気の巡り会い

 私と武澤塾との出会いは藤沢市のKさんを抜きにしては語ることができません。音戸の土地の件で親しくなり、面識はなく文通(30通位)にてお互いの生活をお話しする間柄となりました。その方は現在、進行性の病気にかかっておられ・・徐々に筋肉が弱る病気です。

 「呉市に空手と呼吸法を指導している道場があります。『武澤塾』と云って塾長の武澤氏は種々の厳しい修業後、呉で道場を開いた人です。私が呉に居るとき、彼は親父さんの会社で親を手伝っていたが、彼の呼吸法への熱い思いをよく聞かされた。今から15年も前のことだけど彼が夢を実現されたことを最近知りました。私が今、呼吸法に活路を見つけようと頑張っているのは、当時の武澤氏の言葉がヒントになっている。一度武澤塾を訪ねてみられてはいかがですか?身体と心がたくましくなるかも知れません。」

この手紙を受け取りすぐに先生に電話をし武澤塾へ入会しました。Kさんとの出会いがなかったら、この素晴らしい気の世界を体験することはなかったと思います。感謝の気持ちで一杯です。Kさんからの気功についてのお手紙の一文をこの場をお借りして皆様にお伝えしたいと思います。参考にしていただければ幸いです。

 「過度なるものは己に害を及ぼします。気功とは本来、己の呼吸に合わせてそれに便乗して全身に力(気)を入れかつ解除するもので、直接的に強化を目的とするものではありません。心を無にし結果として全身に酸素を配布します。人が死ぬときは呼が不足するか不可能になるために吸が行われず、その結果酸素不足になるためです。ヘソ下丹田は表面でなく腰椎のすぐ上のところにあり、そのあたりに意識を置くことが肝要です。

呼と吸この一連の動きはユックリと行われることが必要です。私は夜、床についてこの呼と吸を五分くらい横になったまま行います。かの毛沢東はやはり寝る前、フトンの上で座禅を組んで毎日毎日三十分、呼吸法を行うことが常であったと聞いています。」

 私が「時々胸が痛くなることがあります」と書くと・・・

 「呼の時にそのエネルギーが痛い所に集中する意識を持つと良いそうです。内臓は皮膚の裏返しと申しますが、痛い所のすぐ上の皮膚をやさしく手のひらでさすってやることも良いようです。古くは阿吽(あうん)の呼吸と申し、阿は呼を表し吽は吸を表します。又、阿は宇宙の始まりを意味し吽はその終わりを意味します。即ち物語りの始めは常に出が先攻します。例えば、言葉でも出入口といい出来事もそうです。即ち出という言葉はエネルギーが必要であることを意味し、入という言葉は常に出の後に存在するのです。息苦しくなったときはまず息を吐いてごらんなさい。自ずと吸が楽になりますよ。
 ひとつのことに打ち込み過ぎずにどこかで力を抜くと言いますか、にこっと笑うといいますか、アバウトなところがあってもいいですよ! 武澤塾も時々、休むくらいの怠け者でもいいですよ。」
(よく休んでいますけど・・笑)

 気功の武澤塾に通い出して二年になります。その間娘(長女)の結婚、二女の大学入学、母の死、などいろんなことがありましたが、先生からいつも教わっている「瞑想ストレッチ呼吸法」をしながらウキウキ・ワクワクとする毎日を送っています。今主人の母(同居)が痴呆になり足が不自由になってしまいましたが、明るく楽しく介護させてもらってます。フッと身体をゆるめることを努めて実行しています。
これからも武澤先生や皆様とのおつき合いはずっと続くと思います。どうぞよろしくお願いします。

 2002/05/27                               蒲原千永子