中島川の石橋群U

  石橋群Tでは、袋橋から一覧橋まで6橋を紹介している。パートUはさらに上流にさかのぼる。中島川には、1632年、最初の石橋が黙子如定によって架けられて以降、17世紀末までに川と直交する道筋のほとんどにアーチ型石橋が架けられた。これらの最初に架けられた橋は、私財・浄財によって架けられた。1721年(享保6年)閏7月の大洪水はじめ、度々たびたびの洪水で被害に遭ったが、一番最近では、1982年の大水害である。江戸の時代から続く石橋の多くが破壊・流失した。現在の橋は昭和の石橋である。


古町橋(ふるまちばし)       中島川の第5橋。古町と麹屋町を結ぶ。橋の名は町名に由来。
はじめての架橋は1697年(元禄10年)貿易商、河村甚右衛門と母堂・妙了尼の寄進でおこなわれた。 1982年に流失した橋は1803年(享和3年)のもの。鷺やかわせみなどの野鳥観測の好点


編笠橋(あみかさはし)       中島川の第4橋。 1699年(元禄12年)豪商・岸村某夫婦が私財で架橋したのが最初の橋。1982年の大水害で崩壊したのは1802年(享和2年)のもの。今博多町は往時、あめがた町と呼ばれており、これが橋名の由来。また、遊郭を控えた橋で編笠を被って遊客が通ったからとも


大井手橋(おおいではし)       中島川第3橋。大井手町と八幡町を結ぶ。川の合流点に架かる。1698年(元禄11年)岡市郎右衛門正敏という人が私財で架けたのが最初。1982年水害で崩壊したのは1804年(文化元年)奉行所が架けたもの。長崎ぶらぶら節にも登場する橋であった。水害後鉄筋コンクリート橋に。


桃渓橋(ももたにばし)       大井手橋から西山方向に。1679年(延宝7年)に唐僧・朴意が在留唐人の寄付を集めて架橋された。小さな橋だがとても風情がある。1982年の大水害で大破したが原型に復された。周囲の石畳を含め昔の姿を残す貴重な橋である。写真橋下から奥に鎮西橋が見える。


鎮西橋(ちんぜいばし)       写真は橋の左右の欄干部分と歩道部分。1934年(昭和9年)架橋された近代橋である。橋の上は諏訪神社前電停である。この上には新大工市場に入る大手橋があり、この橋はかつての長崎街道に架かる最初の石橋で堂門橋とも呼ばれている。鎮西橋から下にみる桃渓橋も見所である。


高麗橋(こうらいばし)        大井手橋から伊良林方向に。長崎大水害前の高麗橋は解体され西山ダム下の公園内に移築復元されている。 1652年(承応元年)最初の高麗橋が唐人商人の寄進で架けられ、1866年には麹屋町の商人によって架け替えられた。1915年(大正4年)には鉄筋コンクリートで拡幅されていた。橋横には長崎で最初に神前結婚式が行われたといわれる伊勢神社がある。


阿弥陀橋(あみだばし)        日本最古の孔子をまつる聖堂・長崎聖堂(建物の一部は現在、興福寺境内に移築されている)跡が直ぐ近くにある。また、明治に水道ができるまで218年、住民に給水を続けた倉田水樋の水源跡も近くです。
唐貿易で巨万の富を築き、天和の飢饉には施粥するなど社会事業に尽くした園山某が1690年(元禄3年)に私財で架けた。近くに阿弥陀堂も建てられたので阿弥陀橋。高麗橋の一つ上の橋。 今の橋は水害後の架橋です。


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