弁慶岩のこと

バス停 バス停は普通○○町の地名や○○前など簡明だが、何故と思う名前もある。
戸町のバイバスに入ると直ぐに弁慶岩のバス停がある。
ずっと気になっていて尋ねてみた。
バス停横を登ると弁慶岩があると教えてくれたのは4人目である。小径を登ると田上線の道路脇にでた。この道路沿いに目立たないが弁慶岩があった。さらにこの山を登ると岬道?(クリックで岬道へジャンプします)にでた。

弁慶岩 バス停からは結構な距離だ。バイパスが通るまでは山の中で、他に名前を付けようがなかったに違いない。
弁慶岩の上部には狭い洞窟があり、稲荷宮が祀ってある。この洞窟までは岩を削った石段がついている。岩の下部域にも、岩を穿った祭壇があり、稲荷やかわった地蔵などが祀られている。しかし参詣者はあまりいないようだ。
ここの守を頼まれて5年程になるという年配の元大工さんが手入れをされていたが、何故、弁慶岩とよばれるようになったのかは知らないという。

像は写真をクリックすると拡大します
台座に象がわかるかなあ 埴輪風衣装が面白い、 唇に紅をさした地蔵 釣瓶井戸横の竜神


岬道のこと
岬道は江戸時代、長崎から野母の観音堂への参詣するための路であった。始点は十人町の登り口、朽ちた標石がある。県道・小ヶ倉田上線のどこかでもそこが岬道であったという表記があったように記憶する。 弁慶岩を探す折、教えられた道を誤って上戸町から山道に入った。きつい山小道を登りはじめて直ぐに二方向の分かれにでる。左方向へ登りつめると人家にでた。二本松バス停の上である。右方向にすすむと水源地下に向かっているようで分かれ道に引き返す。
この別れで標石発見。刻まれた文字はひらがな交じりで「みさきみち」と読める。別の側面は今魚町となっている。現在の魚の町である。

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