北海道・美瑛 写真記 |
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北の大地は冬でなければならない。
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はるか一面の雪と雪と氷。 今私の心を捉えているもの、それは厳寒の風景だ。 広大な空と大地と静寂の中に潜む何か。 何もない景色の中で、見ることのできない何ものかが明らかにうごめいている。 時としてそれは光彩として表れ、時としてそれは獣の足跡として現れ、時としてそれは風となって顕れる。 私の中にもそれは居て、しじまの景色の中で共鳴を奏でる。 静寂は無音ではない。
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静寂は色をともなって顕れる。 耳を澄ませば、空の淡い光彩を聞くことができる。 耳を澄ませば、七色の雪の色が聞こえる。 そして耳を澄ませば、 目は目に見えぬ何ものかを見ることができ、 膚は感じることのできない何かに触ることができる。
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雪の下には何が埋まっているのか。 雪の下にはきっと黒い大地があるだろう。 ならばその大地には、 果たして何が息づいているのか。 そこにはきっと小さないのちが宿っているだろう。 彼は春を待っているのか。 おそらく彼は、何も待ってはいない。 しかし春が来たならば、彼はただ目覚めるだろう。
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朝の美瑛に降り立つ。 よく晴れて青空が美しい。 紺碧の空は南の島と思っていたが、 北の空もまた青く深いのだ。 ふと太陽のほうを振り向けば、 大気の中をキラキラ光るものが舞っている。 木々の霧氷が散っているのだ。 昨夜はマイナス20℃まで冷え込んだと聞く。 写真にはちと写っていないが・・・
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雪原では動物の足跡をよく見かける。 ただ一筋の足跡を見るとき、それはしばしば丘の上の一本の木を目指していることがある。 遠くの木に向かって、少し蛇行しながらもほぼ真っ直ぐにつながっている。 所々に植えられた木は畑と畑の境界であるというが、足跡は何故その一本の木を目指すのだろうか。 人の訪れぬ冬には、その根元に彼らの住まいが築かれるのだろうか。 きっとそこには、彼らの家庭があるのだろうと勝手な想像を楽しむ。 秋に貯めた食物は雪の下に埋められている。 木の洞の住まいは、 実にほのぼのと暖かそうではないか。 実際のところはどうか知らない。
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小さな足跡と大きな足跡が重なっている時は、 まだ人の見ぬ時間に何かドラマがあったのではないかと考えさせる。 私は足跡の見方を知らないので、実は1頭の生き物のそれかもしれないが、勝手に想像を膨らませる。 小さな足跡は逃げるもののそれであり、大きな足跡はそれを追うものの足跡である。 足跡のはるか先で、どんな結末があったのか。 小さな足跡の生命は自らのねぐらへと帰り延び、ほっと安堵のため息をついたのか。 あるいは大きな足跡の生き物は、今日を生きるための糧を得ることができたのか。 小さなものの不幸は大きなものの幸いであり、大きなものの不幸は小さなものの幸いである。 朝の雪原は、旅行者にしてみれば美しいばかりの風景だが、彼らにしてみれば生命の舞台であることを想像する。 ↓ |
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駄々広い丘の上に、大きな半円を描くように右へ左へ躍るような足跡を見ることがある。 これは本当に踊っているに違いない。 なぜなら、その足跡にはとても楽しい気配が残っているからである。 足跡の主にはきっと楽しいことがあったのだ。 彼は笑っていたに違いない。 動物は人間と同じように笑い、生きることを楽しむ。 踊りながら住みかへと帰り、家族に楽しい話を聞かせたに違いない。 本当のところは知らないが・・・無理に知ることもなかろう。 ↓ |
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歳をとった青年(=中年)である私は丘へ向かう。 誰も足あとを残していない雪の丘へ。 私もまた、 何か丘の上へと導くものに呼ばれているのだ。
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この世界は、生命に満ち満ちている。 生ある私たちは、生命の具象だ。
目に見えぬ鳥が天に羽ばたくとき。 疾風が地を駆けるとき。 果たして私たちは何を見るのか・・・・ 死が還ることであるならば、 生あるものはこの世のアウトサイダーである。
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光。 太陽が出てきた。 熱量を持った光だ。 心まで陽に照らされたように、 それだけで心は明るくなる。
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蒼い、蒼い世界の中、 彼はどこへ向かってゆくのだろう。 その足跡の先は孤独ではあるまい。 青く燃える世界のその隣には、 ほのかに光る暖い時間が存在するのだ。
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