『植民地下 朝鮮におけるハンセン病資料集成』の刊行終了にあたって


 

滝尾 英二

 

『植民地下 朝鮮におけるハンセン病資料集成』は、第8巻をもって刊行終了いたします。

植民地下 朝鮮におけるハンセン病の歴史研究をはじめて八年余の歳月がたちましたが、その間、持病の糖尿病が悪化するなどのため、入退院を繰り返してきた。そして、最近、主治医は「いまのペースで研究生活を続けることは、合併症を併発し、いのちをおとすことにもなり兼ねない。心身ともに余裕をもって研究を継続していくことをお勧めする」と私に告げた。

病院で受けた諸検査の結果をみても、そのことがうなずける。幾人かの知人とも相談しましたが、『資料集成』は、第8巻で終了した方がよいのではないか、という意見でした。私としては、読者の方々や出版していただいている不二出版に対して申しわけない気持ちですが、主治医や知人たちの意見に従いたいと思い、『植民地下 朝鮮におけるハンセン病資料集成』の編解説は第8巻で終えたいと思います。これまで、この『資料集成』をご購読していただいた方々に対し、お詫びを申しあげたいと思います。

 

さいわい、第9巻「朝鮮総督府官報にみるハンセン病」に予定していた内容の一部は、滝尾英二編著『日帝下朝鮮の「癩」政策と小鹿島に生きた人びと 日帝下朝鮮の「癩」に関する資料集―第2輯―』人権図書館・広島青丘文庫(一九九五年一一月)として発刊しており、また、第10巻収録予定であった「年表」は、滝尾英二編『日本・朝鮮近代ハンセン病史・考〔資料編〕

 東アジアにおける「人権の歴史」資料シリーズ(第4輯)』人権図書館・広島青丘文庫(一九九九年一月に「年表」および、滝尾英二著『朝鮮ハンセン病史 植民地下の小鹿島』未來社(二〇〇〇年九月)収録の「年表」があるので、これらの冊子を参考にしていただきたい。なお、『朝鮮総督府官報』の完全復刻版(全一四二巻)は、韓国学文献研究所編で亜細亜文化社(ソウル)から一九八五年に出版され、その『総索引』全五巻も一九九〇年に同社から発行されている。これらの『朝鮮総督府官報』全巻と『総索引』は、神戸市立中央図書館大倉山の「青丘文庫」など日本の何箇所かで閲覧することが可能である。

 

 最近、ハンセン病問題を研究する若い人たちが、私の周囲に数多くいることをうれしく思う。本年の八月、韓国のハンセン病療養所である国立小鹿島病院をはじめ、大邱(テグ)やソウルのハンセン病施設をハンセン病問題研究者たちと一緒に訪問する。こうした方々と協力して、近い将来、国内・植民地における日本のハンセン病問題の『資料集』および、『日本近現代ハンセン病の歴史』の編集と執筆を、病いと「共存」しながら、時間をかけて行いたいと考えている。出版不況が叫ばれている状況のなかで、出版することは困難かとも思うが、稿本だけでも残しておくことが、余生幾ばくもない私に架せられた最後の仕事ではないか、それが、ハンセン病問題の資料を死蔵することなく世に出すための研究者としての使命であり、持病悪化のため、『植民地下 朝鮮におけるハンセン病資料集成』を第8巻をもって、終えなければならなくなった私のせめてもの責任ではなかろうかと考えている。いつ、国内・植民地における日本ハンセン病問題の『資料集』および『日本近現代ハンセン病の歴史』の編集と執筆が可能かは、いまのところ見当がつかない。しかし、果たさなければならない私の仕事であることは、間違いないことだと考えている。

 

 亡くなった島田等さん(一九九五年一〇月二〇日の夕方、六九歳で永眠)が、「らい予防法」廃止後のことなど、書くべきことが沢山ある、といいつつ息を引き取ったと、『島田等遺稿集・花』の「あとがき」で、宇佐美 治さんが書いている。一九九五年九月一〇日、私(滝尾)も長島愛生園「治療センター病棟」に入院している島田さんをお見舞した。島田さんは、膵臓ガンに侵されて痩せ細っていたが、ベッドの枕元には社会問題に関する冊子が散乱していた。衰弱した島田さんは私の手を握り「私が集めた朝鮮のハンセン病に関する資料が愛生編集部にあるから、この資料も使って朝鮮におけるハンセン病の研究を継続してほしい」と言われた。そして、自著「なされなければならない作業の始まり―藤野豊『日本ファシズムと医療』を読んで」の抜き刷りをいただいた。あれから、もう八年の歳月が経つ。島田さんからいただいた「抜き刷り」には、次のような一節がある。

  

「朝鮮の小鹿島更生園では、内地の所長会議がたびたび要望しながら実現できなかった刑務所を、早くから設置していた。この一事からも現地の患者たちがどんな処遇をうけていたか推察されよう。課題の実現は困難が予想されるが、その究明が待望される。」

 

『植民地下 朝鮮におけるハンセン病資料集成』は、日本ハンセン病政策が日帝の植民地においてストレートに遂行され、国内以上に非人間的に残虐的に遂行され、実行された。このことを明らかにするために本『資料集成』は編集され且つ「解説」されたものである。国内で行われたハンセン病政策の「付けたし」として、植民地下 朝鮮におけるハンセン病問題が、存在しているものではない。そのことをハンセン病にかかわるすべて人は、銘記してほしいと思う。

 

 本『資料集成』を編集するに当り、多くの方々や機関・団体のご指導や援助があった。これらの方々のお名前や機関・団体を次にあげて、謝辞に代えたい(敬称は、省略させていただきます) 

 

チャムギル(鄭鶴理事長、金在浩事務局長)、国立小鹿島病院、小鹿島ハンセン病療養所入所者自治会(姜大市自治会長)、総務処政府記録保存所(ソウルおよび釜山)、国立中央図書館、国立国会図書館、大邱広域市立中央図書館、東亜日報資料室、朝鮮日報情報資料室、=以上、韓国

 神戸市立中央図書館・青丘文庫、神谷文庫、「愛生」編集部、広島県立図書館、熊本県立図書館、天理大学図書館、国立療養所多磨全生園ハンセン病図書館、国立国会図書館憲政資料室、広島青丘文庫、=以上、日本

 金在浩、呉大奎、徐舜鳳、河龍馬、李仁哲、慎緕q、金翼韓、金貞恵、鄭根埴、崔晶基、高英勲=以上、韓国

 韓哲蟻(故人)、金英達(故人)、中原誠(故人)、李連玉、「学泰、真田博子、李京子、堀内稔、松田利彦、桑田万里、山下道輔、藤井明、川瀬俊治、瀬戸富美子、清水寛、水野公寿、宇佐美 治、双見美智子、金永子、国宗直子、割石忠典、つむらあつこ=以上、日本

 

 最後に、私事になるが、妻・愛子にも謝辞を述べたい。愛子はこの八年余の間、物心ともに私を支え、且つ、こころから私を励ましてくれた。

また、この『資料集成』全八巻を、母・滝尾ミツヨの墓前に捧げたいと思う。敗戦後のきびしくて、貧しい時代に母は、歴史研究の道を歩ませるために、女手一つで、私を大学まで行かせてくれた。それから約五〇年後の一九九七年の初秋、病を得て母が倒れたときも、私はソウルへ行って、図書館や政府記録保存所に日参していた。母の病気の急変は国際電話で韓国国立中央図書館において知った。海外にいる息子の元気な姿を一目でも見たいと一心に思っていた母でした。日ならずして母は、不帰の客となりました。臨終の朝まで病床の母の枕元で、韓国から持ち帰ったハンセン病の資料を整理していた息子の研究成果が、いま出来上がったことを、「英二、がんばったね!」と「浄土」から母は、微笑みながら喜んでくれると思う。

不二出版の船橋 治会長および編集事務を取り仕切っていただいた山本有紀乃さんに、文末ながら感謝いたします。

 

    二〇〇三年六月二二日                  滝尾 英二