episode 8
私にとっての白幽仙人
 思い出せば、西野流大阪校行きの3回目(平成元年の春)のことだったと思います。その当時、中々仕事の休みも取れないでいた私は、久しぶりの休暇で気も早り、大阪校のある帝塚山に着いたのは、夕方の稽古の始まる2時間余り前でした。

自分でも「う〜ん ちょっと早く来過ぎたなぁ」と思い、とりあえず喫茶店でも探してコーヒーを飲みながら時間待ちをしようと、あたりを散策してみると、頃合の喫茶店が見つかりました。扉を開けて中に入ってみると、奥に細長くウナギの寝床のような喫茶店でした。ちょうど暇な時間帯なのか、中程のテーブルに1人女性が居るだけで他の客は居ませんでした。私は入ってすぐ左のテーブルに腰を下ろしました。ブラックコーヒーを注文して、新聞か雑誌でも読もうかなと思いつつ、ふと1人居た女性の方を何げに見ると、テーブルの上に置かれた西野流呼吸法『気の発見』という本が目に付きました。その女性は雑誌を見ておられました。私は引き付けられるようにその女性(お見かけしたところ私より4〜5歳上かな?という感じでした。)の前に立ち、「あのう・・こちらへお邪魔してよろしいでしょうか?」と問いかけると、女性は私の方を見上げてごく自然な感じで「どうぞ・・」と答えられました。私はコーヒーを持参し前に座らせていただきました。

「西野流の稽古に行かれるのですか?」と問いかけると、「ええ・・そうです」と答えられ、「私も広島から来てこれから稽古に行きます。」 それからは気の話になり、今ではその時に何を話したのか忘れてしまいましたが、ただ私がその当時感じていたことや、気に関する諸々を話したのだと思います。そうする内にその女性Sさんが突然、「あなたは凄い! いやあなたは凄い!」としきりに感心されたので、こちらも少し戸惑いをおぼえたのですが、「あなたならきっとこれが解ると思います。」と仰られ、「え〜?! 何でしょうか?」 よくよく聞いてみると、白隠禅師の『軟酥の行法』と云うことでした。 私は初めて聞くことなので、はてな?って感じでしたが、Sさんにいろいろと説明を受け、面白そうだからやってみようという気持になり、呉に帰ってからはくる日もくる日も説明を受けた『軟酥の行法』をやってみました。最初のうちは雲を掴むような感じでしたが、呼吸法と相俟ってエネルギー的実感が深まり、次第に軟酥の心地よさにどっぷりと浸れるようになってきました。

軟酥の行法を始めてから4年ほど経ったある日、意識で軟酥を頭の上に乗せたと思った次の瞬間、頭のテッペンから左足裏までバリバリバリ〜!っとまるで稲妻のように強烈な痛みを伴った電流が走ったのでした。かるく目を閉じていたので瞼の裏にその稲妻がハッキリと見えたのでした。その時、驚きと共に人間には空間に満ち溢れるエネルギーを意識で纏め、取り込む能力があると心底納得しました。

白隠禅師(1686〜1769)は駿河の国、原宿(現在の静岡県沼津市)の生まれ。24〜5歳の頃、過酷な禅修行の末に禅病を患い、京都の北白川の洞穴に棲む、白幽子という仙人を訪ね『軟酥の法』を伝授していただき、これを実践することによりみごとに禅病が完治したのです。後年、『夜船閑話』(やせんかんな)を書き下ろし、その中で「もしも、この法で治らない病があったとしたら、ワシの白髪首をやる」とまで言い切ったほど効力のある行法なのです。

軟酥の行法を行いながら、内臓のひとつひとつを見るように意識し、各臓器に軟酥の蒸気が染み渡る心地よさに浸りきっていると、脳から各臓器を癒すホルモンが分泌されるようです。

私もSさんに軟酥の行法を伝授していただいてから、早30年近くになりますが、殆ど毎日繰り返す中で今さらながらその効果に驚き、またSさんに感謝してもしきれない思いでいます。Sさんは私にとっての白幽仙人なのです。

2017.01.26 筆