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新地蔵と唐人屋敷のこと

            2014年2月16日

長崎新地の中華街は南北・東西に各一筋の通りが有り、この通りはほぼ中央で交差する。この東西・南北には中華門があり、南門には朱雀、北門には玄武、東門には青龍、西門には白虎のそれぞれの方角を司る神獣が彫られている。ちなみに中国の五行思想によれば、東は、色では青、季節は春であり、「青春」はここから発している。南は赤と夏、西は白と秋、詩人北原白秋の名はここからとられている。北は黒と冬である。
中華門の下に見える逆さに吊るされた福の字は、中国語で「倒」と「到」はいづれも「タオ」なので、福の字を逆さにして「福が来る」という説や、福は気儘で自由奔放なので逆さにして逃げていかないようにするという説もあるようです。
新地中華街は、横浜や神戸の中華街と比べるとかなり、小さな街だが、日本の歴史、長崎の文化にとって極めて重要な場所です。

現在の中華街は、江戸時代には「新地蔵所」とよばれ、1702年に築造された、東西130m、南北90m、面積3500坪の人工島でした。唐船からの荷物は全てここに陸揚げされ、厳重な検査を受けてから、土蔵に蔵入れされました。中国人は、手回り品を持って、この島から居住区である唐人屋敷に入り、帰帆まで過ごしました。左図は、福建会館展示室掲示されている新地蔵図です。

唐人屋敷(現在の館内町)は、密貿易を防止するために、造成された中国人居留区です。1689年(元禄2年)に完成し、それまでは市内に居住した中国人は、唐人屋敷に移されました。はじめは8000坪ほど、後には9400坪弱に拡大されました。周囲は練塀、竹矢来で二重に囲い、空堀も設けられ、出入りは極めて厳重でした。(長崎奉行所に残された犯科帳には、井戸を塀の内と外に掘りトンネルを通して密貿易を行った事件の記録などが残っています。)敷地内には数十棟もの長屋が建ち並び2000名余が生活していたそうです。1868年には役割を失い唐人屋敷は解体されました。現在、空堀後の一部や、後述する、再建・復元された、中国風の幾つかのお堂などに、その名残があります。元宵節を終えたばかりのお堂には赤い蝋燭が沢山飾られていました。赤色は歓喜の色、魔除けの色とも言われます。

土神堂

唐人屋敷の中では最初に建造されたお堂。(市指定史跡)幾度か火災や老朽のため改修され戦後一旦解体されていましたが、基壇が残されており、1977年に長崎市が復元しました。この土神堂の前で龍踊りが演じられている絵が残っています。(唐館図絵巻) 土神様は、土地や家屋を守る神様で、長崎ではお墓に「土神」の碑が多く見られます。中国の土神信仰が長崎的に根付いたものと思われます。土神様は、福徳正神ともよばれています。

福建会館

福建会館(市指定有形文化財)は、唐人屋敷解体の後の1868年(明治1年)、福建省南部出身の貿易商の会所として建設されました。その後、火災で焼失し1897年(明治30年)に再建。1945年の原爆で本館は倒壊、現在残っているのは、正門と天后堂() のみ。この場所は唐人屋敷時代には、聖人堂(孔子を祀ったお堂)だったそうです。
今、福建会館の庭には中国から送られた孫中山(孫文)像が建っています。孫文は辛亥革命の指導者、長崎にも度々、訪れています。

観音堂

観音堂(市指定史跡) は1737年建立。現在の建物は1917年(大正6年)改築されたものです。お堂の中には、観世音菩薩と関帝がまつられています。この観音堂は唐人屋敷の南東詰めにあり、反対側の詰めには天后堂が立っています。唐人屋敷の両隅にお堂が設けられたのは、悪事(抜け荷)を未然に防ぐためとか。(悪事の相談は、隅でこそこそ行われるからだそうです)
アーチの石門は唐人屋敷時代のものです。

天后堂

天后堂(市指定史跡)は1736年(元文元年)、南京地方出身の唐船主たちが建立しました。現在のお堂は、1906年(明治39年)に全国の華僑の方々の寄付で建てられたもの。
航海の女神、を祀るお堂ですが、関帝や観世音菩薩も祀られています。 屋根の上に瓢箪がのっています。瓢箪は古来、吉祥物で邪気を祓うといわれており、また火除けともいわれます。

媽祖様のこと

媽祖信仰は、中国の宋の時代、福建省で生まれた民間信仰である。媽祖は航海の女神であり、唐船に積まれて航海し、寄港地で帰帆までは船から降ろしお堂に祀った。楽器を奏で、この船からお堂までの行進が媽祖行列である。長崎へやってきた唐船主や船乗りには欠くことのできない神様であったことでしょう。
天后聖母(媽祖)の両脇に侍女、その前に千里眼と順風耳を従えています。それぞれ千里先を見通し、ひそひそ話を聞き取ることのできる妖怪で、桃花山で悪事を働いていたのを媽祖が退治して家来にしたと伝承されている。

関帝様のこと

関帝は、中国三国志で有名な武将、関羽のことである。豪傑・武人である関羽は、信義に厚く、理財の才があり、かつ、そろばんの発明者といわれ、武人としてだけでなく商売の神様、財神としても信仰を集めています。 長崎の唐寺、崇福寺にも興福寺にも、関帝・媽祖が祀られています。