間大賞は「集団的自衛権」と「ダメよ〜ダメダメ」でした。一つにまとめて並べると実にうまくできていて、よく覚えています▲ノミネートもされなかったけれど、私的に選んだ今年の年間大賞は、ブームを引き起こしたピケティの「21世紀の資本」から「格差社会」。今ひとつは「みくる世がやゆら」(今は平和でしょうか)。沖縄の闘いに心を寄せて
1億相、一瞬、ん、何だろうと思いました。安倍改造内閣で新しく誕生した1億総活躍担当大臣の略称です。アベノミクス第二ステージは「誰もが、家庭で、職場で、地域でもっと活躍できる」1億総活躍社会の実現だそうです▲このために担当大臣と国民会議が設置されました。誰もが活躍できる。至極まともなスローガンのようにも聞こえるけれど、あまりに抽象的で、一体、何をするのかわかりません▲総務省の英訳には1億の数は無く、日本語に直訳すれば「全ての国民の精力的な参画の促進を担当する閣僚」ということになります▲ん、まてよ。国が、一律に、国民に、精力的な参画を促すって、おかしくありませんか。精力的な活躍なんて望まない。ささやかなボランティアでも、程々の人生を楽しむのでもいいじゃないですか。金子みすずの詩ではないけれど「みんな違ってみんないい」▲国民を一億と一括りに呼ぶのは、国民を国のために動員する時を、歴史は示しています。「進め一億、火の玉だ」「一億一心」「一億玉砕」国民を戦争に駆りたてたスローガンです▲アジアで二千万、日本国民六百万人もの犠牲をだした、あの戦争に真摯に向き合うなら1億総活躍相などという知性の欠片もない名前を付ける筈がありません。
舞鶴引揚記念館が所有するシベリア抑留者の引き揚げ記録がユネスコの世界記憶遺産に登録されました▲敗戦後、ソ連軍に連行された捕虜は、極寒の地で過酷な労働に従事させられ多くの命が奪われました。「異国の丘」は、この抑留者が、彼の地で望郷の思いを込めて歌ったものです▲抑留者の帰還は1956年まで続きました。「岸壁の母」は、息子の帰りを待って舞鶴港に立ち続けた母親を歌いました。モデルとなった端野イセさんの手紙も記憶遺産に含まれています▲敗戦時、海外にいた日本人は約660万人。復員・引き揚げの拠点となった佐世保の浦頭港から約140万人が上陸、祖国帰還の第一歩を踏みしめています。針尾の浦頭引揚記念平和公園には、当時の着衣・リュック・日記・引揚証明等を展示した資料館や、引き揚げ者の心情を歌った「かえり船」の歌唱碑もあります▲思いやり予算で建設された米軍針尾住宅脇の釜墓地は、米軍から返還移送された4500人を超える遺骨とともに、引揚の船中や、南風崎駅から故郷へ向かう列車を待つ間に息を引き取った2千名も葬られています。どんなに無念であったことでしょう。私たちが伝え続けなければならない身近な記憶遺産です▲本稿中の「 」内は全て戦後の大ヒット曲です。
戦国武将、毛利元就が息子たちに「一本の矢は簡単に折れるが3本の矢は容易に折れぬ。三兄弟が力を合わせよ」と諭したという「三本の矢」の故事に因んだコードネーム「三矢作戦」なる研究を、かつて自衛隊が極秘に行ったことがあります。朝鮮半島の武力紛争が日本に波及という想定で、核兵器の使用、国家総動員体制にも言及していました▲安倍首相は、戦争法強行への厳しい批判から国民の目先を変えたいと思ったか、経済優先「新3本の矢」なるものを持ち出してきました。元々、安倍内閣は財政出動、金融緩和、成長戦略の「3本の矢」を売り物にした内閣です。このアベノミクスは、格差と貧困を拡げ、頼みの綱の株価も低迷、経済指標も軒並みに悪化、明らかな失政です▲この反省のないまま「新3本の矢」は、希望を生み出す強い経済、夢を紡ぐ子育て支援、安心につながる社会保障が謳い文句。何の裏付けもなく、唯々呆れるばかりです。それどころか、具体的政策は、希望も夢も安心も射落としてしまう「毒矢」です▲「新3本の矢」の裏には、戦争法の推進を視野に、過去最大の5兆911億円の軍事予算(2016年度概算要求)が組まれています。どんなに言葉を飾ってみても、衣の下に鎧が透けて見えます。だまされないぞ。
9月19日未明の法案強行。「戦争法」(安保法制)の危険な内容は勿論のこと、問答無用で成立させた強引な手法についても断じて容認できません。成立直後から戦争法廃止の烽火があがり、憲法蹂躙、民主主義を足蹴にした安倍内閣打倒の新たな国民の反撃が始まっているのは心強いかぎりです▲古来より人々は月をこよなく愛で、とりわけ旧暦8月の一五夜の月を「中秋の名月」と呼び、供物などをして観月を楽しんできました。中国から伝わった行事ですが、日本では、翌月の一三夜(今年は10月25日)の月を合わせて観月するものとされてきました▲松尾芭蕉の高弟、向井去来は長崎の月を「名月やたかみにせまる旅こころ」「たふとさを京で語るも諏訪の月」と詠んでいます。去来の長崎への強い郷愁を感じさせる句です(前句は田上の徳三寺境内、後の句は諏訪神社に句碑)▲江戸時代のマルチな文化人、大田蜀山人は、長崎で次の狂歌を残しています「彦山の上から出づる月はよか、こげなよか月えっとなかばい」▲言葉遊びです「ツキツキニツキミルツキハオオケレドツキミルツキハコノツキノツキ」お月様は幾つ含まれていますか。世直しの運動は長丁場。秋の夜長に、月を愛で、一献傾けて新たな英気を養うのも悪くないでしょう
自治会から老人の日の祝いが届きました。有難くもあり、同時に若いつもりでも、ついに高齢を祝われる歳になったのかと複雑な気分を味わいました▲正覚寺墓地に「長寿の碑」と呼ばれている旧い石碑があります。碑文には、宝暦3年(1753年)生まれのセキ女が嘉永5年(1852年)、100歳になり、同女が、久大和守(幕府老中)の声がかりで、牧志摩守(長崎奉行)から、お手当米10俵を与えられたことが記されています。長寿にご褒美が出ていることが、なんとも嬉しいではありませんか▲今年、新たに百歳になり銀杯が贈られるのは3万人を超えるそうです。日本人4人に1人は六五歳以上であり、後期高齢者(七五歳以上)は8人に1人、まさに高齢化社会です▲長生きは、喜ぶべき事です。しかし、医療や介護、年金など、高齢者にとって頼みの綱と言うべき社会保障制度が自公政権によって、次々と改悪され、老人漂流社会、下流老人なる言葉さえ生まれ、格差の広がりと共に高齢者の貧困化が急速にすすんでいます▲消費税増税にも、高齢化社会が口実にされています。「歳をとるのは罪ですか」の悲痛な声も聞かれます。改めて誰もが長生きして良かったと言える社会のために、今一頑張りを決意した「敬老の日」です
筆者のNHKへの初投書は消費税導入反対の国民的運動が日本列島を揺るがしていた頃のこと、放送局近くの代々木公園で連続して開催された10万人を超える大集会を全く報道しないことへの抗議でした▲この8月30日、12万人が国会を包囲、全国一千カ所以上で開催された「戦争法ノー」の行動は、さすがにNHKも無視できませんでしたが、その報道は政府・与党の顔色をうかがう姿勢がありありでした▲中村メイコさんは、ずっと以前の人気ラジオ番組「日曜娯楽番」のユーモラスに政治批判を伝える内容に自民党(当時・自由党)からクレームがついてやめになったと述懐しています。アベ政権は、このDNAを確り受け継いでいます▲NHKの政治報道は、安倍首相の肝煎りで籾井勝人氏が会長に就任してから益々「公共放送」から離れ「政府ご用達放送」の性格を強めています。籾井会長の発言「政府が右ということを左というわけにはいかない」が縛りになっているようです▲「爆笑問題」の政治ネタ自粛や、有権者へのインタビューへの難クセ、自民党に不利になる放送はするなと言わんばかりの恫喝的文書等も話題になりました▲「NHKよ、公共放送を支えているのは視聴者だ。戦時下の大本営発表を垂れ流した教訓を忘れるな」
平和やくらしを守る運動の先頭に、のれん色に染め上げた民商の青旗が必ず翻っており、いつも誇らしく思います。のれんは初期には、麻布の藍染めが中心で、濃紺が後々まで主流となります▲暖簾(のれん)は、鎌倉時代に中国から禅宗と共に入ってきた禅語、用途は寒さを防ぐ為のもので、暖をとる簾からきています。室町時代に入ると、家紋や屋号を入れたものが現れ、商業が飛躍的に発展した江戸時代に、店頭幕の、のれんは急速に広がり、商品名等も入った広告・看板の役割を担うようになります▲やがてのれんは、店の品格・信用などを表す用語にもなり「のれんにかけて」「のれんわけ」等と使われるようになります。「のれんに傷」は不祥事等で信用や名声を損なう時に使われます▲東芝の不正会計は、その代表例でしょう。なにせ、利益水増しで歴代3社長が辞任する事態に追い込まれたのですから。この東芝には米原子力プラントの買収等で、一兆円を超える「のれん代」があります。企業買収の際の時価資産額と買収額との差額のことで会計学用語です。営業権等と計上されます▲川内原発が再稼働しました。東芝は原子力発電事業に経営資源を集中させ、政・産・学が一体で原発を推進した原子力ムラを構成する代表企業の一つです。
戦後のヒット曲「長崎の鐘」をご存知ですか。元は原爆被害をリアルに描いた永井隆の同名の著書。初版本には、特別付録「マニラの悲劇」が掲載されています▼同書は、占領軍総司令部によって、日本軍のマニラでの残虐行為を掲載する条件で出版が許可されました。日本の加害の事実を知ることは大切ですが、この付録掲載の意図は日本軍がこんな酷い事をやったからという原爆投下の正当化の為です▲米国ではトルーマン演説「原爆で戦争を早く終わらせた結果、米兵100万人の命が救われた」を多くの国民が信じています。その数は投下直後には数千数万でしたが、次々に増やし、14年後には100万と述べ、原爆投下を正当化しています▲これには「原爆で日本上陸作戦が回避された」の前提がありますが、戦後の米戦略爆撃調査団報告は「日本降伏には、原爆も上陸作戦も不要だった」と指摘しています。原爆投下は、バーンズ国務長官が「日本を敗北させる為に必要だったのではなくソ連をコントロールしやすく為だった」と本音で語っています▲どんな理由であれ原爆投下を正当化することはできません。70年の節目の年の夏、被爆者の声に今一度耳を傾けたい。「人類と核兵器は共存できない」の思いを新たに。
「歌は世につれ、世は歌につれ」歌謡曲は、その時代の世相を写し出してきました▲戦時下には、歌謡曲の世界も国家に「統制」され、サトウ・ハチローや山田耕筰など高名な詩人や作曲家が、忠君愛国と戦意高揚の歌を量産して戦争遂行の一翼を担ったのです。一方、恋歌などが退廃的・軟弱等の理由でレコードの発売が禁止されました▲高峰三枝子の大ヒット曲「湖畔の宿」♪山の淋しい湖に一人来たのも悲しい心♪もその一つです。庶民はこの歌の替え歌を唄いました。♪昨日召された蛸の子は、弾に当たって名誉の戦死、蛸の遺骨はいつ帰る、骨がないので帰れない、蛸の母さん悲しかろ♪▲沖縄戦から70年目の戦没者追悼式で「みるく世がやゆら」(平和でしょうか)と呼びかけた高校生の詩の一節に「彼女のもとには戦死を知らせる紙一枚、亀甲墓に納められた骨壺には彼女が拾った小さな石」がある。安部総理はこの詩をどう聞いたでしょうか▲作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんは法話で戦争法案を厳しく批判。「夫や恋人、息子、孫、愛する人が戦争に行って殺されることに絶えられますか」と問いかけています▲本稿を書いている途中、無法にも特別委員会で戦争法強行可決のニュースが伝えられました。怒りを込めて断固撤回を求めたい。