子供たちへの指導について考える


少年スポーツの指導

(1)指導の基本理念
1)各種スポーツを考える
 少年スポーツの指導とは、子供時代の即応したスポーツのやり方(ルールや方法論)、楽しみ方、技術や戦術
などを子供たちに教えることである。
 野球を例にとれば、「投げる」「打つ」「捕る」の3つを考えることがベースとなり、レベルが上がってくると試合を
想定したバンド技術やない外野の連係プレーなどを教えていく。
 少年スポーツの指導者は、少年たちが日々上達していくことに喜びを感じ、指導者としてのやりがいや充実感
を得ていくのである。
2)スポーツで教える
 少年スポーツの指導者は、決してルールや技術を教えていればいいというものではない。ハンドボール、野
球、バレーといったそれぞれのスポーツ種目を通して、体力や運動能力の発達を促すとともに、挨拶や礼儀作
法の重要性、用具を大切にする心、友人に対する気遣い、敢闘精神などを教えることも少年スポーツの指導者
として重要な任務である。
 少年スポーツとは、このように、スポーツ実践の場を借りていろいろなことを教えるところに意義がある。
3)スポーツによる人間教育
 試合出場を目指したり、技術獲得などのためにがんばることは、人生において努力することの大切さに通じ、
勝てる試合を落としてしまったときの悔しさは次のステップへの努力・精進につながる。このようにスポーツは、真
正直な生き方、フェアプレーや敢闘精神などを育成してくれる。
 勝敗に対する正しい態度の育成などはまさにスポーツによる人間教育である。

(2)自己との対話としてのスポーツ指導
 少年期のスポーツ活動の財産はスポーツのあらゆる場面で、いろいろな自己との対話が図れることである。
 例えば、ハンドボールで残り5秒、1点差で負けている場面で、相手チームの反則により与えられたペナルティ
ースローを外してしまい、1点差で負けてしまったとする。この時泣き叫びたいような悔しい自己との対話が、い
つの日か「頑張っている自分」、という評価に変わりうる日が来れば、この日のペナルティースローはこの子供に
とって意義ある自己の対話といえる。

(3)知恵ある少年の育成をめざす指導
 スポーツ活動は、基本的に身体活動をともなうものであるが、ルールを知らなければ試合などできない。その
意味ではルールに関する知識をはじめ、いろいろな知識を持つことは重要である。
 ハンドボールのパスのタイミング、柔道や剣道で技を仕掛けたり、逃れたりする状況は、僅かに「0コンマ何秒」
の世界である。この僅かな時間のうちに適正な答えをだし、行動を要求されるのがスポーツである。この間には
「情報のキャッチ→適正なる判断→企画→実行」というプロセスが組み込まれている。しかも、僅か「0コンマ何
秒」の間にである。「What should I do now/私は今何をすべきなのか」がスポーツ活動ではひっきりなし
に要求される。
 スポーツ活動では、このように考え方や行動の仕方に関わる知恵が要求され、知恵が養われる状況があること
を大切にしなければならない。
 種目によっては、指導者のサインやフォーメーションプレーなどで少年たちの試合がリードされている場面を
多々見かけるが、基本的には子供たち自身の判断にゆだねて、指導者は、彼らの判断が試合ごとに上達してい
く様を楽しみにするような存在と考えたい。

(4)個人の能力を引き出す指導
 少年スポーツの指導において大切なことの一つが、個人差を考慮した指導である。
 内向的な子供には、人前で自尊心を傷つけないよう心がけなければならない。
 外交的な子供は、逆に本人の自尊心に触れるような言葉がけや指導によって、ますます燃えてくるといった特
徴がある。このように個人の実態に沿って、能力を引き出してやることが大切であり、「レギュラー。非レギュラー」
といった名のもとで、ここの個性を埋没させる指導などは厳に慎まなければならない。

(5)バランスの取れたスポーツ活動
 子供たちがハンドボールならハンドボールというスポーツ種目を好きになり、上手になっていくためには、ハン
ドボール以外のいろいろな種目を体験し、そこから総合的な運動能力をバランスよく養成していくことが大切であ
る。「一芸に秀でた少年」の育成をこの時期に期待するのではなく、オールラウンドな運動能力をバランスよくも
った少年の育成のほうが重要である。
 一流選手と呼ばれる人たちは、少年期にいろいろなスポーツ種目をバランスよく体験していることが多い。この
ことを指導者は常に頭に入れておくべきである。

(6)早熟化、焼ききれ現象に陥らない指導
 近年、スポーツの低年齢化があらゆる種目で進んでいる。しかし、低年齢化は大きな問題を含んでいる。
 少年スポーツ指導者は、このことを忘れてはならない。「アメリカのニュージャージー州で3歳の坊やヘンリー・
マーシャル君が、腕立て伏臥屈伸を1000回やった」という記事が話題になったことがある。少年スポーツ指導
者なら、この事実に驚きをあげる前に、なぜ3歳の幼児が腕立て伏せを1000回もやらなければならないのかを
疑問視するべきである。そして、100回やれるようになる運動の原理を知り、この子供が10歳、20歳になった時
にどのような少年、青年に成長しているかに思いを巡らす指導者でありたいものである。
 早熟化は、年齢が進んだときに情熱を失ったり、身体と心に必要以上の負担を抱えた状態で、記録が停滞し
たりする「焼ききれ現象」に、結びつきやすい。無理することなく、年齢相当の運動量やスポーツ活動の提供が
望ましい。

(7)生活ベースを崩さないスポーツ活動
 子供たちの生活は、毎日家庭、学校、地域の中でそれぞれ営まれており、スポーツ活動は、平日の放課後や
土日祝祭日に行われる場合が多い。いずれの場合も、そのスポーツ活動の実施が時間的に長すぎたり、体力
的に過酷であってはならない。
 学校の勉強や宿題をやる状況を妨げたり、家庭の一員としての行動も取れなくなっては元も子もない。あくまで
も、子供たちや家庭の生活のベースを侵害するような活動、指導は避けるべきである。




いろんなスポーツを通しての子供に対する指導を見る。

 小学生、中学生のスポーツを考える場合、遊びとしてのスポーツ,教育としてのスポーツ、競技としての徒に分
けて考える必要がある。
 子供の文化としてのスポーツを考えるのであれば、競争、共同を通した仲間作り、ルールによるプレーの機会
均等、努力と達成の喜びを重視するとらえ方がふさわしい。
 ルールやマナーを大切に考えて行こうとする中で技術を学び、技能として定着させて行きながら、社会生活の
基盤を学んで行くのである。
 
体育としてのスポーツ(運動)は、一般的には「楽しい体育」といわれるスローガンで表現されている。「楽しい体
育」とは、スポーツの楽しさを求め、楽しくスポーツの学習が進むように組織されている。正確には、それぞれの
スポーツに備わっている、行うものにとって意味や価値の学習を重視し、それを中心に授業を組織し、実施する
体育のことである。
 
子供たちが競技としてスポーツを求めているのは、自己の個性や能力が自由に表現でき、良くも悪くも自己実現
を正当に評価してもらえる点であり、勝利と技術の向上を目指して、誰のためでなく、また、誰かに言われてする
のではなく、自らの意志で日々の努力を課しているのである。
 子供たちがスポーツに熱中するのは、自分の得意な分野で自分を認めて欲しいと願うからであり、負けずにが
んばろうと努力できるからである。このような意欲が動機づけとなり、その意欲の大きさが日々の練習のエネルギ
ーとなる。


望ましいチャンピオンシップの育成とは

 子供にとってのスポーツの楽しみは、勝敗を争うところに本質がある。しかし、競争することに夢中になるあま
り、スポーツ障害をひきおこしたり、勝ちたい、負けたくないという意識が強すぎることから自己中心的となりす
ぎ、弱者、敗者に対する思いやりの気持ちを持つことができなくなったりすることがある。
 おとな、すなわち指導者が何らかの制限を加えない限り、この傾向はエスカレートする。他方、おとな、指導者
が子供以上に加熱し、勝つための必要なことはすべて準備してしまい、指導者の指示は絶対守らなければなら
ないという服従、根性という精神的な面の強調が先走りしてしまい、スポーツの自己表現とプレーする喜びを奪っ
てしまうことにもなりかねない。
 
燃えつき症候群、過度な勝利至上主義、厳しく長すぎるトレーニング、管理、権威主義の横行などの弊害が指
摘されている。また、スポーツ指導で避けなければならないとされていることに、技能の不備の指摘がややもする
と人格の不備の指摘となってエスカレートしたり、常に体罰をともなう指導がなされたりすることがある。
 
指導者に求められるのは目の前の勝利だけでなく、勝つことへの意欲、じょうずになりたいという意欲に方向づけ
をすることであり、そのためには、片寄りを避けるためにいくつかのスポーツを組み合わせたシーズン制などを採
用し、子供の発育、発達に合わせたルール、用具の開発などを整備させ、望ましいチャンピオンシップを育てる
ことである。



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