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長崎の洋館・南山手方面の2

居留区の土地所有権は日本側にあり、賃貸で海岸通り・平地の上等地から坂上に、中等地、下等地となり、地代は、100坪あたり上等地で現在価格で約50万円ぐらいだったようです。地代の2割は整備や清掃費に充てられていました。
居留地内は議会や商業会議所があり自治体制が整備され、外国人領事が権限を持つ治外法権となっていました。南山手は個人の住まいが多かった場所です。

南山手乙27番館(南山手レストハウス)

南山手の一番高台にある伝統的建造物の一つ、元治元年(ちなみにこの年、京都では新撰組が池田家を襲撃した年です)頃の建築で、石造外壁を持つ初期居留地時代の建築であり、石柱と木柱が併用されている独自の特徴も持ち、重要な価値のある建物です。
当時の居住者から、この建物はグラバー商会の関係者が建てたと考えられます。

祈念坂と大浦天主堂の薔薇窓

南山手レストハウス横から細い石畳の坂道、祈念坂があり、この坂に沿って下るとロバート・ウオーカー邸跡地がある。さだまさし原作の映画「解夏」(2003年公開)で主人公の実家がある場所として使用されました。
さらに下ると大浦天主堂の横手になり、教会の尖塔や美しい薔薇窓をみることができます。下りきると 諏訪神社や妙行寺(開国後すぐに英国仮領事館が置かれた)があり、神社・教会・お寺と異なる宗教が交じり合う場です。

大司教館

大浦天主堂は国宝。正式名称は「日本26聖殉教者天主堂」です。1865年2月献堂、翌3月に浦上に潜伏していた信者がプチジャン神父を訪ねてきました。日本にはいないと思われていたキリスト教徒が250年の時を超えて存在したことは「東洋の奇跡」として世界に伝わりました。(やがて慶応4年の浦上4番崩れを生むことになりましたが)
天主堂には大司教館と旧羅典神学校(国重要文化財)があります。

ゆずり葉病院別館(旧レスナー邸)

天主堂前の石畳をグラバー園方向に進み、海洋気象台上を過ぎて直に左上にゆずり葉病院別館がみえる。明治中期の建物でアーチ型の欄間飾りやイギリスから取り寄せたというタイル飾りが特徴的です。
ここにすんでいたレスナー氏は、ユダヤ系オーストラリア人でオークション業で成功しました。数々の慈善活動もおこない人望の厚い人でした。 坂本国際墓地で眠っていますが、この墓地では唯一、胸像が据えられています。

マリア園

明治31年、幼きイエズス修道会が修道院として建築。赤煉瓦の北フランス風の建物です。正面のミカエル像や聖堂のステンドグラスはプチジャン神父の贈物だそうです。増改築が繰り返されていますが今でも当時の面影を残している美しい建物でよく市民が絵を描きにきています。養育院を併設しています。

ドンドン坂と現役民家

マリア園の横の坂道は、坂のまち長崎を強く感じさせる場所。雨が降ると流れが急なので(ドンドン流れるので)ドンドン坂といいます。側溝は水流を調整するため上からU字型、次いでV字の三角溝、下では四角。居留地時代の特徴的な造りです。
この坂道沿いに今も個人住宅として使われている洋館が数軒残っていて、往事をを偲ばせています。 住宅は、だいたい同じ建築様式で、玄関上の屋根は破風造りで鬼瓦と鳥衾。欄間には透かし彫りがあり、和洋折衷です。