中島川は長崎市の中央部を流れる。袋橋から上流に架かる石橋群は長崎の見所の一つである。気ままに散策すればおよそ一時間余で趣のある10橋ほどの石橋を渡ることができる。
石橋は、折々に紹介することにして、今回は、川口から上流に向かい、石橋群の前までの9橋である。
大波止橋 川口に架かる最下流にある橋、2000年竣工。左右に歩道と1車線があり、中央の分離帯のアーチが特徴。名の如く大波止の桟橋が直ぐ。夢彩都と出島ワーフを結ぶ。
玉江橋 出島の東詰めに架かる。川口から2番目の橋。現在の橋は1969年に竣工したもの。橋の長さは大人の歩幅で約60歩余。中央に電車の軌道が走り両側には3車線が走る主要道である。
出島橋 出島の西詰めに架かる。川口から3番目の橋。橋幅は8歩。小さな橋であるが交通量は多い。 1890年に中島川の河口に架けられた鉄橋(新川口橋)で1910年に旧出島橋の老朽化に伴いこの地に移された。近代橋梁史にとって貴重な遺産でもある。
長久橋 川口から4番目の橋。長崎バス新地ターミナルを発着するバスはすべてがこの橋を通る。現在の橋は1967年の竣工である。
中央橋 川口から5番目の橋。文字通り市中央部に架かる。現在、工事中だが、交通の要衝。県庁の坂を下りきり、この橋をわたると電車道、浜の町角である。 鉄橋横の「中央橋バス停」は各方面のバスがひっきりなしに発着している。
くろがね橋 中島川下流域では唯一、車両通行禁止の歩道専用橋である。川口から6番目の橋。橋は観光通りのアーケード入り口であり最も賑やかに人の行き交う橋である。署名や災害救援募金などもこの橋の上で行われる。ランタン祭りではオブジェも置かれる。市民はたいてい、この橋を正式名称の「くろがねばし」ではなく親しみを込め「てつばし」とよぶ。
1868年(明治元年)日本最初の鉄製の橋として架けられた。当時の橋にはすべての間柱に擬宝珠が飾られていた。現在の橋は1990年、中心市街地のランドマークとしてデザインされた。
この橋の電車軌道側に幕末の土佐商会跡の碑がある。土佐藩長崎出張所のようなもの。三菱の創始者、岩崎弥太郎はここに勤務した。坂本竜馬の海援隊もここで生まれた。
よろず橋 よろずや町入り口に架かる中島川川口から7番目の橋。かつて長崎の魚河岸はこの橋の近く万屋町の川端にあり魚問屋が並び繁盛していたという。現在の橋は2002年に竣工している。
橋の名前は後日 電車専用の橋が、川口から8番目の橋になる。この横に、小さなお社がある。賑町の事代主神社、通称恵比寿神社。1600年代、前半には鎮座したと推定されている。魚類商売の人の守護神としてお祀りされてきたと伝えられている。河川工事や橋の工事で移転した時期もあるとか。
賑橋 賑橋は電車の停留所の名前にもなっている。この橋から一つ上流にある常盤橋のあたりが、原爆投下目標であったことが明らかになっている。
常盤橋 現在の常磐橋は2001年竣工のもの。最初の架橋は1679年。この橋から上流には石橋群、最初の袋橋、眼鏡橋なども見える。
この橋際に「1612年にサンアウグスティン教会が建てられたが、1614年には禁教令で破壊された。」との碑石があった。