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ソロバンドック

&戸町番所

ソロバンドッグ(世界遺産登録構成資産)

長崎は近代産業の魁の地です。ここ小菅修船所跡もその一つで、国指定史跡になっています。 幕末、英国留学を経験した薩摩藩士・五代才助が家老小松帯刀や英国商人トーマス・グラバーの協力を得て建設した、我が国、最初の洋式造船所、スリップ・ドックで明治元年(1868年)に竣工しました。 小菅の入り江の海にむかっての傾斜を利用して設けられた滑台がソロバン状にみえることから通称ソロバンドック(写真左)と呼ばれました。曳揚げ小屋(写真右)は日本最古のコンニャク煉瓦づくりである。コンニャク煉瓦といわれる由縁は、通常の煉瓦より、強度が弱いからとも、蒟蒻と似た厚みだからともいわれるが、初期の国産煉瓦である。この煉瓦は、グラバー邸のキッチンの床にも使われてます。

曳揚げ小屋の中に、我が国最初の蒸気機関と大きな歯車の曳き揚げ機が残っている。 小菅修船所は完成の翌年には政府が買い上げ、対岸にあった官営長崎製鉄所(幕府の海軍伝習所付属の工場として建設された。現、三菱長崎造船所)の所管になり、その後三菱に払い下げられ、今日に至っている)

戸町番所のこと

ソロバンドック横から海岸沿いに戸町方向に向かうと戸町番所跡のバス停がある。1639年ポルトガル船の日本渡航禁止、1641年、オランダ商館を平戸から出島に移転。翌1642年、西彼杵郡戸町村のこの地と対岸の西泊に番所が設けられ、各500名が配備された。鎖国体制の一貫である。佐賀鍋島藩と福岡黒田藩、が隔年交替で長崎港入り口の警備にあたった。歴史上にも貴重な場所だが、その痕跡は乏しい。バス停に名が残っているのはせめてもの救いか。明治になってこの土地を所有した国分氏に因み、現在の町名は国分町である。