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バロックと古典派の違いの本質

バロック復権未だ来たらず

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さてここまで延々とバロック音楽史を書いてきたりしたわけですが、どうでしょう?

こうやって記録に残っている作曲家はかなりたくさんいるのに、なぜかその紹介はさっぱり進んでいないことに気づかれるのではないでしょうか? また、紹介されている物もジャンルにかなり偏りがあることも分かるのではないでしょうか?

このあたり前々から疑問には思っていたのですが、今回調べてみてそれに対する自分なりの結論が出てきたんで、こういった長文を書いていたりするわけです。

それがこの章となります。

忘れられたバロック声楽

さて、音楽の教科書などをを見てみると、ルネッサンス期にはジョスカン・デ・プレ、バード、ラッスス、タリス、パレストリーナ…といったかなり知名度の高い作曲家がかなりの数います。ところがそれよりも後世の17世紀には、なぜかその数が落ち込んでいるように見えないでしょうか?

もちろん17世紀に作曲家の数が落ち込んでいるわけではなく、その大多数がオペラや宗教音楽を手がけていて、そのジャンルの紹介が致命的に遅れているために、17世紀の作曲家が少ないように見えるというのが真相です。

そして注目すべきことは、器楽的な作品はかなり紹介が進んでいることです。このあたりは器楽も声楽も書いた作曲家、例えばヴィヴァルディなどを思い浮かべれば、明白でしょう。

器楽系の作品であれば日本でもかなりCDなどを入手できます。それに対してオペラやカンタータの紹介は、ほとんど壊滅的といっていいでしょう。本来ならばバロック音楽史上極めて重要な役割を果たしているはずなのにです。

それにしてもどうしてこんなにバロック時代の声楽は紹介が遅れているのでしょうか?

オペラであればある程度言い訳は思いつきます。例えばバロックオペラはド派手な演出が必要なので上演に金と手間暇がかかるとか、カストラートの声部をどうするかとか、歌唱法がよく分からないとかです。

しかしオペラがだめでもカンタータがあります。これは音楽的にはオペラとほぼ同様な物です。それに多くは歌手一人とチェンバロ1台あれば演奏可能で、長さも比較的短くバロック声楽の紹介用とすればある意味最適でしょう。

またカストラート用がだめでも、普通のソプラノ用も大量にあります。それにカストラートだからといって全員がファリネッリのように3オクターブの声域があったわけではなく、ちょっとがんばれば普通のソプラノやカウンターテナーで歌える物が大部分だと言います。

そう考えると本当に困るのは歌唱法だけのようです。この時代の音楽は楽譜はほとんど骨格だけで、音楽的な肉付けは歌手に大幅に依存していました。その当時の歌唱法の伝統は、バロック音楽忘却の過程で大部分が失われてしまいました。

しかし文献が全くないわけではなく、それに100%再現できなくてもやってみることに意義はあるでしょう。それに作曲家は歌手に音楽を半分委任しているわけですから、歌手がどう歌おうと自由でもあるのです。従ってある程度現代風なやり方で再構築してしまっても、それが完全な間違いだとはいえません。

また前述のオペラにしても、実は現代の普通のオペラに比べれて上演は楽なのです。

なぜならバロックオペラには合唱はほとんど使われず、歌手も4名程度です。オーケストラの規模も現在の室内楽程度です。演出に関しては完全な再現にこだわらなければいいだけで、そもそも現在のオペラファンは変な演出には慣れてますから、誰も文句は言わないでしょう…実際ヘンデルのアルチーナの演出なんかは相当キてます。

というわけで実はバロック声楽作品を演奏できない技術的な理由は全くないのです。

それにもかかわらずこれらの音楽は今に至るまで、なぜか演奏されてきませんでした。

技術的な障害がないとすればあとは作品がつまらないから、という理由しかありえませんが…

しかしバロックオペラやカンタータはすさまじい数が残されています。例えばアレッサンドロ・スカルラッティ一人で100曲近いオペラと数百曲以上のカンタータを残したと言われています。その他の作曲家も含めればもう膨大な数でしょう。

某所でよく言われる経験則にスタージョンの法則というのがあります。これは元々「SF小説の90%クズである」という物でしたが、一般化して「あらゆる物の90%はクズである」ということになります。これは裏を返すと10%ぐらいはまともな物があるという意味にもなります。

要するに膨大な数の作品があれば、その中には必ず優れた作品も混じっていると言うことです。

すなわちバロックオペラやカンタータの全てが駄作だと言うことはあり得ないわけで、それにも関わらずどうしてここまで紹介されてこなかったのかが、重大な問題となるわけです。

それを明らかにするためには、実物を検討してみるのが早道です。

声楽と器楽

さて、バロック声楽で最も特徴的なのがレシタティーヴォとそれに続くアリアです。合唱曲はルネッサンスの遺産を引きずっているのでここではふさわしくありません。

レシタティーヴォに関しては後期になればなるほど形骸化していきますので、ここではアリアが最も良い対象になるでしょう。

で、そのサンプルですがここではヘンデルメサイアから38aのアリアの前半部を引用しました。[→譜例を開く]

このアリアは以下の2節の歌詞のみからなる小さなアリアで、この直後からあのハレルヤコーラスが始まります。
Thou shalt break them with a rod of iron;汝は鉄の杖で彼らを打ち、
thou shalt dash them in pieces like a potter's vessel.陶工が器を壊すように砕くであろう。

さてこの曲ですがどうでしょうか。聴いてみると小ぶりですがなかなか良い曲です。しかし聴き終わった後に簡単に口ずさめるでしょうか?多分かなり慣れた方でないと結構難しいのではないでしょうか?

実は他のバロックアリアでもいろいろと聴いてみると、結構こういう状況に出会います。聴いてみたら結構いいんだが、後から思い出してみようとするとどうもうまくいかない。で、印象が薄かったのかと思ってもう一度聴いてみると、やっぱりいいけどまた後からだと…というループにはまるのです(少なくとも私はですが)

これはいったいどうしてでしょうか?

その理由の一つは譜面を見て頂くと分かります。

まずこの曲は前奏が9小節です。次に "Thou shalt ... with a rod of iron" のフレーズは6小節(休符まで入れれば7小節)、"thou shalt ... like a potter's vessel." のフレーズは5小節、それから同じ節が別旋律でカデンツァ風のフレーズを経て9小節…となっています。

これを見てすぐ気付くように、各フレーズの長さがまちまちです。これがまずわかりにくさの原因の一つとなっています。

また今度は旋律そのものをよく見てみます。普通私たちがよく聴く音楽では、旋律というのは2小節程度の動機があって、それの模倣パターンになっていることが多いのですが、このアリアではそういうパターンを抽出するのはかなり困難です。

そしてそれが原因で旋律の流れのパターンが非常に掴みにくく、結果として曲が覚えにくいということにつながっていきます。

それにしてもどうしてこんな曲の作り方をしているのでしょうか?

その理由は別段難しいことではありません。

前章のオペラの歴史の所に書きましたが、バロック音楽では「音楽とはまず言葉とリズムであり、楽音自体は最後にある物」なのです。そしてヘンデルはこの理念そのままに音楽を作っているからです。

このアリアはの歌詞は二つの節よりなりますが、見れば詩句の長さが異なっています。従ってそれにそのまま曲を付ければ、曲のフレーズの長さも必然的に変わってくるわけです。

またこの理念では、音楽は歌詞のイントネーション、アクセント、リズムによって規定されることになります。従って歌詞が変われば旋律も変わるのが当然です。

この曲の旋律パターンが掴みにくかった理由は、元々そういうパターンを意識して作られた旋律ではなかったからです。

譜を見てみると似た旋律が使われているところは、"Thou shalt *** them" といった同じような歌詞の場所で、それ以外ではないことが分かるでしょう。

もしこれだけだと音楽的には非常に散漫な物になってしまいそうですが、伴奏部を見てもらえば、どうやってここに音楽的統一感が与えられているかがよく分かります。

伴奏はある意味「音楽的」に特定のフレーズの模倣が繰り返されます。また前奏にあった2種類の音型を対位法的に絡めたり、曲の切れ目ごとに前奏風の伴奏を再現してフレーズの切れ目をよく強調しています。

曲の切れ目ごとに再現される特徴的な伴奏部をリトルネルロといいますが、協奏曲形式=リトルネルロ形式はこういったアリアの作り方から派生したとも言われています。

と、こうやって見てみると、バロック声楽を評価する際に旋律だけを分析したのでははっきり言って片手落ちになってしまうことが分かるでしょう。

バロック声楽は基本前提として、聴衆が歌詞を聞いて理解できるという前提の元に成り立っています。従ってバロック声楽を鑑賞する際に最も注目すべき点はその歌詞と音楽の関係であって音楽そのものの流れや構造は二の次なのです。

だから上記の例の場合は英語をネイティブに理解できる人であれば、それほど困らないに違いありません。歌詞を聞いていればどこで切れるかは明白だからです。そして優れた作品であればあるほど、歌詞の響きや意味、情感などが実に自然に表現されている物になっているはずです。

しかし英語が分からない人は音楽的構造を頼りに聴くしかなく、そういった構造が元々ない以上、その音楽は散漫で印象の薄い物になってしまうわけです。

その上、音楽の流れが原語に依存しているため、別な言語に翻訳してしまうと、意味をなさなくなってしまいます。例えばイタリア語の「あも~れ♪」という旋律を英語で「ら~~ぶ♪」と歌ってしまったら、相当に間が抜けて聞こえるはずです。これが日本語だったら文法からして違うので全く意味不明な代物になってしまうでしょう。

このようにバロック時代は、音楽よりも言葉の方が優先される時代でした。

それに対して古典派以降になるとそれが逆転しています。

例えばモーツァルトでも誰でもいいですが、適当に知っている独唱物の声楽作品を思い浮かべてください。大抵の場合何を歌っているか分からなくても、それなりに楽しめるはずです。

その理由は古典派以降の声楽ではその音楽そのものに「構造」があるためです。

音楽的な構造とは、まず通常4小節単位の規則的なフレージングです。そして例えば複合二部形式は A A' B A' という言い方をするように、異なったフレーズの間に反復や模倣などといった関連性があることです。

古典派以降はソナタ形式などに代表される「**形式」というのが大量に増えますが、これらはすべて音楽を内在する構造で分類した物です。この構造は言葉とは無関係に、音の連なりによってのみ構築される秩序です。

それ故に、古典派以降の声楽ではその音楽を理解する上で歌詞の意味を理解することは必ずしも必須ではなく、音楽的な感性さえあれば世界中の誰もが同じようにその音楽を鑑賞できるわけです。

しかしこのように音楽に構造があるということは、実は歌詞の表現はそれだけ制限されていることも意味します。なぜなら歌詞には意味があり、各単語にもそれに付随する情感があります。また単語の読みには個々にイントネーションやアクセントがあり、その結果歌詞にはそれなりの響きという物が生まれてきます。

バロック時代はこの響きこそが音楽を作る上の基礎でした。しかしこれを厳密に守れば前述のバロック声楽になってしまって、音楽の構造は損なわれます。

バロック期の作曲家でも彼らの書いた器楽を同時に見てみれば、彼らが音楽の構造を知らなかった訳ではないことはよく分かります。

しかしバロック的な作曲家は、歌詞の流れと音楽の流れの不一致が発生した場合は、歌詞を優先して音楽の構造を犠牲にします。逆に古典派以降の作曲家は歌詞の方を犠牲にして、音楽の構造の方を優先しているわけです。

例えて言えば、バロック声楽では歌詞が骨で音楽が肉と言うぐらいに一体化しているのに対し、古典派声楽ではは歌詞は着ている服で体が音楽ぐらいの関係だと言えるでしょうか。そして中には余計な服などいらん!と言うような人さえいたりします。

バロックと古典派の違いの本質

ここまで読んでもらえば、バロック声楽は現在の私たちが一般的にイメージしている声楽とは相当かけ離れた物で、多分吟詠の方に近い物だと言うことがわかるでしょう。

音楽を作る上で言葉が先か音楽が先かというのはもはや180度異なったアプローチです。すなわち声楽曲に関してはバロック時代と古典派時代ではもはや本質的に異なっているのです。

だとすれば、今まで漠然と言ってきた「バロック的なるもの」と「古典的なるもの」の最大の相違点とはこの「声楽における歌詞の扱い」と考えることができるのではないでしょうか。すなわちこう言えるのではないでしょうか?

声楽で「言葉>音楽」とするか「音楽>言葉」とするかの意識の違いこそが、バロックと古典派の違いの本質である。

もちろんこれは今のところ仮定ですが、現在この点以上に両者を区別するポイントは見あたりません。そこでこれからこういう仮定をおいた場合、様々な問題がどう解釈できるかを見ていきましょう。

バロック音楽家忘却事件円満解決

ますこう仮定すれば、元々の問題であったバロック音楽家忘却事件が解決できます。

バロックの時代のオペラはほとんどイタリアの都市でのみ作られていました。またオペラの聴衆は現地でこそ一般市民も入っていましたが、それ以外の地域では基本的には王侯貴族の娯楽でした。またオペラを愛するような王侯貴族は当然高い教養も持っていました。

従ってバロックオペラの聴衆はみな全てイタリア語を十分理解することができたわけで、その作品の鑑賞に何の障害もなかったわけです。

しかし18世紀も後半になると、聴衆として非イタリアの一般市民達が台頭してきます。音楽の中心はイタリアからドイツに移り、聴衆はヨーロッパ全土、さらには世界中に広まっていきます。当然彼らは普通イタリア語など理解できません。それどころか自国語の読み書きでさえ怪しい人も多かったでしょう。そういった人達は当然高尚な詩などにも興味はないわけです。

その結果彼らは当然の行動として彼らにもよく分かる音楽を選択しました。そうやって選択されたのが器楽を基礎とする古典派風の音楽なのです。これならば別に難しい歌詞を理解せずとも、誰でもが聴いて楽しめる音楽だったからです。

このあたりはロンドンでヘンデルのイタリアオペラが乞食オペラにしてやられた現象を思い起こせば明らかでしょう。

このことよりバロック音楽家忘却事件、すなわちバロックから古典派への趣味の移行という現象は以下のようなプロセスだったと説明できます。

18世紀初頭に器楽音楽が発展した時代に最初の端を発します。この時期はまだ声楽中心で、器楽もまだ声楽の影響を強く受けています。これが世紀中頃になると器楽が更に発展し、器楽の影響を受けた声楽、すなわち古典派風の声楽も増えてきますが、まだ従来の声楽もオペラ・セリアとして勢力を持っていました。しかし18世紀末にはついに器楽が声楽を完全に浸食して移行が完了します。

というわけで、これに関しては片が付いたわけですが、当然従来の説とは異なった前提に立っているため、新たな問題がいくつか発生します。

バロック器楽など存在しない?

まず器楽の問題です。もしバロックと古典派の違いが歌詞の扱いだとすると、そもそも歌詞のない器楽はいったいどう考えればいいのでしょうか?

結論から言えば、今回の仮定の上では器楽とは本質的に非バロック的な存在だと言うことです。なぜなら歌詞が存在しない以上、音楽的な構造を元に楽曲を構築せざるを得ないからです。

従って器楽においてはバロックと古典派で、最も本質的な所に違いはないということが言えます。

もちろん時代による音楽スタイルの違いは十分にあります。楽曲形式の変遷やポリフォニックとモノフォニック、通奏低音の使用、楽器の進歩、などといった今までバロックと古典派を分けていた要素は厳然と存在します。しかしこの違いは、バロックと古典派の声楽における相違点に比べて遙かに小さいし、厳密な線引きも難しいということが言えます。

そこでこれらの相違点をここでは「旧式技法」「新式技法」と呼ぶことにします。

初期の器楽の場合、バロックオペラとかなり密接な関係がありました。最初にできた形式の一つに協奏曲形式がありますが、これは前述の通りにオペラアリアの構造から派生したと言われています。

しかしこれはある意味見せかけだけの類似と言っていいでしょう。なぜならバロック時代にはまだ歌詞抜きで長い音楽を聴かせられるだけの構成法が知られていませんでした。だから手近に良い手本がなかったからそれを使ったわけです。

その後器楽はどんどん発展を遂げて、もはや歌詞に依存しなくても十分に長い楽曲を構築できるようになります。音楽の構成もオペラなどから離れて最終的にはソナタ形式のような形式を生み出していきます。

当時の文献を見ると、例えばマッテゾンの旋律論では最初に「歌う旋律」「弾く旋律」が明確に区別されています。これは当然声楽の旋律と器楽の旋律のことですが、ここから当時の人はこの両者をはっきりと区別して考えていたことが分かります。また「声楽旋律はいわば母であり、器楽旋律はその娘である」とあるように、まず基本は声楽の旋律であったと考えられていたことが分かります。

予備知識無しでこれを見たら多分ぴんとは来ないでしょう。しかしこうやってバロック声楽の検討をした後では、彼らがこれを区別したことはほとんど自明にも思えます。

新しい作品区分

次にこの仮定を導入すると、そもそも今までのバロック/前古典派/古典派といった区分を変える必要が出てきます。というのは従来バロックと古典派を区分していた最大の指標は通奏低音の使用ですが、ここではもうそれは「細かい」話だからです。

まず第一次的に注目しなければならない点が「バロック声楽」と「器楽」の区分です。

そして従来の区分、すなわち対位法や通奏低音を利用する「旧式技法」と和声的な作法を特徴とする「新式技法」による区分は、副次的な物となります。

今まではバロック→古典派という変遷に関しては、この作曲技法の変遷こそ最も重要な役割を占めていると説明されていたわけですが、ここではそれはあまり重要な点ではないことになるわけです。

この視点を導入すると、17~18世紀の音楽スタイルは以下の4つに分類ができることになります。

ここで作品としたのは、同じ作曲家が声楽と器楽を書くこともあるからです。そのいい例がヘンデルやヴィヴァルディです。

(1) バロック声楽+旧式技法 --- バロックスタイル

ヴェネツィア派などのオペラ作曲家、ヘンデル

(2) バロック声楽+新式技法 --- 古典的バロックスタイル

ナポリ派などのオペラ作曲家

(3) 器楽+旧式技法 --- バロック的古典スタイル

バッハ、ラモー、ゼレンカ、その他バロック時代の器楽

(4) 器楽+新式技法 --- 古典スタイル

いわゆる古典派、マンハイム楽派とか

この分類では元祖バロック派に関しては、従来の前期・中期バロックが対応していると考えていいです。

しかしそれ以外はかなり変わっています。

2番目の「古典的バロックスタイル」は、これは私が入手できた比較的少ないCDからの結論ですが、それほど間違っていないと思います。

例えばハッセの晩年の作品では、オペラアリアの伴奏はモーツァルトと聞き間違えるか、というぐらいスタイルが似ていますが、アリアの歌詞の扱い方は紛れもなくヘンデルと同様の歌詞主体の作法を示しています。

このグループは通常前古典派として扱われることが多いのですが、実は古典派とは本質的に異なるグループと考えた方がいいということになります。また彼らは器楽を書くこともありますが、その際にはどうしても声楽を書くときの癖が抜けず、わかりにくいフレーズ書く傾向があるようです。現在の聴衆に彼らが受け入れられにくい理由はその辺にあるのかもしれません。

第3の「バロック的古典スタイル」は逆に作曲スタイルは古いやり方ですが、音楽性の面から見ると逆に古典派に近いグループになります。

ここの代表選手がバッハと言えます。バッハの音楽の作り方が声楽であっても器楽的だということは、今までの説明を見てもらえば分かると思います。また彼の最後の作品がフーガの技法という究極の純粋音楽であるというのも印象的です。

バッハはあの当時としてはある意味異端の存在であったとも言えます。

第4の古典スタイルはいわゆる古典派です。ウィーン古典派はもちろんですが、ここでは前古典派で器楽をメインに書いた人も同様に含まれます。

そしてこの分類において、バロック声楽に分類される作曲家がすべて現在では忘れ去られているとこういうわけなのです。

ところで当サイトのメイン作曲家ゼレンカはどこに含まれるかというと、バッハと同じバロック的古典スタイルに入るでしょう。彼の後期ミサのグローリアなどに見られるあのド派手な協奏的合唱曲は声楽的ではあり得ないですし、また作品全体の音楽的な構成に注意して作っているところなどは考え方が古典的だと言えます。

ただバッハほどは徹底しておらず、そのアリアに関してはかなりバロックスタイルの影響を受けていて、フレージングなどを見れば前述のヘンデルのアリア同様の特徴があります。しかしメロディーラインはかなり器楽的な特徴を備えているようです。

シャイベの批判の評価

こういう視点に立った場合、例のシャイベのバッハ批判の解釈はずいぶんと変わることになります。

一般的には進歩派のシャイベが時代遅れのバッハを批判したという解釈が為されているわけですが、シャイベが擁護した音楽はナポリ派の音楽でした。彼らの音楽は技法こそ新式でしたが、音楽に対する考え方そのものは、非常に保守的だったと言えます。

それに対してバッハの音楽は技法こそ旧式でしたが、音楽に対する考え方は非常に新しかったわけです。特にバッハは声楽に対しても「器楽的な旋律」で作曲しています。バッハの時代にはそれで声楽を作るのは珍妙なことだった訳ですが、それから100年後にはあらゆる旋律が「器楽的な旋律」になってしまったのです。結果としてバッハは時代をうんと先取りしていた作曲家と言えることになります。

この点に注目すればシャイベの批判は、実は遙かに新しかったバッハの音楽を理解できなかった古い評論家による批判であったと解釈できるわけです。

それから後のフランスのブフォン論争でも同様です。

ここで著名な哲学者のルソーとラモーが論争しますが、ここの争点も実は同様で、古い声楽の理想にこだわっているルソーが和声学の基礎をまとめたラモーを理解できずに食ってかかっているという構図になっています。

バロック復権未だ来たらず

今までバロック音楽と呼ばれていたジャンルの紹介が非常に偏っていることは明らかです。しかしとりあえずその代表者と考えられていたバッハに関しては、十分に紹介されてきました。大抵の作品に関してはより取り見取りで、何を買っていいのか迷うほどです。

しかしこの論の仮定を認めれば、もはやバッハをバロック音楽の代表者と考えるのには無理があることになります。バッハはその音楽が非バロック的であったからこそ、後世の人々に簡単に受け入れられたとも言えるでしょう

このことを如実に示すのは、同様に知名度の高いヘンデルやヴィヴァルディの扱いです。

彼らの器楽作品は十分に紹介されています。しかしそれ以外のオラトリオやオペラはどうでしょうか?ヘンデルのメサイアを唯一の例外とすれば、最近はCDだけなら何とか入手はできますが、演奏を選ぶようなことはまず無理です。1種類だけでも手に入ればラッキーといった状況です。

そしてヴィヴァルディに至っては、彼も何十曲ものオペラを書いたはずですが、CDさえほとんど手に入らない状況です。

この扱いの違いはいったいどういうことでしょうか?ヴィヴァルディのオペラは全て箸にも棒にもかからない駄作で、演奏する価値もないのでしょうか?

その答えは現在の価値観で判断する限りはその通りなのです。ヴィヴァルディのオペラは現在の価値観から見ればほとんど無価値な存在なのです。もし評価したとすれば、旋律的には評価できる部分もあるが、音楽的構成力が全く無く散漫で退屈、といった感じになるでしょうか。

これを再評価するには、現在の音楽にとは異なった価値観で評価する必要がありますが、まだそれは全然普及していません。

結局、本当のバロック音楽家は未だに忘却されたままなのです。

それではバロック声楽の復権の可能性はどの程度あるでしょうか?

まずバロック声楽はこういう物だから、歌詞と音楽をちゃんと聞き比べてくれ、という啓蒙が必要になります。まあこれは一言書いておけば問題はないでしょう。

しかし同時に、歌詞の対訳を付けてもらわないと話になりません。対訳首っ引きというのは結構疲れるので、可能なことならばDVDの字幕付がよりベターでしょうか。

また対訳の際には個々の単語の意味が分かるようにしてほしい物です。というのはバロック声楽では歌詞に音楽が依存するので、各単語ごとに曲想が変わることなどごく当たり前だからです。そのとき単語の意味が分からないとなぜ音楽がこんな変化をしたか理解できません。

逆にそのあたりが見え出すと、当時の人達が実は極めて緻密な作業をしていることが分かり始めて来ます。

このあたりさえしっかりしておけば、決してバロック声楽が復権できないわけではないと思います。ただどの作曲家が本当に復権できるかは、本人の実力次第でしょうが…

おわりに

元はといえばゼレンカのアリアが当時の基準ではどの程度の物だったのかを調べようとしたのが発端でした。それからいろいろ調べていくうちに本末転倒してこういった大げさなことになってしまったわけですが、いかがだったでしょうか。

この議論に関しては当然非常に粗っぽい物です。本当はもっとたくさんの資料を基に検証すべき問題です。そこは私が学者でも何でもなく1音楽ファンだからと逃げておきますが…もちろんご意見・ご感想があればメールとかでどうぞ。

参考文献


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