朝4時半前に、懐中電灯の明かりを頼りに洗足し、坐禅堂に入る。石油ランプを灯し、文殊菩薩様に線香を立てる。“坐禅は安楽の法門なり”と自己暗示をかけ、坐禅を始める。
しばらくすると、ヒグラシが1匹、2匹、3匹、と鳴き始める。“カナ、カナ、カナー”とすぐ近くで鳴いている透き通る声は、15分ほどで鳴き止む。その後、近く遠くで鳴く鳥の声が聞こえては消える。そして坐禅堂には静寂がもどる。
1炷の坐禅を終え、本堂での朝課に向かう。瑞岳院での1日の始まりである。
本堂 |
坐禅堂 |
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8月13日(日)から18日(金)までの6日間、瑞岳院に滞在した。
現在、1人で住まわれている森山堂長は、週の半ばまで秋田に行かれている。この間、留守を預かるHさんから、「堂長はいないけれども、よろしければどうぞ」という話をいただき瑞岳院に向かう。
瑞岳院は新宿駅から中央線で2時間、山梨県大月市にある初狩駅が最寄り駅である。その駅から山道を歩くこと約1時間、南大菩薩連峰の滝子山の中腹、標高700㍍の位置に在る。
初狩のコンビニでHさんから頼まれたしょう油と途中で食べるサンドイッチを買って、山道に向かう。午後1時、境内入口の小さな橋のたもとにある、龍門と彫られた石碑に着く。橋の下には、ほとばしる様に水が流れている。川に下りて顔を洗い、すくって飲み、汗が引くまでしばらく休憩する。この冷たい水を、瑞岳院では飲料水や風呂の水として使用している。
1年8ヵ月ぶりに見る本堂は、昭和53年に岐阜県飛騨高山の合掌造りの農家を移築したものである。連なる坐禅堂は、単(単は坐禅で坐るところ)、函櫃(単ごとの押入れ)が備え付けられていて、修行僧がここで寝泊りできる本格的な道場である。
顔を合わせたHさんから、「風呂が沸いているので、汗を流してください」と声をかけられる。
しばらく腰痛で坐禅を控えていたが、最近また坐りだした。そして、瑞岳院で坐りたいという気持ちになりやって来た。今回の瑞岳院での滞在では、Hさんと私、後半は森山堂長と私の2人だけで、ほかに滞在者はいない。
瑞岳院での日課は、坐禅と作務(掃除などの肉体労働)と食事、その合間の喫茶・休憩の繰り返しである。
坐 禅
瑞岳院での坐禅で今でも思い出すのは、ある夏の夜明け前の坐禅中、決まった時刻に何十匹というヒグラシが一斉に鳴き出し、坐禅堂が蝉しぐれの世界になる。15分ほどすると不思議にも一斉に鳴き止む。三日間ほどの滞在中、毎日聞きほれたものである。
何年か前の3月に来たときには、一番上にダウンジャケットを着て、腰と脚のまわりを毛布で覆い、ジンジンとする冷気の中、鼻から白い息を出しながら坐わった。これも忘れられない瑞岳院での坐禅である。
食事を作って下さるHさんとの話で、坐禅は自主的に坐る時刻・時間を決める“随坐”で坐ることにする。瑞岳院の日監(1日の行持の日課)に合わせて坐るようにしたが、1日5~6回坐った。広い坐禅堂で、毎回ほとんど1人だけで坐わる。1回の坐禅を1炷という。1炷とは線香が消えるまでの時間をいい、昔は坐禅をする時間の単位としたという。1炷を40分から45分で坐わる。
道元禅師が著述した『普勧坐禅儀』には、“坐禅は安楽の法門なり”と述べている。しかし、その日の最後となる就寝前坐禅は、19時から2炷連続して坐る。lpmptpぉmp2炷目は、朝から組む脚の痛みが重なり、脚を組み替えようがどうしようが痛く、“私の坐禅は苦行の法門に”なる。
港区青山にある永平寺東京別院長谷寺では、月曜日ごとに、夕方7時から参禅会が開かれている。この『普勧坐禅儀』を、2炷目の坐禅の途中で全員で読み上げる。『普勧坐禅儀』は、日本の曹洞宗の宗祖である道元禅師が、中国から帰国されたときに最初に記述され、坐禅に関する基本的な考えを表明した、わが国最初の指導書である。その中で次のように述べている。
「・・・兀兀として坐定して、箇の不思量底を思量せよ、不思量底如何が思量せん。非思量、此れ乃ち坐禅の要術なり。所謂、坐禅は習禅には非ず、唯是れ安楽の法門なり。菩提を究尽するの修証なり。・・」
現代語意訳では
【・・この坐禅は、精神統一でもなければ瞑想でもない。それ故、坐禅中に如何なる思念が明滅しても、浮かぶに任せ消えるに任せて一切取りあわず、また、あらゆる希望・願望・要求・注文・条件等を持ちこまないで、「ただ坐る」のである。これがこの坐禅のいちばん肝心なところである。
この坐禅は、人間の喘ぎのやんだ世界に落ち着くことであり、もともといきつくところに行きついた坐禅であって、手段や方法としてのものではない。坐禅それ自身が、生命の実際を、まるごといまここに究極した証なのである。・・】 (「特集・修証儀と普勧坐禅儀」鈴木各禅・大法輪)
私は、“ただ静かに坐って、いい息をする”そして “頭の休息をする”これだけで坐る。
瑞岳院は標高が高いため、真夏でもすごしやすく坐禅をしながら汗をかくということはない。部屋にあった温度計は、昼間でも27℃を越えず、寝るには毛布一枚では寒いくらいである。蚊も刺さない。申し分のない環境で坐禅をすることができる。
作 務
作務を仏教辞典(岩波書店)で引くと、
【 農耕作業や掃除などの肉体労働をさす。禅門では、上下が力を合わせて共同作業をすることを修行として重要視する。普請に同じ。なお作務衣は、作務のときに身につける衣服の称・・】とある。
薪割 |
風呂焚き |
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以前、坐禅会で能登半島にある総持寺祖院に行ったことがある。横浜の鶴見にある総持寺は、永平寺と並ぶ曹洞宗の大本山であるが、明治44年に鶴見に移転するまでは、能登の総持寺祖院が大本山であった。祖院の境内の敷地は広大であり、七堂伽藍やその他の堂塔も多くある。しかし、比べて雲水の人数が少なかったようだ。作務も修行であるといわれて、草取りばかりやらされた、いや、させていただいた印象がある。
瑞岳院にも作務はいくらでもある。拭き掃除、掃き掃除、薪割り、風呂焚き、石油ランプの掃除、食事の支度・後片付け、草取りなどなど。
今回は、食事の後片付けと風呂焚きは毎回、毎日行い、その上で、日を変えながら、部屋の掃き掃除、風呂掃除、便所掃除、廊下や窓敷居の拭き掃除などを行う。
風呂焚きでは、水を入れ替えたときは、二つの薪風呂釜を使用して2時間かけて沸かす。以前は、薪風呂釜がひとつだったので沸かすのに4時間かかった。廊下の拭き掃除といっても、普通の家の廊下とは長さが違う。今回は1人でもあることだし、腰痛が再発するといけないと自己弁護をしながら、雑巾ではなくモップを使用する。
作務は、これをやってくれと頼まれることもあるし、自分で気がついた箇所をすることもある。
食 事
坐禅堂での食事(僧堂飯台)作法は、雲水でも1年以上かけないと身につかないと聞いている。流れるような手さばきで食事をしている修行僧を見ていると、納得する。
坐禅会で永平寺に参禅したことがある。坐禅はともかく、食事作法で一番苦労した。数年後、再び坐禅会で永平寺に行くことになった。この時は、前もって瑞岳院で食事作法を教えていただき、永平寺に参禅したこともある。
複怕で包まれた応量器
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ひろげられた応量器
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元来、出家者は正午を過ぎて食事をしないのが仏教の戒律であった。このため夕食は薬石と称している。酒を般若湯と称して飲んでいるようなものである。
瑞岳院でも、朝食(粥)と昼食(斎)は応量器と呼ばれる定められた食器を使用し、し、“展鉢の偈”から始まる各種の偈を唱えながら頂くが、夕食(薬石)は応量器を使用しない。
朝食は玄米粥に味噌汁煮物、それに梅干、佃煮など。昼食は、玄米粥が玄米か白米のご飯に代わり、おかずが1品か2品多くでる。薬石では、うどんかそばをどんぶりに盛り、朝・昼の残り物などと一緒に頂く。
喫茶・休憩
慣れない、朝早い起床・作務・坐禅で体が疲れている。休憩時、本を読もうとページを開くと目が閉じる。目を覚ますと、ミンミンゼミが一匹大きく鳴いている。そして台所で庖丁を使う音、茶碗類を重ねたり、取り出す音が聞こえる。
「お茶にしませんか」と言われ、お茶菓子とお茶を用意する。よもやま話や今の生活の話などをする。話好きで、聞き上手な森山堂長との会話は尽きない。
いつでも行けるこういう場所が在ることは貴重であり、有り難いことです。
興味のある方はぜひ行かれてみて下さい。坐禅になれていない方は、作務を主として、坐禅を従としても良いと思います。見学だけでも歓迎されると思います。
注意
☆瑞岳院で宿泊する方は、シーツとパジャマと懐中電灯が用意が必要です。
☆瑞岳院への山道は、小型車なら通行可能です。車を止められる場所から、瑞岳院まで歩いて約5分です。
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