死を覚悟したのは、見下ろす暗い水面が月明かりに遠く揺れていたときだ。
ひと一人充分には手足の伸ばせない船室に閉じ込められて、南下していた。戦に行くのは20歳に満たない自分には初めてのことだった。
山国で生まれた自分は海を見ることもなく育ち、徴兵されて初めて電車というものに乗り、船に乗った。農民として平凡に家を継ぐだけならば、もしかしたら船で外国へ赴くなど一生経験のない出来事であった。
船足の遅い船はすでに同刻に出発した船たちに置いてゆかれ、一隻のみで大海原を進行していた。五日ほど前に陸地は見えなくなっており、陸どころか三百六十度が山脈に囲まれて育った自分を恐ろしくさせた。
その夜もいつものように波に揺られてうつらうつらと夢と現を行き来していた。大きな輸送船は細かには揺れなかったが、たぶん一メートル二メートルでは済まされない上下を感じた。寝転んでいる自分の身体は何メートルも浮上し、また沈んだ。
突然のジリリと耳を劈(つんざ)く音に夢を遮られ、訳もわからずに訓練された通りに救命具をつけて人の波に飲まれて甲板へ上がる。船は明かりという明かりを消して静かに辺りを圧迫していた。敵船に見つかったのだ、と耳にした。前後もわからなくなるほどの暗闇に月ばかりが明るかった。
ごぅごぅと船の重い静かな機械音が腹に響く。完全なる沈黙が大勢の人の気配と呼吸を増強させ圧力となって息苦しい。目が慣れてくると一つ、また一つと星が視界に入った。甲板から下、水面は遠く遠くにあった。
合図があったら飛び込めと言われていた。つまりは船が沈没させられた場合だ。しかし、しかしと思った。船が沈み、海の中で助かったとして何の意味があるだろう。助けに来るものなどないのに。見下ろす水の陸は遠い。いったい何階の建物から飛び降りろといわれているのと同じなのだ。
外に出たときには空も海も区別がつかなかったが今は月明かりに照らされた黒い水が波打つのが見える。月は三日月と呼べるほど細くもなくまた満月とも違った。自分はあの月の名を知らない。中途半端に半欠けの、まるで出来損ないの饅頭だ。妹たちの作ったそれを思い出してああ帰りたいなあとこれまで丁寧に磨り潰してきた願いを素直に感じた。
ぽっ、ぽつ、と雨が降り出した。甲板へ出てどのくらい経った頃だろうか。時間感覚など麻痺していたからたった一時間だったかもしれないし数時間だったのかもしれなかった。雲が覆い被さりますます暗く、闇夜は絶望に落とす。雨粒に濡れる身体はいっそう惨めにした。
突然の切り裂くような衝撃だった。ドン、ビリビリと音よりも振動の衝撃が大きかった。最期だと思った。号令が掛かるだろう、飛び込めという。船に巻き込まれて死ぬか、海面に打ちつけられて破綻するのか、水の中で浮かんで朽ち果てる。
雨は降り続けていた。緊迫した空気は水滴に裂かれて切れ切れに分断されて騒然となり曖昧に漂った。暗い黒い水面が眼前に迫る錯覚を覚えた。あれほど遠かったはずの波が顔を濡らすほど近い。黒波が揺れると自分の頬も目蓋も濡れる。睫毛から水滴は垂れて角膜を濡らすが手で拭うことはせずにまたたきのみで払い、やはり水面を凝視した。自分を飲み込むはずの海を。
今も暗い雨の日にはあの情景を見る。コンクリートの水溜りに映る自分の脚を見下ろして揺れる波を見る。
揺れる緑の稲穂の海原遠く、山脈が青空を装飾していた。夏にも涼やかな風の吹く土地がだが確かに植物も生物も成長させ、広い空は澄んでいた。
終わりを覚悟させた衝撃は自船から放たれた魚雷であったことを知らされたのは号令によって船室へ戻り夜が明けようという頃だった。その後異国の土を踏み、また故郷の地へ帰る前に再び船に乗った。港で下船すればすぐに故郷だというのにいつの間にか船内で発生したコレラが死滅するまで、正確には感染した者が死体となるまで地を踏むことは許されなかった。棺桶が毎日降ろされていき船の食料も尽きかけて骨に皮が貼りついただけの自分の手首を見ながら過ごした。
六十年に及ぶ労働に太くなり老いた自身の腕を見ても思い起こすことは残された家族を食べさせることに奮闘した日々、逝ってしまった妻と育てた子たち、自分が確かに手にしてきたことだ。
何万回と繰り返した田の見回りを終え、空を仰ぐ。そこにはやはり変わりなく青が広がっていた。
2005/08/20
ふたりの祖父へ
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