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「ゾウの時間、ネズミの時間、サイズの生物学」
著者本川(もとかわ)達雄、中公新書、660円、1992.8.25初版


90円本コーナで昔、ベストセラーになった、歌う先生の本を見つけましたです。時間は絶対的ではなく、相対的なものであることを動物の時間という視点から説明しています。
「だが(人間は)時間感覚はあまり発達してはいない。自分の時間でさえ、時計を目でみてやっと定量的に分かる程度のものである。たぶん、頭の中の時間軸は自分に固有の時間軸だけしかないのであろう」という考えです。
「島に隔離されるとサイズの大きい動物は小さくなり、サイズの小さい動物は大きくなる。」これが古生物学で「島の規則」というものもなるほどです。
「自然科学とは自然の内にパターン(相似性)を見つけ出す作業ではないだろうか?」とは面白い言い方、規則性や、再現性と言わずに相似性というの見識です。そういえばFRSの時空間機能材料研究の局所時空間チームで、流体中にそのようなパターンを見つける作業をしたいたと思います。
「ヒトのサイズと同じ動物の密度は1.4匹/km2、哺乳類から求めた行動圏行動圏の広さは12km2。半径2kmの円に対応」、とのことです。この広さから日本での適応人口は50万人となります。1km四方に1.4人しか住んでないとないとすると広々としすぎ寂しいような気がしますが、それでも行動範囲から、16人は回りに住んでいるとかで、意外と快適な空間なのかもです。

第1章心拍数一定の法則?
寿命を心臓の鼓動時間で割ってみよう。そうすると哺乳類ではどの動物でも、一生の間に心臓は20億回打つという計算になる。物理的時間で測れば、ゾウはネズミよりずっと長生きである。ネズミは数年しか生きないがゾウは100年ちかい寿命を持つ。しかし、もし心臓の鼓動を時計として考えるならば、ゾウもネズミもまったく同じ長さだけ生きて死ぬことになるだろう。
時間とは、もっとも基本 的な概念である。自分の時計は何にでもあてはまると、なにげなく信じ込んで暮らしてきた。そういう常識をくつがえしてくれるのがサイズの生物学である。

第2章島の規則
島に隔離されるとサイズの大きい動物は小さくなり、サイズの小さい動物は大きくなる。これが古生物学で「島の規則」と呼ばれているものだ。
米国で暮らしてみて、これは違うな、と感じたことはいろいろある。学問のことでいえば、なんといってもやっていることのスケールがでかい。巨額の金を動かして遺伝子や脳をいじっている人たちもいる。学者個人をみても、よくぞここまでやれるもんだなあと、おそれいるばかりの偉人がいた。デューク大学内にはシュミット・ニールセンをはじめとして偉人だ何人かそびえ立っていて、すっかりおそれいってしまったのだが、さて一歩大学の外にでるとだいぶ感じが違うのである。スーパーのレジにしても車の修理工にしても、あきれるほど対応がのろいし不適切。これでよく給料がもらえるもんだ!とイライラするとともに、一般の日本人の有能さに、いまさらながら気付かされた。
あ、これは「島の規則」だ! 島国という環境では、エリートのサイズは小さく、ずばぬけた巨人と呼び得る人物は出てきにくい。逆にちいさい方、つまり庶民のスケールは大きくなり、知的レベルは極めて高い。
大陸に住んでいれば、とてつもないことを考えたり、常識はずれのことをやることも可能だろう。まわりから白い目で見られたら、よそに逃げていけばいいのだから。
島では、そうはいかない。出る釘はほんのちょっと出ても打たれてしまう。獰猛な捕食者に比せられるさまざまな思想と戦い、鍛え抜かれた大思想を大陸の人々は生み出してきたのである。
しかし、これらの思想はゾウのようなものではないか?人間が取り組んで幸福に感ずる思考の範囲をはるかに超えて巨大なサイズになってしまっているのかもしれない。動物に無理のないサイズがあるように、思想にも人類に似合いのサイズがあるのではないか。いまや、地球はだんだん狭くなり、一つの島と考えねばならない状況にたち至っている。
いままでは「大陸の時代」だった。これからは、好むと好まざるとにかかわらず「島の時代」になる。これまで日本人がつちかってきた島で生活していくうえでの智慧はこれからの人類にとって貴重な財産になるべきだと、私は思っている。

第4章 
○動物の生息密度
動物の「人口密度」と体重との関係を調べてみると密度は体重にほぼ反比例することがわかった。哺乳類337種から求めた密度と体重の関係式に,W=60kgを入れてヒトのサイズの動物の密度を求めてみると1.4匹/km2となる。1985年の日本の人口密度は320人/km2なのでサイズから予測される密度の230倍の密度でギュウギュウ暮らしていることになる。世界全体の人口密度は36人/km2なのでこれでも26倍である。
○行動圏の広さ
哺乳類53種から求めた行動圏の式にW=60kgを入れると、行動圏の広さは12km2。半径2kmの円に対応する。2kmといえば歩いて30分なので、これなら車など使わず気持ちよく歩いて通勤できる距離である。ついでにヒトのサイズの動物について、自己の行動圏の中に何匹の仲間が暮らしているかも計算すると,16.3匹となる。

第6章 車社会再考
技術というものは次の3つの点から評価されねばならない。
1.使い手の生活を豊かにすること。
2.使い手と相性がいいこと。
3.使い手の住んでいる環境と相性がいいこと。

第10章 時間と空間の相関
動物では、時間が体重の1/4乗に比例する。体長の3/4に比例すると言ってもいい。
学校にあがってまず習ったことの一つに時間とは時計で測るもので腹がへったから勝手にお昼、とはならないということがあった。自分がどう思う、どう感じるなどとは関係なく決まった時間があって、これには人間のみならず、虫も花も獣も、そして無機の自然もすべてがしたがわねばならぬものである、そういう超越的絶対者が時間というものだと、教え込まれたとうな気がする。ところが、時間は唯一絶対不変なものではない、と動物学は教えている。
時間が体長の3/4乗に比例しているということは、長さは空間の単位なのだから、動物においては時間と空間とは、ある一定の相関関係を保っているということをも意味する。
人間は存在を三次元空間と時間とを用いて認識している。そしてこの際、時間軸は空間の軸とは独立なものとして取扱い、それを当然のことだと思っている。そこに突然、動物では時間と空間とは相関すると言われると、おや?と奇異ば感じをもたれるかもしれない。
しかし、力学的相似の例のように「相似」という概念を持ち込めば、時間ろ空間とは、ある関係をもってきてしまうものであろう。人間は、何らかの相似性をもとにしなければ自然を理解できないではないか、と私は思っている。
自然科学とは自然の内にパターン(相似性)を見つけ出す作業ではないだろうか?
動物をよく理解するためには、空間と時間と力、この三つに対する感覚がなければいけない。ところがヒトというものは視覚主導型の生き物である。空間認識はよくでき、サイズの違う生き物がいることは十分にわかる。だが時間感覚はあまり発達してはいない。自分の時間でさえ、時計を目でみてやっと定量的に分かる程度のものである。たぶん、頭の中の時間軸は自分に固有の時間軸だけしかないのであろう。
時間に関してはヒトは外部には閉ざされた存在だと言えるのではないか。だからこそ、時間は絶対不変なものだと信じこみやすいのだろう。

著者略歴;
1948年仙台生れ、1971年東大生物学科(動物学)卒、琉球大学助教授、86-88年デューク大学客員助教授、91年東工大理学部教授、専攻;動物生理学

第1章 動物のサイズと時間;
サイズによって時間は変わる、心拍数一定の法則?
第2章 サイズと進化;
コープの法則、大きいことはいいことか?島の規則
第3章 サイズとエネルギー消費量;
標準代謝量ー基本的なエネルギー消費量、表面積と体積、3/4乗則ー生命の設計原理、ヒトのサイズ・現代人のサイズ
第4章 食事量・生息密度・行動圏;
大きいものは大食らいか?食うもののサイズ・食われるもののサイズ、ウシを食う贅沢ー成長効率の問題、動物の生息密度、行動圏の広さ
第5章 走る・飛ぶ・泳ぐ
サイズと速度、走るコスト、飛ぶコスト・泳ぐコスト
第6章 なぜ車輪動物がいないのか
車社会再考、ひれVS.スクリュー
第7章 小さな泳ぎ手
鞭毛と繊毛、低レイノズル数の世界、スパスモネームとレイノズル数のトリック、拡散が支配する世界
第8章 呼吸系や循環系はなぜ必要か
肺も心臓もない動物、ヒラムシはなぜ平たいか、ミミズはヘビほど太くなれるか?、呼吸系
第9章 器官のサイズ
心臓と筋肉、脳のサイズ、骨格系
第10章 時間と空間
生理的時間と弾性相似モデル、時間と空間の相関
第11章 細胞のサイズと生物の建築法
細胞のサイズ、植物の建築法・動物の建築法
第12章 昆虫-小サイズの達人
クチクラの外骨格ー昆虫の成功の秘訣、器官の威力・脱皮の危険、食べる時期と動く時期ー一生を使いわける
第13章 動かない動物たち
サンゴと木ー光の利用者、群体ーユニット構造の利点、流れの利用者第
14章 きょく皮動物ーちょっとだけ動く動物
ウニのとげとキャッチ結合組織、ヒトデの外骨格的内骨格、クモヒトデの自切とユニット構造、進化と支持系、きょく皮動物の謎、きょく皮動物のデザイン