2014.01.14 第6回 ふるさと祭り東京
『ふるさと祭り東京』は2014年1月に第6回目(2014.01.10〜19)の開催を迎えます!全国各地の“祭り”や、ご当地に根付いた“味”が大集結!『全国ご当地どんぶり選手権』他、楽しい企画が目白押し!
八戸三社大祭
島根のブース 
石見神楽
石見神楽
石見神楽(いわみかぐら)とは神楽の様式のひとつである。島根県西部(石見地方)と広島県北西部(安芸地方北部)において伝統芸能として受け継がれている。日本神話などを題材とし、演劇の要素を持つ。地元では「舞(まい)」「どんちっち」(囃子のリズムから)とも呼ばれる。
起源と伝播
起源については諸説あるが、石見地方において室町時代後期には既に演じられていたと言われ、田楽系の神楽である大元神楽をルーツとし出雲流神楽・能・狂言・歌舞伎などが影響を与えて演劇性を増し、現在の石見神楽が形成されたとされる。その後広島県北西部へと伝わり、各々の地方において独自の変化を遂げている。現在では、広島県北西部での神楽を「芸北神楽」と呼んで区別する場合もある。また戦後、野村砂男によって北九州に伝えられた石見神楽は北九州地域の気質に合う形に変化した折尾神楽となり地域の郷土芸能として定着している。1979年、前述の大元神楽が国の重要無形民俗文化財に指定されたほか、各県各地多くの神楽が県または市町村の無形民俗文化財に指定されている。(ウィキペディアフリー百科事典より)
2013.08.31 第174回 あさみちゆきストリートライブ
土曜日休みが取れず、実に1年ぶりにあさみちゆきのストリートライブを見に来た。本日は、あさみちゆきのヒット曲「新橋二丁目七番地」のモデルになった中村幸子さん(81歳)が来ておられた。 
あさみちゆきさんのヒット曲「新橋二丁目七番地」のモデルになった 中村幸子さん81歳 
新橋といえば古くから多くのサラリーマンで賑わう「サラリーマンの街」。
その新橋の路上で、40年以上にわたり靴磨きを続けている名物女性がいる。
中村幸子さん81歳がその人だ。戦後まもなく上京してからの彼女の壮絶な人生は、歌手・あさみちゆきさんのヒット曲「新橋二丁目七番地」のモデルにもなっている。
「新橋二丁目七番地」路上靴磨き40年 名物おばあちゃんの壮絶な半生
中村さんが靴磨きを始めたのは40歳のとき時。それまで病弱な夫と5人の子どものために行商やリヤカーでの果物売りをして生計を立ててたてていたが、長年の肉体労働によって腰が曲がり、彼女の体は限界だった。
それでも、一家には自分しか働き手はいない。リヤカー引きの果物売りから決別することを決意し、自分の靴さえろくに磨いたことのなかった中村さんは、この未体験の仕事に飛び込んだ。
しかし、まったくの初心者である中村さんにすぐお客 がつくほど、靴磨きは甘い世界ではなかった。新人への露骨ないじめによって日中の仕事から締め出されたり、お金をせびりにきたホームレスに暴力を受けたこ ともあった。ようやく地べたに座ることにも慣れ、毎日新橋へ通う日々が続いていたある日、直腸がんを患い、入院して手術を受けることになったときも、新橋 の常連客のことが頭から離れず、自分の意思で退院したこともあった。
辛い環境や苦しい生活、酷暑や極寒に耐え、中村さんは靴磨きを続けてきた。もちろん、家族を養わなければならないという義務感は大きかったはずだが、それだけではこの過酷な仕事を40年も続けてこられなかっただろう。頼りにしてくれる常連客や同僚の靴磨きからの励まし、高齢になっても仕事があるという喜 びが、彼女をいままで後押ししてきたのだ。
「おばさんがいないと困るよ」といってくれる常連客がいるからこそ、体がきつくても新橋に通い続けるのだと中村さんは言う。
彼女の人生は東京新聞の記者である佐藤史朗さんによって『「新橋二丁目七番地」地べてに座って40年、靴磨きばあちゃんの教え』(ソフトバンク クリエイティブ/刊)として出版された。本書には中村さんの半生と、靴磨きとしての40年から導き出された教えが綴られている。
「あしたはきっといいことがある。だから大丈夫」
戦後の混乱期から今に至るまで、貧しいながらも必死で働き、生き抜いてきた彼女の言葉は、すべての世代の人にとって、励ましとなり、エールとなるはずだ。(ITmedia アイティメディアホームページより)

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