「らい予防法」国賠請求事件資料の考察(第三集) 


「らい予防法(新法)」の成立前後          
――瀬戸内訴訟に被告(国)が提出した『準備書面(五)』の批判・考察――
                       

                             滝  尾  英  二
                                  協力・つむらあつこ

 は し が き

二〇〇〇年五月一六日に、被告(国)の指定代理人が提出した『準備書面(五)』は、二九七ページに及ぶ大部なものであるだけでなく、従来の内容が原告ら原告ら訴訟代理人の『訴状、準備書面』に沿って、内容項目ごとに答弁するといった枠を一歩出て、被告(国)の意見を「体系的」に述べているという点で注目される。いわば、総括的な内容をもつものといえよう。また、熊本地裁において、大谷藤郎さん、和泉真庫さん、犀川一夫さんが証言した内容を、全体を通して理解することなく、証言した一部分を切り貼りして、被告(国)の主張を「正しさ」を主張している。そして、国家官僚特有の詭弁を弄して、過去に国家が行ったハンセン病対案、及び施行について、その過ちを認めようとしない。
被告(国)の指定代理人が提出した『準備書面(五)』(二〇〇〇年五月一六日)は、冒頭において、次のような言葉ではじまっている。

「第一  は じ め に
ハンセン病対策は、その時々の医学的知見もに基づき、各国の国情踏まえながら合理的に行われるべきものである。したがって、各国の国情を何ら顧みることなく、また、後の発達した医学的知見を基準に過去の対策の当否が判断されてはならない。
被告(国―滝尾)は、この観点から、本準備書面において、ハンセン病に関する日本及び世界の医学的知見の変遷や日本の国情に応じてこれまで採られてきた日本のハンセン病対策の合理性を検討し、これが違法かつ不当なものではなかったことを論証するとともに、原告らの請求が失当であることをあきらかにする」(一ページ)。

このように述べたあと、被告(国)は、熊本地裁で証言した人々の、次のような著書の部分的引用で、過去九十年にわたってとってきた国のハンセン病患者隔離政策、人権無視の責任と、その過ちを一切、認めようとしない。被告(国)が提出した『準備書面(五)』(二〇〇〇年五月一六日)には、次のような著述の一部分を切り貼りして、国のハンセン病患者隔離政策は、」その時々の医学的知見もに基づき、各国の国情踏まえながら合理的に行われるべきものである。」と述べ、被告(国)のハンセン病患者隔離政策の「正しさ」を主張している。

@ 大谷藤郎監修『ハンセン病医学』東海大学出版会(一九九七年九月)
A 犀川一夫著『ハンセン病政策の変遷――附 沖縄のハンセン病政策』沖縄県ハンセン病予防協会(一九九九年三月)
B 山本俊一著『日本らい史』東京大学出版会(一九九三年十二月)――その後、『増補日本らい史』東京大学出版会(一九九七年十二月)が出版されたが、「増補まえがき」と「資料」が四個付け加わった程度で、記述内容は変わっていない。
C 大谷藤郎著『らい予防法廃止の歴史』勁草書房(一九九六年六月)

私たちは、慣れ親しんできた「ハンセン病」に関するこれらの著書も、その記述内容が正しいか、どうかにも、考察をしなければならない。
はじめに、今回、被告(国)の提出した『準備書面(五)』の「目次」を見ていくことにする。

第一  はじめに
第二  ハンセン病対策の変遷
 一  ハンセン病の知見
    1 定 義   
2 病型と症状  
     (一)病型分類の変遷  
(二)伝統的は病型分類
(三)最新の分類
3 感染経路
4 感染、発病
5 予後、治癒
6 日本と海外のハンセン病の重篤度の違い
7 ハンセン病に関する国際会議での決議、勧告の意味
二  ハンセン病に対する社会認識
三  日本におけるハンセン病対策
    1 「癩予防ニ関スル件」制定(明治四〇年)前の知見
(一)当時の状況
(二)当時の医学的知見             
(三)第一回国際らい会議(明治三〇年(一八九七年))
(四)法律第一一号「癩予防ニ関スル件」の制定   
      2 「癩予防ニ関スル件」改定時(昭和六年)までの知見と対策
(一)療養所の整備と大正一四年の通牒
             (二)国際的知見 
            (三)法改正
       3 らい予防法(新法)制定(昭和二八年)前の知見
            (一)国立療養所の整備と状況
            (二)無らい県運動
            (三)戦後のらい予防法の運営と法改正運動 
             (四)昭和二六年のいわゆる三園長発言
            (五)昭和七年から昭和二八年八月(らい予防法・新法制定)までの国際会
議等
             (六)日本の知見 
            (七)新法の制定
            (八)新法の要点とその合理性
       4 らい予防法(新法)制定時(昭和二八年八月)以降の知見 
            (一)国際会議など  
            (二)日本の知見           
                        (三)新法制定後の入所者の状況
                        (四)外来治療中心の医療について
                        (五)法改正及び法廃止運動 
   第三  被告の主張
    一  療養所の存在意義と法廃止
     二   差別と偏見の状況
    三  入所者への補償の状況
 四  強制隔離政策がとられていなかったことについて
 五  社会復帰の困難性について

以上が、この度、岡山地裁(瀬戸内訴訟)に提出された被告(国)の提出した『準備書面(五)』の「目次」である。本小冊子は、紙幅の制約もあり、『準備書面(五)』の「目次」でいうと、3―(四)から(八)まで、を直接に批判・考察をしたいと思う。副題として、「――「らい予防法(新法)」の成立前後 ――」
としたのは、そのためである。         


第一章 厚生省の国家官僚と全患協代表の『会談速記録』

一九五三年八月九日から八月十三日まで、厚生省二階会議室に於いて、厚生省の国家官僚と全患協代表の『会談速記録』(全患協事務局編)によって、なにが論議されたんのかを、先ず見ていこうと思う。

一九五三年八月六日、参議院本会議で「らい予防法(新法)」改正案が可決・成立し、同月十五日、法律二一四号「らい予防法(新法)」が公布される間、全患協陳情団は、八月九日から十三日まで、厚生省交渉を行っている。大谷藤郎著『らい予防法廃止の歴史』勁草書房(一九九六年六月発行)一五四〜一五五ページには、そのことに関して、「どちらが本当に正しかったか――厚生省と患者代表の記録」の一節で、次のように書いている。

「以上述べてきた新法(現行らい予防法)制定反対運動の経過は、すでに述べたように簡単に推移したものではなかった。詳しくは運動に携わった患者さん方自身の手になる。『全患協運動史』(全患協、一光社、一九七七年)に譲るので、それをお読みいただきたい。
 しかし、どうしてもここに紹介しておきたい全患協事務局編のガリ刷(孔版以外のも、タイプ印刷もある。膨大な速
記録を手分けしてつくれ、ワラ半紙に印刷されている――滝尾)の貴重な記録が残っている。
八月一日に、新法が参議院を通過してしまったが、なお諦めきれない患者陳情団は参議院裏に座り込んでいた。八月になって異動して、百十名が厚生省に座り込んで厚生大臣に要請書を提出して回答を求めた。以下の記録は八月九日双方で話し合いを行なうことにつき了解が成立し、八月一〇日よりつぎのようなメンバーで話し合いが持たれた会談内容を全患協事務局が書きとめた歴史的なものの一部である」

 大谷藤郎さんが「全患協事務局が書きとめた歴史的なもの」という『厚生省会談速記録』を、私はぜひ見たいと思っていた。熊本地裁で行われた「らい予防法」違憲国賠請求事件の公判を傍聴するため、私は当日、熊本におもむいた。五月十一日の午前十時から開廷された公判は、午後六時まで行われた。公判終了後、菊池恵楓園に入所されている原告の志村康さんたちと、マイクロ・バスに乗り、恵楓園に行き、志村さん宅で夕食をご馳走になった。その夜は、宿泊所へ泊めていただいた。

翌朝、ハンセン病の歴史に詳しい入江信さんを訪ねた。入江さんに案内されて、菊池恵楓園の自治会資料室にある膨大で、貴重なハンセン病に関する資料を見せてもらった。一九五三年の「文書綴り」の中に、かねてから見たいと思っていた『厚生省会談速記録』が綴り込んであった。B4判のわら半紙に孔版(ガリ刷り)やタイプでぎっしりと書かれた『会談速記録』が、三十三枚(刷られた裏面も含めて)もあるではないか。この『厚生省会談速記録』は、「らい予防法(新法)」の成立過程及び、それについての国家(厚生省)官僚の対応、それに全患協運動に関する第一級の資料である。入江さんのご好意で同資料を複写することが出来た。原告を支援する者として、この『厚生省会談速記録』をもとに、「らい予防法(新法)」の成立前後の事実を、「らい予防法」国賠請求事件資料の考察(第三集)として、書き残したいと思った。
 
帰宅後、菊池恵楓園の自治会資料室で入手した『厚生省会談速記録』を読んでみると、かなりの抜け落ちているページがあることが、分かった。しかも、後述するように、大谷藤郎著『らい予防法廃止の歴史』「らい予防法」成立に関する内容についてみても、問題が多い本である。しかも、それが今なお、ハンセン病国賠訴訟西日本訴訟や、同「瀬戸内」訴訟でも用いられ、公判においてそれが通用している。大谷藤郎著『らい予防法廃止の歴史』の問題点は、是非、これを明らかにしなければならないと思った。
そのためには、菊池恵楓園の自治会資料室で入手した『厚生省会談速記録』の欠落している箇所を補って、より完全なものにしなければと思った。多磨全生園の山下道輔さんに依頼して、同ハンセン病図書館にある『厚生省会談速記録』を探してもらうことにした。翌々日に「速達便」で山下さんから送られてきた『厚生省会談速記録』は、B4判で五十七ページの大部なものである。菊池恵楓園の自治会資料室で入手した『厚生省会談速記録』は、かなりの部分が欠落して部分がこれで埋まる。ただし、恵楓園のものは「原本」の複写本でないためか(おそらく、全患協事務局から当時、送られたままのものであろう)、印刷は鮮明で読みやすい。其の点、全生園のものは「複写機」の古い時代に原本からコピーしたものか、印刷が不鮮明で、とくにタイプ印刷した箇所のところは、判読が困難であった。恵楓園のものと全生園のものを資料とすれば、『厚生省会談速記録』がより正確に理解できると思えた。

「らい予防法」成立に関する内容を知る資料としては、全国ハンセン氏病患者協議会編『全患協運動史――ハンセン氏病患者の闘いの記録』一光社(一九七七年)や、全国ハンセン病患者協議会編『全患協ニュース(一号〜三〇〇号)縮刷版』(一九八七年)があり、また、一九七〇年代から八〇年代にかけて作られた「各療養所自治会史」にも書かれている。全日本国立医療労働組合編集・発行『白書・らい』(一九五三年七月)も、B6判で四十七ページの小冊子ではあるが、「らい予防法」成立する直前のハンセン病患者の実
態や、療養所の問題点などを知る上で貴重である。この『白書・らい』は、「皓星社ブックレット@」の『シンポジウム・「らい予防法」をめぐって』(一九九四年)の付録として、収録されている(五五〜八一ページ)。このブックレットの「冒頭」で、高松宮記念ハンセン病資料館館長・藤楓協会理事長の大谷藤郎さんは、資料として収録した『白書・らい』について、次のように述べている。

 本書の第二部『白書らい(全医労)』は一九五三年に発表されたものであり、著者は不明であるが、またごく一部においてはなお古い説も含んではいるが、全体として今日の正しい認識と同じである。すなわち伝染は微弱であり、治癒は可能であることを認め、人間的処遇の必要性を訴えている。当時において、すでにこのような見解があったことを証明するものであり、この見解によれば現行法のような終身隔離法は制定できるわけはなかった。どうして当時の国会でそのような現行法の成立となってしまったのか。本白書の再登場はそれ以来四〇年間法律が放置された責任を問うているようにさえ思える。歴史的視点において読んでいただきたいと思う。そうして私たち一人ひとりの良心に問いかけていることに思
いをいたさなければならぬと思う(六ページ)。

 「この『白書・らい』は全国国立医療労働会が一九五三年七月二〇日に編集・発行したものです。」(「皓星社ブックレット@」八一ページとなっているが、「全国国立医療労働会」ではなく、「全日本国立医療労働組合」の誤りである。大谷さんは「著者は不明である」と述べている。陳情団側のオブザーバーとして、
全医労から「亀山氏」が出席している。陳情団側の一人として、全患協と厚生省との会談に加わった曾我野一美さんは、私の質問に答えて、「全医労の亀山さんと渡辺さんが、全患協の運動に力になっていただいた。亀山さんは、全患協と厚生省との間に入って、調整の労をとってくださった」と、話された。『白書・らい』は、こうした人たちによって、書かれたものではなかろうか。
私は、大谷藤郎さんが「全患協事務局が書きとめた歴史的なもの」という『厚生省会談速記録』の会談内容を、『らい予防法廃止の歴史』で読みながら、不満をもたざるを得なかった。そのことについて、述べてみたい。

第一は、八月九日から八月十三日までの厚生省と全患協代表との「会談の出席者」として、『厚生省会談速記録』の最初のページに明記される厚生省側の人名、十一名のうち「梅本整備課長、実本管理課長、小沢庶務課長、宮島事務官、佐分利技官」の五名の名前は「其の他」と書かれ、出席者名から、名前が外されていることである。そして、『厚生省会談速記録』記載の「其他」の文字は、消されている。
全患協側からの「出席者」二十八名は、(現在も存命中の人を含めて)全員の名前が書かれている(『らい予防法廃止の歴史』、一五五ページ)。プライバシーの問題で、「梅本整備課長、実本管理課長、小沢庶務課長、宮島事務官、佐分利技官」の五名の名前を、消したわけではあるまい。厚生省側の「出席者」は、公人であるはずである。プライバシーの問題で、名前を消すのなら、全患協側からの「出席者」の名前ではあるまいか。「梅本整備課長、実本管理課長、小沢庶務課長、宮島事務官、佐分利技官」の五名の名前を、『らい予防法廃止の歴史』の出席者名から消した理由を、大谷さんからお聞きしたい。

第二の問題は、会談速記録からも、厚生省側の発言者の名前も、特定の人物はイニシャルになって、意図的に名前を伏せていることである。全患協側からの「出席者」の発言者にイニシャルはない。
会談中、六度も発言が『らい予防法廃止の歴史』で紹介されている「○Y」は、山口(正義)公衆衛生局長のことである。(同書によると、質疑の概要のうち、「○印は厚生省側」のことである。)「ライ予防法の施行に関する疑義について」の第四項「伝染力の医学的立証並びに伝染した事例を挙げて頂きたい。」及び、第五項「警察が患者の外出を取締りこれを罰する理由」を議論するとき、山口公衆衛生局長が答弁しているが、その実名が、『らい予防法廃止の歴史』には、伏せられている。しかも、大谷さん自身も、厚生省担当者(出席者)の対応について、次のように云っている。 

「以上の全患協と政府側との直接のやりとりを読めば、政府関係者はプロミンを初めとする化学治療の進歩について過小評価しており、戦後の基本的人権確立の意識も弱く、古典的伝染説を間違って信じたまま、戦前の絶対隔離を中心とすう管理取締り体制をそのまま維持しようとしていたことはあきらかである」(大谷藤郎著『らい予防法廃止の歴史』、一八三ページ)。

『らい予防法廃止の歴史』の一七五〜六ページに出てくる「○U」は、梅本整備課長のことである。一六四ページと一七五ページの「○M」は、宮島事務官の発言である。何故、大谷藤郎さんは、厚生省の国家官僚である「先輩」たちの、らい予防法に関わる発言を庇うのだろう。その厚生省官僚の人物名を、なぜ隠すのか。国家官僚であり、厚生省の高官であった大谷さんも、同じ厚生省官僚の発言を意図的に(略)してしまうという。そういえば、財団法人藤楓協会は、厚生省退職官僚の「天下り」場所ではないのか。『厚生省会談速記録』に、出席して中心的に発言している聖城結核予防課長は、退職後、財団法人藤楓協会の理事長となっている。その後任者が藤楓協会の現理事長、大谷藤郎さんである。

第三の問題は、大谷藤郎著『らい予防法廃止の歴史』(一五九〜一八二ページ)に、記載されている『会談速記録』の一部には、会談内容が記述されている。その内容を見ると、「(略)」とか、「以下略」とか書かれている。(省略)は、紙幅の関係からであろうか。また、『厚生省会談速記録』には、日時が詳しく記録されている。しかし、『らい予防法廃止の歴史』には、日時が書かれていないうえ、会談の日が違う内容が「以下略」と書かれて、つながた文として記述されていて、正しく読むことが困難である。この点も、後ほど指摘したい。
 今回紹介するこの『厚生省会談速記録(一九五三年八月九日〜八月十三日)』は、入江信さんのご教示によって、見ることができたものである。また、多磨全生園の資料室から『厚生省会談速記録』全文を「速達便」で、送っていただいた山下道輔さん、なによりも、このお二人に感謝を申しあげたい。『会談速記録』の巻末には、「膨大な速記録であった為、タイプ、孔版を手分けして行なひましたので、大変読みずらいと思います。悪しからずお許し下さい。」と書かれてある。さらに、菊池恵楓園の一ページ目には「製本、脱落があるため余分に御送付申上げます。御活用下されば幸いに存じます。」と墨書してある。B4判のわら半紙(裏表に刷られたものもあり、半ページのものもある)に刷られた『厚生省会談速記録』を、精魂込めてつくられた多くの皆さまに、お礼を申上げたい。
 大谷藤郎さんが言われているように、この資料は「貴重な記録」であることには、間違いない。私たちに『厚生省会談速記録』を約半世紀間残してくれた方々の努力に感謝するとともに、この「貴重な記録」の復刻が、「らい予防法」人権侵害謝罪・国家賠償請求事件で、被告(国)が主張する「歴史の欺瞞性」を告発する資料になってくれることを、祈らざるを得ない。

(備考) 読む人の便宜を考えて、発言者の後にその人の所属を( )の中に入れた。大谷藤郎著『らい予防法廃止の歴史』に収録してある箇所には、* 印をつけておいた。原則として、大谷藤郎著『らい予防法廃止の歴史』に収録してある箇所は、重複を避けて、収録をひかえた。本冊子には原文通り(誤字)とし、仮名遣いも、あえて統一しなかった。なお、この資料の読者は、くれぐれも人権問題に注意されて、利用されることを切にお願いする。

 全患協代表と厚生省幹部との会談で、大きな会談の柱になったのは、全患協が厚生大臣に対する十項目に及ぶ「回答の要求項目」と、十三項目からなる「らい療養所の向上のための諸施策」実施に対する大臣の要望書である。その内容は、『厚生省会談速記録』(「多磨全生園」版)には、収録されているものだあり、それに依った。この要望書は、大谷藤郎著『らい予防法廃止の歴史』勁草書房の一五五〜一五九ページにも収録されている。先ず、一九五三年八月三日、厚生大臣に提出した「要請書」を見ていくことにする。

T「ライ予防法の施行に関する疑義について」

左の各項目につき、大臣の御所見をお伺い致したい。
一 入所勧奨の具体的方法及びその程度、即ち勧奨方法の限界点を如何なる方法で定められるのであるか。
二 命令を発してこれに従わないものがある場合、如何なる措置をなすか。
三 強権の発動は如何なる者に対して行うか。又強権を発動して入所させた患者が無断退所した場合勧奨の手をつくすのであるか、或は無断外出に対する罰則を直ちに適用するのであるか。拘留及び科料の処分後その身柄はどうするか。
四 伝染力の医学的立証並びに伝染した事例を挙げて頂きたい。
五 警察が患者の外出を取締りこれを罰する理由。
六 公務員の消毒方法を具体的にしめして頂きたい。(秘密漏洩にならない方法)
七 入所勧奨に当る係員及び保健所員に療養所に於て一定期間講習することを確約されたい。
八 患者又はその家族の希望に応じ療養所の見学をさせる。費用はすべて国庫負担とする。上記の方法は、入所勧奨に対し、極めて有効であると思うが如何。
九 指定医師の診察に依って惹起する家族検診の被害を防止するために「患者と疑うに足りる相当の理由がある者」を世人の噂又は医師の主観に依らずに、そめ科学的測定の具体的方法を施行規則に規定し、家族及び患者の強制検診をなさしめぬようせられたい。
十 所内の秩序維持のための所長の患者に対する戒告謹慎は如何なる場合にこれを適用するか。具体的に示されたい。
 
U「ライ療養所の実質的向上のための諸施策について」         

左の各項目の施策の実施につき、大臣の責任ある御回答を要請する。
 一 医師看護婦及び現業職員の増員並びに待遇改善について     
1 全国々立ライ療養所患者定員一二、五〇〇名に対し、医師看護婦並びに司厨夫の定員を左のよう
  に増員すること。
 A 医師(歯科医師を含む)患者二十五名につき医師一名……五〇〇名        
   重症者二、五〇〇名、患者二十五名につき医師一名(国立病院と同率)
   その他一〇、〇〇〇名、患者四十名につき医師一名(結核と同率)
   (現行は約一〇〇名につき一名)
 B 看護婦(看護士を含む)……患者十名につき一名……一、一二五名
   重症者二、五〇〇名、患者四名につき看護婦一名……六二五名
   その他一〇、〇〇〇名、患者二十名につき看護婦一名……五〇〇名
   (現行は三〇〜四〇名につき一名)
 C 附添婦(重症者二名につき附添婦一名……一、二五〇名)
   重症者二、五〇〇名に対し附添婦一、二五〇名で三交代制とする。
   (現行は患者で附添っている)
 D 司厨夫 患者四〇名につき一名……三一〇名
   (現行は数十名につき一名)
2 営繕、機罐等の現場職員を増員すること。
 A 営繕手(機罐を含む)家屋建坪二百坪につき一名
 B 洗濯消毒等衛生面の作業に要する人員患者五〇名に対して二名……二五〇
3 ライ療養所に勤務する職員の待遇を改善すること、最高率の特殊勤務手当が支給される様予算的措置を講ずること。
二 患者作業の改善並びに作業慰労金の増額について
 1 ライ療養所に於て現在患者が負担している作業種目中、左の業務は職員に転移させ患者の労務過 
  程を軽減する。
  A 看護面、重病棟及び不自由室看護一切
  B 治療面、治療手伝一切、薬配、薬瓶回収
  C 給食面、炊事配食一切
  D 衛生面、洗濯、消毒、ホータイ再生一切、死体処理、糞尿処理
  E 営繕面、木工、鉄工、土木、電気、汽罐、義足修理
  F 教育面、学校教師
 2 作業慰労金を大幅に増額せられたい。
三 慰安金の増額
四 文化教養費の予算計上
   一人(単位)年額三千円以上は必要である。
五 家族の生活援護のための年金給付
六 食費の増額
七 国立ライ研究所の設立
八 増床を含む医療施設設備計画を具体的に示されたい
九 保育児童施設の充実と児童の待遇改善
十 高等学校の設立の具体案
十一 義足、義歯の製作費の増額
十二 退所者福祉資金の設定
    退所直後の生活を保障するための援護資金制度の設定
十三 職業補導の具体案
  
さて、一九五三年七月四日の『官報』号外は、「第十六回国会衆議院会議録第十七号」で、「らい予防法案」が衆議院で可決することを伝えている(二四二〜二四四ページ)。次に、『官報』号外で、「らい予防法」が第十六回国会で、可決していく過程をみていくことにする。資料として、「衆議院会議録第十七号」には、「らい予防法案」(政府提出)が記載されたのち、次のように記載されている。

〔小島徹三君登壇〕 (小島徹三は、衆議院厚生委員長である。――滝尾)
○小島徹三君 ただいま議題となりましたらい予防法案につきまして、厚生委員会における審議の経過並びに結果の大要を御報告申し上げます。
 現行の癩予防法は明治四十年に制定せられ、その後数次の改正を加えて参つておりますが、現在の実情にそぐわないと認められる点もありますので、これに対し全面的に予防措置を講ずるとともに、患者及びその家族の福祉について万全を期するため新たに癩予防法を制定しようというのが、本法案提出の
理由であります。
 本法案のおもなる内容について申し上げますれば、第一は、都道府県知事はその指定する医師をして癩患者またはその疑いのある者を診察させることができることとすることであります。
第二は、癩を伝染させるおそれのある患者に対し、まず勧奨により本人の納得を得て療養所に入所させることを原則とし、これによつて目的を達しがたい場合に入所を命じ、あるいは直接入所させる等の措置が第二次的にとられることとすることであります。第三は、療養所に入所している患者は、癩予防の見地から、特別の場合のほかは当該療養所から外出してはならないようにすることであります。第四は、入所患者が当該療養所内の秩序を乱した場合に、一般の施設と同じく退所の処分ができないので、所長が秩序維持の手段として戒告または謹慎の処分を行い得るようにすることであります。第五は、患者及びその家族の福祉をはかり、あわせてこれにより癩予防対策の円滑な推進をはかるために、患者及び家族の福祉措置についての規定を設けることであります。
 本法案は、六月三十日本委員会に付託せられ、七月二日政府より提案理由の説明を聴取し(「らい予防法案」は内閣が提出した――滝尾)、同三日及び四日審査を行いましたところ、患者及びその家族の福祉、癩に対する啓蒙、療養所内の秩序維持、入所手続、外出の制限等に関し、委員と政府との間にきわめて熱心なる質疑応答が行われたのであります。
 かくて、本日質疑を打切り、討論に入りましたところ、自由党を代表して青柳委員、改進党を代表して古屋委員、自由党を代表して亘委員より、それぞれ希望を付して賛成の意が述べられ、日本社会党を代表して堤委員より、それ反対の意見が述べられたのであります。討論を終了し、採決に入りましたところ、本法案は多数をもつて原案通り可決すべきものと議決した次第で次第でございます。なお、詳細は速記録で御承知願います。
 以上御報告申し上げます。
○ 議長(堤康次郎君) 採決いたします。本案の委員長報告の通り決するに賛成の諸君の起立をます。    
   〔賛成者起立〕  
○ 議長(堤康次郎君) 起立多数。よつて本案は委員長報告の通り可決いたしました。(拍手)

「らい予防法案」が衆議院で可決された一九五三年七月四日から約一ヵ月後の八月六日の『官報』号外は、「第十六回国会参議院会議録第三十五号」で、「らい予防法案」が参議院で可決することを伝えている(七七五〜七八二ページ)。「参議院会議録第三十五号」には、「らい予防法案」が可決したことについて、次のように記載されている。

らい予防法案
右の内閣提出案は本院においてこれを可決しました。よって国会第八十三条により送付する。
昭和二十八年七月四日
     衆議院議長 堤 康次郎
参議院議長河井弥八殿
(その後、「らい予防法案」が記載された後、次のような記載がなされている。〔堂森芳夫君登壇、拍手〕とあり、まず、厚生委員会委員長堂森芳夫が、戦傷病者戦没者遺族等援護法の一部を改正する法律案に報告をする――滝尾)。

○ 堂森芳夫君 ……次に、らい予防法案に関する報告を申上げます。
「らい」は、慢性の伝染性疾患でありまして、一たびこれにかかりますると根治することが極めて困難なる疾患であります。これは公衆衛生の立場からも、又公共福祉の面からも、極めて重大な問であるばかりではなく、患者は勿論、その家族がこうむります社会的不幸は測り知れないものがあるのであります。この「らい」の予防を図りますために明治四十年に癩予防法が制定され、爾来この法律によって、「らい」の予防施策が実施されて参つたのでありまするが、何分この法律は約五十年前の制定に係るものでありますため、その後、数次の改正を加えてはおりますものの、今日の実情にそぐわないと認められる点もありますので、これを全面的に改正したらい予防法を新たに制定しようとするものであります。この法案の主なる内容は、おおむね次の通りであります。
 第一は、「らい」を伝染させる虞れのある患者に対し、先ず勧奨により、本人の納得を得て療養所へ入所させることを原則とし、これによつて目的を達しがたい場合に入所を命じ或いは直接入所させる等の措置がとられることとなつております。
 第二は、療養所に入所しておる患者は、「らい」予防の見地から法令により出頭を要する場合を除いては、当該療養所から外出してはならないこととしております。
 第三は、入所患者が当該療養所内の秩序を乱しました場合、これについて一般の施設におけると同じ退所の処分を行うことができませんので、所長が、秩序維持の手段として訓戒又は謹慎の処分を行い得ることとしてあります。
 第四は、患者及び家族の福祉を図り、併せてこれによって「らい」予防対策の円滑な推進を図りますために、患者及び家族の福祉措置についての規定を設けております。その他「らい」の予防に関しまして必要な規定が設けられております。
 厚生委員会におきましては、直ちに「らい」に関する小委員会を設置し、法案を付託してその慎重審議を期しました。
 小委員会は七月九日以来熱心なる審議を重ねること十二回、この間、或いは多摩(磨)全生園に出張して親しく患者の意見を徴し、或いは本委員会に移して参考人の意見を聴取する等、これが討議に全力を傾倒したのであります。又、厚生委員会におきましては、本問題の基本的事項について熾烈なる追及が行われ、厚生大臣は、患者家族の生活援護については、生活保護法とは別建の国の負担による援護措置を定め、昭和二十九年度から実施することに努力することに努力する、国立の「らい」に関する研究所を設置することについても、同様、昭和二十九年度から着手したいとの言明がありました。
 かくて質疑を打切り、討論に入りましたところ、藤原委員より社会党第四控室を代表し、本案に反対の意を表せられ、患者の人権尊重、福祉に対する考慮がなく、職員の特殊勤務にも措置がなく、法案全体を通じて何らの進歩的な面が見られないとの発言がありました。有馬委員よりは改進党を代表し参意を表せられ、治療の万全を期し、予防の徹底を期するため、患者に対する入所の建前をとらなければならないが、その手段方法についての欠陥は改善に努力すべき旨が要望されたのであります。山下委員よりは社会党第二控室を代表して反対の意を表せられ、本案は取締り強化的のものがその正体であり、国家の「らい」対策の責任が不明で、人権擁護の点も希薄であると述べられました。大谷委員よりは自由党を代表して賛意を表せられ、鬼手仏心の立場から患者の療養を考慮しなければならないが、自由の制限と家族の生活援護については附帯決議の実現に期待するとのことでありました。常岡委員よりは緑風会を代表して本案に賛意を表せられ、不満ながら旧法より一歩前進しておることを認めるが、なお改善に努力すべきことを念願するとのことでありました。高野委員は本案に賛意を表し、本病の根絶について、医学、薬学の研究を更に助成すべき旨を強調されました。
 討議を終結し、採決に入りましたが、多数を以て衆議院送付案の通り可決すべきものと決定いたしました。
 なお、常岡委員より次の附帯決議を附すべき動議が提出され、採決の結果、全会一致を以てこれを採
択することに決定いたしました。附帯決議を朗読いたします。
    附帯決議
一、 患者の家族の生活援護については、生活保護法とは別建の国の負担による援護制度を定め、昭和
二十九年度から実施すること。 
二、国立の「らい」に関する研究所を設置することについても同様昭和二十九年度から着手すること。
 三、患者並びにその親族に関する秘密の確保に努めると共に、入所患者の自由権を保護し、文化生活 のための福祉施設を整備すること。
 四、外出の制限、秩序の維持に関する規定については、適正慎重を期すること。
 五、強制診断、強制入所の措置については、人権尊重の建前に基き、その運営に万全の留意をなすこと。
 六、入所患者に対する処遇については、慰安金、作業慰労金、教養娯楽費、賄費等につき、今後その増額を考慮すること。
 七、退所者に対する更生福祉制度を確立し、更生資金支給の途を講ずること。
 八、病名の変更については十分検討すること。
 九、職員の充実及びその待遇改善につき一段の努力をすること。
  以上の項目につき、近き将来、本法の改正を期すると共に、本法施行にあたつては、その趣旨の徹 底、、啓蒙、宣伝につき十分努力することを要望する。
  以上御報告いたします。(拍手)

 その後、藤原道子が日本社会党(左派)を代表し、また、加藤シヅエが社会党(右派)を代表して、「らい予防法案」の政府原案に反対する演説を行っているが、省略する。加藤シヅエは、「……委員長報告によりますところの九つの附帯決議事項を支持いたし、その決議事項の内容が、政府当局が厚生委員会におきましてなされた答弁のごとく、忠実に施されることを要望し、且つ、早い機会にこの項目を骨子に織り込んだらい予防法の改正案が問題にされることを望むものでございます。(拍手)」と発言している。
 「考察」の項で、詳細に私の意見を述べたいと思うが、少なくとも、「近き将来、本法の改正を期する」という附帯決議はまったく無視され、実行されずに、一九九六年四月一日の「らい予防法」の廃止まで、実に四十二年七箇月の間、改正されずに存続したのである。

一九五三年八月六日(木)、曇り時々驟雨。午前十一時三十五分、全医労より厚生省に座り込んでいた全患協の人たち、電話連絡あり。ライ予防法案は午前十一時三十分、参議院本会議を通過した。陳情団一同無念の涙をのむ。直ちに各支部に打電。    
「六日十一時法案通過した。会員一六〇名厚生省に坐り込み中。各支部は坐り込みと、県への陳情を解き、抗議大会を開き、以後既定方針で進め。本部。」
「らい予防法」の附帯決議について、当時の『全患協ニュース・第三十一号』(一九五三年九月一日)の二面は、「附帯決議」を全文掲載して、次のように書いている。
 
参議院に於ける「らい予防法案」の審議は、廣瀬久忠(緑風)を委員長とする小委員会を設け慎重審議したが、八月一日厚生委員会に於て、九項目の附帯決議を附して原案のまま通過した。附帯決議には満場一致賛成、原案には左右社会党、が反対した。更に八月六日午前十一時三十分、参議院本会議で同様、附帯決議を附して原案が起立多数で可決成立した。賛成」したのは自由、改進、緑風、反対は社会党左右両派、労農、共産であり、他の諸会派は傍聴席からは確認することが出来なかつた。
 
「らい予防法」の成立直後の八月九日から十三日、全患協代表と厚生省主脳部との会談が実現した。(その会談は、厚生省側の「全患協」説得作であったことついては、藤野豊著「『いのち』の近代史」(七六)、『多磨』一九九八年五月号に書かれている。)全患協事務局が作成したこの時の『厚生省会談速記録』に基づき、先ず、その内容を明らかにしたいと思う。
    ――――――――――――――――――――――――――――
厚 生 省 会 談 速 記 録                        
      昭和二八年(一九五三年―滝尾)八月九日――八月一三日八月九日
            於 厚生省二階会議室                   
                       全患協事務局編
出 席 者                       
【厚生省側】 曽田医務局長、山口公衆衛生局長、高田医務局次長、小山官房総務課長、聖城結核予防課長(注・聖成稔である。大谷藤郎著『らい予防法廃止の歴史』の全患協事務局編『会談速記録』には全ページとも「聖成」となっている。本冊子は『会談速記録』の「聖城」の記述のとおりに、「聖城」とした―滝尾)、斉藤療養所課長、梅本整備課長、実本管理課長、小沢庶務課長、宮島事務官、 佐分利技官、其他
【全患協側】 本部常任委 未本・加賀美・鈴木八・鈴木与、   事務局 光岡・湯川、  
松丘支部 土田・工藤、  栗生支部 栗田・杉野・志村、  
多磨支部 近藤隆・沖・近藤兼・盾木、  駿河支部 田中・小泉、
       長島支部 浅田・正岡、  大島支部 曾我野・山本、  菊池支部 増・荒木、
       星塚支部 谷山、   書記 浅野・羽鳥・佐川・名嘉、
(墨書)「製本、脱落があるため余分に御送付申上げます。御活用下されば幸いに存じます。」     

【滝尾―注】この「会談速記録」の一部は、大谷藤郎著『らい予防法廃止の歴史』(一五九〜一八二ページ)に、記載されている。前述したことだが、「梅本整備課長、実本管理課長、小沢庶務課長、宮島事務官、 佐分利技官」の五名の名前はすべて消されており、「其他」は、「其の他」として、書き換えられている。大谷藤郎著『らい予防法廃止の歴史』の「会談速記録」には、「全患協側」の発言者は、すべて名前が書かれているのに対し、「厚生省側」の発言者の何人かは、イニシアルとして書かれている。例えば、「伝染の医学的実証はあるのか」などの(大谷藤郎著『らい予防法廃止の歴史』、一六四〜一七一ページ)には、「○Y」と書かれた人物は、山口公衆衛生局長である。


            まえがき
     此の度のらい予防法改正促進運動の最後の頂点であつた八月十日
    より十三日に至る、厚生省主脳部と患者代表との会談の速記録を茲
に公表します。
 これに先立つて、この記録の理解に資するため、右会談に至るま
での経緯を次頁に簡単に記してまえがきとします。


七月三十日 各支部代表及事務局二十名、多磨支部二十名、計四十名が第四次国会陳情を行う。参議院第三通用門前に坐り込み開始。参院では予防法の審議最終段階に近づく。

(『全患協運動史』一光社、五八ページより。……三十日未明、第四次陳情団四〇人は分散して武蔵野、西武両線の各駅から国会へ向った。一応、議員面会室に入ったが、夕刻六時を期して参院第三通用門前に坐りこむことが事前に決定されており、菊池から五人、栗生から一三名、駿河から一〇人、多磨からさらに二五人夜半までに着いたのをはじめ、翌朝その多磨から続いて三〇人、松丘からも三人の増援が送られ、午前九時四〇分には約一三三人に達した。)

七月三十一日 参院の陳情団に対し、強制収容の危機濃厚との報に、多磨支部では五十名を増援すると同時に、在園者二百七十名が大挙出動し田無街道を南進、田無町附近にて警察官の阻止に会う。交渉六時間、遂に五台のバスに乗り国会裏にゆき、斗争本部を激励して帰園。この日全国各支部にも県庁、医務出張所陳情、園内坐り込み等、政府案反対の決意は火の様に上がる。
八月一日 法案は参議院厚生委員会に於て九項目の附帯決議を附して原案通過した。附帯決議には満場一致賛成、原案には左右社会党が反対した。堂森厚生委員長他各党代表が陳情団テントの前に来たり、報告あいさつがあった。 
◎ 午前十時八分 長谷川代議士、来訪、挨拶あり。
  「参院にいる我々の同志が奮斗して引延ばしに成功した。今度の法案は満足すべきものではないが、近き将来、政府は改正するといつているので、今後の斗争に移していただきたい。」
八月三日 全員参議院裏を撤収し、厚生省に坐りこむ。総員百十名。林多磨園長を通し、厚生大臣に対し要望書を提出し回答を要求する。  
  ◎ 午後一時三十分 林園長が来て厚生大臣への要請書に対する意向を伝達した。
厚生省の意向
1、大臣の回答については厚生省としては多忙の為よく協議する時間がなかつた。
2、要請書は相当広範囲に亘つているので直ちに回答出来ない。その前に患者の意見を聞いて国等の資 料参考にしたい。
患者側の回答
1、既に坐り込み四日になつた今、回答もせずに患者の意見を聞きたいと言うのは納得出来ない。責任 者から満足な回答を得るまでは帰園しない。
2、責任者の意見を聞く時は、各支部二名づつの代表が立会う事を希望する。

八月九日 双方話し合いの結果、大臣病気のためそれに先立つ予備交渉を持つ事とし、この日高田医務局次長、小山総務課長、聖城予防課長、と患者側代表二十名との間に、予備交渉の日時、手順を決める。所謂「予備交渉の予備交渉」が持たれる。
以上によつて、八月十日より、速記録に見られる通りの会談となつた訳であります。(中略)
速記は、何分長時間に亘つたため、談話そのまゝの再生ではなく、若干要点速記となつています。
終りに、炎暑の中、長い会談中、一刻の休養もなく速記に当られた浅野、羽鳥両氏に、又、本速記録のプリントのため、非常な御骨折りをして下さつた全生園放送部および庶務部の方々に心から御礼申上げます。(訂正・発言者中、「山本」とあるのは「荒木」の誤りにつき、訂正いたします。)

 八月十日(一九五三年―滝尾)  本日午前十時より始まる予備会談に備えて陳情団側では、午前八時半より各支部代表会議を開き協議の結果、会議は予定通り厚生大臣に関する要請書に基き、先ず、
一、 らい予防法の施行に関する疑義についての十項目につき、厚生省側の意向をたゞしついて
二、 らい療養所の実質的向上のための諸施策についての十三項目につき、厚生省側の意向を質す。次
にこれらの要請項目につき具体的に交渉を行う予定である。
尚実質面の方についてはこれをこゝで全部すつきりと決めさせるということはむつかしいので、今後の交渉を残す様充分な足掛りをつけ当方の要請主旨を説明徹底させることになつた。(中略)
一、 午前十時二十五分厚生省側の招きにより本日は二階の会議室で予備交渉を開始した。……先ず医務局長(曽田―滝尾)より挨拶、ついで末木氏(全患協―滝尾)より挨拶。湯川氏(全患協―滝尾)より要請書に基き議事を進められたいと要請、厚生省より、聖城予防課長より(予―疑義についての十項目)の第一項目について省側の態度を表明、十時四十分全医労の亀山氏出席。内容は大体今迄に言はれて来た程度のもの。(以上、八月十日の全患協事務局編『厚生省会談速記録』より)。

【解説―滝尾】 厚生省側に対する全患協陳情団側は、大谷藤郎編『らい予防法廃止の歴史』によると、
@ 強権について、 
A 命令を発してこれに従わない、
B 伝染の医学的実証はあるのか
C 警察が患者の外出を取締り、これを罰する理由を問う
D 宮崎次官との交渉
 の五項目が交渉内容として、述べられている。しかし、『会談速記録』によると、その他にも、
E 普及・宣伝について
F 療養所の入所勧奨について
G 消毒問題
H 患者作業と作業慰労金、職員の増員
I らい予防法の「附帯決議」と、法の見直し・改正について
J 施設の整備計画と整備
K 文教費、保育児童の充実、高校・大学に行く者の学費の国庫負担
 
などが、論議されている。大谷藤郎編『らい予防法廃止の歴史』の『会談速記録』には、発言者の日時が書かれていない。会談内容は、『らい予防法廃止の歴史』の一五九ページ以下の「質疑の概要」を補うかたちで、厚生省側と全患協側の「会談内容」を追ってうきたいと思う。

【T】第一項 強権について (八月十日 午前十時二十五分から午後一時十五分)
     (略)
光岡(全患協) 厚生省としては何人の患者の勧奨を行なう予定か。
聖城(結核予防課長) 厚生省としては大体三千名です。
光岡 計上された予算では充分なことは出来ないと思う。予算には一回二百円で二回もゆけない様だ。その点どうか。充分勧奨の出来る様な予算を計上されたい。
宮島(事務官) 色々考えている。
加賀美(全患協) ……前の法律に於ても説得しなければならんということになつていたが、強制収容をやつている。だからこの点もつと十二分にやつてほしい。
山口(公衆衛生局長) この点国会でも質問があつた。地方に徹底する様にしてくれ、君達はよくわかつていても末端に通じ難い。これに対し私は関係者を呼んで充分徹底する様にしたいと目下考えている。講習会を開くかどうかはまだ分からぬが充分おこないたい。
湯川(全患協) 健康診断で判明した場合、県の係が行くといつたが健康診断といつても医師が診断した 
者だけ勧奨するのかどうか。又県の係官が直接おこなうといつたが途中の自治体を経由せずにするといつていたがどうか。患家と療養所についてはどうか。
聖城 さつき健康診断といつていたのは第五条の健康診断である。一般的に医師から患者として届けられ た者を言う。療養所に入るべき人と確認した人を言う。
湯川 診断し入所すべきと認めた場合に勧奨するのか。
聖城 その通り。都道府県の医師によつて疑いがあると認めたものである。単なる家族の一人という位や噂位ではやらない。毛頭考えていない。患者の家族でも患者であると医師が認めた場合は行う。
湯川 らいだけを対象とした様な診断はやるか結核の様に。
聖城 そうゆうことはやらない。全部個別に行いたい。
      (略)
  (十二時三十分林園長来る。其の前に駿河園長、松丘の医務課長来る。)
湯川 われわれはそれでは納得出来ない。厚生省は「タッチ」しないのですね。その点はつきりしておきたい。厚生省で考えていなくても法務省で考えているかも知れない。
小山(官房総務課長) 貴方は、どうゆう事を考えているのか。われわれは其の為に特別の拘置所を作る と言う事は考えていない。短期間なのだから特別のものは考えていない。無理に心配事を作つているのではないか。
* 浅田 命令に従はない場合するというが、何んとしても入所出来ない場合命令を発した場合はどうか。(ここから、大谷藤郎編『らい予防法廃止の歴史』一五九ページとなる)。
* 聖城 期間を猶予すると言う事になる。
* 浅田 経済的にめぐまれている様な場合どうか。感染する心配のない場合はどうか。
* 聖城 それも個々によつて違うが、らい予防上必要と認める場合となつているのだから無人島に       一人いるという様な場合は強収は或いはしないかもしれないかもしれない個々の事例による。 
    (以下、『らい予防法廃止の歴史』に収録されているので、略)


【U】第六項 伝染の医学的実証はあるか(公務員の消毒方法)(八月十日 午後二時十分から十時五分まで)

全患協が大臣に回答を求めた「ライ予防法の施行に関する疑義について」の四項目には「伝染力の医学的立証並びに伝染した事例を挙げて頂きたい。」という内容がある。『らい予防法廃止の歴史』には、「速記録」の内容が、ほぼ収録されている(一六四〜一七一ページ)。しかし、この問題と深く関わっている六項目の「公務員の消毒方法を具体的にしめして頂きたい。(秘密漏洩にならない方法)」の質疑内容は、大谷藤郎著『らい予防法廃止の歴史』には、なぜか、一行も収録されていない。
私が、「らい予防法(新法)」施行後における、原告を含む入所者の体験の聞き書きで、「公務員の消毒方法」についての怒りを知ることが多い。問題点を感じたことの多くは、ハンセン病の感染する恐怖をもつ公務員たちによる「消毒」のやり方であり、多くの人権侵害が行われている。その実例については、拙著『近代日本のハンセン病と子どもたち・考』広島青丘文庫(二〇〇〇年三月)の中で書いておいた。とりわけ、「邑久高等学校 新良田教室」(六三〜七八ページ)で、その具体例を示してきた。「公務員の消毒方法」で患者やその家族の受けた被害は大きい。本冊子で、全患協代表と厚生省との会談の中で「公務員の消毒方法を具体的にしめして頂きたい。(秘密漏洩にならない方法)」についての質疑内容を、かなり詳しく、次に記載しておきたいと思う。

聖城(結核予防課長) では六番、これは家屋物件の消毒は出来るだけ患家に於て自ら消毒するように消
毒材料を差上げる。患家がやらない場合はやむ得ぬ、県でやる。その場合も出来るだけ小人数でしかも屋外で白衣を着用しない様にして、(省略)
光岡(全患協) 先ず六項から質問してもらいたい。 
浅田(全患協) ある。
聖城 私の云うた事に質問があるのなら聞きたい。
浅田 家屋物件の消毒と云はれたが、家屋までの消毒をする必要があるのか。
聖城 患者のいなくなつた場合の消毒は結核でも急性伝染病の場合の消毒はやる。但しその患者の部屋だけやればいい、家全部をやることはない。必要再現度をやればいい。家の者が知らないのに入所した場合に消毒してわかつてしまつたと云うことは、研究して見る。
湯川 法律には省令とかなんとかなくぃわけだが、これは何か。
山口(公衆衛生局長) 次官通牒だ。
湯川 それは出来ているのか。
聖城 目下起案中だ。
小山(官房総務課長) 前の施行細則の持つ意味と、今の作る施行細則とは大分違う。
近藤隆(全患協) 前は末端に徹底せず困つた。その点で末端まで徹底させる責任を持てと云ひたいが、そういうことの起きない様、あらゆる問題について、よく理解せしめる様、責任をもつてやつてもらいたい。       
増(全患協) これは予防の八条と、九条なのですね。これは消毒したかしないかということを調査しに行くのか。
 @注・「らい予防法」第二章 第八条(汚染場所の消毒) 都道府県知事は、らいを伝染させるおそれがある患者又はその死体があつた場所を管理する者又はその代理をする者に対して、消毒材料を交付してその場所を消毒すべきことを命ずることができる。
2、都道府県知事は、前項の命令を受けた者がその命令に従わないときは、当該職員にその場所を消毒させることができる。
 第九条 都道府県知事は、らい予防上必要があると認めるときは、らいを伝染させるおそれがある患者が使用し又は接触した物件について、その所有者に対し、授与を制限し、若しくは禁止し、消毒材料を交付して消毒を命じ、又は消毒によりがたい場合に廃棄を命ずることができる。
2、都道府県知事は、前項の消毒又は廃棄の命令を受けた者がその命令に従わないときは、当該職員にその物件を消毒し、又は廃棄させることができる。(以下略)――滝尾。

聖城(結核予防課長) かたく考える必要はなく、施行細則にはない通牒でやる。こう云う規則がないと、消毒にいつて家  屋に無断入ると家屋侵入罪に問われる。
近藤隆(全患協) 家族にかくして入所した場合は充分考えると云つたが、消毒について納得のわからない点は、勧奨中はやらないと思うが入所したあとで消毒するのに、秘密の漏洩が心配だ。
湯川(全患協) ライ菌は体の外へ出て何時間生きているのか。
山口(公衆衛生局長) それは培養が出来ないからわからぬ。
聖城 だが、死んでいるとはいえないから消毒をするのだ。
湯川 死んでいる証明も出来ないが、生きている証明も出来ないとすると、これまでの罰則の必要もない。
聖城 伝染力は微弱だが、かゝつたらなおらないから消毒するのだ。一週間で癒るとでも云うのなら、ほうつておけばよい。
山口 推定に基いて一般の細菌と同じくライ菌を消毒している。
湯川 死んでいるのだらうと云うのでせう。総てだろうと云う推定で、前提でやられている。
山口 万全の策を講ずる。しかし家族への秘密は充分守る。
湯川 そういうあやふやな根拠に基いて多くの義ムをわれわれに強いていることは困る。と同時にそれなら福祉の面を充分考えてくれなければ困る。
山口 その点は充分考えてくれなければ困ると云うことはよく分る。努力しなければならないと思う。

【V】第九項 家族及び患者に強制検診(八月十日 午後六時二十五分より再開、午後十時八分に解散)
 
 (第七項、第八項の「会談」内容は、省略して、第九項の「会談」内容を紹介する。――滝尾)。

湯川(全患協)では、第九項。 (「九 指定医師の診察に依って惹起する家族検診の被害を防止するために「患者と疑うに足りる相当の理由がある者」を世人の噂又は医師の主観に依らずに、そめ科学的測定の具体的方法を施行規則に規定し、家族及び患者の強制検診をなさしめぬようせられたい。」――滝尾)
聖城(結核予防課長) こう云う調子でやりましょう。
湯川 施行細則は作らないのですか。
聖城 皆さんの云われる様なものは作らない。
湯川 家族というだけでは、全く世人と一般にに取扱われるというわけですね。
山口(公衆衛生局長) その通り。
近藤兼(全患協) だが言葉の上としては述べられているが、廿八年度の予算としては、厚生省が当初考ていた家族六万二千は一人の患者に対して六人というものを考えている。それは家族診断というものを対象としていると思われるがどうか。
山口 予算としては今いわれた通り出ているが、家族検診はしない。
聖城 廿九年度からは容疑者診断と名前をかえる。
湯川 私達がここへ来る前に、先日長野で検診」に来た実例がある。地方では今迄やつていたのを、今后は国がやめさせるわけか。
聖城 県だけでやるということはないと思う。国の方針でやつているわけである。
湯川 この法律がでた途端、一斉検診をし、一網打尽に強制収容すると云うような傾向が地方にある様だが、その様なことは絶対やらぬという指示は最初したか。
佐分利 最初指示を出した。廿六年にも局長通知を出した。
近藤隆 患者のリストを県で廃棄する様指示して頂きたい。
聖城 入所した者の患者の台帳もか。
近藤隆 入所すれば療養所に移るのだから必要ないと思う。
聖城 私は家族保障のためにも置いた方がよいと思う。
近藤兼 私は家族保障は全部療養所でやればいいと思う。
聖城 生活保ゴ法のことは、あとに出て来るから、そこでやりませう。
湯川 家族保障、検診をやらないと云う保障は施行細則にうたわないのか。
聖城 通牒が至当と考える。
浅田(全患協) 完全治療して退院した場合は名簿から抹殺されるか。
聖城 抹殺される。私の知つている範囲では、軽快退園された人は、ライ予防行政から除かれる。名簿のことはよく検討しませう。
増 家族検診をした場合の責任者はだれか。
山口 個々の事例で違う。一般的には当たつた対象の人が罰せられる。
湯川 秘密漏洩の適用されたことがあるか。
聖城 ない。
     (略)   散会午后十時八分

(八月十一日は、午前十時十五分に開会された。前日は「ライ予防法の施行に関する疑義について」の十項目が会談の内容であったが、会談第二日目は、「ライ療養所の実質的向上のための諸施策について」の十三項目の「施策の実施につき、大臣の責任ある御回答を要請する」という内容が、議題として取り上げられた。以下、再び『厚生省会談速記録』を見ていこう。八月十一日は徹夜交渉で、翌朝まで「会議」は続けられている。)
  
小山(官房総務課長) では、昨日申上げた通り、医務局関係のことを説明申し上げる。最初は(実)の一項を。(一項は、「医師看護婦及び現業職員の増員並びに待遇改善について」――滝尾)
実本(管理課長) こちらで考えていることは、今回の法律改正に伴った三つの面は、結核療養所のレベルにもってゆきたい。医者は入院患者廿五人に一人の要求してみたい、結核は、丗四人に一人である。その線で要求してみたい。(中略)行政費百億の節約ということがあるので増員は困難であるが、相当な努力をしようと考えている。今定員に欠員がある。これが悩みだ。以上で一項目は終ります。
小山 一通りあとのも説明したい。
近藤(隆) 一応これだけについて話し合いたい。
小山 あなた方でよければそれでいゝ。
      (略)
実本 廿五人になぜしたかというと、国立病院は十七名、結核は三十四名、その中間をとったわけだ。療養所よりは内科的なものが少ない。病院よりは外科的んくぁものが少ない。医師の欠員が多い。だからこれを増やしても、まず実員をうめたらということになる恐れがある。それに外来がかゝると思うので五十名にした。
谷山(全患協) 中間をとったというが、(療養所)の重症者は内科、外科とも病院と変らない。だから簡単に中間位では困る。
実本 これは中間だが、結核でも手術する人などもある。
○○(全患協) うちらは盲人も摩ひしている人もある。充分考えてくれ。
実本 その点は看護婦の増員で考えたい。雑司夫の増員で補いたい。
近藤(隆) 全盲廿五人に一人というのはわからぬ。
実本 大体病棟雑司夫は結核なみにした。四人に一人にした。完全看護婦にした。全盲の方は炊事の面、消毒、洗濯の面で若干別に増員を考えている。今だから手がすけてくるから、外のとからみ合せてということだ。廿五人に一人とした。
近藤(隆) 四人に一人で昼夜では出来ない。洗濯は別にしても一晩中やるのに四名に一名では無理だ。雑司夫というのは日常の世話は別か。
実本 重症者の場合は結核なみだ。全盲の方は重症の方がだぶっている処もある。あとは廿五人に一名の 方でカバーする。充員をしにくい性質のものである。昔から自然の発露で、自然的にやってくれている(患者労働――滝尾)のを、あてにはしていないが、一ぺんに出来ないから除々にかえるとして、ということも考えてある。
近藤(隆) 一ぺんにかえることことは出来ないとしても、一応これにしても除々に増すということか。患者がやるということの上に立って、除々に増すということか。
実本 その通りです。
       (略)
【解説U―滝尾】 厚生省幹部に対する「全患協」の質疑は、次の内容をめぐってなされている。 

二 患者作業の改善並びに作業慰労金の増額について
 1 ライ療養所に於て現在患者が負担している作業種目中、左の業務は職員に転移させ患者の労務過程を軽減する。
  A 看護面、重病棟及び不自由室看護一切
  B 治療面、治療手伝一切、薬配、薬瓶回収
  C 給食面、炊事配食一切
  D 衛生面、洗濯、消毒、ホータイ再生一切、死体処理、糞尿処理
  E 営繕面、木工、鉄工、土木、電気、汽罐、義足修理
  F 教育面、学校教師
    2 作業慰労金を大幅に増額せられたい。  

近藤(隆) 現在のまゝ現在の中でやるというと、(療養所)の中でか、本省の中でということか。
実本(管理課長) 去年予算を組んだ時の(療養所)の中でということだ。
近藤(隆) 本年度はどうにもならないというわけか。
実本 本年はどうにもならない。
浅田(全患協・長島支部) われわれは、全部手を引く。われわれには義務はない。自治会で納得させて現在やつている。しかるに自治会を認めない。自治会が一切手を引いた時、厚生省はどうするのか、おききしたい。それとも患者の努力をたよりにしたいと思っておられるか、どうか。
実本 増員はしても全部は出来ない。ある程度皆さんの作業というのがサーウイスの提供をあてこんでいる。
浅田 あてこんでいるだけか。死を賭してまで法案に反対した者があるのだ。その人にこの様な状態っで作業が押しつけられるのか。
実本 今までやっていた実情を疑わずにやって来た。患者のサービス、療養所のサービスも一つの実態として疑っていない。
浅田 法案が通過したら園内が大混乱におちいる。今そうなつたら全作業から手を引くこともあるが療養所課長はこれにどう考えるか。あなた方の定時退庁と、われわれの作業拒否と同じだ。悪いことではない。
斉藤(療養課長) 管理課長が言った様に、患者になるべく手をかけない様、園内の円滑な運営に協力して頂きたい。道路清掃とか園芸などに協力して頂きたい。
浅田 我々は話し合いで了解を求め、作業するのはわかるが、法案については懇願した。涙を流して、頼んだのに何の話し合いもしてくれなかった。それなのに作業だけは、話し合いをいうほは勝手だ。法案のことはあなたがたのいうことはきかなたつたが、作業には協力してくれといつても愛生では納得できない。
小山(官房総務課長) 昨日からやつているのはそういう話し合いだ。
曽田(医務局長) 今療養課長のいったことを敷 するのだが、あなた方のいう様したいが役所の立場もあり、厚生省だけでやつてゆけない。例えば予算とか、人員のことなどもある。廿九年だけでない。丗年も丗一年も改善に努力する訳だ。要求してけられゝばあとはしらない。その為にも、充分押してゆける枠がこの線だというわけだ百%賛成というわけにはゆくまいが、或る程度のことは不満でせうが将来見通を質して了解し、(略)その点理解してくれ。各省の人をいといちこゝに来て貰うということはまずいと思う。書面で質問というのならあつせんしてもいゝ。患者の態度、時には全面的に作業拒否することもあるということは関係官庁に充分伝えたい。
浅田 われわれは作業拒否を欲してはいない。われわれの協力がなければ療養所は成立しないということを認めている。それならわれわれが協力するとして、それなら厚生省は法案について今後我々と話しあい、更に改正する用意があるか。
曽田 それは今日の議事とは別になるからあとにして貰えないか。
       (略)
山本(全患協) タイは再生せず総て消却したらどうか。
斉藤(療養所課長) 一寸検討してみないとわからぬ。再生して使う方針でやつている。検討してみる。
湯川(全患協)A〜Dは、職員がやるとした。薬配、同回収、ホータイ再生、死体処理、糞尿は協力しろということだが、さっきの人員で処理が出来るのか。
実本 さつき言った通り賃金、その他で考えてゆきたい。@Aは、一応問題ないですね。
湯川 薬配、同回収は、やってくれるにか。
実本 看護婦と病棟雑侠夫で出来るだけやる。
湯川 Bの配食の一切。
斉藤 基本的には同感だが、夫婦舎まで持ってゆくという処までやつて考えなくてモいゝと思う。
湯川 多磨でいえば、トロッコが配食所に入り配食する処までやつてくれるのですね。
斉藤 糞尿のことだけは一寸今すぐはむずかしいので、こゝは訂正した。訂正しっぱなしにはしないから。

  【解説U―滝尾】次に、「会談」は 「二―1―F 教育面、学校教師」、「九 保育児童施設の充実と児童の待遇改善」、「十 高等学校の設立の具体案」といった教育問題に入った。「全患協」が、児童・生徒の教育に力を入れていることを、知ることが出来る。 

近藤(隆) 教育の問題だが、重要だから、不充分は(「の」―滝尾)教育はよろしくないので是非、明年からは教師にやつてもらわなければならないから、あいまいでなくはっきり正規の教師でやってくれることを、責任をもった回答をくれ。
斉藤 あいまいではない。相手の学校のこともあるので、一応そう申したわけである。多磨は外から見えてないが大島は見えていると思う。
曽我野 大島は男が一人来ているが、それは学校の都合で、いつでも引揚げることになつている。これは困る。
湯川 四十五人に一人という標準だが、出来ればはつきりさせてくれ。職員の定数の中にそういう枠をつくれないかきゝたい。
斉藤 出張教育だから職員が出張してやることにした。そうすれば、その地域の学校の職員が出張してやることにした。そうすれば、その地域の学校を卒業したことになる。とり合えず」そうして貰いたい。その地方の学校の先生と連繋をとつてやれる様努力したい。
近藤(隆) これははっきり法にもあるのである程度別に考えて、比較的軽症者が多いので、将来の為にも少なくとも教育のことは、二人や三人の職員をおいても大きな定員の枠の中では出来ると思うので全責任をもつて療養所課長に努力されたい。
斉藤 極力努力する。  
谷山 子供の教育については飛躍したことを努力されたい・
湯川 われわれの考えていることはだめか。
斉藤 私の申したことについて努力する。
湯川 この問題はいくら努力を払つても払い過ぎることはならないと思う。患者が教えたのでは駄目なのだ。療養所の中に嘱託をおいて頂きたい。
梅本(整備課長) 所管外だが、嘱託の制度はない。園の職員にすることは法的に無理と思う。一部をやるというのならいゝかもしれないが、附属学校を出たというのでは問題があろう。やはりその地方の学校長の印を押した、その学校を出た方がいゝのじやないが、そこに深い意味がある。
湯川 努力すれば五人、十人来る可能性がある。
斉藤 方向としては、地方教育委員会から来て貰う様努力するので約束は出来ない。
近藤(隆) 三人位い二人か三人いればいゝ、少なくとも児童の問題なのだから、官僚機構の巾でも、むつかしくされずに責任」もつてやるといつてほしい。
斉藤 平均の問題として責任をもつて努力する。学校があれば出張教育は出来ると思う。その辺の処で」了解してくれ。
近藤(隆) 無条件にやつてほしい。
山本 五十人に一人ということでは問題にならぬ。文句なしに責任もつてやると、回答されたい。
斉藤 今のお話と気持は同感だ。たゞ相手のあることだから努力する。御了解願いたい。
水野(全患協・多磨支部) 教育の定員がえられない。確保することが出来ない。現在に至るも解決しない。これはいつまで学校と押合っても解決しない。教育の面が進まない。
斉藤 あなたはどちらですか。
水野 多磨の者です。只今着いた所です。
斉藤 東村山の場合、町長に直接話して具体的にやりたい。文部省とも話し、地方教育委員会にも文部省から話してもらう、実現する様、話したい。
       (略)
湯川(全患協) ……では第九項に入ります。(第九項は「九 保育児童施設の充実と児童の待遇改善」―滝尾)
正岡(全患協・長島支部) 藤楓協会管理の施設があるというが、これは厚生省でやるのが至当に思う。食費は六十円位だそうだ。これはひどい。今後の考え如何。
杉野(全患協・栗生支部) 看護婦をとられると困るので所とは切離した施設を作つて人員を別にして貰いたい。食費も足りない。
谷山(全患協・星塚支部) 未感染児童と印刷されてあつて困つている。やめてくれ。
    午 前 一 時 現 在
正岡 未感染児童を拒否し、保育所で教育されている点如何。
土田(全患協・松丘支部) 小供の為に慰安会等の大半をさかれている。どの程度改善してくれるか。
湯川 われわれと待遇を同じく待遇を同じくする考えはないか。中等学校を出て二年位面倒をみることになつていると思うが、教育の問題は国で高等学校卒業まで面倒を見てくれ、国の養護年限を延ばせ。
小泉 まだ施設のない処へ立てるかどうか。
梅本(整備課長) それはさつきいつた。
増  通学拒否で恵楓園の近くに移転(保育所を)する考えあるか。
浅田 療養所に接近して作つてはどうかと思うがどうか。
湯川 大都市に施設を作つて大学なり高校にやるという考え、大学にゆく者には学資を考えてくれ、如何。
小山(官房総務課長)保育児童は学校へはゆかない人と思うが答える。
梅本 藤楓協会の土地建物ということは、いいことは歓迎、出来るだけ現在の土地建物を活用する。
実本 保母の定員は福祉法に従つてやる。
斉藤(療養所課長) 食料増額は望みない様に聞いている。努力する。未感染はけしからん。社会に溶け込んでゆける様にしてやりたい。慰安費の大半をさいているのは気の毒、児童慰安費を考えている。どうなるかわからぬが患者と同一は無理(食費は)。保育所の移転は学校へ入るまで、十八位までの人は現にいる。社会に出てゆくことを望む。その後のことは整備課長に、
聖城 身寄りの方へゆく人は問題ない。東京あたりに施設を作り、職業補導を作り、やつてやる、学校えやりたい。これは民間団体にやつてもらつた方がいゝ。藤楓協会の委託事業としてやつてもらうことにしたいと思つている。
斉藤 熊本の場合は拒否、浅田氏のは遠い処えだが、近い処にあるが近い処がいゝとは言えないが今近い処にあるのだから遠近だけを論議されることもない。今はやむを得ない。
山本(荒本の間違い、全患協・菊池支部―滝尾)具体的な解決の方法がとられるか。恵楓園にかえしてくれ。
浅田(全患協・長島支部) 慰廃園の跡に出来たのを見て来た。小学校二、三年までは近い処がいゝ。そのあとは遠い処がいゝと思う如何。
増  傘をさしていた学校え行ける様にしてくれ。
湯川 慰廃園の跡のは全生園跡となつている。
斉藤 小さい間は近くにがいゝと思う。熊本のことは(黒髪校の通学拒否―滝尾)は園長と相談して努力したい。
増  今度の整備にはは入つていないか。
梅本(整備課長) 今相談している来年の予算として、要求している。すつぱりした形で要求いている。現在の建物は利用したい。
杉野(全患協・栗生支部) 二十九年から予算要求するのか。
実本(管理課長) やる。
 
  【解説V―滝尾】一九五三年八月の時点で、菊池恵楓園の「児童保育」=「龍田寮」の黒髪からの移転について、同児童の「黒髪小学校への通学拒否問題」が、国としても知っていて、斉藤療養所課長が 「熊本のことは(黒髪校の通学拒否―滝尾)は園長と相談して努力したい。」と言い、梅本整備課長 が「今相談している来年の予算として、要求している。すつぱりした形で要求いている。現在の建物は利用したい。」と発言していることは、注目される。「龍田寮児童通学拒否事件」は、この年(一九五三年十一月から激化してくる)。次に、「高校」建設が論議となる。

湯川 では次に第十項。(第十項は、「十 高等学校の設立の具体案」―滝尾)
光岡 寄宿舎が併せて考えているが人数は如何。
近藤兼 一校か数校の学校をとり入れるのか、旅費は国庫負担か。
湯川 一ヶ所ということだが、障害がある、三ヶ所を要求したが如何。
   出席者  厚生省側   十 名
        陳情団側代表 十八名
            書記  一名
正岡(全患協・長島支部)職業課程をおくか、独立学校にするか、分校にするか。
水野(全患協) 年令制限をしない方途如何。
実本 寄宿は考えている。
斉藤 定員は一応三十名を考えている。一学年ですよ。法からゆくと一校の出張教育だが先生は多い。一校の分校になると思う。転園の旅費は負担したいと思う。一ヶ所兎に角作る、来年。職業課程でnなく普通課程でやる。文部省の規定に従う。(年令―滝尾)制限はないそうだから希望通り。
湯川 場所は療養所内かどうか。
増  一学級三十名は少ない。一学年六十名はいる。これから考えるのなら大きいな希望をもてる様にしてくれ。
斉藤 場所は療養所の敷地の中で離れて作るつもり。人数はそう拘わすぃくないのであるが、皆さんの意見をきいておく。
曽田(医務局長) 一挙に三ヶ所な無理だ。
湯川 ではこれでいゝか。費用は三ヶ年計画の中か。
梅本(整備課長) 別です。

【W】第十項 所内の秩序に関する問題  (八月十二日、午後一時四十分から四時三十分まで)

(八月十二日、午後一時四十分からは、「所内秩序に関する問題」が取り上げられて、午後四時三十分に、全患協陳情団側は、園長の「懲戒検束権に就て本省側と意見の対立した侭」一応散会している。そのことについて、『会談速記録』には、次のように記録されている。――滝尾。)

@ 省側は次の二項目を回答し、これに就て会談に入つた。
(イ) 秩序維持に関する問題はその運用に当つて適正を期する。
(ロ) 秩序維持の準則に就ては充分患者の意見を聞くにやぶさかでない。 
A 所内規則の準則を作るに当つて形式的には所長から聞くけれども、本省に於て一般的な準則を
定め、各園に問合せ、且患者からの意見もシンシャクして規めたい。
B 法律が乱用されることが一番問題おなるとおもうから、乱用されない様な意見を述べられ度い     
     (小山)。 (小山――官房総務課長・滝尾)  
C 絶対反対である者に意見を聞く事は間違である。適用されゝば乱用される事確実だ。各園長、職員が納得しなければ適用出来ない(患者)。
D 次期国会で改正する事を確約され度い旨を迫つた。
E 今、出来た許りの法律を次期国会で改正する事は、本省として確約出来ない。
F 午後三時四十分迄懲戒検束の必要のない事、其の弊害、若し適用した場合起る事態等に就き、
過去四十年の事実に基て説明。
G 一にも説得、二にも説得してもだめなもの、又は刑法にふれる一歩手前の事をなした者に適用する為に作った。(小山)
H 懲戒によつて決して患者は良くならない。又療養所は決して明るくならない。(患者)
I どんな事に使用してよいかと聞き出そうとするが、患者側は適用する事件は起らないし必要のない事を力説。
J 園内秩序は患者自身と自覚と良識に待ち、園長と患者との間で充分保たれる旨を力説。
K 各園に於ても必要ないと言つている園長が沢山いる事を説明。(患者側は黙否に入った為……言う可き事は言いつくしたため)。
L 午後三時四十分〜四時迄、当局側は休憩を申し入れ再考する事にした。
M 再開後当局側は、これ以上考慮する事は出来ない事を再確認した。
N 本省側は次の事を申入れて会談を終つた。
 (イ)この問題は充分時間をかけたが、非常に時間を有効に使つたと思う。 
(ロ)相方共これで会談を終り体をゆつくり休めてもう一度考えて見よう……。
O 本省側退場後今後の態度に就て懇談。(亀山氏も入り、引揚時期、明日の態度等々につき検討する様、話あり。代表会議の途中で帰る)
   
@ 懲戒検束権に就て本省側と意見の対立した侭、午後四時三十分一応散会した。
A この時、総務課長及び聖城予防課長より次の様な申入が、亀山氏を通じてあつた。  
       若し患者側が納得するならば、亀山氏の提案を受入れる用意がある。亀山氏の提案とは、所長の作る準則をすぐ作らずに慎重に研究し、その間は成文規則を置かずに慣習法」に随つてやる。
         (略)
   各支部代表午後四時四十分二階会議室に集合し、亀山、亀谷(何れも全医労)も出席し、この局面を如何に打開するかを協議した。
亀山氏の見解
@ 無制限に坐込む事は(+)にならない。
A 現在は予算編成の時季に当っており当局の局課長は、我々の問題で時間がない。
B 定員増員は結核の欠員二千名を喰う危険性が多い。
C 今週一杯が運動引揚げの時季であると考える。
D 監禁室を他に転用すること
E 改正直後の法律の改正は本省としては考えられない。
F (5)、(6)二項は本省係官が言明している事をよく考えてうまく解読してほしい。
以上の事を参考として、各支部から意見をだした。
 結論
@ 明日本省側からこの件(秩序維持)に就て提案があればそれを聞く。若しなければ八支部の見解を伝える(別紙)
A 今迄の交渉は結果は再要請しない。(改めて聞かない)
B 支部に於ては「大臣に於ては必ず何時の日か患者側と会う事」を条件として次官」の出席を求める。(明日の予定)
C 依命通牒、 施行細則は出来上つたならば、患者側に提示すること。
D 強制退所は絶対行はない事を言明させること。
E (イ)次官には九項目の附帯決議の質問と法改正の意志ありやなしやを質問すこと。
(ロ)各支部の旧監禁室の取壊を要求する。
(ハ)来年の補正予算に新法律の裏付として予算を組むかどうかをたゞす事。
(ニ)今までの交渉、経過の中、未解結(決)のものに就て説明をもとめる。

秩序維持のために所長に与えられた患者に対する訓戒並びに謹慎の処分権に関しては絶対に承服出来ないところである。我々としては本件の関するわれわれのあらゆる見解を述べ尽くした。本省が、われわれの主張の大部分に同意しながら、尚且つその態度を翻えさないのは誠に遺憾である。われわれは本項に対する反対の意思を重ねて表明し、今後の態度を保留するものである。

【解説W―滝尾】B4判で五十数枚にも及ぶ八月九日から十三日の四日間の膨大な『厚生省会談速記録』の極く一部分(十分の一程度)をこの冊子に活字で復元した。近い将来、どこかで、是非、『厚生省会談速記録『厚生省会談速記録』の全文の復刻本を作ってもらいたいと思う。全患協(現・全療協)の運動史のなかで、いな、日本の人権闘争・運動の「原点」が存在すると思われるからである。
 勿論、「らい予防法(新法)」の反対の運動は、「霞ヶ関」だけで闘われただけでなく、全国各地のにある各療養所でもたような闘われている。また、現在、熊本地裁・東京地裁・岡山地裁で起こされている「らい予防法」国賠請求の訴訟は、約半世紀前のこの「全患協」の「らい予防法」反対運動の伝統を引き継いだものである。そう私は考えている。
 一九五三年八月十三日午後三時三十八分から午後六時十分まで、宮崎厚生次官と全患協代表との「会談」が行われた。大谷藤郎著『らい予防法廃止の歴史』の一七七〜一八二ページには、(略)を含めての記述がされている。
 宮崎次官との交渉に先立って、八月十三日午前十一時五十分より、厚生省側と全患協代表との「会談」が開催されている。その内容に少し触れておきたい。
 
湯川(全患協) では会議を開きます。
小山(官房総務課長) 慎重に相談した処、皆さんの不満はtよくわかる。
湯川 われわれはなほ納得のゆかなぬ点が多い。最初に秩序維持の処分権については、絶対承服出来ない。反対の意を表明、今后の態度を保留する。
小山 態度を保留とはどんなことか。
湯川 (説明)
小山 乱用の必然性がある意味に於て厳重に監視」し、事態の推移を見守るというのか。
湯川 見守ると同時に反対してゆく。法そのものの制定を反対しえゆく。こうするあゝするということは保留すると云うことだ。
小山 乱用がなければ問題はないのだな。それなら法wそのものを認めるのですね。
湯川 どこまでも反対してゆく。
小山 厚生省側としてはあなた方の意を充分入れ、法の取扱いには充分慎重にする。充分理解は出来た。こちらのことも少くも理解してくれ。回答は納得してくれ。
湯川 法務省のこと、研究項目のこと、次官回答、見解を承りたい。

  【解説X―滝尾】その後、長い交渉がつづく。紙幅の関係で「省略」する。その内容は、大谷藤郎著『らい予防法廃止の歴史』の一七七ページに六行ほど紹介されている。「(以下絡)につづいて、」
「○高田 それはそうですね。そう書いてある通りですね。」
  と書かれている。その前の論議を読まない者には、なにを言っているのか、分からない。補充をしておく。 これは、国立療養所駿河療養所長の高島重孝(のちに、初代長島愛生園長光田健輔の後任として、第二代愛生園長となる)が、「らい予防法(新法)」反対の陳情に東京へ行ったとして、駿河療養所の患者たちの「退所処分」をしたことに、厚生省の見解を聞く内容であるが、大谷さんはすれを削除している。)
         
湯川 ……駿河の退所命令は今后の問題として見解を伺ひたい。
高田(医務局次長) 私の方ではそう云う命令を出すとか、出さないとかは考えていない。そう云う事態を予想していないが、そう云う事態が起れば研究しなければならない。今の処する必要はない。
湯川 大臣の国会に於ける言明でライは退所命令は出来ないと云ったが、それを確認sたわqけですね。
谷山(全患協・星塚支部) 事態と云うのはどう云うわけか。
高田 予想しない。
山本 大臣の云つた事を確認したわけですね。
高田 その通り。
湯川 (園長が退所命令を出すことは―滝尾)出来ないと(大臣が―滝尾)云つた事は確認した以上、そういう事態が起つた場合と云うのは、どう云うことか。まあ確認することになりますね。大臣もしばしば失言するのだから。
高田 するとわしが確認しないと大臣が失言になるのか、ハハハ…。
小泉(全患協・駿河支部) 高島所長から何の通知もないが、今后は絶対にやらないで欲しい。
近藤隆 予想しないと云うことは、予想される時は法を改正してやるのか。
高田 さきのことは分からぬが、法の改正というのはその時だ。
湯川 曽田局長はこう云つている。ライの療養所の様な特殊な処では、入所の義務があるのだから、退所はさせられないといつている。
* 高田 それはそうですね。そう書いてある通りです。
* 山本 大臣の答弁と、曽田局長の言明を確認する訳ですね。
 
【解説X−滝尾】大谷藤郎さんは、らい予防法(新法)反対のため、東京へ陳情に行った小泉孝之ら十名余を、駿河療養所長高島重孝が「退所命令」を出した問題を、『らい予防法廃止の歴史』から不自然のかたちで削除している。なぜなのだろうか、『会議速記録』をよみながら、疑問を感じた。   
        
 宮崎厚生次官との交渉内容は、『らい予防法廃止の歴史』一七七〜一八二ページに譲る。会談終了に際し、宮崎厚生次官の全患協「陳情団」に対すて挨拶をし、つづいて、全患協「陳情団」代表して加賀美富雄が挨拶をした。「……法律には反対、しかしこの度の幹部の方の誠意には感謝する。また守衛の方の親切なる案内には感謝する。今回、法律が決定したが、しかし反対はあくまで反対である。今后改正すべき点は改正されたい。……今后厚生省に於ても、近き将来に於て、我々の希望する法律に改正されたい。」と。

 以上、全患協の「陳情団」の厚生省幹部との交渉内容を述べてきた。今回、「瀬戸内訴訟」に際して岡山地裁第一民事部に提出した被告(国)の指定代理人の『準備書面(五)』(二〇〇〇年五月一六日)には、同書面の一四九〜一五〇ページに、次のような内容を記載している。

 全患協は、この法案に対しては「強制入所の条項削除、秩序維持条項の廃止、無断外出の罰則廃止」などを掲げ、患者作業の無期限スト、国会や厚生省大臣室、玄関前での座り込みなどの強硬な反対運動をした。しかし、全患協は、法案が可決されたことを踏まえ、昭和二八年八月一〇日、今後の法実施に当たっての細部の運用について厚生省と交渉を開始し、その結果、昭和二八年八月一三日交渉は妥結した(乙第一四号証「らい予防法廃止の歴史」一五五ページ以下)。この交渉を契機に以後全患協と厚生省は毎年予算交渉を行うことが恒例となり、後述するが、ハンセン病に関する医学的知見の変遷とともに、また、新法は、この時の運用交渉や附帯決議事項によって、実際には骨抜きの法律となり、形骸化することになるのである(乙第六四号証「ハンセン病政策の変遷」一三六ページ)。

被告(国)の指定代理人の『準備書面(五)』でいう(乙第一四号証「らい予防法廃止の歴史」)は、一九九六年六月発行の大谷藤郎さんの著書であり、(乙第六四号証「ハンセン病政策の変遷」)は、一九九九年三月の犀川一夫さんの著書である。二人とも、熊本地裁公判の証人である。
 被告(国)の指定代理人の『準備書面(五)』は、さらに、次のようにも主張している。
  
全患協の運動が何故、法の廃止ではなく、法改正であったかについては色々な意見があるが、@らい予防法によって、入所者の生活が成り立っているので、法を廃止してしまえば強制退所させられる可能性があること、A法廃止により、改善した高水準の処遇の根拠がなくなるのをおそれたこと、Bらい予防法の立法趣旨からすれば、隔離条項と医療・福祉の条項が密接不可分であるのに、前者のみを削ることが立法技術上可能であると信じていたことにあるとする見解もある(乙第四八号証「ハンセン病医学」三〇八ページ)。
大谷氏は、昭和四七年に、厚生省医務局国立療養所課長に就任し、療養所を開放的な雰囲気にし、更に入所者の処遇改善を図ったが、その際、予算獲得の手段といて隔離条項を最大限利用した旨、熊本訴訟において証言している。関係者の間では、患者の処遇改善も手段として、形骸化したらい予防法の隔離条項は残しておく方が得策との考え方もあったのである(二四六〜二四七ページ)。  

(乙第四八号証「ハンセン病医学」)とは、大谷藤郎監修『ハンセン病医学』東海大学出版会(一九九七年九月発行)で、同書で三〇八ページを書いたのは、多磨全生園の村上国男園長である。また、「大谷藤郎証書、経歴表」によると(拙書『「らい予防法」国賠請求事件資料の考察(第二集)』(二〇〇〇年五月発行、三六ページ参照)、職歴は、一九七〇年六月に公衆衛生局検疫課長となり、一九七二年八月、医務局国立療養所課長から終始、ハンセン病に関わる厚生省の国家官僚を歴任し、一九八三年八月に厚生省医務局長を辞職するまで、「らい予防法(新法)」の存続を認めてきた人物である。端的にいえば、厚生省の国家官僚時代の大谷藤郎さんは紛れも無く、ハンセン病対策の「隔離」政策に手をつけることなく、改正の提案を政府内ですることもしないで、従来の国のハンセン病対策の「隔離」政策を踏襲した張本人である。
大谷藤郎さんのハンセン病に関わる厚生省の国家官僚時代における責任の追及と検討なしに、「らい予防法」国賠請求事件の裁判が、――「原告勝訴」することは、きわめて困難である。繰り返していう。大谷藤郎さんの厚生省の国家官僚時代における責任の追及こそ、国家のハンセン病政策批判のそのものとなろう。退職後は、一九八八年十二月から二〇〇〇年六月現在まで、大谷藤郎さんは、財団法人藤楓協会理事長である。財団法人藤楓協会の今日まで果たしてきた事業や役割も、「大谷証言」(一九九九年十月八日)で、かれが言った内容でいいのかを、この訴訟の中で、考えてみる必要がある(「皓星社ブックレット・H」一九九〜二〇〇ページ)。
隔離収容で皇室、とりわけ皇太后節子の果たした役割や、癩予防協会の問題をタブー化して、今回の裁判は熊本、東京、岡山の各地裁で進行している。そうした姿勢で、国の長年にわたる近代日本のハンセン病対策の「隔離」政策を裁くことが、可能なのであろうか。大谷さん自らも主張しているという「歴史の真実と責任の所在を明らかに」することが、本当に出来るのだろうか。
「皓星社ブックレット・H」の『証人調書@大谷藤郎証言』(二〇〇〇年四月発行)で、西日本弁護団 徳田靖之団長は「大谷証言について」、一九九九年十月十日に、国立療養所・栗生楽泉園で講演した内容が収録されている。徳田靖之さんはその中で、次のように語っている。

「和泉先生、大谷先生、そして犀川先生と続く歴史的証言の積み重ねによって、もはや原告の勝利は動かしがたいものになったと言って過言ではありません。私たちは法廷のなかでは、まさに圧倒的に有利な状況を切り開いてきました。」

 私は、各二度にわたる和泉証言、大谷証言及び、本年一月二八日の犀川証言(第二回目の三月三日の「証言」は未見)を繰り返し読んだが、二〇〇〇年六月六日現在の心境は、徳田靖之あんのいうような「楽天的」な気持には、とうていなることはできない。
「瀬戸内訴訟」と「西日本訴訟」の「訴状」や原告ら訴訟代理人「準備書面」も、被告(国)指定代理人の「答弁書」や「準備書面」の内容も読んでみた(「東日本訴訟」は、『訴状』の内容しか見ていない)。三度ほど岡山地裁の公判を傍聴し、五月十一日に一度、熊本地裁の公判を傍聴した。しかし、被告(国)が、徳田靖之さんの講演しているように、「……大谷先生が指摘された、歴史の真実と責任の所在を明らかにしたうえで、国に謝罪を求めること、正当な賠償をかちとること、療養所の将来計画を賠償責任に基づき入所者の意思に従って定める旨公式に文書で認めさせること」が、熊本地裁や岡山地裁の裁判長の判決を通じて、果たして可能なのであろうか。また、被告(国)は、「国の謝罪と正当な賠償」を認めるであろうか。その点について、私は悲観的である。

岡山地裁第一民事部に提出した被告(国)の『準備書面(五)』(五月一六日付け)を読んでも、被告(国)は、過去のハンセン病政策を反省し、原告らに「謝罪し、正当な賠償」を行う気配は全くないといっていい。つまり、被告(国)は、「国家の謝罪と個人を対象とした賠償」を前提に、原告らと「和解」に応ずるといった可能性は殆んどないように思う。被告(国)の「国家の謝罪と個人を対象とした賠償」を前提に、被告「敗訴」の判決が、地裁段階で出るようなことがあっても、被告(国)は、高裁へ「上告」してくるだろう。最高裁までいけば、この「らい予防法」国賠請求事件の裁判は、「十年裁判」を覚悟しなければなるまい。法曹界のことに暗い私のこうした判断は、間違っているのだろうか。この裁判の短期の終審、判決、「和解」という予想は、多分に関係者の甘い「過信と幻想」に過ぎないのではないか。
ハンセン病・国賠訴訟を支援する会代表の東京・清瀬の田中等さんは、支援する会『会報』第九号(二〇〇〇年五月)の「編集前記・明るく楽しくねばり強く…!」を書き、次のように言っている。

「……もうしばらく『明るく楽しくねばり強く』っくらいの合言葉でやっていくほうが、よろしかろうと、僕には思えるのだ。背伸びや気負い、投げやりや諦観、過信や幻想、啓蒙主義や前衛主義……そんなことこんなを排却することを心がけながら、さしあたっては、ともに前へ、前へ。『まだ一年』あるいは『もう一年』、『まだ六〇〇人』でなければ『六〇〇人も……』等々……そんな評価を、いま、シャニムニ一方に絞り込む要もないのではないか。気をつけてよう、暗いコトバとマジな顔」(四ページ)。

『全患協ニュース』第三一号(一九五三年九月一日付け)には、「反省と前進(全国の療友に)」と題する「主張」が、掲載されている。山本俊一著『日本らい史』東京大学出版会(一九九三年)には、この「主張」(論説)を紹介しているが、山本さんは、反省と前進(全国の療友に)」の前半の部分しか、掲載していない。次に、この全文を載せて、当時の全患協が「らい予防法闘争」の意義の見解について、見ていこう。なお、「らい予防法闘争」の詳細は、全国ハンセン氏病患者協議会編『全患協運動史』一光社(一九七七年)五〇〜六二ページ、及び『全患協運動史』の編集委員の一人である大竹章著『無菌地帯――らい予防法の真実とは――』草土文化(一九九六年)二三二〜二六三ページなどを参照されたい。

全国一万療友が必死の反対をしたにも拘らずらい予防法は遂に原案のまゝ成立し、八月十五日附をもつて制定公布されました。誠に残念であります。然し、このことだけをとらえて、吾々は完全に失敗し、凡てはもう終りだなどと考えるのは誤りであります。今度の運動を通じて吾々が得た教訓と成果は決して小さなものではありません。吾々は団結の力を知り、卑屈な劣等感の枠をつき破つて社会人として呼吸し、実践することを学びました。優越感からでた安易な同情の代りに、社会各層の多くの人々のあたゝかい理解と真剣な注目とを得ました。又与野党一致した、国会はじまつて以来と言われる九項目の附帯決議がつけられたことも、予防と療養所経営の万般について厚生省の主脳部と五日間に亘る会議をもつことができたのも、見逃すことのできない運動の成果であります。
運動の成果を正しく評価するとともに吾々は吾々がおかした誤りを率直に反省する勇気をもたなければなりません。吾々は自分たちの力だけで総てが解決するという錯覚にとらわれていなかつたか。最も身近かにある職員の人たちと心から結びつく充分の努力を払つたか、最も弱い人たちを中心に考える園内社会保障の確立に充分の力を注いだか、園内の多くの矛盾を糾し、全療友の真の民主的統一をはかつたか、運動の準備と内外への宣伝活動に欠陥はなかつたか。
吾々はこれらの点について誤りをおかしていたことを率直に認め、これを充分に反省是正し、さきに述べた成果を踏み台にして、運動を更に継続前進させてゆかねばなりません。そしてこの運動は法律条文の改正一点に止まることなく、平和な明るい療養所をきづきあげる運動に発展させられ、吾々が病苦と不当な強制の一切から解放されるまで続けられなければなりません。
全療友の皆様、最も弱い療友を中心にしつかり守り乍ら、多くの友と手を握つて力強い前進を続けましょう。                                                                                                                                                                         

 『全患協ニュース』も次号=第三二号(一九五三年十月一日発行)は、山縣(勝見)厚生大臣が、一九五三年九月十八日に多磨全生園の視察を行ったことを報じている。同紙には、次のような記事が書かれてある。

 ……自治会委員のたつての要請を入れて、古い重病棟、男女不自由舎、夫婦舎、少年少女舎その他をつぶさに御視察の上、全入園者がお待ちする公会堂に来場になり、林園長の歓迎の挨拶、続いて、湯川全生会副会長より、家族援護、強制収容、所長の懲戒検束権、医師看護婦及び現業職員の増員と待遇改善、高等学校の建設、病棟不自由舎その他の古い家屋の整備、及び悪道路舗装等の重要問題について陳情を申し上げ、大臣接渉により先に成立した予防法の附帯決議九項目の早期実現と、この実現により必然的に生じてくる予防法の再改正を、次期国会に於て是非具体化していただきたい旨を強く要望した……   

 藤野豊さんは、「『いのち』の近代史(七六)――破られた約束――」(『多磨』一九九八年五月号)の中で、次のように書いて、国の不法――国会参議院で可決した「付帯決議」の不実行を批判している。

この付帯決議に対し、厚生政務次官中山マサは「患者のいろいろな、施設のため、或いはいろいろな、今の付帯決議を拝承いたしておりましたのでございますが、政府といたしましても御要望のあるところを体しまして御意見(御意思―滝尾)を尊重し、尊守(遵守―滝尾)することをここに慎んで申し上げる次第でございます」と明言した(『第十六回国会参議院厚生委員会会議録』第二六号)。
では、以後、厚生省はこの付帯決議を「尊重」「遵守」してきただろうか。「入所者の自由権」の「保護」、「強制診断、強制入所の措置」における「人権尊重の建前」などは、以後の長い「全患協」→「全療協」のたたかい無くしては到底実現できなかったことは、改めて言うまでもないであろう。「病名の変更」についても、「らい」という呼称が消えたのは、一九九六(平成八)年三月三一日、「らい予防法」が廃止された時であった。
そして、何よりも「近き将来本法の改正を期する」という約束も反古にされた。一九九六年の廃止まで、実に四三年間、この法律は改正されずに存続いしたのである(八ページ)。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         


第二章 被告(国)が提出した『準備書面(五)』の問題点(T)
 
 岡山地裁に被告(国)が提出した『準備書面(五)』には、次のように述べている。『準備書面(五)』の問題点のいくつかを指摘したい。

(一)少数切り捨ててきた一貫した国の論理

『準備書面(五)』の二四九ページには、「莫大なコストをかけて一般医療機関でも治療できる体制にすべきか(そのためには、大学教育を含め、膨大なコストがかかる)については種々の要因を考慮して判断する必要のある医療政策上の問題」という。「莫大なコスト」とか、「膨大なコスト」とかいうが、どの位のコスト(金額)を考えて国はいうのか分からない。こうした考えかたが、少数切り捨ててきた国の一貫した論理であろう。
 @「らい予防法」の廃止(一九九六年四月)の一年後、医療法人恵会吉井皮膚科から鹿児島大学皮膚科へ紹介受診され、ハンセン病と診断され、二ヵ月後に自殺(縊死)した鹿児島市出身の女性(九十歳)の「悲劇的な結末」(同「報告書」四四ページ)は、国のこうした政策の犠牲ではなかったか。
 A「国際化」が一方では、さけばれるなかで、この『準備書面(五)』の記述は、国の施策が余りにも、「自国民中心」的な考えである。

(二)新「隔離」政策を推進した厚生省官僚時代の大谷藤郎課長・局長のこと(そのT)

『準備書面(五)』は、二五〇ページで、次のように書いている。
「……厚生省は、昭和二八年(一九五三年―滝尾)の新法制定の際の患者の大規模な反対運動やこれに続く交渉によって、昭和二九年(一九五四年―滝尾)以降、療養所の予算の執行や療養所の運営については、患者団体の意向を最大限尊重するということにしており、他方、新規発生患者は著しく減少していたため、日本におけるらい対策が、既に療養所に入所している者の処遇をどうするかということを中心に据えたものになっていたことは否めない」。
 『準備書面(五)』のいうように、「患者団体の意向を最大限尊重するという患者団体の意向を最大限尊重するという」のなら、なぜ、一九五三年九月十八日に山縣勝見厚生大臣が多磨全生園を訪問した際にも、湯川全生会副会長が「予防法の(参議院の―滝尾)附帯決議九項目の早期実現と、その実現により必然的に生じてくる予防法の再改定を次期国会に於て是非具体化していただきたい旨を強く要望」している。
 それに対して、山縣勝見厚生大臣は、「先ほど代表の方から要望はすべて事務的にいろいろと話が進められているようだ。局課長の人達がやつていてくれる。(中略)代表の方から云われるまでもなく、大蔵大臣に対して要求し、皆さんが早く癒り、早く家族のもとに帰つてもらうよう努力している」と答えている(『全患協ニュース』第三二号(一九五三年一〇月一日発行)。この「附帯決議九項目の早期実現と、その実現により必然的に生じてくる予防法の再改定を次期国会に」提出しなかった厚生省の責任は、どうなるにか。四十三年間、放置したままではないか。
 岡山地裁に被告(国)が提出した『準備書面(五)』は、さらに、
「大谷氏は、昭和四七年(一九七二年―滝尾)に、厚生省医務局国立療養所課長に就任し、療養所を開放的な雰囲気にし、更に入所者の処遇改善を図ったが、その際、予算獲得の手段といて隔離条項を最大限利用した旨、熊本訴訟において証言している」。また、「形骸化したらい予防法の隔離条項は残しておく方が得策」(二四七ページ)という考え方もあったことを紹介している。これは、一九九六年三月三十一日まで、「らい予防法(新法)」を放置した国の責任放棄を免罪にする「いいわけ」にはならない。「らい予防法」の隔離条項をそのまま残しておいて、療養所内の「改善」だけを図るならば、療養所外の「社会」に対して、何をもたらすのか、被告(国)は考えたことがあるのか。療養所内の人たちが療養所外の「社会」にますます出難くする、それは、ソフトな「隔離政策」ではないのか。
 そのことについて、一九九九年一〇月八日、熊本地裁での第二回「大谷尋問」で、原告ら代理人の徳田靖之弁護団長によって、的確な指摘がなされている。その尋問した内容を、次に述べてみよう。尋問番号の「五三から五七まで」である。

徳田 昭和四七年(一九七二年―滝尾)、先生が課長に就任された当時、国立ハンセン病療養所の予算」というのがここに書いていまして、七五億一七一五万円、その当時の啓発普及等の事業費が三四五万円、社会復帰者支援事業費というのが、一五二一万円、大体こんな予算規模だったんでしょうか。
大谷 そうだと思います。
徳田 この予算の推移を見ますと、国立ハンセン病療養所予算のほうは一〇年間で三倍以上、大変な額まで膨張していますね。
大谷 そうです。
徳田 これは先生が大蔵省と折衝しながら。
大谷 これは給与金とそれから施設ですね。鉄筋コンクリート化するということを強力に押し進めましたので、その予算が非常に大きいと思います。
徳田 これに対して、例えば啓発普及等事業費は一〇年後の昭和五七年(一九八二年)を見ますと半額になっていますね。それから社会復帰者の支援事業費というのは、金額も少ないんですが、伸びも一・七倍ぐらいにしかなっていない。予算の配分とか、額の増額の内容を見てみますと、療養所の処遇改善には沢山お金が使われているけれど、啓発だとか、あるいは療養所の人が外に出ようというのには予算がもうほとんど使われてないというような状況ですね。これが先生が言われた予算の面で、結果として全然差がついてしまっていると、こういうことですね。
大谷 はい。
徳田 先生が一生懸命努力された事柄について私どもが批判をする資格は全くないわけですが、結果としてなんですけれども、そうなりますと、療養所の中では少しずつ給与金であるとか、住まいがよくなったりという形で、改善が積み重ねられていきますね。ところが、出ようとするとそれを保障する手当てはほとんどされてない、啓発もされてないので社会の状況は変ってない、先生方が努力をされて療養所の中がよくなればなるほど出にくくなると、これが結果として起こっているように思われるんですが、その点はいかがでしょうか。
大谷 そのとおりです。……(以下略)

 私は、尋問をしている原告ら代理人の徳田さんは、大谷藤郎さんが厚生省でハンセン病を担当する国家官僚であった時は、この時代に即応した「隔離政策」の実行者であることを、見通している方だと思った。そうでないと、このような尋問は出来ない。しかし、私のように露骨な表現をしていないで、大谷さんの厚生省の官僚であった時代の、大谷さんを尋問していると思った。
 被告(国)は、勘違いしないで欲しい。大谷さんは、紛れもなく被告(国)にとって「内側」の人で、けっして「外側」の人ではないのだということを。従って、一九七二年以降の十余年間の被告(国)の行ったハンセン病政策の批判を行うことは、元厚生省高官の大谷藤郎さんの批判なしには成り立たない。そのことは、原告らが国家の謝罪を求め、正当な賠償をかちとる訴訟も亦、あり得ないということである。

 ところで、大谷藤郎著『らい予防法廃止の歴史』(一九九六年六月)のなかで、大谷さんは、次のように自己の厚生省時代のことについて、記述している。 

 「こうしてらい療養所内の患者さんの処遇をよくするために、私は死に者狂いで大蔵省と折衝し、食、住、医療、福祉にかかわる国立らい療養所予算の獲得に奔走した。一九七三年(昭和四八)年度以降の予算額の推移を見れば、その成果をわかっていただけよう。また、患者さんの外出や旅行については、すでに一部で里帰りが行なわれていたし、とうぜんのこととして黙認することにした。(中略)私の厚生省内での地位は、その後大臣官房審議官、公衆衛生局長、医務局長と官僚としての階段を踏んでいったが、その間私の事実上のハンセン病の患者さんの開放化方針は一貫していた。患者さん方は非合法であるが年々相対的に自由を獲得し、私はそれなりの成果を挙げ得たと思う」(二五四ページ)。

 大谷さんの「回顧談」として、自慢話をなさるのを、私はとやかくいうつもりはない。しかし、『らい予防法廃止の歴史』として、銘打って書かれている以上、歴史研究者として、この記述を黙視するわけにはいかない。
 療養所内の人たちが、「自由を獲得」していったのは、一九五三年の「らい予防法反対闘争」にみられるような全患協を中心とする、まさに「死に者狂い」の闘いがあり、その後も、粘り強く毎年のように行われた運動の結果であって、一人の国家官僚である大谷さんの努力の「成果」だと思っているとすれば、それは見当違いというものである。
それに、「WHO」をはじめとする、世界のハンセン病に対する動向や報告、勧告も政府は、無視できなかった。加えて大谷さんの厚生省で国家官僚をしていた十年余は、福祉の向上を求める幅広い国民の運動があり、政府もある程度、国民の与論や動向を無視できにくい社会情勢にあった。また、高度経済成長に乗じた時期でもあった。こういう状況を言わないでいきなり、大谷さんから、「年々相対的に自由を獲得し、私はそれなりの成果を挙げ得たと思う」(二五四ページ)と自己の「成果」として、こう書かれると、「ほんまかいな」と、私は首を傾げてしまう。
 その点、大谷藤郎著『現代のスチィグマ』勁草書房(一九九三年)の記述の方が、半分は納得できる。

「戦争は終り、私はその後保健所や京都府庁、厚生省でハンセン病問題にかかわってきたが、一方で患者さんに対する国の強圧的隔離政策の基本政策は変わることはなかった。私が出来たことといえばせいぜい微温的な施策の改善にとどまって、『世界の大勢からみてどう考えても行き過ぎであり、人権無視と言える』現行『らい予防法』の改正の運動にまでは踏み込めなかった。昭和五八年(一九八三年―滝尾)に厚生省を退官して民間人となったとき、今まで自分が占めていた役所でのポストの意味をふり返るにつけ、変人、奇人、非常識と役所の中から罵倒されようとも、ハンセン病差別の基本である予防法改正問題に身を挺して取り組むべきであったと悔やまれた。昭和四七年(一九七二年―滝尾)、国立療養所課長に就任して以来、実質的に患者さんの解放政策に踏みきり、治療費の増大、病床や居住棟の個室化への改善、自用費の年金スライドや昭和五四年(一九七九年―滝尾)公衆衛生局長当時には「癩」の呼称を「ハンセン病」と通称することにしたなど、実体を改善していけばそれはそれで前進になるのではないかと考えて努力し、自らを慰めてきたのは、やはり姑息的で小役人的モノの考え方にとらわれていたとしか言いようがなかったと今も悔やまれる。勇気もなく、力もなかったということであろう(二四ページ)。

「ハンセン病差別の基本である予防法改正問題に身を挺して取り組むべきであった」と厚生省の高官だった大谷藤郎さんが、反省されている点は、同感である。しかし、「厚生省を退官して民間人となったとき、今まで自分が占めていた役所でのポストの意味をふり返るにつけ、変人、奇人、非常識と役所の中から罵倒されようとも……」とか、「勇気もなく、力もなかった」とか書かれているが、この箇所はうなずけない。だから、被告国指定代理人(斎藤)は、一九九九年八月二七日の熊本地裁での、第一回目の「大谷証人」の尋問で、大谷藤郎著『現代のスチィグマ』(乙第六五号)の二四ページを示して、次のように尋問している(九九項目)。

斎藤 七行目以下を見てください。ここには、昭和五八年(一九八三年―滝尾)に厚生省を退官して民間人となったとき、今まで自分が占めていた役所でのポストの意味をふり返るにつけ、変人、奇人、非常識と役所の中から罵倒されようとも、ハンセン病差別の基本である予防法改正問題に身を挺して取り組むべきであったと悔やまれた、というふうに記載されてありますね。どうして当時法の廃止を言えば奇人、変人、非常識というふうに役所の中で罵倒されるというようにお考えになったんですか。
大谷 これは一言で言うには難しいんですけれど、やっぱり役所というのは、ある種の平和的ないろんな行政の実務が流れているなかでありまして、そういうなかで大体うまくいってるものについて、突然異を立てて言い出すと、それが例えばらい予防法の場合は数十年、私の生まれる前からの法律でありますが、それが間違っていたということを言って、ほとんどの人は、まだ当時はそういう認識がないところで、そういう異を立ててやる場合に、やっぱりこれはトラブルメーカーと申しましょうか、そういうふうに誤解をされる……(以下略)

 この大谷さんの「証言」は、私には理解出来ないし、同意もすることが出来ない。大谷さんが厚生省医務局の国立療養所課長になった一九七二年八月の十九年前、全患協の壮絶ともいえる「らい予防法反対闘争」を無視して、「らい予防法(新法)」が成立する。しかし、前述したように、その際、参議院は附帯決議としての九項目をあげ、「近き将来本法の改正を期す」と明記した内容を満場一致で可決している。厚生政務次官中山マサも、附帯決議の対し、「政府といたしましても御要望のあるところを体しまして御意思を尊重し、遵守することをここに慎んで申し上げる次第でございます」と明言している。
 その後も厚生省内でも「らい予防法」改正の取り組みもなされている。『全患協ニュース』第二二一号(一九六三年一〇月一五日には、次のような記事を載せている。

 らい予防法改正要望書を携えての厚生省陳情は、……結核予防課長に対し十月十四日午後一時、全患協全支部代表は藤楓協会において陳情を行つた。
(小西結核予防課長)三十九年度(一九六四年度―滝尾)にらい予防制度調査会を作るべく予算要求している。その調査会において制度の改正について考えたい。厚生省内でもまだハンセン氏病についての知識が足りない。省内において勉強しなければならないし、関係部局内の意見をまとめることゝ、国会、一般へのPRも必要である。私は皆さんに度々お逢いして実情は聞いているが、尚充分意見を聞きたい。
(全患協)改正の時期が一年延びるがその理由は何か。十年前と病気に対する考え方が大きく変つているが、調査会の委員を選ぶ方法はどうなのか。
(小西課長)長く続いている制度をかえろことは、時間がかゝる。厚生省としても早く改正したいと思うが、長く療養所に関係している者の頭が変らないから難かしい。調査会の人選はまだゞが、最も適当な人を選びたい。改正時期については三十九年度(一九六四年度―滝尾)研究して、四十年度改正する。これが最も早い改正だと考えている。何故なら、現在治療する場所と云えば療養所だけしかない。在宅治療を行うとすると、それ等の受け入れ態勢を併行いてやらなければならない。これ等のことを考えると四十年度(一九六五年度―滝尾)は長すぎる期間とは思わない。

小西結核予防課長は、このように全患協代表に答弁している。『全患協ニュース』第二二四号(一九六三年一二月一日には、前全患協議長の池上謙次郎次議長「辞任にあたつて」と題する挨拶を述べて、次のように述べている。

……事務部長研究会は数年来検討した「療養所の在り方」について草案をまとめ、年内に報告し発表する模様です。この「療養所の在り方」は私達が行つている、予防法改正運動に併行して進められるようすです。全患協が要求している予防法改正に便乗して合理化の動きが一方で計画されているわけです。私達はこうした動きに対して、どのような方法で対処するか充分討議しなければなりません。そして悔を残さないよう万全の態勢をとる必要があります。

 しかし、池上謙次郎次議長の杞憂は、現実のものとなった。そのあたりのことを後藤悦子さんは、藤野豊編『歴史のなかの「癩者」』ゆみる出版(一九九六年)の第五章 「法的差別の撤廃に向けて」のなかで、次のように書いている。長文の引用になるが、許していただきたい。

こうした厚生省の不実な態度に対し、入園者が激怒したことは言うまでもない。だが、全患協の法改正運動は、事務部長研究委員会(藤楓協会が主催する、各療養所事務部長による研究会)のまとめた「らい対策の大綱」が発表されるやいなや、一八〇度の転換を迫られることになる。
 この「らい対策の大綱」は、同委員会が六五年一月、ハンセン病に対する制度と療養所のあり方を                                                                                                                                                根本的に改めようとして、二四回に及ぶ会議を経てまとめたものである。その主な内容は「結核予防法に準じてらい予防法を改正し」「患者に受療の自由を与えるとともに、外来治療(在宅治療)を認め」「治療費は原則として有料とし」、「療養所を五つの施設(それぞれ治療・老人・肢体不自由者・盲人・庇護授産を主とする療養所)に改編する」というものであった。外来治療を認めている点はともかくとして、治療費の有料化を掲げたり、安易な療養所改編案を提示したりするなど、この大綱のねらいが療養所運営の経費削減(合理化)にあることは一目瞭然であった。また、退園者の補償や強制隔離による揖失の補償など、全患協が一貫して要求し続けてきた重要な問題がこの大綱からはいっさい抜け落ちており、入園者の置かれた立場を完全に無視する内容となっていた。                                                                                                                      
 しかし、この大綱が事務部長研究委員会の最終的な結論である以上、厚生省のハンセン病対策に何らかの影響を与えることは必至であった。折しも、厚生省は、合理化に向かいつつある医療行政の動きの中で、ハンセン病対策の方針を転換せざるをえない状況に置かれていた。もし、全患協がこのまま法改正運動を押し進めるならば、その運動が大綱に基づく政策転換に利用されることは火を見るよりも明らかであった。全患協はいまや、この動きを阻止する立場にこそ回らなければならなかったのである。
 同年九月一日、全患協は「らい対策の大綱」に村して反対の声明を発表。この年、全患協の「運動方針」からは「予防法改正」という項目が削除された。上記のとおり、厚生省内にある根強い備見と、事務部長研究委員会による無理解な「大綱」の出現、そしてその背後にある医療の安上がり政策の動きの中で、全患協は法改正運動にブレーキをかけざるをえなかったのである(二三〇〜二三一ページ)。

(三)新「隔離」政策を推進した厚生省官僚時代の大谷藤郎課長・局長のこと(そのU)

大谷藤郎さんが、課長・局長として厚生省に在職中は、全患協が「らい予防法」改正要求運動の「慎重論」の台頭期(後藤悦子さんの時期区分)の前半に当たろうか。課長・局長としての大谷藤郎さんは、人権無視の欠陥法をどのように考え、どのようなハンセン病施策を行おうとしたのだろうか。
本シリーズの『第二集』の一〇〜一二ページで私は、大谷藤郎医務局国立療養所課長と鈴木禎一全患協事務局長とが、らい予防法の改正について話し合いが行われたことが、『中央公論』(九六年四月号)掲載の大谷藤郎著「かくてハンセン病隔離は終わった」のなかで、述べられている。同誌によると大谷国立療養所課長は、鈴木全患協事務局長から、「先生が課長をやっているうちに法改正したらという一部の人からの話があるがどうか」という相談があった。そこで、大谷さんは、次のように答えたという。――「皆さん方の住居とか食事とか医療費を改善するのが緊急の課題だから、らい予防法はそのままにしておいて、やっぱり自分の責任で大蔵省と交渉して、それでよくしていきましょう」と。

『全患協ニュース』第六〇八号(八二年六月一五日発行)によると、全患協の一九八三年度「予算要求統一行動」が、一九八二年五月二十五日から二十八日までおこなわれ、中央交渉団は五月二十五日、厚生省医務局長(大谷藤郎)に対し、全患協の要求全般について要請した。
「医務局長は、『臨調の厳しい状況下にあって、五八年度予算は、深刻であり見直しを迫られているが、ハンセン氏病関係予算は後退することのないように努力する。予防法改正の話は、今はじめて聞いた。福祉の理念を追求すれば、法改正が必要になると思うが、今の時点では考えていない。改正するにしても、本省が独走することはない……』と回答した。 

十九九九年八月二七日の熊本地裁の「証人調書」を見ると、被告国指定代理人(斎藤)の尋問に対し、大谷証人は、次のような証言をしている(九八項目)。 

斎藤 証人が国立療養所課長に就任後退官されるまでのあいだに、全患協あるいは全国国立らい療養所所長連盟あるいは日本らい学会から、厚生省が正式にらい予防法を改正ないし廃止すべきであるという意見や申し出を受けたことがございますでしょうか。
大谷 私の在任中はございませんでした。

中央交渉団が五月二十五日、厚生省医務局長(大谷藤郎)に対し、全患協の要求全般について要請した内容に対して、大谷藤郎厚生省医務局長が、「予防法改正の話は、今はじめて聞いた。福祉の理念を追求すれば、法改正が必要になると思うが、今の時点では考えていない。改正するにしても、本省が独走することはない……」と回答したのは、全患協が、厚生省に「正式にらい予防法を改正ないし廃止すべきであるという意見や申し出を受けたこと」には、ならないのだろうか。 
もちろん、翌八三年六月七日から一〇日までの「一九八四年度予算要求統一行動」で、厚生省結核難病課の回答要旨に、「予防法を改正するか否かは全患協の統一見解が出来た状態で検討したい」といっているので(『全患協ニュース』第六二八号・八三年六月一五日発行)、当時、まだ「全患協の統一見解」は出来ていなかったことは事実であろう。しかし、すでに一九八〇年一一月一五日の『全患協ニュース』第五七六号で、鈴木禎一全患協事務局長は、「らい予防法の取扱いについて――論議を深めるために」と題して、次のような見解を明らかにしている。

昭和五六年(一九八一年―滝尾)の第二十八回定期支部長会議で、将来構想研究委員会の研究結果の報告と「らい予防法」のとりあつかいについて、全患協として態度を決定することになつています。
昭和三十八年(一九六三年―滝尾)の厚生大臣宛のらい予防法改正要請書や五十年と五十一年(一九七五年と七六年―滝尾)に開催した将来の療養所のあり方研究会の討議のまとめを基礎にして、現行法を改正する運動にふみきるか否かを討議し、結論をだすことをきめています。
のように、この法律は制定後手直しはされていますが、ハンセン氏病を強烈な伝染力をもつ疾病という見方でつくられた点は、今日も改められておりません。
「らい予防法」問題に対する入所者の考え方には複雑なものがあります。大別すれば慎重論と推進論があり、それぞれの論拠をあきらかにしておきます
慎 重 論
@ ハ氏病は伝染力が微弱であり、治ゆする病気となった事実にもとづいて、厚生省も対策を変更しながらすすめています。したがって現行法が形骸化し骨ぬきになっています。あえて改正運動までする必要はないのではないか。
A  改正運動にふみこみ、現行法を議論する過程で、給与金の受給額を洗い出され、既得権をうばわれるのではないかと不安が一部にあること。 
 B 現在入所者は高齢化し、社会復帰の条件がなくなりつつあるが、改正されると強制退所させられるのではないかとの不安が一部にあること。
 (C、D、E、F、 略)
   推 進 論
 @ 法律がハ氏病入所者の医療、生活などの基本的人権をまもるものとなっていない。社会的偏見をささえる根拠となっているので改める運動をすべきであります。                                                                                          
A 地域医療機関への入院拒否など、現実に治療をうけるうえでマイナス面があり、積極的に医療改善の立場からも改定する必要があります。
  E 全患協の要求実現は、永年のあいだ、不利過酷な悪条件やきびしい情勢のなかでたたかわれてきました。福祉切り捨て政策が転換するまで、待っていていいものか。
      (B、C、D、F、 略)
こうした両論の状況をふまえて、私に意見はつぎのとおりです。みなさんの御討議の参考にして頂きたいと思います。
 1、会員の老齢化の速度は早く、今後、活動力が低下していくことはさけられません。この二、三年に運動を起こすことがのぞまれます。
 7、法治国家としての立場からも、いずれは実態に即した改正をせざるを得ない時期がおとずれます。厚生省の解釈と運用にも限界があります。改正時期をのばしても、それでは適当な時期はいつごろでしょうか。
      (2、3、4、6、8、 略)

 被告(国)の『準備書面(五)』は、大谷課長・局長時期の「全患協」が法改正運動の動きをどのように、書いているのか、見ていくことにする。『準備書面(五)』の二四五〜二四七ページには、次のよう書いている。(傍線は滝尾)。

らい予防法の問題とされる条項は弾力的運用によって人権侵害がじじつ上問題とならのいこと、新法改正の際の附帯条項の内容が漸次実現していたここと、強制隔離的な条項の存在が全額国費によるりょうよう、各種の福祉的措置の根拠になっており、患者内部でも法改正が療養所の再編成や保障のない退所につながるとの懸念もあり、慎重論あったことなどの種々の要因から、除々に改正運動慎重論が台頭し、これが主流となって、改正運動慎重論が台頭し、これが主流となって、改正を巡る目立った動きは昭和五九年(一九八四年―滝尾)まではなかった。その後、昭和六三年(一九八八年―滝尾)や平成三年(一九九一年)に全患協の改正運動の動きがあったが、法を廃止は平成七年(一九九五年―滝尾)までなされていない(乙第六四号証「ハンセン病政策の変遷」一六五ページ、乙第四八号証「ハンセン病医学」三〇六ページ)。
全患協の運動が何故、法の廃止ではなく、法改正であったかについては色々な見解があるが、@らい予防法によって、入所者の生活が成り立っているので、法を廃止してしまえば強制退所させられる可能性があること、A法廃止により、改善した高水準の処遇の根拠がなくなるのをおそれたこと、Bらい予防法の立法趣旨からすれば、隔離条項と医療・福祉の条項が密接不可分であるのに、前者のみを削ることが立法技術上可能であるとしんじちたことにあるとする見解もある(乙第四八号証「ハンセン病医学」三〇八ページ)。
大谷氏は、昭和四七年(一九七二年―滝尾)に、厚生省医務局国立療養所課長に就任し、療養所を開放的な雰囲気にし、更に入所者の処遇改善をはかったが、その際、予算獲得の手段として隔離条項を最大限利用した旨、熊本訴訟において証言している。関係者の間では、患者の処遇改善の手段として、形骸化したらい予防法の隔離条項は残しておく方が得策との考え方もあったのである。全患協の法改正運動の主眼は、右のとおり、入所患者の処遇改善であった。

以上、被告(国)が、二〇〇〇年五月一六日に岡山地裁へ提出した『準備書面(五)』の内容である。ここに挙げた個所は、多くの誤りとあいまいな記述が目立つ。同時に、この記述されている一九七〇年から八〇年代の事実は、「らい予防法国賠訴訟」の大きな争点となるというと思う。したがって、ここで書かれた『準備書面(五)』の考察をしてみたいと思う。

【第一】「予算獲得の手段として隔離条項を最大限利用した旨、熊本訴訟において証言している」こと。

 見出しのことは、九九年八月二七日の熊本地裁の「大谷証人調書」で、被告国指定代理人(斎藤)の尋問に対し、大谷証人の次のような証言したことを指しているのか(七八項目)。

斎藤 これかららい予防法の廃止の問題と改正の問題について分けてお聞きいたします。まず証人が国立療養所課長当時に、らい予防法の廃止に向けた行動をとられなかったと、その理由についてまんですが、証人の書かれた本などを読みますと、国立らい療養所がらい予防法を根拠として設立されているから、その法自体を廃止してしまうとらい療養所を改善していく根拠を失ってしまうと、こう考えから廃止に向けた運動というにをとられえなかったということでよろしんでしょうか。
大谷 それだけではないんですけれども、要するに先ほど申しましたように、内閣全体の状況が、今日でいう機構改造、定員削減というふうななかで、患者さん方のハンセン病療養所の定員でありますとか、予算でありますとか、これをよくしていこうとするのは、やはりそれ相応の理論がなければいけないわけでありまして、そうしますとたしょう小役人的ではありますけれども、やはりらい予防法によって強制隔離しているんだから、国としては当然これだけのことをしなければならないのではないかということは、大蔵省のお役人方に対しての説得が楽であったということですが、今日になってみますと、やはりそれは本質をちょっと誤っていたなという反省はあります……

大谷藤郎さんは、厚生省の国家官僚を十余年務め、事務次官に次ぐ官僚としては最高の階段である医務局長になり、退職後は財団法人藤楓協会に「天下る」。(初代理事長の高野六郎、二代目の濱野規矩雄、三代目の聖成稔、そして四代目の大谷藤郎と財団法人藤楓協会の理事長は、すべて内務・厚生の退職「高級官僚」によって占められている。大谷は、一九八八年以来十二年間ものあいだ、藤楓協会の理事長)。
大谷さんにとっては、「らい予防法」をかくも長きにわたって存続させたのは、「熊本地裁の証言」によると、それは、「大蔵省のお役人方に対しての説得が楽であった」ためのものであり、「それは本質をちょっと誤っていたなという反省」のに過ぎない。「ちょっと」という程度の「反省」である。
 一方、『らい予防法廃止の歴史』(一九九六年)という自著のなかでは、「らい療養所内の患者さんの処遇をよくするために、私は死に物狂いで大蔵省と折衝し、食、住、医療、福祉にかかわる国立らい療養所予算の獲得に奔走した。一九七三(昭和四八)年度以降の予算額の推移を見れば、その成果をわかっていただけよう」(二五四ページ)と自己の「成果」として、自慢している。つまり、厚生省在職中の大谷さんは、「らい療養所内の患者さんの処遇をよくする」ことに力を入れて、大谷さんの頭の中は、人権無視の元凶になっている「らい予防法」の存続を考え、「らい予防法」を改正・廃止することなど、一かけらもなかった。その点、全療協の動きとは、まさに対象的である(後述する)。大谷さんは、「熊本地裁(九九年八月二七日)」で、次のようににも証言している(一三六〜一三七項目)。

被告国指定代理人(斎藤) 証人は、厚生省在職中は、ハンセン病の患者さんや療養所の方の利益の確保のための最良の施策は何だということを常に考えながら職務を行ってきたというふうにお聞ききしてよろしんでしょうか。
大谷 常に考えていたのではありますけれども、先ほど申しましたように、昭和五九年(一九八四年――大谷さんが厚生省退職後―滝尾)の宇都宮精神病院事件以来、障害者の人権という問題に深くかかわってきまして、そういう目から人権というものを見まして、やはり自分がやってきたことは、」これは小手先のことであって、「本質的に患者さんの人権、人間の尊厳、あるいは人権の向上ということにやってきたのではなかったのではなかったのではないか」という反省をいたしております。
斎藤 後から振り返ってみると、もう少しやるべきことがあったんではなかというふうに思われるけれども、その当時の認識としては最善を尽くされたということでよろしいでしょうか。
大谷 ですから、いろんな条件のなかでですね。

 以上の「被告(国)側の尋問―大谷証言」を読んで明らかなように、厚生省の課長、局長の時代(一九七二年八月から八三年八月)、大谷藤郎さんは一度も「らい予防法(新法)」の改正、廃棄を厚生省内で提案も、「研究会」もしていない。後藤悦子さんの「法的差別の撤廃に向けて」(前掲『歴史のなかの「癩者」』ゆみる出版、二三七ページ以下)で述べているように、一九八二年三月一八日の『第九四回国会衆議院社会労働委員会議録』によると、森下元晴厚生大臣は、ハンセン病に対する差別と偏見の問題ついての川本敏美委員の質問に答え、過去の誤りを認め、「前向きで検討させていただきます」と、法改正の検討に入ることを約束したという(後藤悦子「論文」二三七ページ)。
 翌一九八三年九月、大臣の答弁に基づき「らい予防事業対策調査検討委員会」が発足した。全患協もこれに関心を寄せている。一九八三年度運動方針は、「運動の基調」として、「二、政府の誤ったハンセン氏病施策、行政的差別をただし、過去の強制隔離政策によってうけた損失の補償と、患者の人権の尊重をすべての要求の基本において運動をすすめる」ことを挙げ、さらに、「重点討議項目」六項目を示しているが、その一つに次のような記述が見られる(『全患協ニュース』第六二四号・一九八三年三月一五日発行)。

    六、「らい予防事業対策調査検討委員会」の対応について
政府は、五十八年度(一九八三年度―滝尾)予算において標記委員会を発足させ、ハ病行政の全般にわたって調査検討をおこなう方針です。
検討内容は @外国の文献調査 A国内における実態調査等を三年計画で実施し結論を出すとしています。「らい予防法」をどう扱うかについては、その後の問題だと明言していますが、臨調「行革」がらみの検討内容になるものと考えられます。
1、 わたしたちの立場と要求を充分反映させるため、代表を「委員会」のメンバーに加えるよう要求します。

 一九八四年度予算要求統一行動は、八三年六月九日に全患協の中央交渉団は大谷藤郎医務局長に対して、激しい交渉をおこなった。厚生省の結核の回答要旨のうち、全患協に対しては、「らい予防法」に関して、次のような答弁をおこなっている(『全患協ニュース』第六二八号・一九八三年六月一五日発行)。

  予防法を改正するか否かは全患協の統一見解が出来た状態で検討したい。
  調査検討委員会の検討内容は一年目は外国のハンセン病に関する文献と現状に関するもの、
  二年目は、退所者の調査、三年目は二ヵ年間の調査を踏まえて、どういうふうに進めるか検討したい。   
 調査検討委員会に全患協を加えることは、療養所課、藤楓協会と私どもとで充分検討し、回答は後日いたしたい。

 一九八四年度のハンセン病関係予算概算要求額きまる。結核難病課所管の八四年度のハンセン病関係予算概算要求額の総額は、八億二百四十九万円(九八・五%)で、一・五%減となっている。「らい予防事業対策調査費千七百二十万円」(『全患協ニュース』第六三五号・一九八三年一〇月一日発行)。
 その年、一九八三年八月に大谷藤郎さんが厚生省を辞職、医務局長には吉崎さんが就任した。
『全患協ニュース』第六三四号(一九八三年九月一五日発行)によると、全患協代表者会議が、同八三年八月三十一日から九月二日まで駿河支部で、全国十三支部の代表が出席して開催され、「らい予防事業対策調査検討委員会」を議題として、討議がおこなわれた。
厚生省が、同委員会の構成メンバーを決定したが、全患協からは、小泉孝之元全患協会長が選ばれた。同委員会は、@外国の文献調査 A国内における実態調査等を三年計画で実施するのみで、らい予防法問題の検討を目的とはしなかった。後藤悦子さんがいうように、「厚生省には予防法を改正する意志など一かけらもなかったのである」(前掲『歴史のなかの「癩者」』ゆみる出版、二三八ページ)。


【第二】「らい予防法」の改正を論議する全患協の八〇年代の胎動

被告(国)の『準備書面(五)』は、「法改正及び法廃止運動」という項のなかで、次のように述べている。

 「以上のように、化学療法の発達等によって戦後の入所者の状況が著しく変化したことに伴い、全患協は、昭和三八年(六三年―滝尾)に、『病名変更、強制入所の排除、秩序維持条項の廃止、退所者の保障、外来治療の促進、強制収容による損失の補償』などを骨子とする法改正運動を行った。しかしながら、この法改正運動については、過去の入所者措置等については当時の医学的知見に照らして誤っておらず、補償の根拠がないとの見解を有していたこと、スルフォン系薬剤も再発や菌の耐久の点で問題があったこと、らい予防法の問題とされる条項は弾力的運用によって人権侵害が事実上問題とならないこと、新法改正の際の附帯条項の存在が全額国費による療養、各種の福祉的措置の根拠になっており、患者内部でも法改正が療養所の再編成や保障のない退所につながるとの懸念もあり、慎重論もあったことなどの種々の要因から、除々に改正運動慎重論が台頭し、これが主流となって、改正を巡る目立った動きは昭和五九年(一九八四年―滝尾)まではなかった。その後、昭和六三年(一九八四年―滝尾)や平成三年(一九九一年―滝尾)に全患協の改正運動の動きがあったが、法を廃止する運動は平成七年(一九九五年―滝尾)までなされていない(乙第六四号「ハンセン病政策の変遷」一六五ページ、乙第四八号証「ハンセン病医学」三〇六ページ)。
         (略)
大谷氏は、……入所者の処遇改善を図ったが、その際、予算獲得の手段として隔離条項を最大限利用した旨、熊本訴訟において証言している。関係者の間では、患者の処遇最善の手段として、形骸化したらい予防法の隔離条項は残しておく方が得策との考え方もあったのである。
全患協の法改正運動の主眼は、右のとおり、入所患者の処遇改善であった(二四四〜二四七ページ)。

 この被告(国)の『準備書面(五)』の記述は、多くの誤謬をもつ内容を持っているといえる。先ず、その点から指摘しておきたい。
 〔その一〕 被告(国)の『準備書面(五)』は、「全患協の法改正運動の主眼は、右のとおり、入所患者の処遇改善であった」いう。全患協の法改正運動のなかに、「入所患者の処遇改善」もあったことは、当然である。全患協事務局編『厚生省会談速記録』(一九五三年八月九日〜一三日)や全日本国立医療労働組合編集・発行『白書・らい』(一九五七年七月)にみられるように、療養所内の生活と医療は劣悪をきわめた。
 同時に、「らい予防法」改正運動は、「人としての人に値する世界を願っての闘い」であり、人権復帰の闘いであった。
 『全患協ニュース』第六〇三号(一九八二年三月一日発行)には、「予防法改正を望む」趣旨の記事が二つ掲載されている。その一つは、前年の十二月七日に『東奥日報』載った荒川巌 松丘保養園長の「まだ残る差別と偏見――予防法改正望む――」であり、いま一つは「みんなの広場」に投稿された田中弘(多磨)の「予防法改正運動は基本的人権の闘争」と題する記事である。
 荒川巌さんの記事から、先ず紹介しよう。

「先ごろ、秋田で、軽い皮膚病をハンセン病と思いこみ、母親が二児を絞殺し、自分も自殺を図り、未遂に終わった、と言う記事が報道されていた。
 ハンセン病は、今日では、治療すれば治る普通の病気となり、また伝染力が弱いので、特別な取り扱いを必要としなくなっている。医学・医術の進歩とともに、ハンセン病に対する理解が全く変わってしまったといえよう。(中略)
 普通成人にはハンセン病に対する免疫が成立しているため、ハンセン病療養所に働く職員に伝染した例は、創設以来七十余年一件もない。いまでは、万一感染しても治療の方法があるので気をもむ必要はないとさえいえる。
 これから、われわれの社会を福祉社会に育てるためには、病む者とともに病み、苦しむ者とともに苦しむほどの精神が、その土台として培われなければならない。この点で、従来のらい予防法は、健康者を守るためハンセン病患者を差別し、犠牲を強いる予防法であるので、これは一日も早く撤去して、正しい医療を目指すハンセン病医療法に改めなければならない時がきている。
 従来の国家的偏見を断ち切って、本来の医学的理解に基づく新秩序に、軌道修正する法改正が、どうしても必要であると思われる。「社会通念の熟するのを待って」とか、「新発生患者が減少しているので、このままでもハンセン氏病問題は終る」とか、法の問題をタナ上げしてケジメをつけないまま社会の偏見と差別を論じていても、正鵠(こく)を得ているとは言えないと思われる」

(以下、「〜「第3集」の後半は略した=滝尾:ソロクト裁判判決の前夜の2005年10月10日に記す)