雑録2010.6.7 「葬式は、要らない」を読んで
 

島田裕巳著『葬式は、要らない』が良く読まれているようである。私もこの本を読み、自分の葬式はどうするかを考えさせられた。知り合いの何人かに本の内容を話したところ、多くは「自分の葬儀も費用をかけず、小さな葬儀でやりたい」と答えていた。

 

本の中で、日本の葬儀費用とほかの国の葬儀費用を比較している。

2007年に行われた財団法人日本消費者協会によるアンケート調査結果として、もっとも低い四国で1495000円、もっとも高い東北地方で2825000円と地域差があるが、葬儀費用の全国平均は231万円である。

これに対し、冠婚葬祭業の株式会社サン・ライフの資料から、1990年代前半の数値であると断ったうえで、ほかの国での葬儀費用を紹介している。これによるとアメリカの葬儀費用は444000円、イギリスは123000円、ドイツは188000円、韓国は373000円であり、日本の葬儀費用が突出していることがわかる。

なお、葬儀費用の内訳として、葬儀社へ支払う葬儀一式費用約142万円、料理屋・香典業者などへ支払う飲食接待費用約40万円、寺などへ支払う戒名・読経(どきょう)などの費用が約54万円としている。

 

現在、葬儀をめぐり大きな変化が起きているという。70歳で亡くなれば「まだお若いのに」と言われる高齢化社会に入ったことも一因である。厚生労働省が発表した人口動態統計によると、2009年の死亡者数114万人のうち、80歳以上の死亡者数が61万人を占め、実に50%以上が80歳を過ぎてから亡くなっている。

90歳近くで亡くなるとすれば、子供たちはすでに退職し、孫の代になっている。親が亡くなったとなれば葬儀に参列する会社関係の人も、祖父母の葬儀には参列する人は少ない。また、亡くなった人の友人・知人もすでに亡くなっていることが多いし、存命であっても体調から参列できない人も多いにちがいない。近所づきあいも希薄であれば、参列者はより少なくなる。私の知り合いが参列した葬儀も、参列者の少ないさびしい葬儀だったと話していた。

第一生命研究所が2006年に「自分のお葬式の規模をどうしたいか」を40歳から74歳までの男女944名にアンケート1をしている。

「家族だけ」と「身内と友人だけ」と回答した人は合わせて57.3%を占め、「家族の意向に任せる」が16.8%、「人並みにお葬式をしてほしい」が12.7%、「お葬式をしてほしくない」が9.9%と回答し、過半数の人が少人数の葬儀を希望している。これは最近の葬儀の傾向とも一致している。「家族葬」や直葬(ちょくそう)またはじきそう)」といわれる葬儀である。(注1のアンケートは、週刊朝日MOOK『わたしの葬式 自分のお墓』からの孫引き)

 

家族葬とは、家族や近親者を中心に行われる葬儀を指す。葬儀の流れとしては一般葬と同じセレモニーで行われる。家族葬は従来の密葬と似ているが、密葬は本来、他の参列者が参加する本葬を、改めて別の機会に行うことが前提とされる。

私の町内では、町内で亡くなった人の通夜・告別式の場所・日時が、町内広報板に貼り出される。最近、「家族葬ですでに()り行いました。香典・供物はご遠慮いたします」と、事後報告のかたちでのお知らせも見られるようになった。

 

直葬(ちょくそう)とは、会葬者を呼んで通夜や告別式などをせず、病院や自宅から遺体を火葬場に搬送し、火葬だけをする。参列者は家族や近親者を中心に10人前後の場合が多いという。費用は棺代や火葬場の使用料、遺体の運搬費、葬儀社の人件費程度である。なおこれに火葬場での読経(どきょう)だけを頼むケースもある。

ただし、法律上、死後24時間を経過しないと火葬ができないきまりがあり、また火葬場の休業日や火葬が重なり順番待などにより、遺体をただちに火葬できないこともありえる。

直葬は、従来、身寄りのない人や生活に困窮して葬儀が出せない人のためだった。それが一般の人々の葬儀でも利用されるようになり、普通に行われるようになった。いまや都内では、葬儀の3割以上2が直葬といわれているという。(注2の数字は、週刊朝日MOOK『わたしの葬式 自分のお墓』から)

 

週刊朝日MOOK『わたしの葬式 自分のお墓』では、最近の葬儀について次のように書いている。

< 死亡年齢が高くなり、近所づきあいが減ったことで「小さな葬儀」は急速に普及した。なかでも家族葬が高い注目を集めているのは、利用者の変化によるところが大きい。

第一生命経済研究所主任研究員の小谷みどりさんは、

「自分の葬儀のあり方を自分で決める人が増えた」

と分析する。

「これまでの葬儀は遺族中心でしたが、自己決定が肯定される時代となり、故人の遺志が尊重されるようになった。その結果、見栄や世間体を気にした豪華な葬儀より、故人をしのぶ十分な時間が持て、金銭的な負担も少ない家族葬の需要が急速に高まったのです」>

 

だいぶ以前の話しではあるが、友人の義理の兄がガンで亡くなった。友人の話では、義理の兄はガンと分かってから、自分の足で葬儀社をたずね、葬祭場を見て確認し、そして自分の墓を購入し、しばらくして亡くなったという。

亡くなった人が、生前の意思をはっきりさせておき、そして遺族の意向も「小さな葬儀で静かに別れを惜しむ」ことが希望であれば、遺族は世間体を気にすることなく、それに沿うことができるはずである。

 

追 記1.戒名(かいみょう)とは

葬儀と戒名はつきものである。島田裕巳著『戒名は、自分で決める』には、戒名について次のように書いている。

< 日本の戒名の制度は、他の仏教国にはない独特なものである。他の仏教国には、僧侶になるために出家、得度した際に授かる僧名としての戒名はある。けれども一般の仏教信者が信仰の証として授かる特別な名前はない。

したがって、日本にあるような戒名のことは、膨大な数存在する仏教の聖典、仏典にはまったく記されていない。仏典は、戒名の意味や意義についてまったく解説していない。仏教の教えのなかに、戒名はふくまれていないのである。>

 

同書のなかで、庶民のあいだで戒名が普及する原点になったのは、「鎌倉時代に東大寺の大仏を再建するために勧進(かんじん)を行った俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)が、金を寄進してくれた人々に対して阿号(阿弥陀(あみだ)号)をつけたのが、民衆と戒名とがふれあう最初である。そしてキリシタンの信仰が禁制になり、キリシタンでないことを示すために戒名をつけるようになった」と、浄土宗の宗務総長でもあった寺内大吉氏の話として載せている。

 

私は在家得度をし、戒名を授かっている。ホームページ名の“泰俊(たいしゅん)はその戒名からとっている。出家をしていないので、上述に従えば、これは日本独特の制度のもとでの名前である。日本の戒名について、ある仏教の識者が、カソリックの洗礼名と同じように、仏教徒になった(あかし)の仏教徒名である、と考えるべきであると説明している。私も同じ考えである。そのためにも戒名は、生きているあいだに授かり、仏教徒として自覚し、その教えを生活に生かそうと努めることに意義がある。事実、仏教側としても生前に授かることをすすめている。しかし現実は、死後に本人も知らない戒名を授けることが圧倒的に多い。このギャップに金銭が絡み悲喜劇を生む。先の『戒名は、自分で決める』では、村井幸三『お坊さんの困る仏教の話』のなかに出てくるエピソードを紹介している。

 

< それは著者の田舎で起こったことだという。

著者の友人の父親が長く患い、亡くなった。故人は信仰に(あつ)い人で、生前に戒を受け、立派な戒名も授かっていた。したがって、その友人は、戒名について何の心配もしていなかった。

ところが、その寺の住職が亡くなり、別の寺の住職が兼務するようになった。友人がその寺におもむいて、生前に戒名を授かっていることを話したところ、「それはそれ、今回は私が戒名を授ける」と言い渡されたというのである。

これが、村をあげての大騒動になったという。しかたなく世話人が仲介に入り、金一封の志を出すことで、その僧侶を納得させ、生前に授かった戒名で葬儀をすましたというのである。>

 

私も同じようなことを、会社の先輩の父親の通夜に参列したときに見聞した。

通夜が始まる前に、先輩が挨拶に来た。浮かぬ顔をして怒っている。父親は、以前、大宮に住んでいて、その地元の寺で生前に戒名を授かっていた。亡くなった時には横浜に住んでおり、横浜の同じ宗派のお寺に頼んだ。そのお寺には生前に授けられた戒名でお願いしたそうである。ところが頼まれた住職が、こんな立派な戒名がもらえるはずがない。私は信用しないと言いだしたのである。しかたなく、大宮のお寺の住職へ電話をして、事情を話してもらおうとしたが、住職は不在で連絡が取れないという話であった。

 

追 記2.戒名の相場

戒名は宗派により違いはあるが、基本形は下記である。

□□院○○××居士

□□院は「院号(いんごう)」、○○は「道号(どうごう)」、××は戒名(かいみょう)」、居士(こじ)は「位号(いごう)」とよぶ。本来の戒名は××の二文字であり、あとは飾りである。

 

戒名の相場をインターネットで調べてみた。地域、宗派、寺院の格式、授ける僧侶の格によっても異なり、相場はあってないようなものである。ある寺院のホームページに、国民生活センターの機関誌「たしかな目」(1997.8)に掲載されたという戒名の話やその料金が転載されていた。それからの孫引きである。

 

○○××信士(しんじ)信女(しんにょ))         1530万円

○○××居士(こじ)大姉(だいし))         3050万円

□□院○○××居士(大姉)     50100万円

□□院殿○○××大居士(清大姉)   数百万円

ここで(  )は女性の場合。××の二文字が本来の戒名。あとはお飾りである。

「院殿」はその名の示すとおり、最上の位の名称で、昔でいえば将軍に与えられるもの。江戸時代には庶民が望んでもとても許されるものではなかった。

現在では、一寺を建立するくらい寺院に貢献した人に追贈(ついぞう)で、程度貢献寺院宗派、格式、地域性ってがある。

なお、「あとはお飾り」の意味として、

< お飾りというのは、故人が生前、お寺のために一生懸命尽くしてくれたことへの、寺側の感謝の意。例えば寺の修理をしてくれた、寄進をしてくれたなど、いろいろな功績があった人に何かをしてあげたいが、お金で解決できるものでもない。そこで、名前に感謝の意を示す言葉を追加し、見送ってあげることになったわけです。(仏教情報センター事務長/真言宗東寺派明治寺住職 草野栄応氏)

と書いてある。

趣旨は理解できるが、実体と合わないのではないか。平等を(むね)とする仏教が、死んでまで序列をつくるほうが問題である。

 

参 考

島田裕己著『葬式は、いらない』幻冬舎新書 2010

島田裕己著『戒名は、自分できめる』幻冬舎新書 2010

週刊朝日MOOK『わたしの葬式自分のお墓』朝日新聞出版 2010

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