←『東亜日報』(当時は「夕刊で日付は、翌日の日付け)の1937年11月21日 の記事。「癩患者の家(=家族)児童を突然退学処分」「漆原公立学校で」とある。
職員の子どもたちが通った小鹿島尋常小学校の略図。(クリックで拡大)日本人職員の子と朝鮮人職員の子はいっしょに学んだが、職員の子どもたちが病舎地帯へ行くことは禁止されていた。
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