旅行記 後編

写真




アマルフィのみやげもの屋






















ルーフォロ荘からの眺め
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アマルフィの次はラヴェッロへ。

ラヴェッロはバスで30分ほどであるが、バスの中で日本人の女性3人組に出会った

私はナンパされた。

私は知ってしまっているが、欧米などを一人で旅していると、日本人女性のほうから近寄ってくるのだ。

ギリシャでもそうだったし、ポルトガルでもハワイイでもそうだった。

私は見る角度によっては、トム・クルーズに似ているのだ。

普段はメガネをかけていて、メガネをかけると「のび太くん」に似ていると言われるが、メガネをはずすとトム・クルーズに似ているのだ。

オトコにその話をすると、悔しがって「親指トムの間違いであろう」などとほざくのであるが、トップ・ガンの時のトム・クルーズに似てしまっているのだから仕方がない。

しかし大抵の場合、女性は私と一緒に食事をすると支払いの時になぜかサイフを忘れたと言い、バハハーイと去ってゆくのだ。

というわけで、ワタクシには3人もの女性を相手にするチカラもなければサイフもない。

しかもこのときワタクシには、女性より写真のほうが大事であったのだ。

「またあとで~」などと言いつつ、私はじりじりと去った。

ここにはヴィッラ・ルーフォロ(ルーフォロ荘)やヴィッラ・チンブローネがある。

よく知らないが、ワーグナーはルーフォロ荘の庭に立った時、ここは「パルシファルにあるクリングソースの神秘の庭だ」と叫んだそうである。

パルシファルとかクリングソースとか言われてもよくわからないが、しかしそう叫んだというのだから仕方あるまい。

ワーグナーは着想を得て、この地でオペラ「クリングゾルの魔法の花園」と「パルジハル」を作曲したという。

この庭園は絵画にも描かれ、私は覚えているが、いつか何処かでその絵を見たのだ。

その時、私はいつかこの地を訪れたいと望み、すっかり忘れていたが、今こそ思い出したのだ。

私はこのトシまで生きて、「かつて望んだことはそのうち実現してしまう」ということを知ってしまっている。

記憶の糸をたぐると、おそらく中学の時だったか、美術か音楽の教科書で「ルーフォロ荘からの眺め」なる絵を見、いつかここへ来たいと望んだのだ。

ルーフォロ荘が何処にあるのか今まで知らなかったが、しかし私は来てしまった。

今回イタリアへ来た訳はそういうことであったか、と納得した次第である。

私はいつか必ずここへ来ることになっていたのだ。

松の木蔭、今私の立つ地から海は遥かに広がっている。

海の向こうから吹く風は私を包み、それは中学生の私が想像したとおりの爽やかさであった。

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一旦アマルフィへ戻り、バスを乗り継ぎサレルノへ向かった。

そう書くとスムースにコトは運んでいると思うかもしれないが、1本バスを乗り損ねたばっかりに、危うくナポリへ帰れなくなるところであったのだ。

ラヴェッロのバス停の時刻表によれば、次のバスは2時間近くも来ないのである。

周りにいたアメリカ人らしき旅行客もウロタエ、ない髪をかきむしり、苦しみに頭を抱え、皆で神に祈りを捧げているようだった。

すると神はそれに答えたのか、時刻表にないバスがやってきた。

アメリカ人たちは「We have a narrow escape!」などと叫びアポロ13号帰還のような歓喜に包まれていたが、おかげで私も人生に大々的に勝利した気がした。

旅に出るとくだらないことで人生に勝利できるものである。

サレルノに着いたのは、夜の8時頃であった。

8時といってもイタリアではまだ夕方なので、サレルノの港は夕焼け色だった。

海に突き出た堤防では、地元の若い男女のグループがはしゃいでいる。

青春チックな光景である。

ワタクシも心の中は青春なのであるが、お腹の辺りは中年である。

とはいえイタリアの若者も、お腹の辺りは中年に負けず劣らず大変貫禄がある。

腰の辺りを露出する例のあの格好は、イタリアではファッションではなく単にはみ出しているだけと考えられる。

港でしばらく風に吹かれ、駅へ歩いて行くと、辺りはすっかり暗くなった。




夜汽車












夜のナポリ駅到着

サレルノの駅に人影は少ない。

ホームに止まる列車は、すでに夜汽車の風情である。

ナポリ行きの電車がよくわからないので、駅員らしき人に「ナポリ、ナポリ」と言うと、目の前のこれに乗れという。

指定席のコンパートメントである。

個室の入り口には、乗客の名前とそれぞれの行き先が書いてある。

しかし乗客はたいていナポリから乗り込むようである。

したがって、ナポリ駅までは個室に乗ってよいということらしい。

この列車は夜行で、明日の朝にミラノやジェノバに着くようなのだ。

こうして私は、風情ある夜汽車の個室車両に乗ることになった。

個室には1人のイタリア人女性がいた。

恋人らしき男性が見送りに来ている。

発車間際まで恋人は車内に居残り、抱擁し接吻し別れを惜しんでいるのだ。

よく見ると薄暗いホームにも、そこ彼処に別れを惜しむ人々がいる。

イタリアは情の厚い国である。

これこそ夜汽車である。上野発の夜行列車というものである。

鉄道はこうでなければならない。

時刻表を見ていないので決め付けるわけには行かないが、けれども定刻より遅れているに決まっているが、そうして列車はサレルノの駅を発った。

乗客はみな列車の窓から身を乗り出すように手を振り、ホームの人々もいつまでも見送っている。

駅を出て夜汽車は闇を切り裂き走ってゆく。

途中駅に止まったので外を見ると、そこは暗く寂しげなポンペイ駅であった。

やがてナポリに着き私は列車を降りたが、ここでも其処彼処で別れを惜しむ人々が、熱く抱き合い接吻しあっているのだった。

本日は24,242歩。

夕食はナポリ駅近くのTavola Caldaで魚介のリゾットをたべた。塩がきついが、味はよい。


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5日目、6月15日(水)

ヌオーヴォ城の海側、サンタルチアの船着場へ行き、高速船に乗り込んだ。

朝ゆっくりしたので、10時半の出港だ。

港に並んでいる船には、行き先と出港時間を書いたカンバンが掛けられている。

片道12ユーロ。船内には日本人もけっこういた。

デッキへ出ると海風が気持ちよい。

今日はよく晴れていて、島へ行くには絶好の日和だ。

船の真横を、海面すれすれに鳥が飛んでいる。

見よ!この船は鳥よりも速いのだ。

海鳥を追い越し、徐々に引き離してゆく。

まるでスーパーマンのようである!

しかしネットで調べると、スーパーマンは鳥よりも速いのでなく、弾丸よりも速いのであった。

「弾よりも速く。力は機関車よりも強く。高いビルもひとっ飛び!空を見ろ、鳥だ、飛行機だ、スーパーマンだ!!」
というのが正しいらしい。

まあそれはともかく、鳥より速いというのはなかなか気持ちがよい。











カプリ島はあまりにも観光地なので、訪ねるのはどうしようかと思っていたが、来てよかった。

海は青く、浅い所はエメラルドグリーンに透けて見える。

高く空を飛ぶ純白のカモメも気持ちよさそうだ。

カプリ島は「青の洞窟」が有名だが、そちらへは行かずに私は島内を散歩することにした。

この美しい島は、散歩だけでも十分楽しめるのだ。

はっきりした地図がないので右往左往したが、そこが楽しい。

途中でカタコトの日本語を話すガイジンに会うなどした。

「ホンシューから来たのデスカ?」と聞くのでそうだと答えると「ホンシューはシマですネー」などと言う。

日本列島は全て島に決まっておる。

島ではあるが、同じ島でも青森と山口ではずいぶん違う。
ホンシューの中でもカントーのトーキョーというところから来たのだ。

島内を散歩していると、今度は小学生くらいの団体に出会った。

みんな体育着のような服を着ており、一部の女子はやたらと胸がでかい。

何を見ておるのか!と叱られそうだが、欧米人のカップルから見てもでかかったようで、女性が男性に「大きければいいのか?」などと問い詰めているのが゙聞こえてしまった。

ケンカなさらぬように。

お昼は洒落たオープン・カフェでライスサラダを食べた。

欧米人から見たらサラダだろうが、日本人から見たら米のメシである。

サラダなので酢でさっぱりしているが、米もたくさん入っていて、けっこううまい。

食後はエスプレッソを飲んでのんびりした。

このカプリ島は、買い物をしたり散歩したり読書をしたり、のんびり過ごすにはもってこいである。

島の高みから眺めるティレニア海の輝きは、まことにまことに美しい。


 太  郎
「 もしも許されるなら己(おれ)は彼女を連れ去り、
 この世の全ての楽園を訪ねるだろう

 波は白く穏やかに岸辺を洗い
 風ははるかな沖から新しい世界の香りを乗せてやってくる

 この海の輝きはどうだ
 この世界を慈しむありとあらゆる慈愛がここに満ちている

 己もまたこの世界を慈しむ
 太陽は惜しみなく光を与え、世界はそれに応える

 形のないものも、抽象も、概念も、
 この光によって明るく照らされる

 それが真実の理であるならば、
 何者をも照らすこの光は、
 何者かのかけがえのない愛の形に違いはあるまい

 もしも創造主がましますならば、
 己は創造主に何か報いることができるだろうか

 しかし己は彼女を強引に連れ去り、
 この世のありとあらゆる甘美を極めたいのだ 」

 メフィスト
「 あなたの賞賛するその海が、
 これまでどれだけの夢と希望を飲み込んだのか。

 人間には見ることのできぬものも、
 悪魔には見ることができる。

 さあ、光が届かぬこの海の、深く暗い床を御覧なさい。
 あの少年の白い遺骨を

 彼はこのナポリで神の世の1491年に生まれ、
 母に何か美しい贈り物をするのだと言って
 不運な船に乗り込んだのです。

 海に沈むあの古い壺を御覧なさい。

 何か価値のある壺だとだまされて、
 やっとのことで持ち帰る最中、

 あとほんの少しのところで嵐にやられたのです 」

 太   郎
「 哀れな少年よ、
 その母のためにも私の胸は張り裂けるようだ。

 体は滅んでも、その母子の魂までは滅ぶまい 」

 メフィスト
「 ねえ、
 だから人間は物事のひとつの側しか見ないのですよ。

 創造主のご都合主義にそっくりだ。
 あなたもあまり甘い夢ばかり見ないことですな 」

 太   郎
「 己は夢を見る。

 たとえ叶わぬまでも、
 夢を見ることは人間の特権なのだ 」






















バールのエスプレッソマシーン











ブランディの前の通り









マルゲリータ(再掲)

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麗しのマルゲリータ、愛しいマルゲリータ・・・

今日の夜は、マルゲリータを食べてしまうのだ。

カプリ島から高速船で再びサンタルチアに戻り、プレビシート広場まで歩くと、すぐそこにはピッツァ・マルゲリータ発祥の店である「ブランディ」がある。

創業は1780年。

その後1889年に王妃マルゲリータに捧げられたシンプルで美味しいピッツァが、「ピッツァ・マルゲリータ」だ。

おのぼりさんよろしく、超有名店で食べるのだ。

オープンは夕の19時半からである。

やや早く着いたので、近くのバールでカフェ・マッキアートを飲みながら開店を待つ。

マッキアートとは、「汚れた」という意味らしい。

直訳すれば「汚れたコーヒー」となるが、その正体はミルクが少し入ったエスプレッソである。

よくわからないが、ミルクがたくさん入ると「カフェ・ラテ」になり、ミルクに少量のエスプレッソが入ると「ラッテ・マッキアート」(汚れたミルク)となるようだ。

ではカップチーノはと言えば、エスプレッソに泡立てたミルクかクリームを加えたものらしい。

カップチーノを頼むと、「ショッコラット?」と聞かれるので、チョコの粉を振って欲しければ「Si(シ)!」と言えばよい

なお、カプチーノにシナモンを加えるのはアメリカの風習であって、イタリアにはないそうだ。

・・・などとうんちくを述べたがしかし、正確にはよくわからないので馬鹿の言うことだと思って気にしないで欲しい。。。 ;^ ^

19時半になったので、開店と同時にブランディに行く。

しかし、なんということであろうか私は一番乗りではなかった。

アメリカ人観光客に先をこされ、私は本日2番目のお客様になってしまったのである。

ジツに悔しいことである。

このブランディは、アメリカ人に大変人気があると言う。

そのためであろう、イタリア国旗とともに星条旗も掲げられている。

ピッツァ以外のメニューもあるが、ピッツェリアなのでピッツァと前菜くらいを頼めばよい。

逆にズッパ(スープ)や食後のカフェなどを所望しても、「ない」と言われてしまう。

タコのマリネとマルゲリータ、イタリアビールをいただいた。

ビールはピルスナーの風味がしたが、取り立てて普通のビール。

タコは旨かったが、普通のタコ。

普通でないのはマルゲリータ。

ナポリ・ピッツァはジツに旨い。

生地が旨く、トマトが旨く、チーズが旨くておこげも旨い。

そして、全体としての「調和」がまた旨いのであった。

薪の強火で、石釜で一気に焼き上げると言う。

水牛?のモッツァレラが新鮮だ。

モッツァレラには牛乳から作られるものもあるが、本場ナポリのモッツァレラは水牛の乳から作られるらしい。

クセはなく、しつこくもなく、主張がなくてあっさりしているのだが、しかしその存在は偉大である。

そして焼き立ての生地は、周囲が厚くて内側は薄い。

厚い部分のもちもち感と、薄いところのサクサク感がとてもよい。

しかし、早く食べなければその食感は失われる。

焼き立てをさっと出されたら、ささっと食らわねば、その真価は味わえぬのだ。

生地は食感だけでなく小麦の味わいもよいので、おそらく生地だけを食べても旨いだろう。

大いに満足である。

ナポリではマルゲリータばかりを食べ歩くのも面白いかもしれない。

とりあえず今日は24,656歩。















ポンペイから見たヴェスービオ火山

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ああ、ついに旅行6日目になってしまった。

明後日の昼は、日本へ帰るヒコーキに乗らなければならない。

しかし悲しみに泣き濡れ、手足をバタつかせ、ダダをこねているヒマはないのである。

今日はポンペイを訪ねることにした。

そして午後には、ポンペイを死に至らしめたヴェスービオ火山の噴火口を覗きに行くつもりなのだ。

ヴェスービオ火山はイタリア民謡「フニクリ・フニクラ」の地である。

♪ 赤い火をふくあの山へ 登ろう 登ろう
  そこは地獄の釜の中 のぞこう のぞこう ♪

かのゲーテもやはり、この噴火口を覗きに来ているのだ。

スカートの中を覗いてはいけないが、噴火口は覗いてもいいのだ。

しかし、今のうちに正直に告白しておくと、噴火口の底は赤い溶岩やマグマではなかった。

噴火口と言えば、溶岩がグツグツ煮えたぎっているに決まっておると思っていたが、どうやらそれは「マグマ大使」の見すぎである。

フニクリ・フニクラの「赤い火をふく」というのも、真っ赤なウソである。

ちっとも火なんか噴かないのである。

それはともかく、日本で紹介されている「フニクリ・フニクラ」は原文とかなり違うそうで、本当は次のような歌らしい。

♪ 昨夜ナンニーナ 私は登った
   どこかわかるか?
   裏切る心が私をいじめない所
   そこは 火が燃えているが
   逃げたければ逃げられる所

♪ ここから山の上まで
   一歩だけだ
   フランス、プロチダ、スペインが見える
   私はおまえが見える
   綱で空まで登っていける
   風のように
   上まで

おお、なんと素晴らしいではないか!!

この歌は、ジツにワタクシのココロを歌っているのだ。


 太  郎(独白)
己(おれ)はどんなに離れていても、
 彼女の姿が見えるのだ。

 己には裏切る心などない、
 しかし己の心は正直ではないのだ。

 己のこの苦しみはどこから沸き起こるのだ。
 己のこの喜びはどこから来るのだ。

 己は何とかして彼女にこの世の美しいものを
 見せてやりたい。

 光と影が織り成すこの世界の全てを見せてやりたい

 清らかな水の精よ、この宇宙を映すがいい。

 新緑の木の精よ、光を浴びてざわめくがいい。

 自由な風の精よ、爽やかな草の香りを届けるがいい

 そしてヴェスービオの火の精よ、

 この己と己の心を焼くがいい

 燃え盛る心をもって、己は彼女を思うだろう

 メフィスト
「 おやおや、
 死の淵を覗こうとは、殊勝な心がけで 」

 太  郎
「 蛇め、貴様か 」

 メフィスト
「 さ、行きましょう。
 私が、面白いものを見せて差し上げますのでね 」































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ポンペイの遺跡には、白い屍が展示されていた。

右腕で顔を覆うようにして、歯をむいたまま死んでいる。

この屍には、苦しみを伝えるリアリティがあった。

彼の叫びの残骸が、風に揉まれ飄々として辺りに漂っているようだった。

・・・生
・・・老
・・・病
・・・厄
・・・苦
・・・餓
・・・忌
・・・死

経を唱えるように、人生の苦しみを私はつぶやく。

かつて山寺の静寂に聞いた、般若心経の一節に言う。

照見五蘊皆空度一切苦厄・・・

「智恵深き観音さまは、深く修業あそばされた時、すべては空であるという真実を見抜かれ、この世の一切の苦しみから解放されました・・・」

諸法空相不生不滅・・・・

「すべてのものは空であり、空であるものは生じもせず滅しもせず・・・・」

心無罣礙罣礙故・・・・

「悟りを求める人は心に何のこだわりも持たず、こだわりがないゆえ恐れるものは何もありません・・・・」


 太   郎
「 古に業火あり

 野に咲く花も
 野を行く川も
 すべてを舐めり

 蛇め、蛇め。
 二つに分かれるその舌で
 幾つの幸と不幸を舐めたのか 」

 ハインリッヒ
「 神は死んだ 」

 太   郎
「 なんだ、この男は? 」

 メフィスト
「『悪魔と神』から借りてきたので。 」

 太   郎
「 サルトルの手先か!」

 ハインリッヒ
「 神は死んだ。我々の死の後には何もない。
 何にも、何にも。

 ただ暗闇があるばかりだ 」

 メフィスト
「 神聖ローマ帝国は滅んだが、
 あの親父は老いてますます盛んでさ 」

 太   郎
「 ここに屍を晒すこの男は、神に召されたのか 」

 メフィスト
「 明るいところへ連れて行ってやると言ってましたがね、
 あの親父は。

 しかし、いつ気が変わらなかったとも限らない。
 あの親父ときたら、
 悪魔以上の天邪鬼ときているんだからなあ 」

 ハインリッヒ
「 それは所詮神などではないのだ 」

 太   郎
「 神は古から存在しないのだ 」

 メフィスト
「 ご機嫌を損ねなければいいが。

 悪魔はいないと罵られても、
 悪魔はそんなことでいちいち怒ったりはしないですがね 」

 太   郎
「 なるほど、数学者なら打算で神を信じるだろう 」

 ハインリッヒ
「 悪魔め、親父とは誰のことだ。

 貴様は神に会ったのか。
 貴様が本当に悪魔なら、俺は神の存在も信じるだろう。
 奇跡を起こして見せるがいい 」

 メフィスト
「 では、この哀れな屍を生かせてみせましょう 」

 太   郎
「 あ、これはどうしたことだ 」

 屍    
「 大変だ、大噴火だ。神がお怒りになっておられる!」

 ハインリッヒ
「 何ということだ。しゃべっているぞ 」

屍、天に召される。天使、合唱。光。

 太郎・ハインリッヒ
「 夢を見ているようだ 」

 メフィスト(小声で)
「人様に夢幻を見せて差し上げることなぞ、朝飯前さ」




一夜にして火山灰に埋もれたと言うポンペイの遺跡には、当時の生活を偲ばせる街並みが残っている。

馬車の轍の残る道、娼婦の館、共同浴場、貴族の家、商人の家・・・

街並みの向うには、噴火により形の変わってしまったヴェスービオ火山がそびえている。

遺跡を早めに切り上げ、私はヴェスービオ火山に向かった。

ガイドブックによれば、火山へはエルコラーノからバスが出ている。

エルコラーノは、やはり噴火で死に絶えた遺跡の町である。

バスは1時間ほどで山の八合目まで登り、あとは整備された登山道を火口まで歩くことができる。


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山を登っていくバスは、なかなか楽しい。

曲がりくねる道をグリグリ行き、右へ左へ展開するナポリ湾のパノラマが絶景である。

山の中腹では一面の木々に小さな黄色い花が咲き乱れ、窓から軽やかな花の香りが流れ込んでくる。

ナポリの空気は汚れているが、山の空気は爽やかである。




山頂からの眺め


火口

バスを降りて30分も歩けば山頂だ。

しかし山の天気は変わりやすく、山の上はおどろおどろしい雰囲気だった。

灰色の空にさらに黒い雲が立ちこめ、冷たい風が寂しげに吹く。

山は何故か「帰れ」と言っているかのようだった。

山頂では、火口に沿って半周ほど周囲を巡ることができる。

専門のガイドを雇えば、1周することもできるそうだ。

火口の底は、残念ながら煮えたぎる溶岩ではなかった。

土砂が堆積してアリ地獄のようなすり鉢状になっている。

落ちないように鎖が張ってあるが、少し身を乗り出せば火口の底まで見ることができる。

深さは200mあるそうだ。

また、山頂からはナポリ湾と、遠くにナポリの街が見渡せる。

フニクリ・フニクラによれば「フランス、プロチダ、スペインが見える」そうだが、それは見えなかった。

天気がよければ絶景であろう。

しかし寂寥茫漠と吹く風は、何かの叫びのようだった。

山小屋まで降りると、ちょうど雨が降ってきた。

雷鳴が轟き、稲妻が走る。

グッドタイミングであるが、これはおそらく偶然ではない。

私の中の生命は、雨の降る時をぴったりと正確に知っているのだ。

意識せずに行動していれば、たいていうまく行くのだ。

稲妻は空で樹形のように枝分かれして、狙いを定めたかのように一気に落ちる。

雷鳴は爆発のように激しく轟き、しかも長く、長く続く。

地獄の空とはこのようなものであろうか。

この勢いでは、おへそを取られるだけでは済みそうにない。

しかし、雷はやがて去った。

雲が激しく流れてゆく。

冷たい風は消え、辺りの空気は柔らかいものへと変わる。

山の向こうに太陽が差した。

ナポリ湾が陽光に輝く。

エルコラーノへのバスは16:30である。

山小屋でエスプレッソを飲み、エルコラーノから鉄道で帰った。



ヴェスービオ火山風景










何かのデモ






メルカート





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ナポリに戻ると天気はすっかり回復した。

18時過ぎは、まだまだ明るい。

大通りでは大々的なデモをやっていた。

腕を突き上げ何かを叫んでいる。

反日デモだったらイケニエにされてしまうのではないかと思ったが、イタリアは旧枢軸国なので、まあ大丈夫であろう。

カメラを持って見ていると、デモの人たちから「こっちへ来い」と手招きされた。

彼らは「 俺たちを撮れ!そのカメラで撮れ!うぉー!!」とジェスチュアし、赤い横断幕を持って気勢を上げるのだ。

なんだかよくわからないが、私も仲間に入れてくれるらしい。

いかついオトコが多いので、ひょっとしてホモのデモだったらそれも困るが、ワタクシも一緒に少しだけ行進した。

しかし、下町ナポリといえば、見所は何といってもメルカート(市場)である。

庶民の生活の場はとても興味深い。

デモの一行から離脱すると、カプアーナ門のメルカートを見に行った。

店という店が細い通りいっぱいに軒先を拡げ、買い物客たちがラッシュのように行き交う。

魚屋・肉屋・八百屋などから靴屋・服屋まで、いろいろなお店が数百メートルにわたり連なっている。

ここは東南アジアの市場よりも活気がある。

非常な雑踏なので、スリもいるのではないかと思ったが、それは大丈夫だった。

スリはこんな市場よりも、外国人が集まる場所を仕事場としているのかもしれない。

ここの人たちは非常に人懐こい。

買うつもりはないが物珍しそうに見ていると、次々と声をかけてくる。

誰も英語を話さないのでさっぱりわからないが、ニコニコ笑っている。

ニコニコ笑って、ハラもダブダブ揺すっている。

イタリアでも特にナポリの人々はハラが出ており、それも偏にナポリが美食の都だからだそうだ。

ナポリでは、ダイエットなどと言っている場合ではないのだ。

身振り手振りでやりとりし、「写真を送ってくれ」というので、あちこちで写真を撮った。

カメラぐらい持ってないのか?と思うが、なぜか住所を書いてよこすのだ。

ここの市場では、お土産用にパスタ(スパゲッティ)を買った。

本場ナポリの人たちが日常的に食べているパスタのはずである。

太さがいろいろあるので、店の兄ちゃんに「スパゲッティ、スパゲッティ」と言って選んでもらった。

その兄ちゃんはカメラを向けると、トウモロコシを口に咥えてイヤミの「シェー」のようなポーズをとって見せた。

この兄ちゃんの選んだパスタがうまいかどうか不安である。

一通りメルカートを見て回った後は、リストランテで食事を摂ることにする。




この日の夕食は、フレッシュサラダに海のリングイネ、マナガツオのグリル、パンナコッタ。

昼食に食べた素朴なアーリオ・オーリオのスパゲッティも旨かったが、手間のかかった料理もやはり旨い。

サラダのトマトは、「確かにトマトを食べました」という充実感のある真っ赤なウマトマト。

マナガツオのグリルも、「正しくグリルしました」という香ばしさがたまらない。

薄く皿にひかれたソースは、新鮮なオリーブオイルに旨塩を加えただけに近いシンプルなもの。

軽いソースとレモンの絞り汁が、淡白な白身魚の味を盛り上げていた。

海のリングイネにはハマグリ?と2種類のアサリが混じっている。

一つはいかにもアサリらしいアサリで、もう一つはアサリに似ているがアサリではない貝である。

これはわざと混ぜているのではなく、おそらくメルカートでも一緒くたにされているのであろう。

少々違いがあっても、面倒だから分けないのではないか。

アサリでないほうのアサリは、アサリよりぽっちゃりと肉厚であるが水っぽく、貝殻もややザラついている。

しかしだからといって海のリングイネが旨くないのではなく、イカや魚の旨みも絡んで美味しいのであった。

イタリアのリゾットはしばしば塩辛いが、リゾットと違って塩もきつくなかった。

デザートのパンナコッタも美味しく、ブルーベリーソースはなしで食べたほうがよかった。

ところで私は、お金がほとんどなくなってしまった。

そう書くと「食い逃げでもしたのか?」と思われそうだが、しかし決してそうではない。

私はこう見えても、食い逃げなどしたことは一度もないのだ。

厳密にはタイの辺りで食い逃げとなったことがあるかも知れないが、しかししていないのだ。

カードでお支払いしたが、両替したユーロはほとんどなくなってしまっていた。

イタリアでは両替すると手数料が高くつく。

しかし現金がないと、細かい支払いは不便である。

こういう時はたいてい両替すれば余り、両替しなければ現金がなくて苦しむことになるのだ。

両替すべきかせざるべきか、残りのキャッシュを念頭に悩みながら旅することになった。

旅というものに、苦悩は尽きないのである。

それは人生の旅路となんら変わることはない。(涙)

今日は山にも登ったが、26,202歩であった。


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6月17日(金)、ついに実質的な旅行最終日となった。

明日は飛行機で日本へ帰るばかりだ。

ひたすら飛行機に乗って、日本着は明後日の昼である。

しかし日本に帰っても、ワタクシの「センチメンタル・ジャーニー」は終わらないのだ。

ああ、愚かなる片恋の苦しみよ。

けれどもワタクシの片恋の相手は、クミコであったかヨーコであったか、はてさてユウコであったか・・・

まあしかし、誰からも相手にされるまい。

(注)しかしそう言ってはミもフタもないので、
一応念のため申し述べておくと、
女性と付き合ったことがないわけではないのだ。
ウソではないのだ。

自慢ではないが、ワタクシはあまりモテないのだ。(注)

8:23発、ナポリからローマへ、再び2等のディレット(準急)で戻る。

ボックスシートに揺られる汽車旅はやはりよい。

窓の外は、来た時と同じく銀色に輝く田園だ。

ローマ・テルミニ駅近くの宿では、ツインルームのシングルユース60ユーロで手を打った。

旅行最後の宿泊なので、太っ腹なのである。

自分たちの住むビルの数室を貸す、少しだけ洒落た個人経営のペンシオーネだ。

蛇口をひねってシャワーからお湯が出るまで、約4分を要したが、しかしついにお湯は出た。

さすがは60ユーロの部屋である。
一度お湯が出ると、後はずっとお湯だった。

お湯が出続けるのは当たり前と思うかもしれないが、しかしシャンプーして泡をシャカシャカさせて♪ランランランなどと歌っている内に水になってしまうシャワーは、欧州では決して珍しくない。

特に冬場は警戒が必要である。
人生の不幸はいつ襲ってくるかわからないのである。

シャワーは警戒が必要だが、こちらでは部屋が空いていればいつでもチェックインできるのがありがたい。

チェックインタイムというものは一方的にホテルの側の都合であって、客の都合ではない。

最近は日本でもアーリーチェックインというのがあるが、サービス業としては、日本の宿もいつでもチェックインできるようにして欲しいものだ。

日本という国は全体的に、インフラは整っているがサービスが貧しいのではないか・・・

などと洋行帰りよろしく文句をつけてみる。

洋行帰りたるもの、赤シャツなどを着てハンケチを取り出し、日本にケチをつけなくてはならないのだ。

お昼にライスコロッケを食べて、40番のバスでヴァチカン市国へ向かった。

ライスコロッケは安くてハズレが少ないので、Tavola Caldaで食べる際にはとても重宝である。


サンピエトロ広場のハト


パンテオン

ヴァチカン市国のサン・ピエトロ広場にいるハトは、日本のハトより人懐こい。

エサを与えると遠慮なくヒトの手に乗り、肩やアタマに乗ってくる。

人間を食卓かなにかと間違えている。

人懐こいというより、厚かましい。

厚かましいが、子供たちは喜び、心から楽しそうであった。

並ぶのは好きでないので、サンピエトロ寺院の中には入らなかった。

あとで寺院の写真を見たら、中に入らなかったことを少し後悔した。

近くのサンタンジェロ城から寺院やローマの街並みを眺めた。

この日はパンテオンを見て、トレビの泉も見た。

見るつもりはなかったのだが、歩いていたら見てしまったのだ。

前にも書いたが、そういう意味ではすごい街である。

そこらに必ず何かが在るのである。

パンテオンはいかにも重厚な佇まいであった。

トレビの泉はすごい人だかりで、欧米人観光客も後ろ向きになって楽しげにコインを投げていた。

ここはスリのメッカだそうであるが、スリのヒトとはお知り合いにならなかった。

お土産などを物色し、「ローマの休日」を楽しんだ。

ところで、こちらのミネラルウォーターはどうも味が強い。

悪くはないが、毎日飲んでいると水の味が気になってくる。

水に味が感じられてしまうと、だんだん水に飽きてくる。

水はもっと味のしないほうがよい。

夜はまたTavola Caldaでズッキーニを炒めたようなのと、カタクチイワシを炒めたようなのをいただいた。

ズッキーニの炒めは、「ナスの油味噌」のようなものと思ってもらえばよい。

ナスの代わりにズッキーニが入っているイメージだ。

カタクチイワシの炒めも、どこか日本チックな味わいである。

これらはメシのおかずにも最適であろう。

イタリア料理は日本人に広く受け入れられるはずである。

今日は、お土産なども探し歩いて28,505歩を記録した。

今回の旅行で最高歩数であるが、結局1日3万歩は歩けなかった。

職場の人々よ、すまぬすまぬ。

翌日は帰るばかりであったが、香港経由の飛行機で隣になった香港の女の子を築地の寿司屋に誘ったのだが、結局断られてしまったことのみご報告しておく。


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