シーボルトの木

シーボルトの木
  現在、国指定史跡である、シーボルト居宅跡地にあるこの木は 「解説板」によれば、1912年、著名な植物学者・牧野富太郎によって学名「ラムナシーボルデイアナ」和名「シーボルトの木」と名付けられ新種植物として発表されたものだそうです。しかし、1939年、中国産のクロウメモドキ科(日本と中国が原産地)と同種であることが明らかになりました。
  日本に自生するものより葉が大きく枝の先が尖っていて珍しいものなのだそうです。居宅跡の古井戸の側に2本あったそうですが、現在はこの一本だけです。
  シーボルト

  ドイツ人シーボルトは出島和蘭商館医として来日、商館医として始めて出島の外で教えることを許され、鳴滝塾を開き、西洋医学を教えました。医学・薬学・博物学など日本の近代学問の礎を築いた代表的な人です。また、日本研究をおこない西洋に日本文化を紹介しました。シーボルト事件で国外追放されますが、安政の開国で再び来日したときは61才でした。
  著書「日本植物誌」の中でアジサイに「ハイドランゲア・オタクサ」と名付けていますが、「オタクサ」は、娘、楠本イネを設けたおたきさんのこと。居宅跡に、盛りは過ぎていたがアジサイが沢山咲いていました。  シーボルトの娘、楠本イネは日本で最初の女医(産科医)です。
鳴滝の激ちの音を聞きつつぞ、西洋の学に日々めざめけむ  斉藤茂吉
歌人・斉藤茂吉は長崎医専の教授として来崎しています。