東京一日散歩(2010年秋に)

2010年12月31日

靖国神社・遊就館もみてきました

かつて、歩いた場所を、もう一度歩きたくなって、上京の折りに一日を費やした。午前9時、出発地は池袋駅。まずは山手線の次駅・目白駅へ向かう、毎日通勤で通った道である。 学習院にそって目白通りを少しばかり歩いて千歳橋の石段を下り、明治通りにでる。都電荒川線(写真左)に沿って面影橋に着く。面影橋は、古くは俤の橋、姿見の橋とよばれ、江戸名所図絵に描かれている。橋の上から見る両岸を紅葉が覆う神田川(写真右)の眺めは、なかなかの風情である。神田川の紅葉は桜の木の葉。春は見事な桜並木が続き、お花見の名所の一つである。花冷えの日、缶ビール片手に夜桜見物をしたこともありました。

川に沿って下ると、新江戸川公園(写真左)。かつては肥後熊本城主、細川家の下屋敷跡、屈指の日本庭園である。庭の池をゆっくりとわまり秋の庭園を楽しむ。 公園を出て、さらに下ると「芭蕉庵」。この日は休日で入園できなかった。途中で密を吸うハチや、亀を発見。

  神田川に沿った江戸川公園が終わると再び目白通り、地下鉄江戸川橋から地蔵通り商店街を歩き、上京初期に住んでいた家の前にいってみる。その家は今はなく高層マンションが建っている。早稲田通りにでて神楽坂の横町などを眺めて、飯田橋を過ぎ、やがて靖国神社の大鳥居の前にでる。
大鳥居前には大灯籠が二基、「富国徴兵保険相互会社」(フコク生命の前進だと思うけど)献納とある。土台廻りは陸海軍の戦闘場面のレリーフが囲んでいる。肉弾三勇士もその一枚。鳥居をくぐったら、見上げる高さに大村益次郎(日本陸軍の創始者といわれている)像がある。さらに神社の表門には、大きな金ぴかの菊の紋である。この神社の役割・性格がここにもよく表れている。

靖国神社には「遊就館」なる戦争賛美展示館がある。入り口近くに、以前はなかった「特攻勇士を讃える」との碑が建っていた。銘板には陸海軍の特攻犠牲者は5843名と記されている。館内には人間魚雷「回天」や三菱長崎造船所で製造され、川棚で訓練された特攻艇「震洋」、特攻飛行機「桜花」なども展示してある。
写真は無料ロビー展示品の泰緬鉄道(タイ・ビルマ間)の機関車と零戦。
非人間的作戦の犠牲となった若者は「讃える」ではなく「悼む」であろう。「讃え」「英雄視」する根底に、野蛮な侵略戦争を最大限に美化する意図が透けて見える。 日清、日露戦争、中国侵略戦争(展示説明は、満州事変、支那事変)第2次大戦(展示説明は大東亜戦争)のそれぞれが、やむを得ざる祖国防衛、正義の戦として紹介される。 オリンピック選手やプロ野球選手の犠牲も美談である。そして元帥刀(軍人最高位の元帥に天皇が与える軍刀)や戊辰戦争の錦の御旗まである。そして、この神社が天皇・皇室ときわめて深く結び着いていることを誇らしげに展示しているコーナーもある。「靖国問題」とはなにかを考える時、機会があれば一度は見学しておく場所であろうと改めて思う。

靖国神社をでて九段下で、少し遅めの昼食を摂った(味噌汁付き牛丼が300円でした)。あとは内堀通りをひたすら歩け歩け。濠を泳ぐ白鳥などを眺めながら、皇居前広場、皇居外苑に至る。皇居廻りを走るランナーにも出会う。今度、機会をみつけて走ってみようか。ビルの間から東京タワーが見えた。計画変更、日比谷公園の散策をやめ東京タワーを目指す。

桜田門から桜田通りの官庁街に入る。煉瓦造りの法務省旧本館(写真右)は重要文化財である。時間が気になったが入館することにした。こうした歴史的建造物が大切にされているのは嬉しいが、あまりに少なすぎる。建物をでてタワーに行く最短コースを思い浮かべるが自信がなく、とりあえず愛宕神社下にまわる。足もつかれた頃、やっとタワーが姿を現した。
20歳の時、はじめての上京で真っ先に来たのが、このタワーである。展望台から一日、下を眺め、日が暮れて、下を走る車が光の帯になっているのに感動したのを想い出した。

東京タワーをあとに浄土宗総本山、増上寺へ。徳川家の菩提寺でもあっる古刹。ここには、4代将軍家綱が作らせたという大梵鐘がある。案内には高さ1m、重さ11トンとある。 かつては木更津まで響いたとある。 「今なるは、芝か上野か浅草か」の川柳もある。芝は増上寺、上野は寛永寺、浅草は浅草寺の鐘である。朱塗りの大きな三門(正式には三解脱門・重要文化財)をくぐるとあとは、まっすぐ浜松町のモノレール駅へ。午後四時を過ぎた。一体どの位歩いたのだろう。