ヨルダンでの技術協力@  

本原稿は1989年から1991年まで私がヨルダンで青年海外協力隊員として技術指導を行った時の体験記です。

「黄金の果実」大蔵省印刷局出版(定価1000円)に掲載したものを一部編集したものです。




ヨルダンでの工夫

1990年8月2日、いつもの通り勤務についた私は、職場の雰囲気の異なることに気が付いた。職場のエンジニア全員がイラクからのラジオ放送に耳を傾け、大声で騒ぎ、拍手がワークショップ中に響き渡る。

「一体どうしたのだ」と一人のチーフエンジニアに尋ねたところ「クウェートがなくなった」と、訳のわからないことを興奮しながら叫んだ。私は直ちに職場に設置されている短波受信機のダイヤルをクウェート放送に合わせた。いつもならば、軽快なアメリカン・ホッブスに乗った女性DJの声が間こえるはずなのであるが、スピーカーからは雑音しか間き取れない。一方、イラクのバクダッド放送は「クウェート併合」を何度も繰り返し放送していた。

イラクによるクウェート侵攻が始まったのは、私がヨルダンに赴任して一年がたったころであった。一瞬、中東戦争やイラン・イラク戦争のことを思い出し、寒気を感した。



アラブ人相手の仕事

私がヨルダンに赴任したのは1989年の8月。シリアでの一か月の現地訓練を終えて空路アンマン国際空港に降り立った。隣国シリアと比較して近代化された空港ビル、まっすぐに伸びたハイウェイを走る新しい日本車に驚き、首都中心部に立ち並ぷミラー張りの高層建築は、私の持つ中東のイメージを一変させるのに十分であった。

しかし、ヨルダンは日本の四分の一の国土面積、人口300万人の小国であり、近隣産油国と異なり天然資源に乏しく、多くを国外からの援助に頼っているのが実状である。国民の93パーセントはイスラム教徒であり、生活や慣習には未知な部分が多く、日本人には理解できない面もある。

日本の職場で私は主に海外向け電子装置開発を担当し、技術折衝等で海外出張も多かったが、中東のビジネスにおいては何度も痛い目にあった。上司からは「アラブ人と仕事ができるようになったらどこへ行っても大丈夫」とよく言われるくらい、お金に厳しく契約時に予断は許されない。それはアラブの歴史、イスラム教の教えから来るものと言われたが、私は、当時それらに関して何の知識も持たなかったし、興味もなかった。

そんなころ、中学生のころから参加してみたいと考えていた協力隊試験に合格し、ヨルダン派遣が決まった。当時、私はブラジルに出張中であった。上司からの国際電話で「何をいまさらヨルダンヘ」と言われたが、20代最後の二年間で彼らに対して何ができるのか試してみようと思った。アラブ人なら相手に不足はない。「複雑な環境下、一人の日本人技師として任期の二年間で技術移転を完了する」ことを達成目標として旅立ったのである。

 

私の配属先はヨルダン電力庁ナショナルコントロールセンターである。ここは首都アンマン中心部の自宅アパートから約40キロ南に位置する。パスを三台乗り継ぎ、一時間半の通勤は日本並であるが、砂漠の真ん中に建つセンターに着くまでに、数十頭の羊やラクダを率いるベドウィン(遊牧民)の姿を目にすると、自分は中東にいるのだと実感することができた。

当センターはヨルダン国内8か所の火力発電所、30か所の変電所の全ての制御監視を行う中枢施設である。私はこの一角にある通信セクションの保守・修理担当のチーフ・エンジニアとして配属された。当セクションはマネージャーのハムリを中心に、同じくチーフ・エンジニアのサイード、他に大卒エンジニア五名、工業短大卒テクニシャン10名から構成されており、年齢層は幅広い。


(
ヨルダン王立無線クラブ JY6ZZにて)



最初、職場の全員が達者に英語を話すことに幣いた。この職場では私が初めての外国人エンジニアであるのに、皆が気軽に流暢な英語で話しかけてくるのである。ヨルダンは以前、英国統治下にあったせいか英語教育にかなり力を入れている。これは、使用されている装置が西欧諸国から輸入されたものであり、マニュアル等生て英語で記載されているため、英語ができないと仕事にならないということもあるのであろう。

また、工科系大学ではテキストは全て英語のものを用いて授業が行われているという。センターの勤務時間は朝七時から夕方三時までの入時間で休憩なし、週休はイスラム体日の金曜日のみである。これまで「中東の人間は働かない」という認識でいたが、ヨルダン人は意外にも働き者だと感心した。事実、職場の連中はセンターの仕事が終った後もテレビ修理屋等で夜8時ごろまで働いているのが普通である。だが賃金の低さから見て、むしろ働かないと生活していけないと考えるのが正しいのであろう。

そんな環境下、無線通信装置の保守・修理技術指導を任務に、私の協力活動はスタートした。まずは一日も早く自分の技術力を彼らに認めてもらうことを目指した。


(
ヨルダンでTVのジャンクで自作した200W送受信機)

 

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