長崎を詠んだ歌人

長崎の円き港の青き水ナポリを見たる目にも美し   与謝野鉄幹
青やかに誇らしき山誇らしき海に向えり誇らしき人  与謝野晶子
ゆるやかな敷石踏みすれていゆき親しきに雨も降るかも  土屋文明
シーボルト慶賀ともない人垣にまじりて見るかこの鯨曳   佐佐木信綱
朝あけて船より鳴れる太笛の こだまはながし竝みよろふ山   斉藤茂吉
長崎の昼しづかなる唐寺や 思ひいづれば白きさるすべりの花   斉藤茂吉
  長崎には、多くの歌人や俳人も訪れており歌や句を残し、歌碑・句碑もある。集めてみるのも面白いかも。

  土屋文明(1890〜1990)は、 アララギ派の歌人。斎藤茂吉から『アララギ』の編集発行人を引き継ぎ、指導的存在となる。戦後は1953年に日本芸術院会員になり、1986年に文化勲章を受章。『万葉集年表』・『万葉集私注』などの著作がある。出身地群馬県高崎市に県立土屋文明記念文学館がある。長野県諏訪高女時代の教え子に伊藤千代子がいる。土屋文明は100歳の長寿を全うしたが伊藤千代子は24歳でその生涯を閉じた。

伊藤千代子は、1928(昭和3)年2月に、日本共産党に入党、同年3月15日の治安維持法による野蛮な弾圧(3.15事件)で逮捕、市ヶ谷刑務所に投獄された。千代子は獄中での狂暴な拷問や虐待にも屈せず、官憲の厳しい転向強制を拒否し続けて信念を貫いたが、刑務所で病を発症、東京・松沢病院に転送された。1929(昭和4)年9月24日、事実上の獄死を遂げる。千代子24歳2ヶ月のときである。

5年後、『アララギ』1935年(昭和10年)11月号に伊藤千代子を詠った土屋文明の6首が掲載された。 表題は、「某日某学園にて」である。
現在、伊藤千代子顕彰碑の一角には、このうち三首が刻まれている。 この三首は戦後、塩沢富美子(日本共産党の戦前の指導者・獄死した野呂栄太郎の夫人)の願いに応え、土屋文明が、「伊藤千代子がこと」と題し書き贈ったものである。
「伊藤千代子がこと」
まをとめのただ素直にて行きにしを 囚へられ獄に死にき五年がほどに
こころざしつつたふれし少女(をとめ)よ 新しき光の中におきておもはむ
高き世をただめざす少女等ここに見れば 伊藤千代子がことぞかなしき