2005年10月20日
寺町に入り大音寺と晧台寺の間のへいふり坂を登ると楠本家の墓所がありここに、シーボルトの娘、楠本イネとその母お滝さんが葬られている。この地域は風致地区であるが、墓所に立って、改めて寺町の背面になる風頭山の急斜面が広大な墓所であることに気がついた。
シーボルトは出島のオランダ商館付きの医者だが鳴滝に私塾を開き西洋医学を伝えた。ポンペが来崎し、公的な西洋医学教育が始まる前のことである。娘おイネは、これも明治18年に公許1号の女性医師が誕生する前に事実上の最初の女性医師となった。手を合わせて、さて風頭まで登ってしまうか、寺町に下るか迷ったが、一旦下ることにした。寺町は好きな通りである。この通りには興福寺などもあるが、今日は寄り道せず、まっすぐ「龍馬通り」へ。
「龍馬通り」は深崇寺と禅林寺の間から始まり墓地をぬけ伊良林を過ぎ風頭までおよそ700〜800Mの坂と階段の道である。途中に坂本竜馬が興した亀山社中跡の建物がある。建物の中には写真などの資料も展示されていたが、今は資料は若宮神社横に移され、建物前に碑がある。さらに登りつめると風頭山公園である。この公園に長崎港を眺める大きな龍馬像がある。
長い登りを疲れさせないのは途中の休み石もあるが、「この坂で龍馬もみたか青春の夢」「よか眺め一目千両の坂のまち」「汗もまた龍馬ととものここちよさ」などの小さな看板が目を愉しませてくれるからであろう。
公園を一回りして、思案橋までバスでおりてきた。
へいふり坂
なんとも妙な名前だが漢字で書くと幣振坂である。寛永15年(1638年)諏訪神社の大鳥居をたてる為の石材を風頭から切り出して運ぶのに難儀し進まない人夫を監督が御幣を振って励まし運び出したことから、ついたといわれている。
へいふり坂は、ここと、長照寺と延命寺の間にもある。また女風頭の麓にも東本願寺横にある。