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2000-11-03 人生を<半分>おりる、哲学的生き方のすすめ、中島義道

今週の月曜日の朝日朝刊に読書特集、そのなかで中島義道氏の「人を嫌うということ」が紹介されており、東京出張のおり、八重洲ブックセンターで探したところ、売り切れとか、それでかわりに「人生を<半分>降りる、哲学的生き方のすすめ、1997.5.20ナカニシ出版1900円」と「私の嫌いな10の言葉、2000.8.30新潮社1200円」を買いました。会議まで時間があり、虎ノ門書房を覗くと「人生..」が新書版で平積み、定価も600円でした。
中島義道氏、かなり売れる本を出しているようです。氏の本はユーモアに満ちているのが楽しいところです。

「人生を<半分>降りる、哲学的生き方のすすめ」、1997.5.20ナカニシ出版、1900円
著者;中島義道、略歴、1946年福岡生まれ、1983年ウィーン大学哲学科修了(哲学博士)、現在電通大教授(専攻/ドイツ哲学・時間論・自我論)

○哲学をしたければしなさい!
私が法学部進学をやめて教養学科の「科学史科学哲学」(略して科哲)に、進学でなく、転落したとき、主任教授の大森荘蔵先生から「法学部から科哲に来ることは、警視庁から山口組に来るようなものだ」と言われました。その10年後に、私が将来のあてもなくウィーンに私費留学する計画を伝えたときの先生の答えは「それはいい。ヨーロッパ乞食になるのもいいじゃないですか」というものでした。

○廣松渉先生の退官にあたって
<略>そんな中で2年前の広松渉先生の退官パーティは例外的に気持ちのよいものでした。一つには先生(私は彼から学問的・哲学的にはなんの影響も受けていないのですが)がすでに肺癌に侵されていて、もう長く立っていることも苦しく、酸素ボンベを付けている具合だったこと。かっての半分ほどに痩せた骸骨のような哲学者が壇上におりました。そこには、もういかなる虚飾も脱ぎ捨てるような壮絶な雰囲気がありました。大森荘蔵先生など「廣松君、死なないでください!」と何度も訴えておりました。
そのパーティが気持ちよいものであったもう一つの要因は先生の仕事をは超人的でどんなに誉めてもウソにならないことむしろ今さら言葉を尽くして誉 めても空疎な響きになってしまうこと、こうしたことがありました。(何度でも言いますが私は先生の著書をほとんど理解しておりませんし、マルクス主義関係のものはサッパリわからず、読む気もしない。ただ何よりもそのものすごい学識には敬意を払っておりました。)
<略>こうした紋切り型の挨拶とは異なり廣松は、一見異常なほど卑下しており、すぐみんなをバカにしていることがわかるのですが、なぜか「わかる」気がする。イヤな感じがしません。少々長いのですが、あまり人目に触れる機会のない文章のようなのでここで引用しておきます。

「教員と乞食は3日もするともうヤメられない」とか言いますけれども、私は以前、通算5年間名古屋の大学に勤めた時点で退職し、雑文をひさいで6年間口を糊した経験がありますから5年間くらいならまだヤメられると申せます。
実を申せば8年間で切り上げようというつもりでお世話になったのでしたが、居心地のよい駒場の湯に一旦入ってしまうと出るに出られなくなるようで18年間も長湯をしてしまいました。.....
国際学会で披露するような研究成果などありませんでしたし海外に遊学するだけの意欲も趣味もないものですから、国外には唯の一歩も出ませんでした。学生時代にも留学経験がありませんので、いまどき珍しい夜郎自大の天然記念物ではないかと疑われたりもします。国内での学会にもほとんど出席したことがありません。出席しようものなら意地悪な発言などひとくさりブチかねないからです。
泰西古代の哲人は「隠れて生きよ」と訓えました。東洋では隠者を位置づけて「小隠は山林に隠れ、中隠は市井に隠れ、大隠は朝廷に隠る」とか申します。講壇に隠れるのはどのランクの隠遁者という話になるのでしょうか。唯のインポテ? 多分そんな相場でしょう....
先輩・同輩の中には「駒場幼稚園なんかとは違ってピチピチ・ギャルのいっぱい居る大学」に再就職して老化を少しでも遅らせる賢明な方々もありますけれども、私としましては学校ゴッコはもう飽きました。生徒役で20数年、先公役でも20数年、いくらなんでも飽き飽きです。どうせならほかのゴッコをやってみたいですね。とは言ってもカクレンボくらいしかできませんかね。....
駒場は本当によい隠れ家でした。もう暫く置いて頂きたい気がしてきました。
「定年制度なんて何故あるんでしょう」
「後が列をなしてつかえてるからさ」
オ後がヨロシイようで!(111)
このわずか2ヶ月後に亡くなったことを思うと、セツセツたる気分になります。
(111)教壇に隠れてヒッソリと「教養学部報,1994.1.19号、廣松渉」


序章;あなたはまもなく死んでしまう。
自分のための時間を確保せよ・帰りなんいざ・スピノザとルソー・公職から離れる・実在論者と唯名論者・実感の相違・社会的に有益な仕事から手を引く・研究のための時間は自分のための時間ではない

1章「繊細な精神」のすすめ
繊細な精神と思いやりの精神・学者を分類する・ものを書けば書くほど考えなくなる・「名前を知られたい」という愚かしさ・もの書きのモラル・「高級な会話」のイヤラシサ・日常生活」から目を離してはならない・モラリスト・スノッブの類型学・暴力的な「和」の雰囲気・「明るさ」の重荷

2章「批判精神のすすめ
理性の自己批判・一流の学者や芸術家が陥る罠・芥川と三島・トンカツの男女同権・ユマニストの傲慢さ・なぜ男はスカートをはかないのか・善人たち、ああ善人たち!・専門バカ・膨大な論文の生産・蛭の脳髄学者の叫び・ニーチェを「研究する」おかしさ・哲学研究者になるためには・語ることと行うこと・哲学者とその生活・学者の生態・名誉を求める戦い・自分はいかにエライか・人間嫌いは人間好きである

3章「懐疑精神」のすすめ
デカルトの懐疑・モリヌークス問題・理論理性と実践理性・なぜ嘘をついてはいけないのか・今ここで何をすべきか・道徳的行為と自負心・正しいことをしようとするものは正しくない・勝つことは醜い・勝者と敗者の力学・「戦い」はわれわれの「自然」である・気を紛らわすこと・アンドレイ公爵の呟き・人間のなすことで不可解なことはない・哲学の誤りは滑稽なだけ・だれも哲学などには期待していない・哲学は無用である・哲学の道場「無用塾」

4章「自己中心主義」のすすめ
「自己中心的な生き方は嫌われる・テスト氏の自己探究・「私」という謎・私の過去・世間一般とのズレを伸ばす・自宅に閉じこもる・シュジュギュイ=子供・純粋なシュジュギュイたち・「純粋な」青年の自殺・女性は性的存在である・女性は非哲学的?・女性嫌悪と女性恐怖

5章「世間と妥協しないこと」のすすめ
「献本」されると窮地に陥る・ウソばかりの出版記念会・広松渉先生の退官にあたって・<半隠遁>と職業・みんなが<半隠遁>する心配はない・哲学をしたければしなさい!・世間が許さない?・最大の敵は親である・「恩」は与えたくも受けたくもない・「恩」はほんとうのことを言わせなくする・他人を避ける・「会いたくない」権利の尊重・「会いたくない」ことをどう伝えるか・「偏食」の思想・社会から転落する。

6章「不幸を自覚すること」のすすめ
終章そして、あなたはまもなく死んでしまう