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モウカサメ
モウカサメ(ネズミサメ)を青森では「かどさめ」と呼んでいます。昔加藤さんと言う方がこのサメを手広く扱っていたため「加藤のサメ」がなまって「かどさめ」になったという話ですが正確なところはわかりません。
情報が入りました。(2005.5.18)路上社刊 「みちのく食物誌」 木村守克著(残念ながら現在絶版)のなかで、この名前の由来2説を紹介してあります。以下「懐かしのカドザメ」の項より引用させていただきます。
「加藤鮫のこと。この鮫は、昔は漁をすることがありませんでした。天保十四年(一八四三)秋のこと、下前村の漁師で加藤音吉と言うものが、竜飛汐の口で、九月に一種の大鮫の漁をしたことに始まりました。
この大鮫の、腸の油から魚油をつくり出し、肉は弘前へ販売しました。初めは余りに厚味のため、諸毒の患いがあるといって用いませんでしたが、追々、肉を摺り豆腐を加えるなどの工夫をして、食用に供するようになったのは弘化の末(一八四七)の頃です。
下前では、川崎船に五人が乗り込んで、細引にイカを餌にして釣り揚げました。また、野辺地でも漁があり、こちらでは細引網でとりました。松前では鮫堂というものでとりました。
嘉永の末年(一八五三)頃になると、おいしさが次第に知られるようになり、多くの人々が賞味するようになりました。
天保の頃の価格は、わずか八銭(四百八十文)でしたが、安政の頃には七百八十文、そして、明治十六年からは七円余りに値上がりしました。秋田、盛岡はもとより、東京、大阪までも汽車で運ばれて沢山販売されました。
この大鮫は、かつて加藤音吉という者が、初めて漁を開いたので、これにちなんで『加藤鮫』の名前がつきました。」というものです。
しかし、このカドザメの「加藤」について、民俗学の研究家である森山泰太郎氏は、「カドザメ」と津軽で呼んでいるものは一般にフカという魚のことで、カドつまりニシンを食うサメということだといわれる。従って俗説のように加藤という猟師の姓とは関係がない」ともいっています。
釣り上げたカドザメは、その頭を打って殺すのですが、この時、きゅきゅっと声を出して啼くそうです。この憐れさに、鰺ヶ沢の漁師たちはサメ供養をしていたということです。 |
とあります。つまり、私が書いた加藤さんという名前からとったという説と、カド(ニシン)を食べるサメというところからきているという説があるのです。秋田では、ニシンのことをカドといいますし、日本海では春にこのサメが大量に水揚げされることから(ニシンは春の魚)後者の説はうなずけます。しかし、青森ではニシンをカドと呼ばないことから私は前者の説をとりたいと思います。
そうだとすると、ネズミザメは縄文時代のアブラツノザメとは違い、江戸時代から食べ始めたということになります。
またこの本には、次のようなことも書かれてあります。面白いのでまた引用させていただきます。
ところで筆者の母は、カドザメについてこんな思い出話をしてくれました。
まだ若かった二十代の頃、友人の家へ遊びに行ったら、たまたま、そこの姑が留守のために、その友人が新しいカドザメの豆腐汁を鍋いっぱいに作ってもてなしてくれ、それがとてもおいしかったことが今もなつかしいといいます。
また、母が次のようなカドザメ料理も教えてくれました。
○カド汁
カドザメを、豆腐、ねぎ、にんじん、里いも、油揚等と一緒にみそ汁にする。
○酢の物
カドザメをぶつ切りにしてゆでたものを、塩を少し加えた酢に三十分ほど漬けておき、これを大根おろしと和え、砂糖少々を加えて味を調える。
○酢の物
カドザメの身についている黒い皮をはがして、沸騰したお湯におよそ一分ゆでてから、引き上げる。表皮のザラザラをも見落としつるりとするまで水洗いし、細かく切って酢ですくめる。これを辛子酢みそで、豆もやしと和える。または酢とみそ、大根おろしと和える。
○ねりこみ
カドザメをゆでこぼして、里いも、こんにゃく、油揚、金時豆等とねりこみにする。 |
とあります。里芋が料理材料にあることから、秋の料理なのだとわかります。
「サメの海」の掲示板でモウカサメの名前の由来が載っていました。真鱶鮫(まふかさめ)からきているとのこと。「まふか」が「もうか」になり、「毛鹿」と当て字されたんだそうです。勉強になりました。
モウカサメはアブラツノサメ同様食用として市場にでまわっています。おろし身の値段が安いこと、小骨がないこと、肉質が鳥に近くかつくせがなく美味しいということ、新鮮なものの刺身もけっこういけること、その他さまざまの理由があげられます。背びれ尾びれは「ふかひれ」になりますし、皮はゼラチンを取ったりカバンなどの材料になると聞いたことがあります。(実際ものすごく厚い、頭のうしろやハラス部分は1cmを越えるものがあります)。
青森では春先日本海側で大量に漁獲されます。ほっけやますを追ってくるということです。歯が鋭く網をやぶってしまうことがよくある。大きなものは200kgをこえる。そんなクラスは大概メスである。4匹の仔を体内にかかえています。顔は名前の通りねずみみたいですが、けっこう気性はあらいらしい。青森では小泊、下前、大間、八戸で水揚げされる。湾内にもはいってくるようで、野辺地で漁獲されていると聞きます。
北海道各地で結構とれるが食べる風習がないようで、大抵青森か宮城県気仙沼に出荷されています。
よく食べる場所は津軽平野(弘前、五所川原、金木、木造方面)南部(野辺地、六戸、天間林方面)秋田県北部(大館、花輪、方面)岩手県北部山間部、宮城県気仙沼(水揚げ地でもある。)福島県郡山方面、栃木県など北関東、東京下町などです。フライや煮つけでなんだかわからず食べているかもしれません。青森の五所川原、木造方面、秋田の大館、花輪は刺身で食べます。この辺りではメスよりもオスの方が身が硬いということでオスが好まれます。(身の硬さは鮮度と扱い方、メスの場合は仔を抱いている、または出産後の時期か否かで決まる、と私は思うのですけれど.....)
訂正です:厳密には宮城県気仙沼では、モウカの心臓は食べますが肉は食べないそうです。
アブラツノサメもそうだが、オスとメスは剥き身の色が違います。メスは白くオスは少し透明がかったピンク色です。皮をむくと皮目の色が真っ赤なのはオスです。やはりオスは血の気が多いのでしょうか。
(先日「サメの海」の掲示板に上の写真の赤黒い部分と右の骨について質問しましたら、ダイゼルさんというかたが答えてくださいました。
赤黒い部分は奇網という血管ーなんでも、体温をあまり変化させない機能をもっているらしいーの発達した血合い筋とのこと。白い骨は吻軟骨といってモウカのでかい鼻をささえたり衝撃から身を守る役割をしているそうです。h16.11.22)
訂正です。
h18.1.23
ダイゼルさんから、詳しい説明がありました。http://www.geocities.jp/missilesekkinchu/onagazame
写真の赤い部分は英語でRed Mussleと呼ばれ、単純に我々が「血合い」と呼ぶ筋肉です。激しい運動、つまり早い速度で泳ぐなどのために必要な筋肉で、水温よりもかなり高い温度に保たれているそうです。
「奇網」とは、皮下に有る動脈・静脈から出る毛細血管が、動・静隣り合わせになっている構造のことだそうです。
血合い肉に沿って、また肝臓近くに発達してあって、それぞれ血合い肉、内臓の温度を高く保つための構造になっているらしいです。
動脈は、エラによって冷やされ、静脈は、運動によって温められています。これが隣り合わせになることによって
適度な温度に血合い肉と内臓を水温よりも適度に高く保っているものだと思います。
アメリカ、カナダ、ヨーロッパでもかなり一般的に食べられています。英名はsalmonshark,鮭を追ってくる魚の意味なのでしょうか。あちらではそれこそサメと知らずに多くの人がたべていると思います。
青森の食べ方は煮つけ、醤油焼き、フライが主です。頭はアブラツノサメと同様「さめすくめ」にします。(肉質の違いで味わいはまるで違います。アブラツノサメの方がしっとりとしているのに対し、モウカはそれほどではありません)。またモウカはだしがよいので、軽く焼いたものをお吸い物にしたり、雑煮にいれるところもあります。

モウカ(ネズミ)サメの解体
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