『ソロクト訴訟資料・研究ハンドブック』の「あとがき」


 

(一)2005年 元旦の「年賀」の内容より

 

明けまして、おめでとございます。

今日は「大晦日」です。末娘は四国霊場やこんぴらさんの初詣、室戸岬の初日の出を見るのだと云って旅立ちました。「つれあい」とNHKの紅白でも見ながら「年越し蕎麦」でも食べようかと思っています。

「目出度さも ちゅうぐらいなり 俺が春」(小林一茶)の心境でしょうか。12月30日に『ソロクト(小鹿島)」裁判・覚書き』を書き終えて、2004年の「仕事納め」としました。今日の夕刻まで「年賀状」を書くだけです。

 

2004年を振り返ると、様々なことがありました。持病の「糖尿病」に加えて、5月からは腰部脊椎管狭窄症による両下肢機能障害で歩行が困難となり、また、主治医からは「ストレスの重圧」から、月平均血糖値の年末の血液検査が悪化しているということです。まあ、73歳という高年齢まで生きた「勲章」だと考えて治療に励もうと思います。(*過日私は、『身体障害者手帳』を広島市から受けました。)

ここ3年ほど、同じ町内にある「カラオケ・スタジオ=よりみち」に通い、東口弘幸先生のご指導で、歌を習っています。上手になるには、時間がかかります。しかし、健康(ストレス解消と歩行運動)には、役立っています。自室の作業机のパソコン前にしゃがんで、あたまと指先の老化対策として、雑誌論文や著書などを書いて送っています。

 

2004年は、『世界』4月号、季刊『飛礫』第44号と第45号、『未来』11月号にそれぞれ「報告文・論文」を書き、掲載されました。5月には『小鹿島更生園強制収容患者の被害事実とその責任所在』を発刊し、8月には同著の「韓国語版」を翻訳して出すことが出来ました。また、韓国放送(KBS)や『東亜日報』の取材も受け、掲載(放映)されました。徳田靖之、朴燦運両弁護士と私が、岡本厚『世界』編集長の司会で、12月18日に座談会をしました。2005年4月号の『世界』に掲載予定です。2005年1月と4月には、『冊子』を発刊すべく努力しています。(*一月中旬、『ソロクト(小鹿島)裁判のための資料・研究ハンドブック』A4判、90余ページを発刊します。)

 

厚生労働大臣を被告とする「東京地裁」の行政裁判には、何としても『勝訴』したいと考えていますので、老骨に鞭打ってこの裁判を支援しています。原告の代理人(弁護士)から要請されて、法廷で証人として証言しようと思い、現在その「陳述書」を作成中です。それは「裁判の進行協議」の結果でどうなるか不明ですが〜。私の人生最後の「仕事」になるかもしれません。皆さまの温かいご支援とご指導を賜りたいと願っております。

 

第3回裁判は「東京地裁」で、2月4日に予定されています。ぜひ、103号法廷でありますので、傍聴して下さい。お願いいたします。〜早期公正判決を求める要請書の署名もよろしく!

 

広島市安佐北区口田南3丁目115 人権図書図書館・広島青丘文庫   滝尾 英二 

 

 

(二)この『冊子』収録した資料の解題

 

1)『本論 ソロクト(小鹿島)裁判・覚書き―「国の行為による加害責任」は明らかである―』は、このたび新たに書き下したものです。2004年11月19日から書き始め、途中、中断はありましたが、年末には書き終えました。

被告=国は、「小鹿島について、国が設置した療養所であることを認めるのか否かという原告らの釈明について争点ではない」等として回答していないことへの、私なりの見解として、書いたものです。「法律」には疎い私ですが、歴史事実に沿って書いてみました。

 

2)「補論−T」の「『ハンセン病問題』は、いまだ終わらず」は、『飛礫』2002年第34号(春季号)に掲載されたものです。2001年5月11日の「熊本地裁判決」によって、「ハンセン病問題」は、いまだ終わっていないこと、とりわけ、日本の植民地支配下にあった朝鮮におけるハンセン病政策及びその被害事実は、この「熊本訴訟」でまったく訴訟対象になっていないことを論じたものです。その後においても、日本政府はこの実態調査による被害実態すら明らかにすることを怠りました。

 

 3)「補論−U」の「ハンセン病補償請求棄却処分取り消しを求め「小鹿島」の入所者が提訴を東京地裁に起こした経緯について」は、月刊誌『未來』第458号、2004年11月号に掲載されたものです。未來社からは、市販された小鹿島のことを中心にして書いた拙著『朝鮮ハンセン病史―日本植民地下の小鹿島(ソロクト)』を2002年9月に出版していただいた出版社であり、1998年5月号以来2000年2月号まで、朝鮮ハンセン病史について、『未來』誌に拙稿を連載していただいた出版社でもあります。

 

 4)「補論−V」の「ハンセン病問題に関する検証会議著『2003年度ハンセン病問題検証会議報告書』(2004年4月発行)への意見書・質問書」は、滝尾が2004年6月11日に、同検証会議に提出したものです。しかし、検証会議は「意見と質問」にたいする回答は、「しない」ということで、これに対する「回答」は届いておりません。2005年=本年3月には、『ハンセン病問題検証会議報告書』の最終報告書が出されるとのことです。その『〜最終報告』を読んで、再度、「意見書・質問書」を出そうと思っています。

 

 5)「補論−W」は、『大阪府ハンセン病実態調査報告書』についての滝尾の「意見・質問書」を2004年11月17日付けで出したものです。これに対して、滝尾宛てに「大阪府健康福祉部地域保健福祉室長」から、同年12月10日付けで「返事」が来ました。私の「意見や質問」には、まったく答えていないもので、「行政回答」としても、適切を欠くものです。大阪府民を中心として、この『大阪府ハンセン病実態調査報告書』の書き直しをする市民運動を起こす必要があると思います。

 

 6)「補論−X」は、1995年の3月と4月の二度、はじめて小鹿島(ソロクト)を訪問したときの「訪問紀行」です。元の原稿は、大阪人権歴史資料館の機関誌『季刊・リバティ』11号(1995年9月)に掲載され、後に加筆して『朝鮮ハンセン病史―日本植民地下の小鹿島(ソロクト)』の序文として掲載しました。今度、故人となられた島田等さん、島比呂志さん、中原誠さん、冬敏之さんの思い出=私宛の書簡などを書き加えて、この『冊子』に収録しております。

 

7)「補論−Y」は、拙著『朝鮮ハンセン病史―日本植民地下の小鹿島(ソロクト)』未來社の「あとがき――「国民的歴史学運動」からの教訓のなかで――」からの抜粋です。二十歳前後の思いをこの五十数年間、引きずりながら、研究と運動をやってきました。その「反省・自己批判」の著書です。自ら「植民地支配の責任」という歴史事実を見つめてこなかった「不作為」に対する自責の念で本「冊子」を書きました。「ソロクト裁判」に勝訴するため、全精力を傾けていることによって、この私の「不作為」の責任の一端が、少しでも克服できるかと考えております。

 

8)「参考資料−T及びU」として、ソロクトの原告ら訴訟代理人の徳田弁護士と内田弁護士の東京地裁での「意見陳述」を掲載させていただきました。ご両者の「意見陳述」は、実に明解に国=被告の「無知と不誠実さ」を糾弾しているものだと思います。この『冊子』の読者は、まず、この「参考資料−T及びU」を熟読していただきたいと思います。

 

ともあれ、私が「ソロクト問題」にかかわって十年余、その間に書いたものを「点描」として、本『冊子』をつくったことのご報告し、「あとがき」といたします。      

 

2005年1月12日  滝尾 英二