2007.12.25 お墓 | |
秋に奥多摩にある知人のお墓参りをした。このお墓は、山の上を切り開いた場所にあり、最寄り駅から直行のマイクロバスが運行されている。この墓地の墓石には、 多くの墓石には「○○家の墓」と刻まれている。墓地を歩きながら目についたのは、「○○家の墓」ではなく、ほかの文字が刻まれている墓石が、少なからずあったことである。例えば、「眠」という文字だけのもの、また「やすらぎ」・「飛翔」・「夢」・「苦しみがあり小さな喜びがあった ありがとう」・「和して貴しとなす」・「温」・「翼」・「無窮」・「茲眠」などなど。 私の妻は、一人っ子である。妻の両親の墓へは、妻に連れられて墓参りをしている。しかし、ひとり息子の代になると、妻の両親の墓参りがどうなるかわからない。私は、妻の両親と同じ墓に入ってもかまわないと思っている。しかし、妻の旧姓で書かれた「○○家の墓」に入るとなると抵抗がある。 子供が、一人っ子どうしの結婚だったり、姉妹だけで姓が変わる場合など、孫の代になると無縁の墓にならないとも限らない。そのためにも、「○○家の墓」とするよりも、○○家以外の人も入れる墓石の文字にしたほうが良いかもしれない。 土葬が一般的だった時代には、庶民は亡くなった順番に地域の共同墓に埋葬されていたという。「○○家の墓」と書くことが庶民の間に普及したのは、明治の終わり頃だそうであり、日本に伝統があったわけではない(1)。庶民は、明治になって名字(姓)を持つことができたのだから、当たり前の話ではある。 新聞の記事などによると、生涯独身者や子供がいない夫婦、先祖の墓があることで、子供に墓守やお寺とのつきあいの負担をかけさせたくないので先祖代々の墓を移したい、などの理由で永代供養墓を求める人が多くなったという。永代供養墓とは、家ではなく、寺や霊園が永代に管理する、継承を前提としない墓である。 私の知り合いが、寺が管理する永代供養墓を都内で求めた。話では、その寺の永代供養墓に応じた人達が何人か集まり、一日を費やして読経や写経・作務(掃除)などをしてから受戒式を受け、そして赤字で戒名が書かれた位牌を納骨堂に納める。檀家になるのではなく、会員となり入会費として80万円を納めるだけで、管理費や年会費は不要という。亡くなると33回忌まで納骨堂に安置され、その後、ほかの人たちの骨と一緒に合葬される。供養は、遺族や会員らによって、毎年、毎月の初めごとに合同でも行なわれるという。 先の奥多摩の知人の墓には、墓の両袖に背の低い木が植えられており、そのような同じ形式の墓が並んでいる。そして、その木はどれも、小さく丸くいつも剪定されている。しかし、ある墓は、その木がボウボウと伸び、雑草だらけで、墓石を隠すほどである。長いあいだ、誰もお参りに来ないのであろう。まるで無縁墓のようである。 以前、この墓地の資料をもらい、現況をたずねたことがある。雑談の話になり、担当者がこんな話をした。ある婦人が、墓の下にある骨壷を入れる場所に、仕切り板を作れないかという。姑と同じ場所には入りたくない。しかし、入らざるを得ないので、せめて仕切り板でへだてたいという。 先の無縁墓のような墓や、仕切り板を作りたい気持ちでは、冗談だが、成仏もおぼつかないような気もする。それならば合葬し、誰かれなく手を合わしてもらったほうが、明るくていい。 参考 (1)小谷みどり著「変わるお葬式、消えるお墓」岩波書店
トップページにもどる |