三年を振り返って
三年前(2006)、インターネットで武澤塾を知り、凄い人が呉にいるんだと思い、早速『日曜稽古』の昼からの稽古に参加し、武澤先生に指一本で跳ね飛ばされて、入塾することになったのを懐かしく思います。とは言うものの、気に関しては当初、半信半疑でした。しかし、三年と少しの月日が経った今、それが確信になりました。

今では「シュー」と一息入れると丹田、両手、両足、百会が常時、同時に反応し、最近では両肘までが反応しているのが実感できるようになりました。確実に全身に拡がっているようです。

また今年(2009)の春季セミナーでは、「何だこれは!」と言うような驚くべきことが起きました。

セミナー初日の午前の稽古でのこと。瞑想呼吸法の稽古が終わり、対気の時間になった時のことでした。
今日は人が多いので、自分の順番までには随分時間があるなあと思いつつ、いつからのことか(かなり以前から)自分の最高の状態で先生に当たりたいと思うようになり、直前まで練習するようになっていた私は、手を前に出す動作を心地よさに委せて繰り返していたら止まらなくなってしまい、40分ほどは続けていたと思いますが、突然美女の「襲撃を受け?(^_^)」動作が一時止まりましたが、しばらくして頭上から手を降ろしていく(手と身体のエネルギー反応を繰り返し繰り返し楽しみ味わう)百軟酥に変更して始めたところ、両手と身体の間の空気がかたく、大きな圧力を感じ、さらに上から手を胸まで降ろしたとき「ビシーーー!」と超合金のような硬質でクリアな気の圧力が表れて、手を身体に引き付けようとしても動かない。超合金の壁が邪魔して動かない。「何だ!これは?!」

仕方なく両手を外側に広げて行ったら、部屋いっぱいに自分の気が拡がって行くのを感じました。
あとから思ったのですが、部屋いっぱいに拡がるのは、武澤先生の編み出された
“満月の法”だと妙に納得しました。

次の日の朝、同じ動作をして確認したところ、残念ながら硬質な気の圧力は感じませんでした。でも一度きたところに大きな意味があります。

これまで身体の内部が“気エネルギー”でパンパンに張ってくる、内部の圧力は何回かありましたが、外部の大きな圧力はこの日が初めてでした。予期せぬ出来事で私にとって、とても大きな収穫となりました。

このように体験した“気の感覚”をお話していると、いいことづくめのようですが、呼吸法に関しては、悪戦苦闘の連続でした。武澤先生の長く深い息を間近で見せられて居た為、ついていかなくてはと思い、長い長〜い吐く息ばかりに気をとられ、どうしたらあのように成れるか・・試行錯誤しながら答えのみつからないまま、筋肉を使って肉体レベルでの稽古を懸命にやっていました。悪い事にこの方法でも、たまに調子のいい時があるので、「これでいける!」と勘違いをしてしまい、いつの間にか限界まで吐いては、一気に大きく息を吸ってしまうと云う、まずい呼吸になってしまいました。
一度癖がついて直すのも時間がかかり、長い間、苦しい呼吸が続いていました。どうしても力が・・微妙な力が肩に入ってしまい、それを抜くのに今でも苦労しています。
これでは本当にマズイと思い、一からのやり直しを決めて“もれてもれて・・静かに止める”呼吸をやりだしたところ、意外とうまく行きだしました。

ところで、マズイ呼吸をしながらも唯一“順調”だったのが、気感が少しづつ大きく強くなっていったことです。
稽古で先生の気を受けて帰った次の日は“エネルギー感覚”が微妙に大きくなっているのが実感できました。この“エネルギー感覚”が苦しかった呼吸法を少し和らげてくれたような気がします。
また新たなエネルギー感覚が現れると、なぜか一人ワクワクとし、楽しい気分に浸っていました。

時間はかかりましたが、トンネルを抜けてやっと今、明かりが見えて来た感じでこれからがスタート!期待できそうです(^0^)

人間の細胞は2年半から3年で入れ替わるそうですが、今区切りのその3年が経ち、又3年かけて新しい自分と出会えるよう「継続は力なり!」をモットーに稽古に励みたいと思います。

2009年春 大阪市
Y・T

言語明瞭・意味不明
2011春季気功セミナーを終えて・・

ここ1年半くらい公私にわたり忙しく、呼吸法において満足な稽古が出来ない日が続いている。
少しのもどかしさを感じながら、出来ることをするしかないと考えた結果、日常の諸動作を活用することにした。

何をするにしても“丹田”もしくは“足芯”を意識するように習慣づけた。

それは、以前の日曜稽古で仰向けに寝て呼吸法を稽古した時、いつものように立って呼吸法をするのとは違い、息が続かない! それは何故か・・「丹田が観えてないからだ!」と先生が言われたことを思い出したからである。それからと云うもの、四六時中丹田を意識した。
すると心配された気感も失われることなく、それどころか以前にも増して少しづつ“気”エネルギー的実感がアップしてきたようである。正に丹田を観る効果が出たと思っている。

ところで道場で稽古していると、瞑想呼吸法ならではの独特の表現が先生から出てくる。

先ほどの「丹田を観る」などの比較的分かりやすいものから、禅問答のようなものまである。

最初は言語明瞭・意味不明である。私の場合の一例をあげてみたい。

足裏から息を吸い上げていく時、線を明確にしたいので、引っ張り上げるようなイメージでやっていたが、先生の答えは「入るにまかせる」であった。この時点で言語明瞭・意味不明。少しのとまどいを感じつつ、どうにもならないので頭の片隅に少しおいて、普通に稽古していた。すると、何ヶ月か後に足裏がよく開く日があり、足裏が大きく開いたと思ったら、ス〜ッと自然と息が膝まで入ってきた。膝も開いてさらに太腿も開いたら、丹田までの線が明確になった。私流「入るにまかせる」が出来たと思った。それ以来、息を吸う時は息の入る道を開けてやるような感覚でやっている。ただこれが正解かどうか分からない。現時点ではベストだと思っている。

NHKで最近売り出し中の若手登山家・K氏がエベレストに登った時の喜びの表現「頭ではなく体、体の細胞が喜んでいるような気がする」とか、素潜り日本一、100m以上潜るS氏は、深海へ潜っていくときに心することは「頭をぽか〜んとする」ことだと言っていた。両者の表現は先生から稽古の中で以前からよく聞いていたので、何故か勝手に親近感を持ってしまった。

最初は言語明瞭・意味不明でも、継続して稽古していくうちに体で分かってくると面白くなってくる。まだまだ分からないことだらけですが、先生は瞑想呼吸法には「一呼吸一呼吸に感動があると言い、肉体で得られる最高の感覚がある!」と言われる。最近、ほんの少しですがソコを目指したいと思うようになってきたのです。

焦らずにじっくり時間をかけて取り組んでいきたいと思いますので、先生にはこれまで通りの御指導を宜しくお願い致します。

 2011年6月 吉日
大阪市 好範・T