長寿の碑

08・4・25

長寿碑   新長崎年表(長崎文献社)1852年の項に、わずか一行「小島郷、セキ、長寿のため米10俵を給与される」との記述がある。
正覚寺の墓地内に、法名、浄誉壽光大姉のお墓と、その前に、この史実を記した石碑が(写真右)建っている。石碑はかなり朽ちていて判読できない部分もあるが、江戸時代、宝暦3年(1753年)生まれのセキ女が嘉永5年(1852年)100歳となり、久大和守が仰せつけ候段牧志摩守(時の長崎奉行)が、お手当米拾俵を与えたことがわかる。碑文の久大和守は幕府老中、久世大和守広周と思われる。(1851 年〜1855年老中在職) かの時代に100歳を迎えたこと自体は驚異的なことであったに違いなく幕府の耳にも届いたのであろう。長寿にご褒美が出ていることが嬉しい。今の政府や多くの自治体首名は見習うがよい。

  今から10年余も前のことではあるが、アメリカの先住民地区を訪ねたことがある。食事時のこと、最初に食卓についたのは老齢者である。ついで子どもと女性、訪問者である我々を含めて働き盛りの青壮年は最後であった。高齢者は尊敬を受け、大切にされる。これが本来の人間社会の姿である。