寺町のお寺は、ほとんど1600年代はじめの創建である。奉行所は、この通りに各宗派1寺を招請した。それぞれの寺院に特色があり建築様式や柱の飾り、たとえば象や竜などあって面白い。墓碑の前にたって歴史を偲ぶのも、この通りの趣である。おいおいに充実させるつもりである。
唐寺、崇福寺のお隣さんが大光寺である。1614年には中島川沿いに創建、1660年には現在地に。浄土真宗本願寺派、5本筋塀の古刹である。広大な寺域を持つ。
山門を潜ると親鸞聖人像が立つ。本堂には風情ある石段を登る。
姿三四郎のモデルとなった西郷四郎、我が国最初の鉄橋を架け、我が国印刷業の祖にもなった本木昌三の墓がある。
崇福寺の近くに発心寺(浄土真宗本願寺派)があり裏側に回ると、(隣は大音寺)この梵鐘がある。
裾が波型でが珍しく覗くと掲示があり市の文化財とあった。それによると正統3年(中国の元号、西暦では1438年)の銘がある中国製だそうで、長崎に現存する梵鐘の中では最も古いものとある。
梵鐘の高さは170センチ、口径は78センチでさほど大きなものではない。
大音寺・晧台寺に続くのが長照寺。長崎三大寺の一つ本蓮寺開祖の弟子、日与が1631年に創建。宗派は日蓮宗。長崎の旧領主、長崎甚左衛門の弟、織部亮為英の木像が安置されています。
この寺には立派な鳥居の鎮守堂があります。お寺の中に神社がある形態は江戸時代の神仏混淆の吊残です。
水徳浄行菩薩(写真右)が境内にあります。頭から水をかけて清め、身体の悪い部分と同じ場所をさすると直るんだといいつたえられています。この寺には西川如見の墓があります。
真言宗、1616年創建。山門の門扉は、「長崎奉行所門扉《との説明書がありました。(左)
入ると直ぐに健康観音像(右)があります。昭和初期に自分の健康回復を願い10年間続けた男性が生活に規則正しいリズムを持つことで健康になり、この男性が寄進したという観音像。健康祈願に今も多くの人が参拝しているそうです。境内には88体の弘法大師像があり、ここが長崎四国八十八カ所霊場巡りのスタートになります。
延命寺の隣が唐寺・興福寺、そのお隣が浄安寺。京都知恩院の末寺。1624の創建です。山門は階上を鐘楼としている珍しいつくり。このお寺の薬師如来座像は聖徳太子8歳の折りの作と伝承されています。
本堂には大バラモンがあります。
1623年の創建。お隣、浄安寺と同じく浄土宗、京都知恩院の末寺です。本堂の屋根は2重になっていて独特の形式です。閻魔堂があり、死者が三途の川を渡り地獄の入り口で着ている着物を脱いで閻魔大王の裁きを受けますが、この脱衣役がコンコン婆さんとか。
閻魔堂のコンコン婆さんは咳や喘息に効くのだとか。
浄土真宗本願寺派、1615年、僧・浄慶が現在地に一寺を建て、1627年、西本願寺の末寺になる。新築の山門は階上を鐘楼にしています。このお寺の山門を潜るとすぐにある重層造り太鼓楼(袴造)は珍しく時代を感じさせます。
寺域に帯谷宗七の墓があります。帯谷宗七は1890年~1915年(明治23年~大正4年)西日本随一の劇場「舞鶴座《を経営しました。
「舞鶴座《は、新大工の現・玉屋のところにありました。
臨済宗・妙心寺派、開創は1644年。1800年代には異変の際の島原藩の陣屋が置かれました。
吉雄耕牛の墓がある。耕牛は阿蘭陀大通詞を努め西洋医学を学び吉雄流医学をおこし西洋医学を広めた。解体新書の序文も書いている。
境内に天台宗の高僧・豪潮が建てた宝篋印塔があります。なまこ塀、組み方の違う石塀も趣があります。