「第一回世界伝統武術大会」見学旅行覚え書き |
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平成16年10月14日から20日にかけ、太極拳のふるさと 15日 太極拳のふるさと陳家溝 成田空港を出発したその日に、北京空港経由で河南省の省都である鄭州に到着。翌15日、太極拳のふるさと陳家溝に向かう。案内人は、立石先生が長年お世話になっている馬さんと、現地案内人の李さん。馬さんは、中国でのガイド大会で3位に入賞し、テレビで紹介されたベテランである。 鄭州は昔から交通の要衝である。プラタナスの並木が連なる通りを抜け、30人乗りの小型バスは、世界4大古代文明の一つ、黄河文明を育んだ黄河に架かる長大橋を走る。河原一面に綿花が咲き、手作業で綿花を摘んでいる。黄河は流域の経済発展に伴い、流れは、注ぐ渤海湾まで届かず、手前で途絶えてしまう断流現象が1972年に初めて起こった。節水の奨励により、最近は断流もなくなったが、常に水不足の状態である。揚子江の水を黄河に運ぶため、揚子江の下流、中流、上流に3大水路の巨大プロジェクトを計画・施工している。
その後、楊露禅は、郷里の華北に戻り、みずから会得した太極拳を広めてゆく。その名声はしだいに高まり、ついには北京に出て、清朝の王侯貴族たちに武術を教えるまでになった。清朝の王侯貴族たちに武術を教えることになったとき、すばやい動きが苦手な貴族のために、太極拳に改変を加えて、やわらかなゆっくりした動作を取り入れるようにした。これが楊氏太極拳の特徴となっていったのである。
中華人民共和国誕生後、中国国民の健康づくり、体力づくりを向上させる運動のひとつとして、太極拳が挙げられた。1956年(昭和31年)簡化太極拳(陽氏太極拳の簡略普及型:24式)と88式太極拳、1957年(昭和32年)32式太極剣が、共和国体育委員会運動武術課によって統一架式として制定された。さらに、1979年(昭和54年)に48式太極拳が制定される。その後、1990年(平成2年)に北京で行われたアジア競技大会に合わせて、規定太極拳がつくられた。 ブックス・エソトリカ-34「中国武術の本」(学研出版)には、陳氏太極拳について次のように記述している。 <アジアをまたぐ広大な版図を誇った元が瓦解し、農民の反乱のなかから、あらたに明王朝が生まれた14世紀末―――。 河南省温県、対岸に古都・洛陽と崇山をのぞむ、黄河中流に広がる茫漠とした原野に、隣の山西省から山を越えてやって来た、ある一団が住み着いた。太極拳の遠祖と伝えられる陳朴と、その一族である。 黄河中流を核とする肥沃な中原の地は、まぎれもなく中国文明発祥の地として、つねに歴史の表舞台であるつづけた。しかし、元の時代には、打ち続く戦乱のために多くの人間が殺戮され、人口が激減したといわれる。そこで明代に入ると、政府は荒野と化した広大な中原地域に、なかば強制的に農民を入植させた。陳朴とその一族も、そうした開墾に加わった一団だったのである。 陳一族は温県の常陽村というところに定住したが、やがて彼らが住み着いた一帯は「陳家溝」と呼びならわされるようになる。「溝」というのは、黄河の支流が干し上がってできた溝のようなものがそこにあったためだという。 陳氏のあいだでは、匪賊に対する防衛のために、古くから武芸が行われていたらしいが、明代の書「紀效新書」に記載されている拳法を研究して太極拳の基礎を築いたといわれるのが、陳朴から数えて9代目にあたる陳王廷である。 陳王廷が生きた時代は、今度は王朝が明から清へと移る時期にあたり、これもまた戦乱の時代であった。史書によれば、彼は明代の末期に郷兵を率い、華南を荒らした賊軍の掃討をはたしたという。(略) この時代にはまだ、「太極拳」という呼称は存在せず、ここで王廷がいう拳術とは、現在見られる陳氏太極拳とはかなり様相を異にするものであったはずだが、現代では健康法、養生術としてのイメージが強い太極拳も、そのルーツをさかのぼれば、戦乱期の武将までたどりつくのである。> 屋敷跡より、バスで10分ほどの場所に、寄宿舎の備わった武術学校がある。壁一面に鏡を擁した体育館があり、我々に演武を見せてくれるため、準備をして待っていてくれた。4歳の坊やから20代の男女まで、棍・槍・剣・刀の武器を用いた技を、次々に披露してくれる。各種の大会で、優秀な成績を修めた若者たちによる演武である。 練習を始めて一ヶ月だという、4歳の坊やの目線の動きが、印象的であり、そのことがバスの中で話題になる。 昔から陳家溝では、村人のあいだで、あるいは家庭のなかで父母たちの武術が直伝され、日々の暮
らしのなかで套路(型)が身に付けられていったという。学校は太極拳を学ぼうとする人たちに向けて、広く門戸が開かれており、4歳から60歳の人達が学んでいる。練習期間は3ヶ月コース、6ヶ月コースなどもあり、また、10年以上練習している人もいる。 陳家溝をあとにして、後漢の明帝が中国で初めて建立した寺院(68年)である白馬寺を見学し、この日の日程を終えた。 16日 少林寺・世界伝統武術大会開幕式 関林は三国志の英雄、関羽の墓がある。「林」とは聖人の墳墓のことをいい、山東省にある孔子の墓所「孔林」に対して、関羽の墓は「関林」と呼ばれるようになった。関羽は約1800年前、後漢・三国時代に活躍した武将である。呉の孫権と戦って敗れた関羽の首は、魏の曹操のもとに送られた。曹操が、その首を手厚く葬ったとされる、小高く盛り土された首塚が、三殿の後方にある。関羽は義に厚く、商売の神様として各地に祀られる。横浜中華街の関帝廟はよく知られるところである。 中国には、2004年までに認定された世界遺産は30箇所ある。龍門石窟は2000年に登録された。敦煌の莫高屈、雲崗石窟とならぶ中国の3大石窟のひとつである。黄河の支流伊水両岸に沿って1q余の岩壁に、2800余の石窟、大小10万体の石仏、2800余の碑文が、北魏時代(開鑿開始494年)から唐代にかけて約400年にわたり鑿ち続けられた。中でも、中心をなす高さ17mという毘盧遮那仏は、見た瞬間、なんと良いお顔であるかと、見とれてしまった。
午後に、崇山少林寺のある登封県に移動する。少林寺に近づくにつれて、武術学校と書いた大きな看板を、最上階に掲げた5〜6階建ての校舎が道の両側に点在する。いずれの校舎も新しい。ガイド本によると、少林寺周辺には、大小合わせて200近くの武術学校があるという。駐車場からしばらく歩くと、参道中央に大きな新しい石碑が建てられている。「少林文化人類遺産 江澤民 2004年7月」と書かれている。少林寺周辺の環境の開発・整備に政府が力を入れていることが、ひと目でわかる風景が続く。
少林寺は、北魏の孝文帝により496年に創建された。達磨と少林拳法で馴染みの深いお寺であり、中国禅宗発祥の地である。 達磨は禅宗の初祖として有名である。伝説によると、南インド香至国の第三王子で、悟りの真実を伝えるため、南海経由で520年に梁国に来て、武帝に迎えられる。このときの問答が伝えられている。 なる その後、達磨は魏国に行き、崇山少林寺に入り、壁に向かって9年間坐り続けたという。また、禅宗2祖となる慧可は、少林寺の達磨に教えを請うたが、達磨は面壁するばかり。ある大雪の日、慧可は雪中に立ち、左臂を切断し、求道の切なる思いを示して、弟子になることを許されたという。慧可断臂の伝説として残る。 参道を歩いていると、はるか山頂付近に白く見えるものが、達磨が9年間面壁坐禅した達磨洞だという。よく見えるように、観光地でみる固定型の双眼鏡を、何台も並べて、使用料2元(約26円)で商売をしている。 少林拳の武名が、史上に現れた最初といえるのは、唐初の621年、王世充の乱時に、曇宗らの13人の少林寺僧が李世民(のちの太宗皇帝)を助けて武功をあげた。これが少林寺の武僧についての最初の記録とされている。 中国武術では、太極拳に代表される、身体の内面への力を重視する拳法を内家拳と呼ぶ。一見するとゆったりとした動作が目につくが、ひとつひとつの技には、莫大なエネルギーがこめられているという。これに対して、突きや蹴りを多用して、はげしい動作を見せる拳法を外家拳と呼び、少林拳はその代表である。 少林拳の実演を見せる少林寺武術館に入る。階段状の客席が、一段高い実演場を半円形に囲むように置かれ、舞台照明や音響・投映システムが完備されている。ショー化されてはいるが、棍・槍・剣・刀やその他の武器を用いて、次々と繰り出す演技は、すごいすごいで一時間が経過して終演する。折れて客席近くに飛んできた棍を、記念に持ち帰る。 少林寺で最大の建物である千仏殿には、レンガが敷き詰めた床に、いくつものくぼみがある。これは武僧たちが、日夜の修練で、床を踏みならしたためにできた「練武の坑」のいわれる跡である。山門近くのイチョウの木に見えるくぼみは、指先を鍛えた跡だと教わった。 夕方、第一回世界伝統武術大会開幕式を見るため、河南省体育センター競技場に向かう。警備上、大きな荷物は持ち込めないという注意を受ける。金属探知器による検問を受け、さらに、競技場客席へのゲートでは、ペットボトルや魔法瓶までも回収している。トイレに行く場合にも、ゲートで公安員に入場券を渡し、再び入る時に、ゲートで座席番号を言って入場券が戻されていた。 4万人を収容できるという競技場は、観客席の半分を使い、巨大なやぐらを組み、大舞台とその両側にLEDフルカラーの大表示板を設けている。投光照明が回転・点滅し、レーザー光線が動き回り、花火が打ち上げられるなか、各国選手団の入場行進により開演した。数百人の武術家による演武、歌手と武術家による共演など3時間近い開幕式である。 この警備の厳重さと開幕式の華やかさは、北京五輪に向けてのデモンストレーションを兼ねているのであろう。
17日 龍亭公園・鉄塔公園・大相国寺・河南省博物館
龍亭(開封市) 清代の1692年創建。菊花が展示され、龍亭大殿内では、時代劇が演じられていた。 鉄塔(開封市) 1049年創建。高さ56mの開宝寺塔は、仏像や文様を刻んだ鉄色のレンガがはめ込まれ、一見鉄製かと見えるところから鉄塔と呼ばれる。多少傾いでおり、斜塔になっている。 大相国寺(開封市) 北斉時代の555年創建。 河南省博物館(鄭州市) 中原に栄えた古代文明から近代まで。青銅器、陶磁器、玉器など河南省内の出土文物を展示。収蔵文物数は10万余件。最新のコンピューター制御設備を誇る。 18日 世界伝統武術大会・京劇 午前中は武術大会を見学し、午後には飛行機で北京に移動する。 大会は、鄭州市体育館と鄭州大学体育館の二か所で実施される。私たちは、鄭州大学体育館で見学する。開演前の時間に、校庭で太極拳を演じているグループがあり、仲間に入れてもらう。24式と剣を借りて32式太極剣を一緒に演武する。双方、拍手と笑顔で別れる。 体育館内は、天井から参加各国の国旗が吊るされ、3面のコートが用意されている。正面のLED表示板には、出場選手名と出身国名が英語と中国語で表示される。観客席に空きがあるのが気にかかる。 ハプニングを二つ。 ●定められたコートをはるかにはみ出し、それこそ隣のコートに入るのではないか、と思われるくらいまでコートの外に出た演武者がいる。観ているほうはあっけにとられたが、演武者は何食わぬ顔で、演武を続けている。 ●私たちのそばでビラを配り始めた人がいる。それまで、近くで静かに座っていた公安関係の服を着た3〜4人が、突然飛び出して、ビラ配りを中止させる。一瞬の緊張感が漂う。ここは社会主義国であることを再認識させる。 北京に戻り、予定にはなかった京劇を、テーブル付きの客席でお茶とお菓子を食べながら観劇する。演目は孫悟空。頭のてっぺんから声を出し、激しい立ち回りと身のこなし。ガイド本に、「京劇はのどと身体の総合芸術。1880年ごろに始まり、とりわけ西太后の芝居熱はあまりにも有名」と書かれている。
19日 故宮・万里の長城 かたちが、オペラ歌手の森公美子を思い出させる。もちろん、奥さんの方がスマートである。 故宮(世界遺産) 明・清王朝491年間にわたる皇宮紫禁城。高さ10m、全長3kmに及ぶ城壁と幅52mの壕、筒子河に囲まれている。北京オリンピックに向けて、屋根瓦の修復が進められている。いたる所に大理石が贅沢に使われている。地上に敷き詰められた創建当時のレンガは、地下からの侵入を防ぐため、地下7mから積み上げられているという。映画「ラストエンペラー」のロケ地である。ここはあの場面、あそこはあの場面と話題になる。帰宅して、録画したテープで場面を確認することを楽しみにしていたが、テープが見当たらなかった。 万里の長城(世界遺産) 周が匈奴の侵入を防ぐために建造したのに始まり、その後各王朝も北方の異民族の侵入を恐れ、拡張増幅に努め全長は6000kmにおよぶ。長城は、石灰・粘土・もち米の汁を混ぜたものを目地とし、レンガを接着して積み上げているという。長城を、何日もかけて歩くウォーキングツアーがあれば参加したいものだ。 20日 帰国 台風23号が、関東を直撃する当日に成田空港に到着した。土砂降りの雨の中、大きなスーツケースを引いての帰宅となった。 その他 <食事> 昼食、夕食は毎回豪勢な中華料理が出るので、後半は胃腸薬の世話を受ける。朝はバイキング料理
なので、お粥かパン食ですます。 <公園デビュー> 中国の公園で、早朝、市民が太極拳をしている様子を、何回か放映されたのを見たことがある。
今回1日だけ参加し、状況を見る機会があった。19日北京の宿舎 新橋飯店近くの東単公園である。公園のいたるところで、何組ものグループに分かれ、それぞれがラジカセを持ち込み、太極拳・気功体操など、思い思いの種目を行い、また教わっていた。
陳家溝にある武術学校でトイレを借りた時、女性陣は使用できずに全員Uターンしてきた。使用した男性用トイレは、長く掘られたU字形のコンクリートの溝をまたいで用をたす。仕切りも何もない。汚物は目の下にあり、定期的に水で押し流すようだ。女性用トイレも同様なのかもしれない。 鄭州大学体育館のトイレは、和式の便器に似た水洗である。個室の中にビニール袋が入れられた籠がある。中の紙をつかむと、使用したあとの紙であった。紙質が悪く、水洗が詰まるので、使用した紙は籠の中にすてなければならない、とあとで教わった。途中で借用したガソリンスタンドのトイレは、仕切りだけでドアはなく、男性としても使用するには勇気がいる。習慣と慣れの問題ではあるが。 <盗難> 買い物中に日本円と運転免許証・スイカが入った財布をショルダーバックから盗まれた。全く気付かず、全くの手際の良さである。立石先生から、日本円と元とは別々の財布で持つように注意されていたので、その後の買い物には支障がなかったが、気分が悪い。 ガイドの馬さんは、最近のスリは背広を着て、ネクタイを締め、観光客の振りをして近づくから、注意して下さいと言われていたが。 皆さん、海外旅行では、ゆめゆめご油断召されるな。 <買い物> 中国の物価は大変安い。太極拳用音楽テープは15元(約195円)、同用ズック靴30元(約390円)、同用合成皮革?靴160元(約2080円)など。皮革靴は履き心地がよく、動きやすいので気にいっている。失敗もある、50元(約650円)で買った真っ赤なTシャツは、洗濯すると血の海になってしまった。また、甘く味付けした梅干しを6袋も買ってきたが、甘すぎて誰も手を付けない。 中国人民元は、1ドル=8.277元にほぼ固定されている。このドル固定相場に対し、中国の世界経済への存在感が増すにつれて、各国から批判が相次いでいる。早晩、変動相場制に移行し、元が高くなり、円の価値も下がるかも。 メモ 簡化太極拳:楊式太極拳の動作を24個にまとめたもの。
88式太極拳:楊式太極拳の動作を88個にまとめたもの。
48式太極拳:4式太極拳を合わせて48個にまとめたもの ●規定太極拳・・規定太極拳は1990年北京で行われたアジア競技大会に合わせて作られた国際競技 太極拳 総合太極拳:楊式太極拳をベースに4式太極拳の動作を入れる、42式。
規定陳式太極拳:発頸動作があり、緩急の動きがあるのが特徴、56式。
規定楊式太極拳:ゆったりとした連綿とした動きが特徴、39式。
規定呉式太極拳:大きく伸びやか、前傾する動作が特徴、45式。
規定孫式太極拳:動作の開合・進退・転折が機敏等が特徴、73式。
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