ハンセン病問題検証会議への意見書
     植民地下朝鮮でのハンセン病政策の被害と責任所在を明らかにせよ

『飛礫44』2004年秋号(2005年9月末発刊)


滝尾 英二
人権図書館・広島青丘文庫

 ハンセン病問題検証会議へ二つの質問書

編集部 六月二七日に東京でハンセン病問題検証会議がひらかれ、それを傍聴されたのですね。検証会議が本年(二〇〇四年)三月三十一日に発行した『二〇〇三年度ハンセン病問題検証会議報告書』を読まれて、強い違和感を感じられ、検証会議にたいして二回にわたって意見書・質問書をだされたということですが、検証会議から回答はなかったのですね。

滝尾 回答はださないということです。したがって、私としては、来年(二〇〇五年)三月末に出る最終報告書をもって回答と考えよう、と思っています。ただ、座長あてに出した意見書・質問書ですが、実際に調査や分析を担当されている検討会の委員の方に手渡していないということは、困ったことです。というのは、実質的に動いているのは、検討会議の座長(金平輝子、元東京都副知事)や副座長(内田博文、九州大学法学部)ではなく、検証会議の下に設けられた検討会の各委員の方がたですから、とくに私が今回、問題にした「旧植民地、日本占領地域におけるハンセン病政策」(第十章)を書いた魯紅梅さん(順天堂大学医学部)と優生思想について研究している委員の方がたに渡してもらいたかったのです。
 『二〇〇三年度報告書』にたいする批判はいろいろありますが、おもに私が提起したかった問題は二点です。
 ひとつは、日本の植民地におけるハンセン病政策についてです。もっともストレートに日本のハンセン病政策による人権侵害がおこなわれた、たとえば植民地では患者への優生手術は優生思想にもとづく患者絶滅政策ということに加えて、治安確保あるいは処罰としておこなわれました。職員のいうことを聞かなかったというだけで監禁室にいれられ、そこを出されるときに断種されるというようなことが、この検証会議の報告書にはまったく書かれていない。強制労働だとか信仰の自由を奪ったとかの問題をふくめて、ほとんどそれらが書かれていないし、検証会議における植民地問題の位置づけが「国内の療養所の理解を深める一助である」、すなわち、つけたしであると書かれると、それでいいのだろうかと思います。
 いま、韓国全羅南道にある国立小鹿島(ソロクト)病院(当時は小鹿島更生園)に植民地時代に強制収容させられたハンセン病患者の一一七名、さらに台湾の療養所「楽生園」の二五名も加わるようですが、その方がたが日本国内と同じようにハンセン病患者の隔離施設をつくり、日本よりももっと過酷な人権侵害があの日本の植民地下でおこなわれたことにたいして、「補償法」の適用を要求する訴訟がおこなわれようとしています。現在は坂口厚労省大臣に「補償」を申請中で、却下されれば直ちに裁判に提訴をする準備をすすめているということです。しかし国は責任を回避しようとする姿勢が強い。それで急きょ、六月十一日に意見書その一として、小鹿島のことが書かれた章にしぼって一八項目の意見書を出しました。
 いまアメリカとイギリスを中心に、資源略奪と兵器産業を中心にした利潤追求のためにイラクにたいする侵略的行為がおこなわれ虐待がおこなわれている。それに加担する小泉政権は、かつての植民地政策の残酷さ、非人間性というものを考えないでふたたび同じような道を歩んでいこうとすることに、私なりの危機感をもっています。
 そういうことを考えた場合、歴史的な検証は、ただ過去は過去として考えるのではなく、現在と過去との対話、現在どうあるべきかということから過去を顧み、そして将来にむけての問題として過去を考えないと、現在と切れた過去の問題のとらえ方では、現在の、あるいは将来の問題解決にはならないと思っています。
 ふたつめは、優生保護法が一九四八年にできて以降、五〇年近くも第三条三号にライ項目がはいったまま生き続けたのはなぜか。優生保護法は遺伝性の疾病はすべて劣性として抹殺するという論理です。そして、これがなせ一九九六年三月三十一日のライ予防法廃止のときに優生保護法から削除されたのか、それが人々の前に明らかになっていない。その年の六月に優生保護法そのものが廃止されて母体保護法になるのですが、その段階でも、その責任と謝罪がないままに法律を簡単に変えてしまった。なぜこれほどの長きにわたって、ああいう人権侵害が残ったのかということを、まったく不問に付したまま廃止されたのは非常に遺憾であると思うのです。
 これがやがて、ライ予防法が残した被害というかたちで、岡山、東京と各地の地方裁判所でいわゆるハンセン病国家賠償裁判が提訴されていく。その主要な問題は優生保護法によって強制された断種であり中絶であったわけです。なぜ優生主義にもとづいて劣性の人だと位置づけられて殺されていったのか。断種、中絶だけでなく嬰児殺しまであるわけですが、やはりこれは、国家が事実を認め謝罪し、今後こういうことがないようにすべきでしょう。そこを経ないと再発防止が掛け声だけで終わるのではないか。また、新しいよそおいをもった新優生保護法としてよみがえるのではないか。意見書(その二)にも書きましたが、実際に出生前診断がおこなわれ、生まれてくる子どもの遺伝子で劣性かどうかを診断して出生を阻止するという命の尊厳へのじゅうりんが、ふたたび政府の手によっておこなわれる可能性があるだけに、検証会議でこの問題の歴史的犯罪性を明らかにし、その責任と謝罪、またそれにたいする補償がきちっとうち立てられないと、ふたたび新優生主義による被害や人権の侵害がおこってくるだろう。また難病、奇病と一般にいわれたり社会的な規模でおこってくることが予想される疾病にたいしても、国による適切な対応がなされない可能性が高いのではないか。それなのに、検証会議では、なぜこういう問題がおこったのかを将来にむかって考えていくことが決定的に欠けているのではないかと思ったのです。
 検証会議の報告によると、来年三月には最終報告書がでるようで執筆準備にかかっているようですが、そこのところをなんとか変えたいとおもって、六月に二通の意見書を座長の金平さんあてに出したわけです。
 しかし検証委員会の前日の六月二六日になっても各メンバーに手渡していない。
金平座長は、かつての「ライ予防法見直し検討会」の委員でもあるわけですが、なぜ公開の場で、公開のものとして私が出した意見書がみんなのものになっていないのか。最終報告書に生かされないとすると、非常に残念です。

編集部 ところで、ハンセン病問題検証会議とはどういうものなのでしょうか。

滝尾 もともとの問題は、国会にあったということは、私が『飛礫34』(「『ハンセン病問題』はいまだ終わらず」)に書いたとおりです。
 二〇〇一年五月の熊本地裁判決をうけて、小泉首相は都議会議員選挙と参議院議員選挙を前にして一種の人気取りという性格もあったでしょうが控訴を断念した。そのために支持率は八五パーセントにもあがったのです。小泉首相の控訴断念は政治的な思考のなかでやられたと思います。
 深刻な人権侵害をうけたのは水俣病も同様です。関西水俣病裁判の原告も同じ時期に大阪高裁で勝訴しているのです。ところが国は、関西水俣病訴訟は最高裁に上告し、ハンセン病訴訟は控訴を断念するといった非常に矛盾したことを同時にやっている。水俣病の場合は少数で世論にも知られておらず支持も少なかったのにたいして、ハンセン病の場合は急速に世論が盛りあがっていったという事情が影響したのでしょうか。小泉首相がほんとうに人権侵害の深刻さを考えているなら、同時に控訴も上告も断念するのが筋だろうと思うのです。どちらも差別を受け余生の少ない原告なのですから。
 そして控訴断念にもとづく国会決議というものがおこなわれるのですが、野党案には「真相究明」があったけれども、これを落として「謝罪の意」と「昭和六〇年の最高裁判決を理解しつつ」という文言を入れるのです。そして、「真相究明」を厚生労働省にゆだねていく。国会は国の最高の立法府であると同時に、強い力をもって証人や参考人を呼んでハンセン病の真相を明らかにし論議できる機関であるのに、それをしないで、「真相究明」を厚生労働省にまかせました。厚生労働省は今度は自分たちの責任としてそれを明らかにするのではなく、ハンセン病問題検証会議の『二〇〇二年度ハンセン病問題検証会議検討経過報告書(二〇〇三年三月三十一日)』に書いてあるように、二〇〇一年十二月二五日に「国から独立した第三者によるハンセン病問題についての歴史的検証事業を行うこととし、その役割をになう検証会議の設置」を全国原告団協議会、全国ハンセン病療養所入所者協議会、ハンセン病違憲国賠訴訟全国弁護団連絡会の三者に「約束した」のです。
 第三者に委託して自由に検証させたのかというと、経過報告書をみますと、二〇〇二年当初の検証委員会は酒井シズさん(順天堂大学医学部)が座長で藤野さんも入っていたのですが、その委員の構成とか開催の手順に疑問があるとして、厚生労働省は、正式に委託済みの検証会議を座長を含めて白紙にもどすという決定をしているのです。これは藤野豊さんも雑誌『世界』(二〇〇三年九月号)にその問題を書いておられるので見てもらいたいのですが、そういうかたちで厚生労働省は自分の都合のいい人選にしようとしたので、これはもちろん反発をよび、原告や全国弁護団の反対などもあって藤野委員も検討会委員および検証会議委員として入るわけです。この事業は財団法人日弁連法務研究財団に委託されましたが、国から二〇〇二年度には五〇〇〇万円の予算がつき、国から委託された事業としてやらざるをえないわけです。

 皇太后節子ら皇族の責任をなぜ問わないのか

滝尾 もう一つ言いたかったことは、たしかに『二〇〇三年度検証会議』の報告書を見ると、皇太后節子(さだこ、大正天皇の妻)--報告には貞明皇后とかかれていますが、これは死んだあとのおくり名で、私は皇太后節子という言い方をします--と癩予防協会の設立、これは節子が死んでから一九五二年に「らい予防協会」は、藤楓協会と看板をあらためますが、そこにおける皇室の「御仁慈」について戦後も続いているということが書いてあります。
 実際、皇太后節子は一九三〇年ころからハンセン病に関心をもち「御内帑金(ごないどきん、皇室の手もと金)」から金もある程度だして、政府のハンセン病患者絶対隔離を容認し、激励した。一九〇七年にできた法律「癩予防ニ関スル件」ではハンセン病は終生隔離ではなかったのに、ファシズムの進行のなかで一九三一年に終生隔離をうたった「癩予防法」となり、皇太后節子の出した金の一〇万円で「癩予防協会」ができるわけです。植民地下の朝鮮でも一九三二年には「朝鮮癩予防協会」ができ一九三五年には「朝鮮癩予防令」が公布されています。その節子の誕生日である六月二五日を中心にした前後を「ライ予防デー」とし、第一回ライ予防デーが一九三一年、私の生まれた年におこなわれた。これは光田健輔(全生病院長、のち、国立療養所長島愛生園長。一九三三年と四〇年に小鹿島を訪問)が、東京放送局のNHKラジオをつうじて「皇太后陛下のご誕生日を記念して、その御仁慈にこたえるため」と絶対隔離と皇太后の「御仁慈」を宣伝しています。翌年の第二回はNHK大阪放送局のBKで林文雄(光田健輔の直弟子。全生病院にいるとき小鹿島を訪問)が「ライをなくす三つの力」(その第一として皇太后の「御仁慈」を宣伝している)という放送をしています。その系譜がそのままに今にひきつがれているのです。
 私が一昨年(〇二年)の六月に熊本へいったとき、六月二五日を中心にした一週間を「ハンセン病を正しく理解する週間」として行事が組まれていると地元の新聞に大きく広報されていたので、熊本県庁へ行って、なぜ「ハンセン病を正しく理解する日」をいまだに節子の誕生日にするのか、なぜ熊本判決のあった五月十一日にしないのかと、抗議をしたのですが、対応したハンセン病の担当者が出した資料が厚生労働省が各都道府県に出した通達だったのです。そこには、はっきりと「病気の予防と患者の救済に特別のご関心を寄せられた貞明皇后の御誕生日である六月二五日を含めた週の日曜日から土曜日までを標記週間として‥‥‥」と書かれている。「厚生労働省の方針だから、これにもとづいて熊本県もやっている」と言うので、これこそ「無ライ県運動」がそうであったように、政府の言うことを無批判に横並びにやっているのではないか、と強く抗議しました。
 このように厚生労働省は、いまの時点でもなお、「皇太后の御仁慈」、すなわち絶対隔離を確立し、癩予防協会をつくり、同時に各療養所長を激励して絶対隔離を推進し人権を無視した、そういう皇太后節子の誕生日に行事をやっている。したがって、いくら熊本地裁の判決から学ぼうとか、これを生かしてと言っても、それなら「ハンセン病を正しく理解する週間」を五月十一日前後にすればいいのにそうはしない。検証会議報告はこれについてふれていない。これを問題にせず、過去のことをいくらほじくって書いてみても、それはいまの問題にはなりえないのではないか、と思っています。
 かつて厚生労働省がやってきたことは批判できても、また国は国の責任だといちおう反省はしていても、いま現在やっていることをどう考えるか。まちがってやっていることを批判できないようでは、これは歴史にならないと思うのです。
 もともと真相を明らかにするということについて中立性というものはないと思うのですが、国の都合によって物事が変えられたり変えられなかったりするというようなことが、今度の三月に出た『二〇〇三年度ハンセン病問題検証報告書』をみますと、非常に顕著にでてきているように思うのです。
 
編集部 六月二七日の検証会議を傍聴されて、どう思われましたか。

滝尾 二七日は検証会議と検討会の合同会議で、魯紅梅さんが日本植民地下のハンセン病政策について報告し、そのつぎに松原洋子さん(立命館大学大学院先端総合学術研究科)を中心に藤野さんなども協力して優生保護法の成立過程とその後の四〇数年にわたって優生保護法がつづき、それが責任の明確化と謝罪なしに
「ライ項目」が削除されたことなどを報告されました。一九四八年に成立した優生保護法の中になぜ「ライ項目」がGHQの承認をえて入ったのかについては、松原さんが書かれるようです。
 わたしの意見書・質問書の趣旨は、一九九六年四月一日施行の「ライ予防法の廃止に伴う法律」では、優生保護法のうち第三条第三号と第一四条一項三号、すなわち、ハンセン病項目(ライ項目)のところだけを削除するとされた。優生保護法そのものも問題なのですが、ただ法律から削除したということだけが一般的に受けとられています。優生思想については当時の菅直人厚生大臣がおわびをしたと聞いていますが、公式なものではないということです。長きにわたって優生主義がつづき、多くの人命が被害をうけた。生まれてくるべき命が生まれてこれなかったという無念さ、子どもを生みたかったが生めなかったということの責任所在と要因、それにもとづく謝罪と補償がいっさいないまま、四〇年つづいたものをただ法律で消していく。この点が検証会議でほとんど書かれていないこと、あるいはこれからも書かれないのでは、ということを危ぐして書いたわけです。
 国家責任、行政責任が問われているのです。ここのところが弱いと思うのです。これをぜひやってもらいたい。しかし、なかなかむずかしいだろうということも感じて帰ってきました。優秀な優生保護法の研究者が参加しているのに、それが生かされていない面もあるのではと思いました。日本の優生学そのものが、アジアを対象にしていないのですね。ほとんどがアメリカ、ヨーロッパ、ナチス・ドイツをふくめた研究で、植民地やアジアにおける優生思想やそれにもとづく人権侵害の問題が、ほとんどテーマとしてあがってこない。『二〇〇三年度ハンセン病問題検証会議報告書』でも、「第十 旧植民地、日本占領地域におけるハンセン病政策」の章では、当時の優生思想について、断種や堕胎、人工妊娠中絶、この問題がほとんど書かれていないばかりか、「(断種の)その根拠は幼児に感染しやすいという医学的な論理だけであった」とだけ書かれています。
 植民地では、ご存じのように、病気が進行するとか胎児に感染しやすいとかは、ほとんど理由にはならないのです。理由のひとつは治安維持のためです。園の秩序維持や逃亡防止。一九四一年には約八四〇組に断種させて男女を同居させています。これは日本でもやっていました。それ以外にも韓国では、小鹿島更生園の職員にたいして集団的に陳情したとか、言われたことをやらなかったとか、逃亡したとか、島内の木を切ったとか‥‥‥。ソロクトでは生米はくれるのですが自炊をしなければならないのです。小鹿島々内の木は切ってはいけないことになっていたが、燃料はくれない。患者は、他の島に燃料の木やその葉や枝を取りに行ったのです。それで、薪木にするために小鹿島の木の枝を切った十三才の少年が断種させられています。これは明らかに結婚とは関係なく処罰ですね。監禁室に入れられて、遺体安置室および解剖台で断種がおこなわれたようです。現在の国立小鹿島病院の掲示板でも、「ここで断種がおこなわれた」としるされていて、病院側も認めている。
 断種された李東(イ・ドン)さんの詩が記録として残されています。友人が倒れたので病院へつれていったために、松の木を植えろという職員のいいつけを守らなかったということだけで監禁室に入れられ出されるときに断種されたのです。日本とちがって儒教の影響の強い国ですから、先祖にたいして申しわけない、二五才の自分のいまの悲しさ、母があれほど望んだ子どもをもてない、と書き残しています。どうやら医師ではなく看護師の手によってなされたようです。
 七年前にTBS(東京放送)のカメラがはじめて小鹿島に入ったときのことです。カメラマンを残して、私と同年配の断種された方といっしょに面接室に行きました。その方は視覚を失っていましたが、部屋に入ると、下ばきをぬいで断種の傷跡を見せてくださいました。真っ白な肌の鼠蹊部に赤ミミズがはったような傷跡でした。私も小さいころガラスで切った傷跡があるのですが、それよりもひどい断種の傷跡でした。メスで切っていない、おそらく鈍器で切ったと思われます。この方も木を切ったために処罰として断種されたのです。子どもがほしかったと証言してくれました。これはTBSの番組でも紹介されましたし、私の未来社刊の書物(『朝鮮ハンセン病史―日本植民地下の小鹿島』二〇〇一年)にも書いています。
 こういうかたちで、植民地下では人間扱いしていない。このことを、小鹿島で働いていた看護婦さんに聞いてみました。小鹿島で働いていた人たちがつくった「小鹿会」というのがあるのですが、いまはみな、お年になられて会合はひらかれていないようです。その方は、断種は夫婦がいっしょになる条件として、病院内で医師のもとに看護婦がついて手術をした、監禁室の解剖台ではやらなかったと言っていました。夫婦がいっしょになるからと届けをだして断種がおこなわれたのです。これは小鹿島更生園の『各年度年報』にでてきますから確かです。しかし、私が見たおじいさんの傷跡はメスで切った跡ではない。しかも「断種」された当時は少年です。あきらかに、医者にもよらない看護婦にもよらない処罰としてやられたと思わざるをえない。こういう証言は、私は多くのかたから得ていて、それを考えると、いつも胸がつまります。
 今年の五月に発行した『小鹿更生園強制収容患者の被害事実とその責任所在』(人権図書館・広島青丘文庫)の冒頭にも書きましたが、弁護士の南典男さんが、「日本に一番欠けているのは何か。(中略)日本人は中国や朝鮮の人たちがどれほど深い傷を負って、時間が何年たとうと、むしろそれは強まりこそすれ、薄まることがないような傷を負っていることについての認識や理解が決定的に不足している」(『法律時報』二〇〇四年一月号、特集「戦後補償問題の現状と展望」)と書かれていますが、小鹿島の裁判をやるにあたって、この論理にまったく同感するのですよ。日本ではみな自国一国主義です。今度の検証会議でも国内十三の施設の被害実態の調査に終始しているのです。植民地などつけ足しですよ。断種は証言によると台湾の楽生園でもやられている。しかし、まったく書いていない。検証会議・検討会の委員が植民地の調査に正式に行ったとは聞いていません。魯紅梅さんに、いつ小鹿島に行かれたかと聞きましたら、小鹿島現地には行っていないということでした。日本の十三の施設の被害状況は国賠裁判のときに、かなり詳しく調べているのです。検証会議でもさらに詳しくということで、いま日本の施設を調べています。
 そのなかには不妊手術、人工妊娠中絶もでてきます。この一四項目に「人工もしくは自然流産した胎児のホルマリン漬けがある」ということが書かれて、五カ所の療養所で判明していると書いてある。昨日の会議で「なしとされていた」「過去にはあったようだ」と書かれていた多摩全生園で三六体の胎児のホルマリン漬けがあったと報告されました。これひとつとってみても、このハンセン病問題検証会議がほんとうに事実に即して調査ができるのか疑わしい。
 「九〇年目の真相」といわれている、その長きにわたる国内と植民地の被害の真相究明と再発防止の方針が、二〇〇二年の一〇月からはじまって二〇〇五年の三月までという短い期間で、はたしてこのメンバーで可能なのか、そう思わざるをえない気持ちで会議の傍聴をしたわけです。
 本年度は検証会議はいちおう解散しますが、三つの柱をたててロードマップ委員会というものを設立させるようです。はたして、長きにわたるこの国の誤びゅう、すなわちライ予防法だけではなく、それに付随する優生保護法、植民地下におけるもっと過酷なハンセン病政策の実態に手付かずのまま、検証会議で方針がでるのであろうか、と率直に思いました。

 優生思想を普及・宣伝した国の責任

編集部 意見書では、優生保護法施行規則についても指摘されていますね。

滝尾 優生保護法施行規則一七条で助産婦、保健婦、看護婦は「優生保護法及び薬事法の解説並びに人工妊娠中絶の現状と母体に及ぼす影響」(別表)など四〇時間以上の認定講座を受けることになっています。一九四八年以降五〇年近くも毎年、看護労働者を集めて優生保護法についての講座をもっているわけです。ライ項目以外にも「遺伝性精神疾患」や「てんかん」なども対象になっていますが、こういうものをふくめて、人が生きる権利を否定していく思想を宣伝普及していった。このことの国の責任は大きいと思います。
 私は中学時代に芥川龍之介の小説で『河童』というのを読んだことがありますが、河童のお父さんがお母さんのおなかの中の子どもに「おまえは生まれたいか」とたずねて、「むりには生まれたくない」というとそのまま消えていくという話です。生まれるか、生まれないかの自己決定は赤ちゃん本人に聞くという、いまから八〇年くらい前の小説です。優生思想は胎児(生まれてくるべき人)の意志などまったく無視しているんですね。障害をもって生まれてきても育てるのがむずかしいだろうというだけで生まれないようにする。障害者が生きていけないような状況をつくっている社会のほうが問題でしょう。ハンセン病に罹患することは本人の責任ではない、障害者も同様です。年をとれば、だれだって障害者になる。私も腰が痛くて階段が降りられない。東京にも大阪にも地下鉄に下りのエスカレーターはない。荷物をもった年寄りにはたいへんです。社会が生きにくくしておいて、生きにくい者はいらないという論理はおかしいと思うのです。その社会をつくったのは人間です。その社会に適用しないものやハンセン病や精神的な障害をもって生まれる可能性のある人は、この世での存在を許さんということが将来、制度化されるのではないかと危ぐするのです。それをいまの時点で考えなければ、過去にこういうことがありましたというだけでは、再発防止にはならないのじゃないか。いまの時点で過去を考え将来に向かってどうすべきかと考えることが、なによりも必要ではないか、そう思って意見書をだしました。

 ハンセン病小鹿島更生園補償請求訴訟はじまる

滝尾 小鹿島では昨年十二月一七日に補償法の請求をし、今年の二月と三月に追加請求した一一七人のうち、すでに補償申請者の六人が死亡しているのです。にもかかわらず二月の閣議後の記者会見で坂口厚生労働大臣は、三月中には出すけれども、そんなに急ぐことではないだろうなどと言っているのです。腹がたつのは、それもさることながら、その三月がもう六月ですよ。何度も電話やメールをするのですが、最初は担当者が「年金法の審議で忙しい」と言う。その後になり、「善し悪しは別にして年金法は終わったではないか」と言うと、最後には「慎重審議をやって、まだ結論はでません」と言う。半年たっているのに。国内問題をやっているそのあいだ、補償申請者のお年寄りが何人も亡くなっている。論理がきわめて自国民主義、一国主義です。同時に、これにたいして国民が怒らないのです。事実をしらないのかもしれません。二月の記者会見の報道は東京の毎日新聞だけです。ほとんどの新聞は無視です。これにたいして抗議行動が具体的にとられたということもありません。弁護士は、早くしてほしいと要請しましたが。

 追記 本年(二〇〇四年)八月一六日、厚生労働省は「国外のハンセン病療養所は補償法の対象外」だとして補償請求を棄却。八月二三日に、小鹿島更生園補償請求弁護団らは、行政訴訟を東京地裁に起こしました。


 国の責任を明らかにすべき

滝尾 日本国内だけの問題をやればことたれり、という問題ではなく、国を越えて人類として許せないことがあるのではないか。この論理がないなかで、話はとぶのですが、高遠さんなどイラクでの「被拘束者」への「自己責任論」のバッシングがおこりましたね。政府にたてついたものは、政府のやっかいになっておりながら何を言うのかという国民的世論ですね。
 熊本県黒川温泉のアイスター事件をみても、私は熊本県とこの二年間つきあってきて、県がけしからんと思っています。けれども菊地恵楓園の太田会長はじめ、あそこに抗議やいやがらせの電話やファックスがきたことは、私は絶対に許せません。私は若いとき、「ちいさい者を打つな」というかたちで部落解放運動をやってきました。国をあげて「ちいさい弱い者」を打っているのではないか。そして、政府に物申すと、「国がめんどうをみてやっているのに」という声が政府高官から出る。今回のイラク拘束事件では広島出身の国会議員からは「政府に反対するものは非日本国民」というような発言もとびだす。国の行為にたいして、ここがおかしい、というのは健全な意見なのです。国民はチェックする権利がある。国民から選ばれた国会議員ですし、国会によって内閣総理大臣が選ばれる。司法機関だって最高裁の判事の審査をやるのも国民です。国民は主人公のはずでしょう。その主人公が意見を言うのは当然だし、意見がちがうのもあたり前でしょう。辛淑玉(シンスゴ)さんが、NHKテレビの体操は若い女性ばかり出している、老人や男や障害者はなぜ出ないのか、と言っているけれど、ああいう画一主義、それが当然だとされ、当然ではないという意見にたいして、むしろ批判がくる。これが、今回の検証会議の経過にもあらわれているのではないかと思っています。
 もちろん宗教界も法曹界も学校もいろいろ問題はあろうけれども、その前にたださないといけないのは国ではないですか。たとえばライ予防法が一九九六年三月に廃止されるまでは、学習指導要領ないしは教科書で「らい予防法」を教えてきたし、優生保護法第三条三号、第一四条第一項三号にもとづいて人工妊娠中絶がやられていたし、これにもとづいて九年前までは四〇数年にわたって保健婦や助産婦などへの講習もやられているのだから。これは国の責任であり、それをやった地方公共団体の責任でしょう。そこをとばしてしまって、看護婦や医師の責任にはならないでしょう。まず国の責任が根本にあってつぎの問題でしょう。もちろん、それを直せなかった国民の責任はありますが。
 検証会議はそういう、いまの政府はどうなのか、を飛ばしてしまっている。たとえば「らい予防法見直し検討会」の政府委員であった岩尾總一郎の聞きとり調査もすべきではないか。熊本地裁では当時の厚生省の担当課長であった岩尾は証人にたち「国=被告のほうが正しかった」と言いはった人物です。その岩尾はいま厚生労働省の医政局長です。

 無視された鳥取事件

 大谷藤郎という人は厚生省の担当課長だったとき、「十三の施設の設備をよくしたので、ライ予防法廃止を遅らせたのはしかたなかった」といわれているけれども、条件保障されたのは、あくまでも十三施設だけです。だから鳥取事件のような入所経験のないハンセン病の母親のめんどうをみていたTさんのような事件がおこってしまったのです。鳥取の中部にいた人がハンセン病にかかったが、入所しないで大阪にまできて通院で治療を続け、貧困と罹患した母親の治療費を出すために家屋敷を売り、Tさんに母親は自分の持っている預金通帳を見せ「この通帳の残高が無くなったら、淀川に身を投げ死ぬだけ」とまで言って泣いていたといいます。
十三の施設の設備だけよくしたということは、入所しないハンセン病患者や家族の排除の論理です。それを懸命に問題提起したのがTさんであって、いくら訴えてもどこへ訴えても、だれも何もしてくれなかった。長島にまで行った、ハンセン病国賠訴訟弁護団の弁護士にも会った、鳥取県にも大阪府にも行った。そして「お母さんの行政対応のことはまちがいなかった」と言われた結果、最終的には、世の中に知らせようと思って鳥取県の担当職員に切りつけた。鳥取地裁では公判一回の即決で懲役四年の有罪判決でした。いま控訴審で審理中です。高裁段階ではめずらしく三回の公判が開かれ、次回七月二六日に判決があります(*)。
検証会議の座長の金平さんにこの事件を提起したのですが、金平さんの回答は「現在、刑事裁判が継続中の事件であることや、プライバシーの問題等もあることから、検証会議が事件内容の調査を開始するのは適切ではない」というものでした。刑事事件といえば藤本事件(熊本県菊池郡のハンセン病患者、藤本松夫が傷害・殺人事件の犯人とされ、全患協などによる救援活動にもかかわらず一九六二年に死刑執行された事件)はえん罪ではありますが、刑事事件ですしプライバシーの問題もあります。この鳥取事件は比較的軽い事件ですから、おそらく控訴審で終わりです。裁判が終わって、被害状況についてはプライバシーがあるから調査しないという問題ではないはずです。検証会議の報告書をみる限りでは、退所者のかたとも話をしたのですが、退所者や非入所者やその家族・遺族の調査はない。調査は施設内だけ。その要因が何であったのかの真相も明らかになっていない。

*七月二六日、広島高裁松江支部での「控訴審」判決で、Tさんは懲役三年の実刑判決が言いわたされ刑は確定した。
 

 熊本県とバンセン病

編集部 黒川温泉アイスター差別事件について、この事件の本質は、ハンセン病にたいする根深い差別が明らかになったということではあるけれど、釈然としないところがあります。差別をした当事者への批判は当然なのですが、熊本県がなぜ、あらかじめ伝えなかったのか。あえて言う必要はなかった、ということですんでいることについては疑問をもっているのですが、滝尾さんはどう思われますか。

滝尾 そのとおりです。熊本県のホームページをみていますと、元患者さんたちの旅行は熊本県が「ふるさと事業」としてやっている行事です。ハンセン病差別をなくすことを意図した事業として一八人の熊本の菊池恵楓園の入所者の宿泊を黒川温泉のアイレディス宮殿黒川温泉ホテルに頼んだ。黒川温泉にはアイスターだけでなく外にも旅館はあるはずです。
 冒頭でも話したように熊本県はいまだに六月二五日を中心に「ハンセン病を正しく理解する週間」をやっています。昭和天皇は、一九三〇年に熊本、一九三五年に鹿児島と宮崎であった大演習にくるわけですが、天皇がくる直前に星塚敬愛園では、総動員して五十数名のハンセン病患者の強制収容、差別用語で「ライ狩り」といいますが、それをやっている。天皇や皇族がくるときは全国でハンセン病患者の排除・隔離がおこなわれています。一九三〇年の熊本の場合も同様に、ハンセン病患者は被害を受けています。「精神障害者」を排除するということは、いまもやられていますね。藤楓協会そのものが皇族の個人的な紋所を銘々の起源としています。いまだに高松宮ハンセン病資料館があり、皇族をたたえる展示をやっています。皇太后節子は大宮御所に毎年、植民地をふくむ全療養所長を集め、激励して絶対隔離を奨励し、他の療養所以外の学者・研究者の人がものを言えないようにしてしまった。だから「三園長証言」(一九五一年、「癩予防法」改定を議論する第十二回参議院厚生委員会での光田健輔・長島愛生園長、林芳信・多磨全生園長、宮崎松記・菊地恵楓園長発言。隔離と懲戒検束規定の強化を求めた発言が一九五三年公布の「らい予防法」にとりいれられる)のなかで、光田などは「皇太后は予防に力をつくされ」と何度も発言しています。こういう状況を考えると、天皇や皇族がハンセン病患者の排除や差別にはたした役割は非常に大きい。そのことを理解しない熊本県のやる啓発とはいいかげんなものだと思いました。
 また、私はもう一つの植民地支配の問題として朝鮮牛の問題、つまり軍にたいする皮革や食肉を研究しようと思って資料を集めに熊本県立図書館に行きました。同館なかにハンセン病にかかわる資料も数多くあました。そこで、私の所蔵する熊本地裁の裁判資料を熊本県立図書館に寄贈提供しようとすると、不要として拒否されました。だから、ほんとうに熊本県がハンセン病を熊本地裁判決以降、科学的に理解して正しく県民に理解させる方法がとられているかについて疑問に感じました。
 翌年も熊本県にいきましたが、厚生労働省と社会福祉団体のふれあい協会がつくった六月二五日を中心とした週間のポスターが張りめぐらされておりました。熊本地裁の地元なのだから、熊本県だけでも五月十一日前後に「ハンセン病を正しく理解する週間」をやればいいじゃないかと思いましたが、それは非常に絶望的です。鳥取県のハンセン病を担当する課にいっても十一月になっても、その大きなポスターが二枚、張られていました。鳥取(片山知事)も熊本(潮谷知事)もハンセン病問題については先進県だといわれております。そういう県で鳥取事件がおこり黒川温泉事件がおこったのは象徴的です。
 私は入浴ということについて特別に気をつかいます。
 私が療養所で入所者といっしょに入浴したとき、まず義足をぬぎ、旧式の浴槽では湯と水を混ぜて温度を調節します。これが熱いと、抹消神経をやられている患者さんは熱いと感じない場合があり、やけどをする恐れがあります。ケガや傷は化膿する。そのことにたいへん気をつかっておられるな、と思ったのです。
 もう一つは、いままでも入湯をめぐる差別事件は何回かおこっているのです。たとえば長島愛生園では温泉に入ろうとして拒否されているし、大島青松園でも銭湯に入ることを拒否されたことがあります。また、長島では対岸のクリーニング点に出したら、自分は差別意識はないがほかのクリーニングを頼む人が差別意識をもっているからと拒否された例もあります。部落差別もそうですが、案外、近くにいる人が差別をよく知っているから差別をするケースが多いのですよ。
 私は高校の教師を何年かしましたが、修学旅行でも事前に調査はします。今回はとくに障害をもったお年寄りたちですから、足が滑らないか、熱湯は出ないか、どういう人たちが同時に泊まっているのか、その人たちにはハンセン病の啓発はすすんでいるのかなどの気をつかわないといけないと思っています。部落問題の啓発・啓蒙は一九六〇年の同和対策審議会答申にうたわれていましたが、四〇年たつたいま、部落差別はなくなっているでしょうか。住宅や地域の環境などはよくなっても結婚や就職には障害がある場合がいまでも多いのですよ。これは原爆被爆でもそうです。とくに県外の人と結婚する場合、二世に遺伝しないかとか両親は被爆者ではないかと調べられることもあります。熊本日々新聞に原田正純さん(元熊本大学医学部教官、現熊本学園大学教官)が書いていましたが、水俣でも三〇年、四〇年たっても払拭できない差別が残っていると。人間社会の差別はそうそう簡単になくならない。最近でも知り合いに長島愛生園に行くというと、「だいじょうぶか」とか「『小島の春』を読んだが、あれはすばらしい」と言う。そのことを考えたら、一年や二年の啓発で人間がころっと変わると考えていること自体がまちがいではないでしょうか。女性差別も同様です。障害者差別も同様です。これまで弱いものがどれだけたたかれたか、どれだけ差別がふりまかれたかを考えたとき、ハンセン病もまた同様だと思いますよ。
 菊地恵楓園があり私立の施設もあり、かつては本妙寺もあったという熊本です。
 戦後も黒髪小学校問題がおこり、熊本県八代郡坂本村(町村合併した前の村名は下松求麻村)で在宅のハンセン病患者をその息子が殺し息子も自殺するという悲しい心中事件がおこっています。その村へ私もいきました。そこの家はもうないし墓もない。どこへ行かれたかもわからない。このことについては、その後どうなったかの行政的手当はまったくなされていない(滝尾著『近代日本のハンセン病と子どもたち・考』参照)。黒髪小学校問題はくわしくは私の著作をよんでもらいたいのですが、「未感染児童」と差別的によばれた子どもたちが就学を拒否された事件ですが、「無菌の子だから感染しない。らい予防法に適用しない」というかたちで入学運動がなされます。そのなかに朝鮮人の子どもが三人いて、そもそも小学校への入学さえ拒否・排除されていた。なぜ排除されたのかは問題にならなかった。当たり障りのない「差別してはいけません。うつりません。いまでは簡単に治ります」という通り一遍の啓発では、真実はわからない。
 もうひとつ、星塚恵愛園では結婚時の断種について長島愛生園とまったくおなじことをやっています。恵楓園は河村というヒューマニストの園長もいたので、当初は結婚時にかならずしも断種をしていなかった。子どもができた段階では問題もおこり、子どもの処理をしたり生まれた子を園の外につれだしたりということはあるのですが、光田健輔のようなかたちで家系を断つということはなかった。光田は、将来は病気にからむ家族まで断種を勧めるということまで「三園長証言」のなかで言っています。光田は「虎変じて猫となる」とまで書いていますが、断種はおとなしくさせる、逃亡を防ぐ、いまで言う治安維持という側面もあるのです。カソリックの系統の施設では結婚を祝福している例もあるのです。奄美和光園でも大西さんというカソリック信者の園長だったときは、子どもは生ませるけれど、感染を防ぐためにシスターにあずけている。全部が光田の論理でやっていたのではない。しかし星塚恵愛園では、光田の愛弟子の初代園長の林文雄が光田の論理を忠実に守ったということを覚えておいてください。

編集部 黒川温泉差別事件をおこしたホテルは東京に本社のあるアイスターという化粧品会社だそうですね。

滝尾 ええ、少し右翼がかっている会社らしいです。そういうところに宿泊をさせるのなら、少なくともホテルの幹部の人たちにこういう趣旨だからと話すべきではないか。個人の名前はいう必要はありません。こういう事業の一環として差別をなくすためにやっているがまだ啓発が十分ではない、おたくはどういう啓発をしているか、施設はどうなっているか、すべったり火傷をする心配はないかなど事前に調査するのは当然ではないでしょうか。義足をはめたり欠節があったり車イスだったり目が悪かったりという障害をもっている人もいるのです。障害者差別は厳然としていまも残っているのですから。こういうことをしないで、いきなり直前の十一月の段階になって恵楓園の人たちだということがわかって、そりゃあ認識がなければあわてますよ。これ
は、ほかの人に忌避されたら商売にならないという資本の論理そのものです。温泉協会が除名するという方向にいきましたけれど、批判されないといけない側が糾弾しているのですよ。熊本県は九月以降のとりくみのなかで批判されねばならなかった対象だったのですよ。恵楓園の機関誌『菊地野』一月号をみると「言うこと自身が差別だ」と書いてある。そうすると「ふれあい事業の一環です」ということ自身が差別ということになる。そんな啓発があるものですか。
 こういう問題はハンセン病だからといって特別ではないのです。障害者差別、朝鮮人差別・民族差別、部落差別が重なった差別構造が現実に存在するのです。部落はハンセン病の発症率が高いといわれています。感染しても栄養状態がよければ発症しないこともあり、栄養が十分とれない貧困状況の部落や植民地での発症率は高いということが十分、考えられるのです。そういう構造的な差別のなかでこの問題が起こっているから、原田正純さんが言うように三、四〇年たっても意識は簡単には変わるものではない、これが原点だと思う。それが黒川温泉事件で熊本県は自らの課題として、これまでどうであったかも顧みずに、「県にも問題があったのではないか」ということを書いた本を熊本県内の配布を取りやめにしています。
新聞報道によりますと、本年六月に社会福祉法人「ふれあい福祉協会」(東京)がハンセン病の啓発冊子に青森県にある国立療養所松丘保養園の福西園長が「当園では宿泊するホテルは、折衝を重ねて了解を取っている。そういうふうにしているから問題が起こらなかった」など述べたことを掲載したら、熊本県は問題の部分を「熊本県の対応に問題があったと取られかねない」と反発し、同啓発冊子を県内に配布しないとされています。菊池恵楓園への人々への差別攻撃は、本当にけしからんことです。しかし県がこれから啓発をどうしていくか方針がたっていない。運動側でも県にたいする批判がタブーになっている。運動側が県を擁護せざるをえない弱さをもっているということですよ。国にたいする直接的な批判ができない検証会議と同じ構造です。

 たたかいは自力自闘ではじまる

 これまでのべたような問題がことごとくぬけて、たった二年間あまりで、この長きにわたった被害の多岐にわたる検証と真相究明ができるのか、という不安を私はもっています。主体的には国がやるべきことを第三者機関にやらせて、人事ややり方にはいちゃもんをつけた国でしょう。それなら自分でやればよかった。だから、私がこういう本(『小鹿島厚生園強制収容患者の被害事実とその責任所在』)をだすのも真相究明のひとつだと思っています。長くかかっても民間の力で真相究明をやる以外にはないだろう。この『飛礫』の原稿も真相究明のひとつの重要な資料になりうると思っています。
 そういうものを結集してひとつのものにまとめていく運動こそ、真相究明が実あるものになっていくし、同時に同じような過ちを国や地方公共団体にやらせてはいけないということになるのではないかと期待しているのです。
 検証会議は来年三月に最終報告を書き上げて印刷されるようです。それで来年度は、第二次のロードマップ委員会ができるそうですか、どれほど期待できるか。私はあまり期待しておりません。とはいえ、検証会議最終報告が、今後の厚生労働省の政策や地方自治体の啓発などに影響をあたえることを考えると検証会議では真剣にやってもらいたいと思います。
 やはり、私たちが自らの手でやりきっていくことが大切ではないか。一人からでいいから、まずはじめて、何人にも増えればいいけれども、たくさん集まるのを待つのではなく、一人の主体から輪を広げていくと、いうことがいるのじゃないかな。
 自らにもふりかかってくるかもしれない問題は、自分たちの力で闘って輪を広げていく、他の力を借りずにまずやる。やる人の主体が問われているのであって、数の問題ではないと思っています。
 ソロクトの訴訟がはじまったことについて、ある著名な日本のハンセン病問題の運動家に「滝尾さん、一人の一〇年間の執念が歴史を動かしはじめたね」と言われましたし、昨日あった人のなかにもそういう意味のことを言ってくれた人がいました。一人だけとは、もちろん思わないけれど、一〇年前からはじめて次第に仲間が広がっていった成果が、さらに今後も闘いに発展していくのではないかと思っています。
 若いときに『鋼鉄はいかに鍛えられたか』という小説を読んで、「死に臨んで、自分の一生はよかった、人類解放のひとつの仕事をやったな、と思いながら意識がなくなったらいいな」というようなことを本の欄外に落書きしたことを、いまでも覚えています。
私はいつも「愛」ということを教えてくれた亡くなった母親のことを思い出しながら仕事をしています。苦痛であっても人類解放の仕事と考えると楽しい。人間みな、顔がちがうように意見はちがうのです。意見がちがうからと関係を断ち切る必要はないと思うのです。対立してけんか別れしてもいいけれど、また会ったときに、その人がやろうとして動いているのなら、いっしょにやったらいいのではないかと思っています。

(二〇〇四年六月二八日、神戸にてインタビューしたものに加筆、修正されたものです)