出島と銀座の鐘

教会 長崎にキリスト教(プロテスタント)の教会堂が初めて誕生したのは幕末の文久2年(1862年)のこと。 信徒発見で有名な国宝・大浦天主堂(カトリック教会)より2年早いのです。
明治8年には、外国人居留区となっていた出島(江戸時代開国前には唯一西洋との窓口になった場所。現在は出島の一部に19世紀初頭の和蘭商館の建造物の復元がされています)に日本聖公会の最初の聖堂である出島教会が出来ました。この教会は、その後移転しましたが、この教会に隣接し明治11年(1873年)に、建築された建物が現存します。現存する我が国最古のプロテスタント神学校(出島聖公会神学校)跡です。現在この一部に出島ボランティア・ガイドが常駐しています。(写真右上・神学校跡の建物、長崎出島)

鐘 明治11年、この建物の完成の時、英国バーミンガムで鋳造された鐘が取り付けられました。この鐘は、トーマス・グラバー氏の寄贈ともいわれています。(グラバー氏旧宅は世界文化遺産に登録されています)大正11年(1922年)雲仙岳を震源とする地震があり、鐘は落下しました。 この鐘はその後、メソジスト教会宣教師だったフランシスコ・スコット博士が買い取っています。
大正12年(1923年)関東大震災があり、この時、東京銀座教会が焼失しています。銀座教会は昭和3年に再興され、この時、取り付けられたのがスコット博士から入手した、かつての神学校の鐘で、新たに「銀座の鐘」として生まれ変わりました。
この鐘は、役目を終えたあと、銀座教会で公開されています。鐘の写真は友人にご足労をかけ送って戴きました(感謝) 日本列島、どこで地震が起きてもおかしくない。「銀座の鐘」は、そんな歴史の教訓を伝えているのかも。

目次に戻る