雑録2012.3.10 転 倒 
 

明治神宮で行われるラジオ体操に毎朝参加している。参加者のほとんどの人が高年である。元気に体操に参加していた顔なじみの2人が、転倒が原因で来なくなった。一人は道路で転倒し、一人は建物内で転倒した。回復にむけての長期のリハビリを受けている。

一昨年の「渋谷区民太極拳大会」で渋谷区長の挨拶があり、渋谷区の寝たきりの一番の原因は“転倒”であると話していた。

「ためしてガッテン」というNHKのテレビ番組をよく見ている。何年か前、ラジオ体操の講師として活躍している多胡氏が出演した。多胡氏は、ラジオ体操は体力をつくることよりも、転倒したときなどに、手をつく、頭を抱えるなどして体を守るための瞬発力、瞬間力が衰えないようにすることが主目的である、という意味のことを話しているのを聞いた覚えがある。

寝たきりにならないためにも、“転倒”について知識を得たいと思った。

 

石井直方著『筋肉革命』1には、転倒を引き起こすリスクの大きな三つの要因をあげている。「足腰の筋力の低下」と「バランス能力の低下」、「視力の低下」である。

2001年のアメリカ老年学会の調査では、転倒を引き起こす要因の最も影響の大きいのは「筋力の低下」であったことを紹介している。そして次のように述べている。

 

<< アメリカ老年学会の研究は高齢者を対象にしていますが、転倒は高齢者だけの問題ではありません。若い人でも普段の生活のなかでバランスを崩し、転びそうになることがあります。それでも、重大な事故につながらないのは、転びそうになったとき筋肉が踏ん張ることでブレーキをかけてくれるからです。筋肉はバランスを崩すことなく「立つ」「歩く」といった動作を行うためにも必要ですが、万一、転びそうになったときにも、体を支えて危険を回避するという重要な役割を担っているのです>>

 

高齢になれば筋力低下は避けられない。しかしありがたいことに、筋肉は90歳以上になっても適切なトレーニングをすることによって、筋力がアップすることが研究報告されているという。

著者の石井直方氏は、東京大学大学院教授で、ボディビルミスター日本優勝や世界選手権三位など、競技者として数々の実績を誇る異色の経歴をもち著書も多い。高齢者にもやさしい筋力アップのための「スロートレーニング」を提唱している。

 

筋肉の役割

筋肉は骨格を(おお)う「骨格(こっかく)筋」、内臓や血管壁をつくる「平滑(へいかつ)筋」、心臓を構成する「心筋」に大きく分類される。転倒の対象になる筋肉は骨格筋であり、以下筋肉といえば骨格筋を指す。

転倒に影響する足腰の筋肉は、30歳以降から0.51%のスピードで落ちてゆく。10年で510%、70歳になる頃には、20歳代に比べて、3分の2以下にまで筋肉は減少する。

高年になると、足腰の筋力の低下とバランス能力の低下などにより、転倒しやすくなり重大なけがにつながる危険性が高まる。転倒して重大なけがを負い、結果として筋肉が減少し、寝たきりになる過程を先の『筋肉革命』では次のように述べている。

 

<<(筋肉は体温を維持する熱源として)使っていない間でもたくさんのエネルギーを消費する。家庭の電化製品にたとえれば、待機電力のようなもの。そのため私たちの体は、この使っていない筋肉が消費するエネルギーを無駄なものととらえ、省エネのために筋肉を落としてしまうのです。現在では、食べ物に困ることはありませんが、狩猟採集の時代などには、食べ物が満足に口にできないことがしばしばありました。このような歴史のなかで、私たち人間はできる限り無駄なエネルギーを使わないよう、体を省エネ型に進化させてきたのです。このような体の仕組みと、活動量が減ることが相まって、寝たきりになると筋肉がどんどん落ちていくのです。>>

 

筋肉が1キログラム増えると、基礎代謝は1日あたり約50キロカロリー増える。逆に、寝たきりになり筋肉を使わなくなると、筋肉を減らすことにより基礎代謝を下げて消費するエネルギーを少なくする。基礎代謝とは、呼吸や体温調節など生命を維持するために必要なエネルギーのことであり、何もせずじっとしていても消費されるエネルギーのことである。

生命を維持する基礎代謝は、消費するエネルギーの6070%を占めている。逆にいうと、歩いたり、階段を上がったりする運動で消費するエネルギーは全体の3040%にすぎない。そして基礎代謝で使われるエネルギーのうち、筋肉が約40%のエネルギーを消費する。

筋肉には、上記の体温維持の役割、ポンプの役割、そしてメインである運動の役割がある。そのほかにも血糖値の維持、外部の衝撃から内臓などを保護するなどの役割がある。

 

ポンプの役割

筋肉は、収縮と弛緩(しかん)、すなわち(ちぢ)んで(ゆる)むという単純なオンとオフの機能しか持っていない。筋肉が収縮すると筋肉内部の圧力が高まり、血液が絞り出される。弛緩すると筋肉の中に血液が流れ込む。こうして筋肉は収縮と弛緩を繰り返すことにより、ポンプのような働きをして、血液の循環を助けている。例えていえば、乳牛の乳しぼりでの人の手の役割である。

 

運動の役割

筋肉を動かそうとする脳から発せられた信号は、神経細胞を経由して最終的に筋肉に伝えられ、手や足を動かし、(まばた)いたり物を食べたりする。これらはすべて筋肉によって行われる運動である。

運動には「有酸素運動」と「無酸素運動」があることが知られている。代表的な有酸素運動には、ウォーキングやランニング、サイクリング、水泳などがある。そして代表的な無酸素運動には、短距離走や重量挙げ、筋肉トレーニングがある。

有酸素運動と無酸素運動の違いは、運動に必要なエネルギーをつくり出すときに、酸素を使うか、使わないかであり、無酸素運動では呼吸をまったくしていないという意味ではない。

酸素を使って糖質や脂肪を燃焼させ、エネルギーを生み出すのが有酸素運動である。酸素を使わずに筋肉中に蓄えられた糖質を使って、エネルギーを生み出すのが無酸素運動である。

この有酸素運動と無酸素運動について、先の『筋肉革命』では次のように記している。

 

<< 有酸素運動と無酸素運動の境目は、どこにあるのでしょう? 運動の強さをだんだんと増していき、ある限度を超えると、酸素を使ってエネルギーをつくり出す有酸素運動だけではエネルギーの供給が追い付かなくなり、酸素を使わないエネルギー生成も同時に行われるようになります。その境目は、年代に寄っても異なりますが、一般的に脈拍が110120を超えた段階で、酸素を使わずにエネルギーをつくり出す無酸素運動が混ざりはじめます。(略)

●有酸素運動では、体脂肪を燃焼することができる。ただし、期待するほど多くの量は燃焼されない

●有酸素運動では、心肺機能を高めることができる

●無酸素運動は、筋肉を強化する運動である

●無酸素運動では基礎代謝を高め、脂肪を分解しやすい体をつくってくれる >>

 

なお、無酸素運動は、酸素を使わない状態でエネルギーをつくり出す運動のため、有酸素運動のように長時間続けることはできない。

 

筋力・筋肉を維持・増強するには

筋肉が太く強くなる仕組みには、次の二つの過程が解明されている。

一つは、筋肉を構成する筋線維(筋細胞)が大きな負荷のもとで繰り返し収縮すると、そのことが刺激となって筋線維をつくるタンパク質の合成が活発化し、同時にタンパク質の分解が抑えられて筋線維が増加し、筋肉が増強される。

二つは、より強い力が筋肉に作用し、筋線維(筋細胞)の細胞膜や細胞の中の構造に小さな損傷が生じると、その修復や再生の過程で筋肉が補強される。

 

筋力が最高に達するのは2030歳の間で、その後は徐々に低下し、60歳を過ぎると急激に筋力低下が進行する。年齢が高くなると、ある強さの運動を必要とする上記12で筋肉を維持・増強することはむずかしくなる。そこで推奨されているのが、錯覚を利用して筋肉を維持・増強させるスロートレーニング(スロトレ)である。

 

糖質や脂肪がエネルギーに変わる過程で、乳酸などの代謝物質(老廃物)が出るが、これらの代謝物質は、通常血流によって外へ運び出される。しかし、筋肉を緊張したままだと、――筋肉の役割の一つにポンプがあると先に書いたが、血液が絞り出されたままの状態になる――血流が悪くなり筋肉のなかに代謝物質がたまっていく。血流が制限されていない状態で、同じように代謝物質を筋肉のなかにつくり出そうとすると、吐き気をもよおすほどの筋トレを行わねばならないという。

スロトレは、筋肉を長く緊張させ血流を制限することで、筋肉のなかに代謝物質をため、激しい筋肉トレーニングを行ったのと同じような状況を筋肉の中につくり出し、筋肉に負荷がかかったと錯覚させる。その結果として、筋肉を維持・増強させることが可能となる。

 

両手を前方に床に平行に伸ばし、ヒザを屈伸させるスクワットというトレーニングがある。スロトレのスクワットでは、「動きはユックリ、しゃがみきらない、立ち上がりきらない」ことで、ずっと筋肉に力が入った状態を保つことがポイントであるとし、次のようにスロトレのイメージを『筋肉革命』のなかで述べている。

 

<<「関節を完全に曲げきらない、伸ばしきらない」ことが、スロトレの基本中の基本です。もし、スクワットを行うとき、完全にしゃがんだり、立ち上がったりしてしまうと、筋肉のなかではどのようなことが起こるでしょう?

一般的なスクワットでは、立ち上がったとき、膝の関節が完全に伸びきって直立状態になります。このとき太ももの筋肉に入っていた力は抜け、筋肉がゆるんだ状態になってしまいます。一方、しゃがむときにも、太ももの裏側とふくらはぎが完全にくっつくまでしゃがんでしまうと、同様に筋肉はゆるんだ状態になります。

筋肉がゆるむと、止まっていた血流が一気に流れ込み、筋肉のなかにあった代謝物質は外に運び出されてしまいます。これでは、高い負荷がかかっていると、筋肉に錯覚させることはできません。つまり、関節を完全に曲げたり、伸ばしたりしてしまうと、思ったような効果が得られなくなってしまうのです。>>

 

スロートレーニングの詳しい方法については、「『筋肉革命』をはじめとする石井直方氏の本に図入りで載せられている。

また、石井直方氏は、「ヨガ」や「ピラティス」、「太極拳」などを体に過度の負担を与えず、筋肉や骨を鍛え、老化によって落ちやすい腰まわり(=体幹)の筋肉を、効率よく鍛えることができる運動であるとすすめている。

 

 

追 記

ウォーキングなどの純粋な有酸素運動では筋肉にかかる負荷はそれほど大きくないため、筋肉を強化するという効果はほとんど期待できないという。筋肉を増強するには、有酸素運動と無酸素運動を上手に組み合わせることの必要を説いている。

ウォーキングで筋肉を増強する事例として、長野県松本市と信州大学の共同プロジェクトである「熟年体育大学」で行った取り組みを『筋肉革命』で紹介している。

 

<< 熟年体育大学では、まずは11万歩、ウォーキングを行うというプログラムを実施しました。9年間で1800人が、このプログラムを受講。そのうち全体の30%の人が、1年間ほぼ毎日、1万歩のウォーキングを実施しました。1年間のプログラムの後、その効果を調べてみると、ほぼすべての人で、体重・体脂肪率や血圧、悪玉コレステロール、中性脂肪が低下していました。ところが、介護予防のために維持・向上を図りたい「脚筋力」や「持久力」については、まったく増加していないことが判明したのです。

そこで熟年体育大学が、脚筋力や持久力を高めるために始めたのが、「インターバル速歩」です。インターバル速歩とは、早歩きとゆっくり歩きを数分間ずつ、交互に繰り返す運動のこと。具体的なインターバル速歩の方法は次のとおりです。

@ウォーミングアップを十分におこなう

Aハァハァと息が上がるような早歩きを、3分間続けて行う

B呼吸を整えリフレッシュするように、ゆっくり歩きを3分間続ける

Cまた早歩きを3分間続けた後、ゆっくり歩きを3分間というように、早歩きとゆっくり歩きを交互に目標回数まで繰り返す

Dクールダウンを十分に行う(運動後のストレッチなどの整理運動)( )は引用者記

ここで紹介した方法では、早歩きとゆっくり歩きを3分間ずつ交互に行っていますが、これはあくまでも目安で、体力やトレーニングの状況に合わせて、2分間などに調節して行っても問題ありません。

熟年体育大学では、平均64歳の中高年の男女を、「インターバル速歩を行うグループ」、「通常のウォーキングを行うグループ」、「何も行わないグループ」の3つに分け、5ヵ月間のトレーニングの効果を調べました。インターバル速歩を行うグループでは、130分以上のインターバル速歩を週に4回以上、通常のウォーキングを行うグループでは、11時間以上のウォーキングを週に4回以上を、5ヵ月にわたって実施しました。

その結果を見ると、通常のウォーキングを行ったグループと、何もしなかったグループでは、脚筋力や持久力に変化は見られませんでした。ところが、インターバル速歩を行ったグループだけは、太ももの筋力が1015%アップし、全身持久力も約10%上昇していました。あわせて、インターバル速歩と通常のウォーキングを行った2グループでは、体脂肪率や血圧、血中脂質などの生活習慣病のリスクも低減していました。

このようにインターバル速歩では、生活習慣病を予防しながら、同時に、転倒を予防するための脚筋力も鍛えられるということが分かったのです。>>

 

平坦なところを、ゆっくりと一定のペースで歩むウォーキングでは、筋肉を鍛える効果は期待できない。しかし、アップダウンのある場所や階段、歩くスピードに強弱をつけながらウォーキングをすることなどで、筋肉を鍛えることができるという。メタボ対策でウォーキングをする場合でも、歩く場所と歩き方を工夫することにより、あわせて脚筋力の増加も図れる。

参 考

石井直方著『筋肉革命』講談社1

石井直方著『鍛える理由』実業之日本社

石井直方著『筋肉まるわかり大辞典』ベースボールマガジン社

鈴木正之著『高齢者のための筋力トレーニング』黎明社

78回老年学公開講座『筋肉の不思議 中高年からの暮らしに活かす筋トレ』東京都老人総合研究所

98回老年学公開講座『いつまでも動ける体づくり 老化と筋肉の不思議な関係』東京都老人総合研究所


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