野母の権現山と観音寺

梵鐘

  権現山の梵鐘
  野母漁港横から登る、権現山は標高わずか198mながら、日本の最西南端に位置し、東に天草灘、西に五島灘、南には東シナ海がひろがり眺望抜群です。山頂にある日の山神社の日の山は朝日が昇り、西の水平線に陽が沈むまで輝いている山という意味なんだそうです。そこで権現山は江戸時代以前から海外から入港してくる貿易船などの見張る遠見番所がおかれていました。   江戸時代の定書には一、遠見番は念を入れて阿蘭陀船の入津帰帆の節は早速注進仕る可き事。一、唐船の入津帰帆共に日本船に近寄り候はば早速乗りつけ相改め不審なる品、これあるに於いては、右の船差止め長崎に注進致す可き事から番所内で喧嘩口論や博打の禁止、火の用心などがあった山頂の案内板で知りました。烽火台跡も残っている。
  梵鐘(写真右上)は、表面に世界地図が刻みこまれていて、設置者によれば、この海からつながる世界平和への願いが込められたものだとあります。撞いてみると素晴らしく響きのいい鐘でした。権現山はやぶ椿が1万数千本が自生する椿の名所でもあります。


碑 力士塚

  みさき道
岬の観音と呼ばれた観音禅寺。長崎からも多くの参詣者が訪れた名刹です。長崎からの参詣道はみさき道と呼ばれ、その始点は十人町にありました。何と書いているか解らなくなった朽ちた石柱(写真左)は、その標石である。
現ダイヤランド入り口付近は、岬道の主要道であり、深堀藩の武士や参詣者で賑わい茶屋があった。今は江戸相撲や宮相撲で活躍したは力士の記念塚が建っている。

卍円通山観音禅寺のある場所の前面は脇岬海水浴場の白浜がひろがる。1300年前に行基菩薩が創建したという真言宗寺院跡。現在の建物は江戸時代に再建されたものです。ご本尊の十一面千手観音立像は毎年8月17日にご開帳されるだけである。平安時代後期のものといわれ国指定の有形文化財になっている。これほど古く大きなものは九州では太宰府の観音寺、豊後高田の真木大堂の3カ所のみと説明板にあった。
観音堂には、長崎の絵師川原慶賀(出島お抱え絵師)やその師、石崎融思が描いた天井画があります。また、長崎の商人が寄進した灯籠や本堂の鐘・太鼓などもあります。山門には大きな仁王像(写真下段)


この寺の入り口は内円外方の造りの石門です。観音堂横には大宝塔が建っています。豪潮様式の宝篋印塔です。笠の隅飾りが大きく華麗です。連座の下に第二の塔身があります。梵字の肉太なのが特徴です。
豪潮塔は天台宗の高僧・豪潮(肥後玉名の生まれ)が宝篋印塔8万4千基建立を発願し生涯に2千余基の塔を残したといわれています。中国の呉越王・銭俶が宝塔8万4千基を建立したことに因んだ発願といわれていますが、一国の王がなしたことに、高僧とはいえ個人の力でやろうとした志の高さに感服します。 豪潮塔は、長崎市内の清水寺や禅林寺などにもがあります。

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