雑録2006.1.18 株価 
 

「1株を61万円での売り出しを、1円で61万株売りに出す誤発注」、「株数の売買単位を3桁勘違いして誤発注」、「銘柄名を間違えて2万5千株(約300億円)誤発注」などの大手証券会社の話題が新聞紙上をにぎわしている。

私もわずか3000株だが、売りを買いと間違えて買ってしまったことがある。口座があるネット証券は、パソコンで株を発注するために3重のチェック機構を備えている。売りか買いかのボタンを選択すると1.売りまたは買いの詳細記入画面、2.売りまたは買いの発注条件確認画面、3.売りまたは買いの発注画面、の順で確認するようになっている。しかし、すべて見逃し、取引成立(約定)のメールが入るまで、買っているとは全く気がつかなかった。プロも間違えるのだからしょうがないか。

 

日経平均株価は、大方の専門家の予想が外れ、昨年末に5年ぶりに1万6千円台になった。私の持株もお相伴(しょうばん)にあずかり、値を上げている。“ほんとに株の売り時は難しい” などと欲の皮が突っ張り、一人前のことをほざいている。

朝日新聞の土曜朝刊に、伝説のカリスマディーラーと紹介されている藤巻健史氏がコラムを書いている。読者の質問に答える形をとり、毎回楽しく、興味を持って読んでいる。

1月7日の朝刊には、「株価が上昇しています。責任を取れとはいわないので、この流れがいつまで続くか予想して下さい」との読者の質問にたいして、

藤巻氏は

「・・・・私はバブル時代に再突入したと思っている。今がバブルなのではない。これから本格的なバブルが始まると考えるのだ。

かってのバブルで、日経平均株価は84年末の1万1千円台から89年末の3万9千円近くまで上昇した。

今は当時以上にお金がじゃぶじゃぶ余っている。『乾いたマキが積みあがっている』といわれたバブル時代と比べて、『乾いたマキが積み上がり、それに油がまかれている』状況といえる。火がつけばたちまち燃え上がるだろう。

もちろん火が勢いづけば、やけどを負う可能性があることを忘れないでいただきたい。過熱する相場には、くれぐれもご用心下さい」

と書いている。くわばら!? くわばら!?

 

何年か前に株式や債券を買い始めてから、株の投資術や資産運用について興味が高まり、付け焼き刃的に、本を読んだり企業のIR(投資家向け広報活動)セミナーや銀行・証券会社の専門分析家の講演会に足を運んだり、基礎的なことを学ぼうと通信教育を受けることもした。このことにより、経済一般にも興味の対照が広がった。なお、最近のセミナーや講演会は、大きな会場でも、より高いリーターンを求める高老年であふれている。

 

経済についていろいろと知識を得た中で、関心を引いたことを二つほど選んでみた。

その1.日本版金融ビッグバン

ビッグバンは、1986年英国のサッチャー首相によって、英国が国際金融センターとしての地位を確立することを目的として、英国証券取引所で行われた証券制度改革の通称である。

日本版金融ビックバンは、これにならい、1996年橋本内閣の提唱により、東京市場をニューヨークやロンドンのような国際市場にすることを目的に行われた、金融制度改革である。

日本版金融ビッグバンについての詳しい内容を語る知識はないが、資産運用について勉強すると、常にこの“日本版金融ビッグバンよって”の文字に出会う。例えば


 (1)売買委託手数料の自由化

“日本版金融ビッグバンによって”1999年10月に、証券手数料が完全自由化された。そもそも日本の売買委託手数料は、証券会社の経営安定化の目的から、取引所によって一律にきめられていた。

株式売買委託手数料を例に挙げれば、約定代金(株取引成立時の株の代金)の1%前後が証券会社に委託手数料として支払われていた。約定代金が100万円ならば、手数料は1万1500円になった。この手数料が、証券会社で自由に設定できることになった。インターネットによる注文だけに特化したネット証券では、手数料は10分の1以下になり、また、ネット証券によっては、1日の約定代金が一定額以下なら、何度売買しても手数料が同じ定額制を取り入れているところもある。これは、株価が2円〜3円上がっただけで売却し、手数料を払っても利益が出る。一般の人がデイトレード(1日のうちで株の売買を終わらせる超短期売買取引のこと)ができる環境になったのである。

さらに、株数の売買単位が額面合計5万円(額面50円株では1000株)の単位株制度から、発行企業が自由に株数の売買単位を変更できる単元株制度に変更になったり、また、発行企業による自由な株式分割(例えば、株式5分割だと、すべての株主の持株数が自動的に5倍になる。理論的には、株価は5分の1になる)もできるようになり、銘柄によっては売買単位価格が下がり、買いやすくなった。

 

(2)外為(がいため)法(外国為替(かわせ)及び外国貿易法)の改正

“日本版金融ビッグバンによって”1998年4月に外為法が改正され、日本から海外へ、海外から日本への資金取引が完全に自由化された。従来は一定額以上の送金の支払い・受取に関しては、大蔵省や日銀への届出が必要であり、また、外国為替公認銀行にのみ送金・両替が認められていた。それが不要となり、資金を自由に送金したり、受け取ることができるようになった。さらに、外貨金融商品の購入、海外の銀行や証券会社から債券や株式を直接購入できるようになり、資産運用の選択の幅が広がった。金利の高い、海外の債券の購入や外貨預金をする人も増えている。

 

その2.戦時経済体制を引き継いだ戦後経済

野口悠紀雄著「1940年体制 さらば戦時体制」、小林英夫ほか著「日本株式会社の昭和史 官僚支配の構造」には、次のようなことが書かれている。

 

日本特有であるとされている現在の企業構造・金融システム・官僚体制・財政制度・土地制度は、1940年頃に導入された「戦時経済体制」を引き継いだものであり、戦時経済体制以前には存在せず、日本の歴史においても特殊例外的である。たとえば日本の労使関係の三つの大きな特徴である、終身雇用・年功制賃金・企業内組合もこの戦時経済体制のもとで変質したのである。また、日本の製造業の大きな特徴である下請制度も、軍需産業の増産のための緊急措置として導入された。

この官民一体の仕組みが戦後の経済成長の原動力になった。しかし、成長のためにうまく機能したこの仕組みは、現在の変化にたいしてはうまく機能しなくなっているという。

 

金融システム、官僚体制について上記書物から簡単になぞってみる。

<金融システム>

1935年の時点では、企業の資金調達における銀行融資の占める割合は3割にすぎない。大部分の資金は株式市場を通じて資本家が出資し、企業経営にたいする影響力は資本家が大きな力をもっていた。企業の利益は、生産拡大のための投資に向かわずに、ほとんど資本家への配当に回された。戦時体制をより強固にしたい国の生産計画にたいして、利潤を追求する資本家がたちはだかっていた。

1938年に「国家総動員法」が作られ、それに基づいて、配当が制限され、また株主の権利が制約された。この結果、株式市場は低迷し、株式市場からの資金調達が困難になり、間接金融から調達するシステムが出来あがった。これにより金融機関を通して、国の企業への間接支配が可能になったのである。このシステムが戦後も続くのである。
 銀行からの借り入れによる間接金融が主体では、その性質上リスクの大きな投資にはむかない。これは現在の産業構造の変化に伴う新しい産業にたいして、充分な資金供給がなされず、新産業創出の障害になる。

 

<官僚体制>

欧米諸国に遅れて産業化に着手した日本では、産業化自体が国家の政策的介入によって進められた面が強かった。このため、官僚の力も強かった。明治以降の勧業創設とその払い下げに代表される「殖産興業政策」は、それをよく表している。

しかし、戦前期の日本では、民間経済活動に対する政府の直接的で全般的な介入が行われていたわけではなかった。民間に対する官庁の権限や指導力は、もとから強かったわけではなかったのである。「後発国日本では資本主義化の出発点から国家の経済的役割がきわめて大きかったが、第一次大戦中の一連の統制立法をのぞけば、その主な役割は民間資本の保護・育成あるいは救済にあり、基本的には営業の自由が貫徹する体制が支配していた」

現在見られるような民間経済活動に対する広範な官僚介入が行われるようになったのは、戦時経済が出発点である。戦時中の統制経済を通じて、政府とのつながりは密接になった。通産省や運輸省が産業界に対して強い行政指導力を持つに至った源流は、このような戦時期の統制だったと言うのである。

 

いうまでもなく官僚制度自体は、明治以来の歴史を持つ。現在の日本の官僚制度は、こうした流れの中に位置づけられることが多い。しかし、実は、官僚の発想法、官対民の関係、そして税財政制度などは、明治以来一貫して続いてきたわけではない。戦時経済期に、大きな断絶がある。現在に引き継がれているのは、その断絶後の部分である。現在の官僚たちは、明治の「天皇の官僚」の子孫ではなく、戦時期の「革新官僚」の子孫なのである。

参考

野口悠紀雄著「1940年体制 さらば戦時経済」東洋経済新報社

小林秀夫 岡崎哲二 米倉誠一郎 NHK取材班著「日本株式会社の昭和史 官僚支配の構造」創元社

 
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