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  前略




このような便りだけで、挨拶も無くこの街を出ることをお許し下さい。



僕は何とかやっていこうと今日まで来ました。
しかし、どの道を歩いていてもどの曲がり角にも彼女の思い出が詰まっていて、辛い。
貴女は彼女を覚えていて欲しいと仰るでしょうね。
僕も、今は酷い痛みでもいずれ麻痺するだろうと過ごしてきました。 彼女を彼女が望んだように、いつか美しい思い出と幸福感で思い出すことが出来るだろう、と 僕は半ば祈るような気持ちで思い続けてきたのです。

彼女と過ごしたアパートを片付けることも出来ずに逃げ出しました。 昔の部屋をそのままに新しい部屋を借りてだらだらと月日は流れましたが、 依然、僕は戻ることが出来ません。
毎日彼女と歩いた並木道を避け、会社に行きます。
先日新しい携帯を買いました。気がついて見ると、先の携帯には彼女の映像が残っていて、 彼女が笑って、動くので、僕は泣いて叩き壊すことも出来ずただただ握り締めて充電が切れるまで 同じ動作を見続けました。

痛みは酷くなるばかりです。
彼女の顔を声を仕草を近くに思い出せるうちは良かった。 彼女と関連したものが彼女を思い出させるのに、今は 彼女の微笑をぼんやりと浮かべることしか出来なくなってしまい、 それは薄れていくのに痛みばかりが増していくようです。
どうしていいのかわからない。 忘れたくないと思う一方、もう、忘れたいと思う自分がいるのです。
残された映像はあまりに鮮やかで、僕の記憶など何の意味もないような気分になりました。 記憶に残る色彩や像は余りに曖昧すぎました。 何度も会い、見つめ、そうして何度だって、僕は鮮やかに脳に残してきた。 それは、毎日、 何時間、彼女に会っていたから彼女を事細かに思い起こすことが出来ただけで、 もう会えなくなった今は、こんなにも朧げで儚い。 僕の脳がビデオテープのようであったら良かったのに。

すみません。
僕は何を言いたいのでしょう。
何度も書き直していますが、全てこの調子で、僕の生活もこのように支離滅裂なのです。
このあいだは、道端で突然 泣きたくなって、恥も外聞もなく泣き続けました。
どこかが壊れたのだ、いや、どこかが壊れ続けている、と判ってはいてもどうすることも 出来ません。

数週間前、知人が訪ねて来ました。
出張のときに会っただけの取引先の人で、彼は会社を興したらしくそのビジネスを 手伝わないか、という話でした。 彼は何故か大層 僕を買ってくれているようで、熱心に頼み込んできました。
僕もこれは転機だと思うことにしました。
会社をやめ、今は準備に追われています。しばらくは居場所が特定できないようなので、 彼の名刺を同封します。 何かありましたら、そちらに連絡下さい。

もう一つ同封した鍵は、彼女と僕のアパートの鍵です。 娘さんの物で残しておきたいものもあるでしょう。僕の物は全て捨ててしまって構いません。 部屋は引き払ってしまってもそのままでも、どちらでも好きなようになさって下さい。 引き落としの口座にはいつも通り家賃を振り込んでいますので、 部屋をそのままにしておきたいのでしたら、そうして下さい。 勝手な申し出で、本当に申し訳ありません。
僕はまだ、あの部屋に戻ることが出来ないのです。
貴女も同様の気持ちであるとは思いますが、お許し下さい。

この手紙が着く頃には僕はこの街を出ているでしょう。
腰の具合はいかがですか?
お父さんの膝は大丈夫でしょうか。 ××君は今年でもう卒業ですね。
どうか、お身体にはくれぐれもお気をつけ下さい。
挨拶にも行けず逃げ出す臆病者の僕を、それでも、いつかまたお話しできたらと思います。
たくさんたくさん、彼女の話をしましょう。
彼女が望んだように幸福の気持ちで、僕もそれを楽しみにしています。
いつか、必ず。





それでは、また。





20xx年 月 日





=============





















(前略)

………灯もなく、月明かりだけだというのに、 村の道に敷かれた白い砂がキラキラと反射して、 夜道も明るいのです。 一面の白い砂浜は、珊瑚の死骸だそうで、その白さが、 海を七色の青に変化させ、僕は毎日ただ感動するばかりです。 星の浜では ペタリと手の平を砂に当てると星型の砂が無数につきます。 これは虫だったものだと聞きました。 潮が引くとひたすら白浜が続き、見渡す僕は地上がどちらか、 ここは果たして天国ではないのだろうかという錯覚を覚えます。…
………


(後略)




















(前略)

…川辺の船着場を出て、村の灯りが見えなくなると辺りは全くの暗闇につつまれます。 水に合わせて小さなボートはゆらりゆらりと揺れて進み、やがてぽわりと光る樹木が見え始めました。 こちらの蛍は日本の蛍とは少し異なります。小さいのです、そうですね、小さな蚊のお尻が光ると 考えてもらっていいでしょう。本当に小さな小さな光です。 暗闇の中に光の粒子が漂う様は、まるで星空のようで、もちろん本物もありますから、星々に囲まれ 自分が宇宙を浮遊しているかのように思えます…
……

(後略)




















お元気でしょうか。
お身体の調子はいかがですか。……




















……この街は、太陽と月だけが色を持ち、 その他は黄茶けた砂と風ばかりです。 建物も人もその色に染まってしまったかのようにぼんやりと溶け込み色は浮かび上がってきません。 空気が、もうすでに砂を孕んでいるからでしょうか。 視界に映るもの全てがその色を帯びているのです。 太陽でさえ、そのフィルターを通していて、……




















……
不思議です。
彼女から逃れようとあの街を出たのに、 どこへ行っても、僕は彼女との思い出に出会うことが出来ます。 彼女と僕は、太陽の話も海の話も宇宙の話もしたのです。

……

そう思うと、この世の全てのことを、彼女と僕は話し、考え、 共有したのかもしれません。

……
………







































……ああ、そうだ、言い忘れていたことがありました。









以前 訊かれたことです。






僕は、彼女と出会ったことを、一度だって後悔したことはありません。


本当です。




もちろん今は、辛いし痛いし、哀しい。


そればかりが勝って、

それでも、

みんなが心配するように全てが無ければ良かったとは思いません。






彼女と出会い、




そうして僕は、









僕という生は意味を持ったように思うのです。
































20xx年 月 日  ××にて。


















2003/06/23  ぜんりゃく




















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