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  晩夏の靴音




 午後六時も半ばを過ぎた。 軸の傾いた夏の太陽は、赤味を帯びて未だその姿を残していた。 影は伸びたが物事の形はしっかりと照らされ、 ところかしこを露わにする光は健在だった。
 黙々と歩を進める。隣の男もまた無言であった。 二人はつい先刻別れ話を済ませ、 次第に熱が冷めていっていたことは互いに自覚していたため どちらも激しい感情を表すことなく別離に同意した。
 常に猫背気味の男は今日もまた背を少しばかり丸めて歩いている。 哀愁を背負う疲れた中年のようだと揶揄かったのは、いつのことだったか。 目を落すと光沢の悪い革靴が、みぎ、ひだり、みぎ、と交互に出されていた。 また手入れの手間を惜しんでいるのだろうと女は煤けたそれを横目で追った。 これも身嗜みの一貫だと諭して、それでも放置する男の代わりに磨いたこともあった。 もう二度と触れることはない、と突然の寂寥が沸き、女は目をまたたくことで感情をやり過ごした。 面倒がりな男は脚を前後に出すのも億劫らしく、大股に、投げやりな歩調でいつも歩いた。ゆったりしつつも距離は進み、女は目前の西日が眩しいのだと意味のない言い訳をして顔を挙げずに愛着の残る靴の動きを追った。
 込み上げる愛しさは仕方がない。これは情だ。幾度も肌を合わせて愛した男の身体は、たかが靴一つで小指が内側に歪んだ爪先まで思い起こさせて、 容赦なく胸を焼く。
 いつもの曲がり角が近付いた。口を開いたが喉が痛み、声は出なかった。二人立ち止まり、男は振り向いて滑舌の悪い別れを告げた。
 どうして。
 どうしてこんなにも愛しさに似た苦味が胸を締め付けるのに、もう他人だと思うのだろう。 愛情ではないとわかってしまうのだろう。確かに未来を語った日もあったのに、その相手との未来が幸福だとは思えなくなってしまったのはいつだったのか。
 離れることを拒否し、動こうとしない脚に歩けと命令する。
 一歩、あと一歩、と高いヒールから伸びた足首が交差していく。この脚は探しにいくのだ。未来を、分かち合う人を探しに。磨かれたハイヒールが霞む。視界がぐにゃりと歪んだ。涙ではない、泣く必要はない、いつか必ずこのつま先は辿り着く、とコンクリートを踏み鳴らした。







晩夏の靴音
2004/06/19-20
改稿 -2008/09/20










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