浦上天主堂と聖像

浦上天主堂は、今に原爆の悲惨をつたえるとともに切支丹苦難の歴史もつたえている。
原爆遺構は倒壊落下した鐘楼ドーム、いまも正面入り口には傷付き熱線の焼け跡を残す、悲しみのマリア像や聖ヨハネ像が立ち、小聖堂には、頭部のみを残す被爆マリア像が安置され犠牲になった信者の名前が刻まれている。
典礼センター・ピエタには破壊されたアンぜラスの鐘もある。被爆した聖人や天使の石像などもある。

浦上は切支丹禁令の時代にも組織をつくり潜伏して信仰を伝承してきた、この間には4度にわたる検挙(崩れ)が行われ、1967年にはじまった四番崩れでは一村3394人が追放され浦上は無人の村になった。明治6年1673年禁教令廃止、配流地から戻った村の家屋、畑地の荒廃は凄まじかったが、やがて村人は貧しいながら暮らしを取り戻し、お金を出し合い、かつて踏み絵をさせられた庄屋屋敷を買い取った。天主堂の双頭の鐘楼ができあがるまで30年の歳月を要した。 当時東洋一といわれた天主堂は1945年8月9日原子爆弾で破壊された。

切支丹物語はまたの機会にゆずろう。写真はNGO集会に出品した作品である。
以下の文書を英訳してもらい添付した。

あの日から61年
業火に焼かれ爆風に頭を吹き飛ばされた聖像が
いまだに核兵器を持つ愚かさを悲しんでいる。

もはや語れぬ被爆者の
命の声が聞こえる
核兵器と共存できる平和などありはしないと。

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