お社も境内も決して大きくはない。美しいお社というわけでもないが、縁起によれば長崎で最初の天満宮とある。 高順なる者が1600年代はじめ、小さな庵で天神様を祭ったが、当時の長崎は切支丹全盛期、寺社は打ち壊されていた時代であり庵も数々の迫害にあったが耐え、やがて切支丹禁令が訪れる。長崎奉行・長谷川権六郎の支援で、現在地(肥前国彼杵郡長崎村馬場郷)に1622年遷宮した。この地は長崎街道の出発点でもあり、参拝者はたえなかったらしい。
天満宮の祭神はもちろん菅原道真公、道真公といえば、梅に牛。
牛の像をなぜて祈ると願いが叶うといわれている。牛が彫りこまれた石碑があったが文字は判読不明である。かつてあった牛像は第二次大戦中に、お寺の梵鐘などと同じ運命を辿り軍に強制供出されたとのこと。現在の牛は、戦後に氏子衆の寄進になるもの。
散歩道で、戦争の愚かさを改めて知ることも多い。(写真・下)
(写真上)お社の奥の院にあたる両翼の一枚板の壁板に梅が彫られていた。左翼の彫り物には鶯もいる。創建時にはきっと綺麗な彩色があったに違いない。
松の森神社の境内には大楠があり、普段はとても静寂なお社である。この神社本殿の外囲い塀の欄間にはめ込まれた30枚の板に薄肉浮彫りされた職人図がある。
正徳3年(1713年)社殿修復の折に奉納された。彫刻者は御用指物師喜兵衛と藤右衛門。下絵を描いた画家は不詳だが当時の奉行所御用絵師、小原慶山ではないかといわれている。いまも残っている僅かな彩色は天保3年(1832年)当時、長崎第一の画家石崎融思が色付けしたと掲示があった。
県の重要文化財とあります。
職人図は見上げる位置にあり写真撮影はうまくいかなかったが一部を掲載します。
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琴を仕上げています。 | 手斧で削っているようにみえますが |
田植えの横には鍬をふるう男 | 機織りは女性のようです |
武具屋ですね | 餅つきの図・踊り商人ってなんだろう |
船大工です | 漁師 |
現代でいえば薬剤師さん | 碁盤を造っています |
屋根葺き職人 | お社の屋根に現代の屋根職人さんがいました。 |