雑録2007.2.11 映画「それでもボクはやってない」 
 

06年12月14日の朝日新聞の朝刊社会面に掲載された、「米の受刑者DNA鑑定したら 188人実は無罪」の4段記事が興味を引いた。記事を引用する。

≪ 米の受刑者 DNA鑑定したら 188人 実は無罪

【ニューヨーク=江木真吾】米国でDNA鑑定によって受刑者らが無実を証明されるケースが相次いでいる。こうした受刑者の救出活動をしている非営利組織「イノセンス(無罪)プロジェクト」(IP、本部・ニューヨーク)によると、89年以降、有罪判決が鑑定によって覆ったのは188人にのぼり、死刑囚も14人含まれる。IPは12日、本部で会見し、捜査段階でどのような間違いが犯されたのかを調査する「無罪委員会」をニューヨーク州が設置すべきだと訴えた。

IPによると、有罪がDNA鑑定によって覆された事件のうち、真犯人とみられる人物が見つかったのは約70件。自由を勝ち取った人たちは平均して約12年を刑務所で過ごしていた。

無罪委員会は冤罪(えんざい)があきらかになった受刑者について、司法の各方面の専門家が間違いの原因を追究、再発防止策を提言するものになる。

この日の記者会見には殺人罪で終身刑を受けたダグラス・ワーニーさん(45)も参加した。犯人しか知りえない「秘密の暴露」を含む自白を基に起訴され、97年に有罪判決を受けた。病弱だったワーニーさんは12時間に及ぶ取り調べで自白を強要されたと裁判で主張したが、受け入れられなかった。再鑑定の結果、現場に残された指紋や血液がワーニーさんのものと一致せず、今年5月に釈放された。真犯人とされる人物も見つかった。

IPによると、あいまいな目撃証言、真実でない自白が冤罪の主な原因だという 

 

DNAなどによる鑑定技術の進歩がなければ、この人たちは、いまだ無念と絶望のなかに置かれているに違いない。冤罪を晴らしたとはいえ、記事に書かれていることは何ともやりきれない内容である。たぶん、冤罪のまま死刑を執行された人もいるに違いない。

 

07年1月21日。富山県警は、「02年に起きた強姦(ごうかん)事件と強姦未遂事件で、富山県の男性が懲役3年の実刑判決を受け服役。服役後、真犯人が捕まり、男性の裁判のやり直しのため、富山地裁高岡支部に再審請求をする」と発表した、と新聞各紙が報じた。

報道によると、目撃証言をもとに作成した似顔絵などから、この男性が浮上。被害者に写真を見せ、男性を確認させたところ「似ている」との証言をしたため、逮捕に至ったという。男性は任意の取り調べに当初は容疑を否認したが、3日目に容疑を認めた。男性は公判中も一貫して罪を認めていたという。

 

読売新聞によると、男性は「『身内の者が間違いないと言っている』と何度も告げられ、やっていないと言っても信用されるわけがないと思った。言われるままに認めざるを得ない状況だった」と話した。その上で、「身内まで僕のことを信用していないんだと思った。気が抜けたようになってしまった」と語った。(略)男性は、02年3月の婦女暴行未遂事件について「犯行時間には電話をしていた」とアリバイを訴えた。しかし、取調官は「相手は電話を受けていないと言っている」と取り合わなかったという。

 

県警によると、アリバイとなる電話については、「偽装だろう」と思い込み裏付け捜査をしなかった。しかし、今回調べたところ、男性宅の固定電話の発信履歴が残っていた。また、2件の現場にあった靴跡は、男性の靴のサイズより大きく、同じサイズの靴を見つけられなかったのに「捨てたに違いない」と疑問をもたなかったという。

朝日新聞の取材での兄の話として、男性は任意の調べを受けていたころ、家族に泣きながら「やっていない」と言っていた。兄は県警に「帰してくれ」と求めたが、「証拠があるから」と拒否されたという。兄は「いまになって客観的な証拠がないとはどういうことか」と批判している。

 

男性が犯人であるという組み立てたストーリーに沿った捜査や供述を採用し、男性の有利となる証拠は握りつぶしたのである。

 

07年1月20日。周防正行脚本・監督の映画「それでもボクはやってない」が公開された。周防監督としては、「Shall we ダンス」以来11年ぶりの作品である。

監督は、痴漢事件の無罪判決の記事に興味を持ち取材を進めるうちに、「被告人がどう闘ったか」というばかりでなく、裁判のあり方についての疑問が生まれ、それを「それでもボクはやってない」の作品のなかに描いたという。その話を、たまたま朝のラジオ番組で聞き、映画を見たいと思った。ラジオでは次のようなことを話していた。

痴漢冤罪(ちかんえんざい)事件を題材としたこの作品のため、事前に200回は裁判を傍聴している。警察官・検察官は、長年にわたって取り調べを専門に職業としている人々である。初めての経験で、知識もなく、どうしたらよいか分らない逮捕された人の扱いには()けたプロである。逮捕された素人(しろうと)がこれに立ち向かうことなど至難である。日本の刑事裁判で起訴された場合、有罪率は99.9%といわれている。裁判官は、この数字にとらわれて、無罪判決をほとんど出さないのが現状である。」

 

映画では、就職活動中のフリーターの若い青年が電車の中で痴漢をやったと、被害者の女子中学生から訴えられ逮捕される。

刑事の取り調べと留置。担当検察官の取り調べと拘留、起訴、公判。一貫して否認するが、否認しているから証拠隠滅の恐れがあるとして、逮捕116日目でやっと保釈される。検察官による論告・求刑。続く弁論、被告人の最終意見陳述。逮捕366日目の公判で、判決を言い渡され映画は終わる。

 

誰でも、加害者の立場になりうることを前提にした映画である。加害者として巻きこまれ潔白を訴える青年。嘘をついていると決めかかる威圧的な取り調べ。法廷で都合の悪いことは否定する刑事。検察官からの偏見に満ちた質問。担当裁判官の変更による訴訟指揮の違いを鮮明にさせ、検事と弁護士の対決のみが強調されるドラマなどの法廷劇とは違い、裁判の主役は裁判官であることを明らかにする。周防監督が刑事裁判のリアルな現実を描いた映画に引き込まれていく。

 

周防監督は、雑誌「月刊現代」の弁護士との対談のなかで、次のように語っている。

≪周防 この映画を撮るために、3年ほどかけて弁護士・裁判官といった法曹関係者に取材したんですけど、彼らの話から思うのは、「裁判官には何よりもまず、有罪判決を書く技能が要求される」ということです。日本では、刑事事件で起訴された場合、有罪率は99.9%といわれます。つまり、無罪の判決文を書くのはせいぜい1000件に1〜2件だから、とにかく有罪判決を書く技術を修習生時代から徹底的に叩き込まれるわけですね。

それと同じ論理で、起訴する側の検察官にも、被告人を有罪に持ち込むための「調書づくり」のテクニックが要求される。一問一答で取り調べが行われても、調書は「私は痴漢をやりましたので、これから正直にお話し申し上げます」というような一人称独白体の文章になる。たとえば、「ナイフで腹を刺しました」という被疑者に対して、「音とかしなかったのか」と聞いて、「いえ、よく覚えてません」と答えれば、「ズブズブとかさ」と誘導し、そこで「そうだったかもしれません」と被疑者が同意すれば、「握りしめたナイフを相手の腹に突き立てると、ズブズブと音がして、めり込んでいきました」と作文する。これで、「体験した者でしか語れない真実」ができあがる。

裁判官や検察官は、「やってない」と無実を主張する人の言い分を本当に聞いてくれるのか ―― この点に対する大きな疑問が、僕が今回の映画を撮った契機になったわけです。

月刊現代2007年3月号「痴漢冤罪は他人事(ひとごと)か  周防正行&北村晴男」講談社

 

   冤罪は存在する。その冤罪は普通の人にも降りかかる。そして冤罪が起こる過程の一例がここに映画化されている。この映画に「日本の裁判のあり方の疑問」を描いたという監督の意図が、場面・せりふに込められているのが伝わる。平成20年からは「裁判員制度」も開始され、裁判とは無関係と思っている人も、裁判に接する機会が多くなる。そのためにもお(すす)めしたい映画である。

 
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