HOME



 目が痛い。

 そう呟いて私が目を擦ると、男が私の手首をつかんで、こすっちゃダメだよ、といった。 涙がぼろぼろと出た。 両の手のひらでまぶたを覆って、もう一度、目が痛いと呟いた。

 ずっと泣けなかった。 でも、今日、たまたまコンタクトがずれて涙が出て、これでやっと泣けると思った。 あとからあとから溢れてくる涙が、止まらなくなった涙が、コンタクトのせいかそれとも気持ちのせいか判らなくなっていたけれど、手で覆ったまま、目が痛いとだけ繰り返した。
 男が、だいじょうぶ、ときいた。 心配そうな声だった。

 私は、こたえなかった。

 それを知ったのは偶然だった。 偶然、男と寝た女が話しているところに出くわしてしまった。 その女はペラペラと言いふらすタイプの女には見えず、聞いていた女の友人もお喋りをする方ではないように思えた。 だから、本当に私が知ったのは偶然だったといえるだろう。 お互いに遊びです、と一度きり。 さばさばとした美人の女は私の知っている女ではなかったが、会話を聞く限り、男は趣味がいいかもしれない、とそう思った。

 ショック? 確かに受けていたかもしれない。 でも違う。私をもっと呆然とさせたのはそのあとのことだ。 混乱したままに約束の場所に辿り着き、男はもう来ていた。 日の当たるカフェで本を読んでいた。 私に気がついて目を上げる。 軽く手をふって、こっち、といつもの穏やかな笑顔が。

 一点の曇りもなかった。

 はじめてではない。男が他の女と寝たのは今回が初めてではない。 男は慣れている。 これが初めてでは、ない。

 その日からの私の葛藤を、男は知らない。 私が男のことをわかっていなかったのと同じように。

 「目が痛い」

 罵りたいという気持ちと、もう駄目だ終わりだと思う気持ちと、なかったことにしてしまえという気持ちと、離れたくないという気持ちと。

 最低、最低、最低だ、この男。

 最低だ最低だ。 …好きだ好きだ好き好き好き 嫌い? 嫌い嫌い嫌い嫌い。


 だいじょうぶ、と、男が、また、心配そうな声で、いった。





memo 2005/04/10
up 2006/03/06
HOME