episoude 6
気の滝行!
 1980年代の半ば頃のことです。正月休みのある日、その日は呉ではめずらしく、朝から霙(みぞれ)の降るとても寒い日でした。

そのお昼前、私は空手の自主トレーニングで、幅3mくらいの農道を走っていました。そして両城中学校の上の方をふと見上げると、赤い旗のいっぱい建った、なんかお寺みたいな所があるなと思い、「よし、行ってみよう」と、細く急な石段を駆け上がって行きました。

 お寺の境内に着くと、やおら柔軟体操を始め、それが済むとシャドートレーニング、そして型稽古とやっていましたら、そこのご住職さん(60才くらいの男性)が出てこられました。 そして「ほほう若いの、どうじゃ今から一人滝行をやる人(男性)が来るんじゃが、あなたもやりませんか?」と勧められ、私は走って、動き回って、暑くてちょうど水でも浴びたい感じだったので、即座に「いいですねぇ・・やりましょう」と答え、男の人が来るのを待ちました。

 ほどなくして細身の40過ぎの男性が来られました。その男性に聞けば、その日の午前中に、ここ観音寺の信者さんが集まり行われた滝行の模様を、テレビニュースでやっていたのを偶々見て、「よし!自分もやってみよう・・」と決心して、すぐさま観音寺に電話され、了解を得て広島から来られたのだとか。

 お寺は正式には「両城山 聖天 観音寺」といい、天台宗のお寺で、現在新四国88ヶ所の第48番霊場となっているようです。

 そして二人はご住職に案内され、御堂内で白装束に着替えました。御堂から滝(人工で設えた滝でした)まで2〜30mありましたでしょうか、草履を履いて歩いていきました。小さな洞窟のような入口を入って行きました。その奥に滝があり、滝に着くと3〜4mほどの高さから“ドドド〜ッ”と勢い良く水が流れ落ちていました。水の落ちる中心にコンクリート製の台座があり、そこに立って滝行を行うようです。台座の回りは幅70cmくらいの排水溝となっていました。排水溝の外側に立つと、すでに汗も引いていたので、涼しいと云うより膚が少し“ぞ〜っ”としてきました。

 ご住職が「さあどうぞ」と言われ、男性が私に「お先にどうぞ・・」と言うので、「じゃあ先に行かせてもらいます」と答え、コンクリート製の台座に乗った瞬間! 頭のテッペンに滝が・・と云うより氷水が“ドドー”と落ちてきて、一気にからだの芯まで凍えきってしまいました。「さ・さむい〜 冷てぇ〜」止めて飛び出そうと思ったそのとき、目の前でご住職が「佛〜説〜摩訶般若波羅密多心経・・ぶつぶつ・・」とお経を唱えているではないか 「これって、止めて出る訳にはいかない?!」心の中で葛藤してガマンしていると、足が“ガクガクッ”はらわたが“ブルブルッ”歯を食いしばろうにも“カタカタッ”鳴ってどうにもならない。押さえよう押さえようと、我慢すればするほど震えは強くなってきました。

 それに構わずにご住職は澄ました顔でお経を唱え続けている。それを見ると少し肚が立ったのか、逃げ出したい気分を捨て、「ええ〜い 好きなだけお経を上げてろ そっちが終わるまで滝行を続けてやる!!」と、肚を決めたら震えは少しづつ治まってきました。受け入れる気持になったことで、心身の緊張が解れてきたのでしょうか。やがて無心となり、からだ(肉体感覚)も消え失せ、夢の中で心地よい春風を受け、柔らかい陽射しを受けて微睡んでいるような不思議な感覚に浸っていたように思います。そしてご住職が「もうよろしいですよ」と声を掛けられ、“ハッ”と我に帰りました。声を掛けられた時は、最高潮に“気持良いぃ〜”と感じており、もっと続けていたいと感じていたように思います。「あちらに甘酒を用意しておりますから、どうぞ・・」と言われ、滝をあとにしました。

 後で聞くと、ご住職が「般若心経を二巻あげました。」と言っておられました。時間にして4〜5分くらいでしょうか。

 衣服を着替え、私が甘酒をいただいていると、もう一人の男性が帰って来られました。そして帰るやいなや“ダダダダー”と座敷きに駆け上がってこられ、いきなり私に向かって跪(ひざまず)かれ、さらに平伏して「ありがとうございますありがとうございます!!」と何度も言われるので、こっちは驚いて、「ど、どうされたんですか?」と聞くと、「あなたが居てくれたお陰で滝行を完遂することができました。ありがとうございました。」と・・

 聞けば、滝に打たれに入った瞬間、私が感じたのと同じように震え上がったらしく、「もう逃げ出そう、もう逃げ出そうと思ったのだけど、自分の前にやったあの人が出来たのに、あの人が出来たのに・・」と、ただその一念だけで、頑張り通すことが出来たと言っておられました。

なるほどなぁ」と思うと同時に、寒い、辛いの痩せ我慢だけで頑張り通したのも、これまた凄いなと逆に感心しました。私の場合は途中から快感に変わったので、頑張り通したという感じはありませんでした。おそらく脳からうまく快感物質が出ていたのだと思います。

 天正10年(1582年)に恵林寺(甲州市塩山)において焼死した、快川紹喜(かいせん じょうき)和尚の「安禅必ずしも山水を用いず、心頭滅却すれば火も亦た涼し」の辞世を残した心情が少し理解できたかな?という感じでした。

右の岩穴の奥に滝があります。
 その滝行から10年近く経ってから、西野流呼吸法に巡り合ったのです。それからは、身体をひたすら細胞レベルで緩めるべく稽古を繰り返しました。次第に気エネルギーが膨れ上がり、研ぎ澄まされてきました。やがて体内に一切の緊張がなく、気の通り、抜けの感覚が最高の状態“カンヌケ”となっていったのでした。

 稽古中に無心で清涼感のある気の蒸気を、頭のテッペンから足裏まで流していると“ふと”過去に行った滝行のときの感覚が蘇ってきたのでした。難行苦行をせずとも、瞑想呼吸法で気エネルギーを味わい、浸りきることで、誰でも“ある境地”が得られるのです。気の稽古はそれを可能にするのです。

2016.12.26 筆