雑録2006.5.25 実感
 

新聞の社会面の下に、“商品回収に関するお詫びとお知らせ”などの枠で囲んだ記事文が出る。

5月7日の朝日新聞朝刊の社会面を開くと、4社の“お詫びとお知らせ”が出ており、各社とも大きなスペースを取っている。興味を引き読んでみると、どの会社も同じ添加物に対する“お詫びとお知らせ”である。東京ディズニーランドなどで売られているチョコレートに、使用が認められていない酸化防止剤を混入してしまったいう

 

A社が輸入・販売した使用が認められていない酸化防止剤を、B社が業務用チョコレートに使用した。B社の業務用チョコレートを原料に、C社とD社が加工・製造してチョコレート製品をつくったというのが全体図である。

 

読んで考えさせられたのは、その各社の記事文の書き方によって、受ける印象が違うなと感じたことである。逆に、同じ事実でも、書き方によって、印象を変えさせることができる見本であると思った。

B社の記事文では

「この添加物は、米国、カナダなどでは食品酸化防止剤として使用が認められており、健康への被害はないと考えております」

 

C社の記事文は

「なお、該当酸化防止剤は米国・カナダなどでは使用が認可されており、主にマーガリンなどに含まれ、健康への被害はないものとされております」

 

D社の記事文は単に

「日本国内では使用が認められていない添加物『TBHQ(酸化防止剤)』が混入している恐れがあるとの報告を受けました」

 

この3社の記事文を読めば、日本だけが禁止しており、日本が特に厳しいのかなと感じられた。しかも、B社、C社の2社は健康被害はないと言い切っている。

 

しかし、A社では

「この酸化防止剤は諸外国(アメリカ、東南アジア諸国、インド、中国等)では使用が認められており広く使用されていますが、日本やEU諸国では使用が認められていません。通常の使用であれば人体への危害は無いものと考えられます」

 

A社の記事文に、B社・C社で意図的に抜いた?EU諸国での使用禁止が加わったことで、添加物としてのこの酸化防止剤の問題の有り(よう)もちがってくる。

事実が書かれても、事実の選択は書く人の意図が働く。それによって見える切り口が異なることを実感した。

 

実感したといえば、“介護の大変さ”の一端?を実感した。

先日、明治神宮のラジオ体操に行くため、いつもの道を朝の6時前ごろ歩いていた。小さなビルの玄関内で、パジャマのまま、朝の冷気に震えながら、しりもちをついている老人が、壁を支えに懸命に立とうとしている。玄関に入って、立ち上がれるように手助けをしたが、腰が抜けている感じて立ち上がれない。

「ここのビルの人ですか」とたずねると首を振る。

「家はどこですか」と聞くと

「高島屋のトイレに一晩中閉じ込められていた」と答える。

ほかのことを聞いても要領を得ない返事や同じことを繰り返す。そばの酒屋の外に置いてあるビールケースを持って来て座らせ、お巡りさんを呼んでくるからというと、うなずく。

駅前の交番に行き、事情を話し、来てもらった。はじめ、お巡りさんが聞くことにも要領を得ない返事をしていたが、住所・氏名・年齢を聞くとスラスラと答える。住所からこのビルのそばに住んでいることが分った。住所の下三桁の数字から、4階に住んでいることを推測した。そして、そばのアパートの4階にあがり、同じ名前の表札がでていることをお巡りさんが確認し、大家さんに連絡して戻ってきた。

 

介護の大変さの一端を実感したのは、この後である。

老人は、背丈は普通だがかなり痩せている。腰が抜けている状態なので、私とお巡りさんが両脇を抱えてソロリソロリと歩いて、アパートまで連れて行った。

アパートには、エレベーターがないので、今度は、大家さんとお巡りさんが両脇を抱え、私がお尻を持ち上げるかたちで、4階の部屋まで運び上げた。大の男が3人がかりで、息を切らしている。人間の体がこんなに重いとは。

寝たきりの人の介護の大変さを、あらためて実感した。

 
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